第10話 別離
朝。陽光の中、小さく身震いして目が覚める。
自分のベッドでは無い事に違和感を覚える。
そうか、未だ遭難中か……。
既に小さな燠となった焚火を見つめる。
そうだ、あの二人は? 顔も上げず見回すが、二人の姿は無かった。
僅かに馬の声が聞こえ振り向くと――二人は、既に馬に乗り今まさに出発しようとしていた。
男と女が手を振る。
それに応じてよろよろと挙げた手を振り返す。
あぁ、行ってしまった。
彼らは俺が来た獣道へ進むようだ。
きっと、数時間もしない内に野盗の亡骸まで辿り着くだろう。
その、後は? あの騎手を探して森に入るのだろうか。
酷く、残念だ。友好的な人々が側に居ることほど心強いことはないのだが。
それに、別れが惜しい美少女だった。
横になったままぼんやりと、彼女の愛くるしい笑顔を思い出す。
次いでユミの怒り顔が浮かぶ……はいはい、ごめんなさいね……。
再び一人になり、心細さと寂しさを覚える。
燠となった焚火に小枝を投げ掛け、火を熾し直す。
太陽を仰ぎ、手を翳す。
今日は、暑くなるのだろうか……。
堅いパンとチーズで朝食を済ませた後は、日差しの強さに任せて川に入る事にした。
もう何日も風呂に入っていないし、そもそもこのボロ布はとても清潔とは言えない。
俺は下着だけになり、シャツとズボンを洗う。
埃とこびり付いた泥とが、僅かな濁流となって流れ、消える。
どう見ても現代的な装いでは無い、粗い作りのシャツとズボン。
海外製のオープンワールドファンタジーRPGなら奴隷スタートで着せられている装備品といったところ。
それに出会った人々の服飾にしてもそうだ。
コスプレじみて感じはしたものの、実用の趣があった。
一体俺は、何処の国を彷徨っているのだろうか。
……名前くらい、聞いておけば良かったな。
水浴びをしながら後悔する。
そこに思い至らなかったのは、やはり緊張続きでまともな思考をしていないのだろう。
落ち着いて、よくよく考えるべきだ。
非現代的な土地であるのは、間違いない。
余りに自然が豊かで、人々の格好も現代的では無い。
若い女性が焚火の横に寝そべったり、見知らぬ薄汚れた男から手渡された食物を口にする程度に、衛生的でもない。
野盗が出て、その首が飛ぶ程度には治安も悪く、野蛮な――友好的な男の腰にすら、刃物がぶら下がっていたのだから。
人種は分からずも、あの飛び抜けた美しさはヒントにならないだろうか?
女性が美しい国――多くの人種が混ざり合うと美人が多く生まれると聞いた事がある。
東洋と西洋とが混ざる場所なんかだ。
美人で有名なのは、レバノンやウクライナ辺りか?
レバノンは中東だ。朧気だが確か地中海に面している筈で、気候で言えばこんな感じなのだろうか?確かに治安は悪いだろう。が、剣を腰に携えて馬に跨るだろうか?
ウクライナなら、地図上の場所は分かる。クリミア併合時に散々メディアに取り上げられていたからだ。しかしこんなにも未開であるだろうか?
だが元ソ連だ。イメージだけだが、ロシアでは何が起きても不思議は無い気がする。馬に乗ろうとも、剣を振ろうとも。
そういえば、インドで出会い一晩共に過ごしたロシア人旅行者のスターシャも美人だった……。
未開さと野蛮さで言えば南米も捨てがたいが、この森に密林のイメージはない。
いやまてよ。クルド人の居住地域という線は、どうだろう?
それがどういうものか分からぬが、伝統的な生活を営む人々がいるはず。
治安だって――駄目だ。そもそも彼らが現地人であるかどうかも知れたことではない。
俺は半乾きのシャツを火に当てながら、かぶりを振った。
水面にしゃがみ込み、排便を行う。温水洗浄便座が恋しい。
運悪くこのタイミングで誰か通りがかったり、しないだろうな……?
先に進むため、荷物――全て他人からの拝借品――を確認する。
食料はあと数食分。これが尽きた時の事は考えたくない。
川の水でこれでもかと洗った革袋二つにたっぷりの水。
火打石と鉄片。
魚の骨製らしき針と、数巻きの糸。
錆びた鉈に、刺すだけの短剣。
そして、小さな革袋。雑嚢の中にあるのは分かっていたが、今は無意味と無視していたものだ。
音と重さから用途と中身は知れていた。
これは、小銭入れだろう。
中には20枚程の茶色い硬貨。
刻印は半ば潰れていて文字は読み取れない。
鋳造技術が低いのだろうか。
それに輪をかけて痛んでいる銀色の硬貨が一枚――これは銀貨か、それとも白銅貨か? 俺が見たって金属の質など判る筈もない。
そこに昨夜貰った硬貨を加える。
それは5枚の銀色の硬貨だった。
こちらはまだいくらか刻印が残っており、幾分マシに見える。
いずれにせよ、天下の日本国政府が発行する硬貨とは雲泥の差だ。
現地で流通している正式な通貨か?
それともこの鋳造の質の悪さは、ローカルトークンの一種だろうか。
そもそも使う場所など、ないのだけれど。
荷物を纏め、立ち上がる。
向かうべき方向は既に決まっている。
川の下流方向だ。
昨夜、男は「俺が来た道」を知るために、上流を指した。
であれば恐らく、彼らが来たのは下流からだろう。
少なくとも下流には、彼らが元来た場所があるに、違いない。
洗い晒しでいくらかマシになった服を着た俺は、緩やかに流れる川に沿う道を歩き出した。




