第1話 目覚め
首の痛みで目が覚める。
夢の続きにまどろむ。
と、違和感。何かが、首や肌をチクリチクリと刺す感触。
……なんだ? 俺は、どこで寝ている?
慌てて飛び起きる。
ユミは何処にいった?
違う。それは今見ていた夢だ。
俺は昨夜、ひとり自分のベッドで眠った筈。
じゃあ、ここは?
そうして、俺は、この世界で目を覚ました。
『マジかよ……』
俺は呟き、周囲を見回す。
半ば崩れたか燃えたかしたような納屋なのか物置小屋なのか。
どうも俺は朽ちた藁の上で眠っていたらしい。
隙間だらけの屋根越しに日は差しているが、果たして今は朝なのか昼なのか。
そうして、ここは何処なのか。
そうして、俺の格好は。
ボロけた麻らしき肌触りの悪いシャツ。
同様のズボン。腰には麻紐。
なんだこれはベルトなのか? 恐ろしい事に下着までも同様だ。
靴下かと思ったが、どうも革を縫い合わせたような靴を履いている。
――そうだ。俺のスマホは?
辺りを見回すが、そんなものは影も形も無い。
『マジかよ……』
俺は、もう一度呟いた。
寝て起きたらこんな所でこんな格好。
意味がわからない。
まったく、腑に落ちない。
起き掛けの頭は状況の変化についていけず、疑問符を浮かべるばかり。
――さらわれた? 誰に? 何時の間に?
ぞっとした。誘拐されたのだろうか。
俺が夢遊病患者でなくば、今俺がここでこうなるには他者の介在が必要な筈。
しかし俺を誘拐などして、誰に何の利があるだろう。
一介のサラリーマンに過ぎず、資産も無ければ資産のある親類縁者だっていやしない。
これは何かシュールな夢の続きだろうか?
しかし、パニックを起こしかけた割に思考は明晰だ。
夢というには、これは、あまりにも。
先ほどまで眠っていたらしい、朽ちた藁を掴む。
床ですらない踏み固められた土に、手のひらを押し付ける。
半壊した小屋の壁を叩く。
これは、現実だ。
いや、圧倒的な現実感がある、と言うべきか。
この感触が夢とは、思えない。
もし何らかの理由で誘拐され、こんな格好にさせられたのだとしたら、それを行った犯人が近辺に存在する可能性があるだろう。
手も足も自由とはいえ、小屋の外には逃げられないような何かがあるのやも。
そう考えた俺は、恐る恐る、正に恐る恐るといった体で小屋の出口に忍び寄った。
その小屋は、静かな森の中、朽ちるに任せ佇んでいた。
小屋の前には獣道。柔らかな日が差す。
微かな風がそよぎ、空気は僅かに冷たく、僅かに甘い。
日の傾きと空気の感から、恐らく、今は朝方――いや、それより、何処なんだここは。
一瞬、目にした風景にここは海外なのかと疑問を持つ。
木々や茂みや空気の匂いに、違和感を覚えたからだ。
――旅行は趣味のひとつだ。
北は北海道、南は沖縄まで行ったが、眼前に広がる植生はそれらで目にしたどれとも異なる気がする。
が、流石に海外は有り得ない。一体どう出国するのか。
そも、国内全ての植生を把握している訳でも無ければ、どこがどう違うと指摘するだけの知識も無い。
ただただ、違和感を覚えたのみだ。
周囲に人の気配は無い。
恐らく、何か理由があり誘拐され、山奥に棄てられたのだ。
……その理由に、全く心当たりは無いけれど。
しかし誘拐であれば人違いという線はある。
32年も生きていれば、誰かに恨みを抱かせた事も、有るのかも知れない。
質の悪い冗談という事も、果たして有り得るだろうか。
俺の仲間や同僚に、こんな手間暇の掛かるドッキリを行う様な馬鹿はいるだろうか?
小屋の奥に戻り、体重を預けるには心許ない壁を背に、力なく座り込む。
迂闊に小屋から出て良いものかどうか、判断しかねたからだ。
傍らに落ちていた、乾いた棒を拾い握りこむ。
置かれた境遇への恐怖と不安を、一切れの棒で振り払えるかのように。
5分か、10分か。息を潜め周囲の様子を伺うも、何一つの動きも無い。
犯人――恐らくは複数人――は影も見えない。
助けは来るか? いや、誰が。
今日は仕事を無断欠勤した事になるだろう。
数日の無断欠勤が続けば、職場から緊急連絡先である両親に連絡が行くかも知れない。
そうして田舎から両親が様子を見に俺の自室へ行き、部屋に入れず連絡も着かず、マンションの管理人へ連絡し、その後ようやく警察へ――だろうか。
一体何日掛かる? しかも捜索願が出された所で、成人男性の失踪など果たしてどれだけ本腰を入れて捜索してくれるものなのか。
――自ら動き、人里に助けを求めるしかない。
こんな妙ちきりんな格好で、棒切れひとつでは余りに心許ないとしても。