"彼女"が悪役令嬢を好きな理由
この世界には、神秘的なものがあふれていました。
危険な魔物や素敵な植物、まか不思議な魔法道具や武器。
世界中で語り継がれる勇者と最恐の魔王の伝説。
今でも魔王領の奥深くは未到達のまま、数多くの謎が残されているのです。
そんな、剣と魔法にロマンあふれるファンタジーな世界ですが、伝説の魔王が再び現れるのではないか、という噂がどこからともなく流れ始めていました。
果たしてその噂は本当なのか、とても気になるところですが、今回の主役は魔王でも勇者でもなく、一人の女の子なのです。
ここは、はじまりの村。
山を一つ越えればそこは魔王領という辺境の小さな村ですが、人々は時折現れる魔物にも負けず、手を取り合い、笑いながら日々を過ごしています。
場所以外には何の変哲もない村ですが、一つ珍しい物を挙げるとすれば、この村には辺境伯と呼ばれている領主様のお屋敷と、位置的に真反対の場所には領主様が務める領事館がありました。
そして、あまり裕福でない村には不釣り合いな豪邸が立派に居を構えるその庭先に、
「どうしようどうしようどうしよう……」
頭を抱えてうずくまり、目をグルグルさせている黒髪の少女がいました。
この少女こそ今回の主役、名前をリカと言います。
辺境伯の一人娘であるリカはとても美人だけれどいつも不機嫌そうにしていて、他人を寄せ付けない氷の冷たさを持つ高飛車お嬢様、のはずなのですが、今の“彼女”に冷たさなど見る影もありません。
“彼女”が現在進行形で目と頭をグルグルさせている理由、それは“彼女”がある事実を思い出してしまったからなのです。
「何でわたし、ゲームの世界の登場人物になってるの……!?」
そう、“彼女”は異世界転生を果たしていました。
それもただの異世界ではありません。ここは、この世界に来る前の“彼女”が一番好きだったゲームである『ソウル・オブ・パンタシア』の世界なのです。
「しかも……、よりにもよって何でリカなのよーっ!?」
そうです。何を隠そう“彼女”が転生したリカとはこのゲームのメインヒロインであり勇者のことを密かに想っている恋する女の子。そして自分と同じ名前という理由から最初は嫌っていたけれど、物語が進むにつれてどのキャラよりも好きになっていった、という“彼女”にとって深い思い入れのあるキャラなのです。
しかし、そんなことなど綺麗さっぱり忘れ、“彼女”はつい先ほどまでリカそのものとして生きていました。一人で優雅に午後のティータイムを楽しんでいると、突然の雷に打たれたような衝撃と共に、前世の記憶がよみがえり、
「なんで、どうしてよ〜!?」
そして今、こうして目と頭をグルグルさせているというわけなのです。
“彼女”はなぜ自分が転生を果たしたのか、がわかりません。いえ、異世界転生する理由が分かる人などいる訳がないのですが、この場合の理由とは、
「はっ! もしかして夢? いたっ! 頬っぺた痛いから夢じゃない……。うぅ、けど死んだ記憶もないのにどうして……」
彼女は自分の死を覚えていないのです。
仕事に疲れてヤケ酒かまして泥酔し、リビングで寝っ転がった時に見上げた蛍光灯の光が最後の記憶です。死ぬ前の記憶としてはあまりに虚しすぎるので信じたくもありませんが、現在の“彼女”は辺境伯の一人娘、十四歳のリカなのです。
この事実は受け止めるしかありません。ですので“彼女”は大きく深呼吸をしてこの事実を受け止めました。
「すぅー、はぁー。よしっ。この世界がゲームって分かったってことは、つまり今のわたしには未来が分かるってこと! だから明日は……あれ?」
受け止めたなら次は状況の整理。“彼女”はかすかに残るゲームに関する記憶を引っ張り出して、止まりました。
「魔族が襲ってくる日って、確か4月20日だったよね……」
開け放たれた木枠の窓の奥、日時を表す木版に目を凝らせば、今日は4月19日と記されています。それはつまり、
「明日、ってこと?」
その事実は、“彼女”を一瞬にして恐怖のどん底に叩き落としました。
春の陽気が満ちる中、魔族の襲来は突然に。
ゲーム内では流行り病の治療薬を作るため、主人公である勇者と幼馴染の少年が原材料を取りに行った日に村がたくさんの魔物を率いた魔族に襲われるという、勇者たちを絶望に叩き落すために用意された確定イベントです。
魔族の目的は、辺境伯の屋敷に隠された魔王の封印を解く鍵の略奪。五つある鍵のうち最後の一つを確実に奪うため、魔族は魔物を使いその圧倒的な力で村人を皆殺しにします。
リカは村と封印の鍵を守るため最後まで戦いますが、最終的には魔族に殺されてしまい、鍵は奪われ魔王が復活し、世界は混沌の渦に飲み込まれていきます。
村に帰ってきた勇者と幼馴染の少年はその惨状を目の当たりにして絶望しますが、復讐を誓って立ち上がり、いよいよゲームが本格的に始まっていく、という流れです。
作り物を外から見ているだけならば、かわいそうだな、で済みますがここは現実です。
怪我をしたら痛いですし、本物の血だって出ます。死の恐怖だってあります。
ですが、死にたくないからといって、泣いている暇はありません。
どんなにいやでも明日は必ず来てしまうのです。
ならば“彼女”にできるのは、村の壊滅を防ぐこと、
「……止めるのは、無理だ」
ではありません。確定イベントは何があろうと変えることはできません。村が壊滅させられてしまうという結末に関して、“彼女”は自分が変えられることはないと割り切っていました。
それならばと“彼女”は髪色と同じ黒いペンダントを握りしめ、
「どうすれば結果を変えずに、結末を変えられる……?」
村人を死なせないための手段を必死に考えます。
鍵を持って逃げる、いっそこちらから攻撃する、領主である父親に事情を話す、などいくつかの案が“彼女”の脳内を駆け巡りましたが、どれも根本的な解決には至りません。
“彼女”だけが鍵を持って逃げたとしても意味は無いため却下。奇襲を仕掛けても彼女一人で全て倒すのはいくらなんでも不可能...ではありませんが現実的な方法ではありません。そして父は母の狂死以来、何でもないジョークですら生理的に苦手になってしまっています。
恐らくですが“彼女”が真実を告げたとしても、突拍子もない冗談だと切り捨てられてしまうでしょう。
「どうしようどうしよう! このままじゃ村の人達が!」
リカはとある体質のせいで人間を嫌っているという設定ですが、それはリカ本来の性格ではありません。リカは村の危機を見捨てるような子ではないのです。
加えて、今のリカは転生した“彼女”です。リカに深く共感し、リカが大好きなのです。
リカとしての十四年間を“彼女”はしっかりと覚えています。
体質により“彼女”も人間のことが苦手になっていますが、それでも村の人々を助けたいと思う気持ちは少しも変わりません。
しかし、妙案が思いつきません。
思わず頭を抱えてしゃがみ込んでしまいます。
「どうしよう……ん?」
『ソウル・オブ・パンタシア』内にて壮絶な最期を遂げたリカの、その結末に至るまでの経緯を思い出した彼女は再び止まりました。
「力が出し切れなくて、村の人達を庇って致命傷を受けたんだよね。ってことは……」
言うが早いか、彼女はすぐさま立ち上がるとティーセットも片づけず、広い敷地を走り出し、呟きます。
「村の人達をどこか遠くへ避難させれば……!」
ゲーム内でリカが死ぬことになった理由。
それは逃げ遅れた村人を庇い、魔獣の牙を受けてしまったからでした。
リカの魔法は規模が大きく、打てば村人を巻き込んでしまうため全力を発揮できずに死んでしまったのです。
ならば、村人をどこか違う場所に避難させればリカは存分に力を発揮できるということ。と、そこまで考えてリカは三たび止まりました。
「わたしが戦う必要、あるのかな」
自分も村人達と一緒に逃げれば良いのでは、と思いましたがすぐに思い直します。
「……魔王復活の鍵は、渡せない」
鍵を持って逃げる、と先ほど考えましたが思い出してみれば、鍵は巨大な魔力岩に封印されているため持ち運びは不可能です。
つまり“彼女”には逃走という選択肢は初めから存在していないのです。
「まぁ、元から逃げるつもりないけどさ。ユーリ達が戻ってきたとき出迎える人がいなかったらかわいそうだし」
“彼女”はその頰を少し赤く染めながら言いました。
ユーリとは『ソウル・オブ・パンタシア』の主人公である勇者の名前です。
もう一人、エリオという男の子も合わせ、三人は小さい時からの幼馴染。ですが、最近のリカはその想いに反して二人と距離を取っていました。
乙女の甘酸っぱい恋心、も少量は存在しますが実際はもう少し後ろめたい理由からです。
そして、その理由を説明する時間が今は存在しないようです。
“彼女”がもう一度走り始めました。
「はぁっ、はぁっ。急がないと……!」
出口の門に辿り着くまでにすっかり息が上がってしまいます。
「ほんとに庭、広すぎ……!」
なぜ庭がこんなに広いのか、と“彼女”は今更ながら自分の家を恨みました。
恨みつつ、必死に頭を回します。
(あれも違う! これも違う! ……何か、何か!)
一つ、ある問題がありました。
村人をどこか違う場所に避難させる、というのは名案そのものなのですが、辺境伯である父親に冗談と思われず、村人避難の指示を出す許可までしてもらえる理由が思い浮かばないのです。
「急がなきゃ……! きゃっ!?」
「うわぁっ!」
思い浮かばないまま、けれど焦りによって“彼女”がようやく家を飛び出したちょうどその時、角から走り出てきた幼い男の子とぶつかってしまいました。
「いたた……。ご、ごめんね。大丈夫?」
「えっ、あ。だいじょう、ぶ……」
「う……」
ぶつかった相手がリカだと分かった瞬間、男の子が怯えたのが目に見えてわかりました。
村では完全に氷の冷たさを持つお嬢様としてのイメージが定着しきっています。
それはリカとほとんど喋ったことのない、こんなに小さな子も例外ではないのです。
「うぅ……うわぁぁぁぁん」
膝を擦りむいた痛みと、ぶつかってしまったのが怖いお姉さんという二重の責め苦により、男の子はすぐに泣き出してしまいました。
時間がないのに……!と思いつつ、それでも“彼女”はリカとしての仮面を外さないまま、大声を上げて泣く男の子にできる限り優しく話しかけます。
「ほら、泣かないの。男の子でしょう。今は流行り病もあるんだからしっかり消毒しないと傷口からばい菌が……あっ!」
そこまで言った時、“彼女”の脳内に電撃が走りました。
「へ……?」
何が何だか分からず、男の子は顔を涙やら鼻水やらでグジュグジュにしたままリカを見上げます。
「そっか……それだ」
会心の笑みを“彼女”は浮かべました。
どうやら、ひょんなことから村人を避難させるための大義名分を見つけたようです。
「あー! リカがまた子供泣かせてるー!」
「いやあれはどう見ても違うし、泣かされてたのは小さい時のお前自身だろ」
“彼女”が笑みを浮かべたまま、普段から持ち歩いている絆創膏を取り出して男の子の怪我の手当てをし終えた時、背後から聞き覚えのある声が二つ、飛んできました。
リカには声の主が振り返るまでもなくわかります。だから“彼女”は男の子を解放し、振り返りながら立ち上がると、冷たく言い放つのです。
「なに……、また泣かされたいの。ユーリ?」
「っなわけあるか! 俺はもうリカに泣かされるようなガキじゃないもんね!」
年相応にあどけなさが残る面立ちでドヤ顔を決めたこの少年はユーリ。
「嘘つけ。この前おそろしの森に少し入っただけで泣きそうになってたじゃないか」
その隣で、年に反して落ち着いた様子でユーリに突っ込みを入れた少年がエリオです。
「それは言わない約束だったろエリオ!」
「リカなんだから別に隠さないでもいいじゃないか」
「リカだからだよっ!」
「……変なユーリだ」
村の大人にすら怖がられているリカを前にして、ユーリとエリオは全くもって普通です。それは幼馴染の二人だからこそ、リカの本当の性格を知っているからこその対応なのです。
「はぁ、あなた達はいつまで経っても変わらないわね」
「そういうリカは……、今日はなんだか変だ。何かあったのか?」
「べ、別に何もないけど?」
「確かに変な気がするな……って、まさか流行り病にかかったんじゃないのか!? おいユーリ、やっぱり明日じゃなくて今すぐ行った方がいいぞ!」
「いや、もうすぐ夜になる。出るのは明日の早朝だ。それにリカは腕に斑点が出てないから流行り病には罹ってないよ」
「そ、そうか。良かった」
「それに、もしリカが流行り病に罹っていたとしても、俺たちが治療薬の元を必ず持って帰る。だから大丈夫だよ」
「ああ、そうだな!」
幼馴染のことになると、ユーリとエリオはすぐに熱が入ってしまいます。
「ちょっと隣村の近くまで行って霊草を取ってくるだけじゃない。たった一日しかかからない事にそんな熱くなっちゃって、ほんとバカみたい」
「んなっ!? 心配したってのにお前って奴は……! 本当にかわいくないな!」
「心配も可愛げもなくて結構よ。そんなの必要ないもの」
でも、リカはそんな二人が大好きです。
大好きだからこそ“彼女”はいかなければなりません。
「……でも、ありがと」
「えっ。あっ、リカ!」
ユーリの呼び止める声にも振り返ることなく“彼女”は走り出しました。
上がる息、村人の驚く声、踵の高い靴で走ったことによる足の痛み、それら全てを今だけは忘れ、領事館に向かって走ります。
「リカお嬢様! そんなに慌ててどうなさったんですか?」
「父さんに用があるの!」
辿り着くや否や、父親の執事で雑務役であるレドに声をかけられますが、答える時間も惜しいと言わんばかりに、答えながら階段を一段飛ばしに駆け上がります。
そのまま廊下も一気に走り抜け、扉をバンと開け放ちながら室内に入ってきた娘を見た父親の気持ちとは、一体どんなものでしょうか。
驚き冷めやらぬ様子の父に、けれど “彼女”は落ち着くのを待たずして言いました。
「父さん、お願いがあります」
□ □ □
早朝
「それじゃあ行ってくる!」
「村のことは頼んだぞ」
「ん。しっかり材料を持ち帰ってくるのよ」
「おう! にしても、こんな朝から村に活気があるのは初めてだな」
「確かに」
ユーリ達が言いながら視線を向けた先では、まだ日が出始めたばかりだというのに村の人達が皆、出立の準備を整えていました。
ユーリ達と一緒に出るのが第一陣です。全員がいっぺんに出るのではなく、三つのグループに分けて一時間おきに出発します。
病人や怪我人、それに付き添いをする人達が初めに出発。次が子供やその母親、老人。そして最後が若い男の人達です。
「これ以上病が流行らないように魔法で菌を根絶するって……本当にできるのか?」
「なに、ユーリはわたしが信じられないの?」
「いやいや、疑ってるんじゃなくて心配してるんだって!」
「言ったでしょ、心配なんかいらないって」
(本当にそんなことするわけじゃないし)
そう、“彼女”が菌の根絶などするまでもなく、流行り病は今日で終わります。
なぜなら、流行り病の原因は魔物が出している毒であり、今日の襲撃のために少しでも村の抵抗力や戦力を減らそうと魔族が行ってきた、一種の破壊工作なのです。
けれどそれを知っているのは“彼女”のみ。そして“彼女”はその事実を逆手に取り、村人全員の退去ための口実を作り出しました。
それが先ほどユーリが口にした『魔法で菌を根絶させるため村人を一時的に退去させてほしい』という理由です。
急な話で辺境伯は困惑していましたが、早い方が良いと言ってなんとかゴリ押しました。
「ほら、もう出ないと置いてかれるわよ」
「お、おう」
これ以上話してボロが出ないとも限りません。“彼女”は無理やり話を終えると、ユーリの背中をドンと押して、エリオの元へと送り出しました。
「んじゃ、今度こそ行ってくる!」
「……行ってらっしゃい」
一抹の寂しさをはらんだその声は、ユーリに届くことはありませんでした。
そうしてユーリとエリオが出発した後。時間をおいて第二陣、第三陣と続いていき遂に村にはリカ一人が残りました。
「よしっ。なんとか間に合ったわね」
閑散とした村の中、“彼女”がほっと一息をつきました。
かなり早い時間に出発させたのにも理由があったのです。魔族の襲撃が四月二十日の日中ということはわかっていましたが、正確な時間までは流石に分からなかったので早めに避難させた方が良いだろう、と考えたのです。辺境伯には時間がかかるからと言って誤魔化しました。
村の広場でたった一人、“彼女”は魔族の襲撃を待ち続けます。
そして、その時はあまり時間をかけずしてやってきました。
遠く、何十もの足音が近づいてきます。普段ならば朝食時。あくまで人々が油断している時間帯を狙ってきたあたり、どれだけ魔族がこの襲撃を重要としているかがわかります。
「おやおや、妙に静かだと思ったら。もしやあなた一人ですか、レディー?」
数え切れないほどの魔物の先頭。
浅黒い肌に、立派な巻き角が特徴的な魔族が低い声で“彼女”に声をかけてきました。
「あなたの目論見は、全てバレてるのよ。百獣のリリン」
既にゲームのシナリオから外れていますが、“彼女”はあくまでリカとして、不遜に応じます。しかし、この男の放つ、ただならぬ雰囲気に内心“彼女”は圧倒されていました。
(殺気だけで強いってわかる……)
大勢の魔物を一度に従える『魔物隷属』の魔法を持ち、たった一人で襲撃を仕掛けてきたこの男こそ、百獣のリリンと呼ばれる一連の事件の首謀者です。
ゲーム内では幾度となく勇者の命を狙って襲撃を仕掛けてきますが、最終的に倒されるのはストーリーでもかなり終盤であり、その強さを“彼女”はよく知っていました。
ゲームの中ではコワモテのおじさんという認識でしたが、実際に見るとコワモテどころの話ではありません。
ヤクザのようなその面持ちに、思わず逃げ出したくなりますが、“彼女”はグッとこらえて百獣のリリンと対峙します。
「今すぐ引くなら見逃してあげるわ。引かないというのなら……叩きつぶす」
「ふっ……。やれるものなら、やってみたまえよ!」
声高に百獣のリリンが腕を振ると、魔獣が雄叫びをあげながら“彼女”へ向かって一斉に走り出しました。
その数、文字通り百は下らないでしょう。信じがたい数です。
「さあ、これだけの数を一人で対処しきれるか!?」
彼の魔法は確かに強力です。しかし決してリカの魔法だって負けていないのです。
「これだけいれば十分ね」
素っ気なく言いながら、掲げられたリカの両手が黒く光ります。
それは真っ黒に、リリンの視界を文字通り黒く塗りつぶしました。
そして数秒の後、リリンは正常に戻った視界を、それでも疑いました。
「な、に……?」
魔獣のほとんどが、リカの元へ辿り着く前に死んでいたのです。
かろうじて息のある個体も、黒い光を浴びて絶命寸前でした。
その惨憺たる光景を見たリリンが叫びます。
「その魔法、『魂魄統馭者』だと!?」
「ご名答、あれだけでわかるなんて流石は魔族ね」
問われたリカは冷ややかに答えます。
「本来であればそれは魔王様が持つべき魔法……。それを貴様のような人間の小娘が持つとは、なんという傲慢! その愚行、万死に値する!」
対してリリンは怒りを露わにしてリカを非難しました。
ですが、
「傲慢、ですって……?」
いわれなきその非難は、リカの逆鱗に触れました。
「わたしだってこんな魔法欲しくなかった……。魂の色なんてわかりたくなかった!」
「なに……?」
「この魔法のせいで人に近づけなくなった。誰も信じることができなくなった」
”彼女”の発言。それは、『魂魄統馭者』と呼ばれた理由とも一致します。
リカの『魂魄統馭者』は『魂魄』と呼ばれる系統の中でも最上位に位置するものであり、本来であれば魔王しか持ち得ないはずの最強に近い魔法。
人の身で発現することなど恐らく初めてであり、それこそ魔王を倒しうる力を秘めていました。
ですが、わずか七歳の身で発言したその魔法はあまりに強大であり、幼き身には扱えるものではありませんでした。
さらには一度魔法を発動しようとして、村全体を巻き込みそうになるほどの規模だったので使用が禁止されました。そのため、リカは魔法を使うことなく、使える機会もなく生きてきました。
ですが『魂魄統馭者』の力は、リカが魔法を使わないようにしていても勝手に発揮されてしまうのです。
それが先ほど“彼女”が述べた、魂の色がわかるというもの。
色だけでなく、大きさや質もわかりますから、魔王はその力を使って強力な臣下を効率的に集めていました。
ですが、普通の人間の少女であるリカにとって、その力はあまりに酷なものでした。
魂が可視化できる少女の瞳に映る大人の魂は皆、薄汚れていたのです。
たった七歳で大人の醜さを理解してしまったことは、蝶よ花よと育てられていたリカにとってその人格形成に大きな影響を及ぼし、歳を経ていくうちに他を寄せ付けない氷の冷たさを持つ少女となっていったのでした。
そうして抑圧されてきたリカの叫びを、代わりに“彼女”があげるのです。
「誰も彼もがおべっか使って、嘘を平気で吐いて、裏では顔を背けたくなるような事を考えて、平気で自分の魂を汚している! そんな人たちが大嫌いだった! だから私は人を遠ざけた!」
けれど、本来のリカは世界は素晴らしいものだと信じて疑わない、心優しい少女です。
「それでもっ! わたしは! わたしが一番嫌いなのよ!」
だからこそ、大人が醜い存在だと思ってしまった自分自身を何よりも嫌ったのです。
「何を言っているのかさっぱりだ。ついぞ気でも狂ってしまわれたか。ああ、それならば残りの軍勢で殺してあげるのが慈悲というものだろう」
どこにこれほどの魔獣を隠していたのでしょうか。
言いながら、またしても手をあげたリリンの元には、先ほどよりも多い数の魔獣が集まってきました。
「もう今の貴様に、この数の魔物どもを退ける魔力は残っていない。さぁ、断末魔を聞かせてみろ!」
嘲笑するリリンに、リカも負けじと笑います。
覚悟を決めた、"彼女"の笑顔。
「断末魔をあげるのはどっちかしら……ね!」
言いながら、首から下げていたペンダントのひもを力任せに引き千切りました。
そうしてペンダントの黒い宝石に残った魔力を振り絞ります。
すると、握りしめられた宝石が砕け、黒い光を放ち始めました。
それを見たリリンが今度こそ驚愕の声をあげます。
「貴様、まさかそのペンダントに予め魔力を込めていたというのか……!?」
「ええ。それにこれだけの新鮮な魂があるんだから、使わない手はないわよね?」
周囲に溢れた魔獣の死体から、より一層黒い瘴気のようなものが集まってきます。
「自らをも魔法に巻き込むつもりか!?」
リカの行おうとしていることを理解したリリンが逃げ出そうとしますが、間に合いません。瘴気は一点に集まると、少女の手元で極黒の球体となり、
「さようなら。ユーリ、エリオ」
黒い爆発が村を包み込みました。
□ □ □
遠く、平野にて
一陣の風が吹くと、エリオ達は村の方へ振り返りました。
「なんか今、あいつに呼ばれた気がする」
「お前もか。実は俺もなんだ」
「……何か嫌な予感がする、戻ろう」
「ああ」
「何……だよ、これ」
彼らが村に戻ると、そこは壊滅状態でした。
家々は吹き飛び、僅かな残骸や道が黒く染まっているのみ。
放射状に吹き飛んだ残骸の中心で、リカが倒れています。
彼女の周りだけが正常な色を持ったままで、しかし彼女の手足は黒く染まっていました。
「リカ! 何があったんだよ!」
「頼む! 起きてくれ!」
ユーリが抱え上げ、必死に呼びかけますが、返事はありません。
何か無いかと周りを見回したユーリは、残骸の中に獣の死体が多く混ざっているのに気づき、全てを理解します。
「嘘だろ? 何でだよ……」
全てが手遅れでした。
村は壊滅状態で、幼馴染は死んでしまいました。
……全部、終わった。
そう思った時でした。
「リカ!? しっかりしろリカ!」
エリオが叫びます。
リカが意識を取り戻したのです。
ですが呼吸は絶え絶えで、虚ろな瞳はいつ光を失ってもおかしくありません。
「……あの、ね。私、頑張ったんだよ」
たどたどしく、リカが喋り出しました。
エリオとユーリは一心に耳を傾けます。
「村の人たち、怪我させたくなかったから、隣村に避難させたの」
「……ああ。本当にすごいよ、リカは」
「ふふ。すごい、でしょ……。あ、でも、ペンダント壊れちゃった。みんなで、買いに行ったのに、ごめんね」
リカの足元には、バラバラに砕けたペンダントの破片が散らばっていました。
「そんなの、幾つでも買い直せばいい! だから、また一緒に買いに行こう……!」
ユーリの提案にも、リカはいっそう弱々しく笑うだけです。
「うん……、ごめん、ね。今まで、ずっとキツく、当たっちゃって。こんなに汚い私と一緒にいたら、二人まで汚く、なっちゃうって、思って」
「何だよそれ……なんで今そんな事言うんだよ! 俺、知ってるんだよ。リカが本当はすごく優しいんだってこと。怪我した子がいたら真っ先に手当てしてあげられるような奴だって、知ってるんだよ! リカは汚くなんか無い、誰よりも綺麗だ!」
叫ぶようにユーリは訴えます。
瞳に浮かぶ大粒の涙はいくつも零れ、リカの黒くなった服の上に降り注いでいました。
「ありがと。すごく、嬉しいな。ユーリに、最後にそんなこと、言ってもらえるなんて」
「最後なんかじゃない! この先何回だって言ってやる! リカは世界で一番綺麗だ! 誰よりも、誰よりも!」
叫ぶ声は、震えていました。
「だから……死なないでくれ。頼むよ……!」
ユーリは懇願しながら、リカを抱きしめます。
リカの手が、不意にユーリの頬へと触れました。
「それなら、私の願い事、一つだけ聞いて、くれる……?」
「聞く、聞くよ! 何だって聞く!」
「魔王を、倒して」
ユーリとエリオは息を飲みました。
「頑張ったけど、魔王封印の鍵が、持ってかれちゃったの。だからわたし以外にも、悲しむ人が二度と、現れないよう、魔王を倒して。ユーリとエリオなら、できるから」
それは、世界を変えろと言われているのと同じでした。
十四歳の少年二人には、荷が重すぎる願い。
それでも、彼らは即答します。
「わかった、やるよ。俺とエリオで魔王を倒すよ!」
それを聞き届けたリカは涙を流し、笑いました。
「……ありがとう。二人とも、大好き」
黒い手が、膝の上へ滑り落ちました。
ユーリは、リカの身体から決定的な何かが抜け落ちた事を確信します。
「あ……あぁ、あああぁ……」
何も言えず、ただ涙をこぼすしかありません。
ただ、何もできない自分を悔やみ、呪い、恨むしかありませんでした。
涙を滂沱と流し、悲しみに暮れ果てるしか−−−−
でも、エリオは違いました。
「ユーリ、やろう」
「え……?」
ユーリは思わずエリオを見上げ、驚きます。
泣いていなかったのです。
血が出るほど唇を噛み、懸命に涙を流すまいと堪えていました。
涙を流せば、同時に大切な何かがこぼれ落ちるとでも言わんがばかりに。
「約束、しただろ。魔王を倒すって。それなら泣いてる暇なんかない」
ジンが見つめるのは東に連なる山々、ではありません。
その先、遥か遠くにある魔王城です。
「魔王が持つと言われてる『全知の実』を手に入れるんだ。そしたら、リカを生き返らせられる」
「全知の実って……」
「ああ、一粒につき一つ、願いを叶えられるって言われてる、奇跡の果実だ」
「それがあれば、本当にリカを生き返らせることができるんだな?」
エリオがユーリへと振り返ります。
エリオを見つめるその瞳には、もう涙など残っていませんでした。
ただ、覚悟を決めた顔がそこにはあります。
「できる。だから、やろう」
「やろう」
「ああ」
二人は、誓いを立てました。
これから先、どんな冒険が待つのか。
それは、二人だけが知ることでしょう。
だから、リカのお話はこれでおしまい……ではありません。
残念かどうかはわかりませんが、もう少しだけ続きます。
「う……ん? あれ、私死んだはずじゃ……? ていうかここ、どこ?」
目覚めましたか。
「えっ!? だ、誰!?」
あなたをこの世界へと送り込んだ者です。そうですね……神とでも思ってください。
「神様!? ってよく見えないんですけどなんで靄がかってるんですか!? モザイク指定食らうような格好でもしてるんですか!?」
ええ、あなたが直視すると気が狂ってしまうので少しマイルドにしてあります。
「そ、そうなんですか……。あの、なんで私はこんな真っ白な場所に?」
それはですね、勇者とあなたの幼馴染があなたを蘇らせたいと望んだからですよ。
「えっ。どういうこと……?」
全知の実、というアイテムはご存知ですよね?
「知ってます。ゲーム内で使うとHP/MPは全回復するし、必殺技は即座に使えるようになるし、死んだ味方は……あっ」
はい、そういうことです。
この世界の場合、私に直接願いを伝えられる物で、実際には私が叶えるんです。
「ものすごいメタ発言を聞いた気がする……」
そんなわけで、見事魔王を倒したあの二人が願ったのは、世界平和でも世界征服でも金銀財宝でもなくて、あなた自身の存在だったんですよ。
「そっか……そっかぁ」
彼らに会えるのが本当に嬉しいんですね、顔に出ていますよ。
「えっ!? イヤイヤそんな確かに嬉しいですけどこれは何かそういうアレではなくて単にもう一回あの暮らしができるのが嬉しいなって思ってですね……」
そうですかそうですか、気に入って頂けたようで何よりです。
それでは戻る際に一つ、私から贈り物をいたしましょう。
「贈り物、ですか?」
はい、あなたの壊してしまったペンダントをお渡ししましょう。
着けている間は他人の魂の色が見えなくなるおまじないがかけられています。
「い、いいんですか……? そんなの貰っても」
はい。自分の作った世界を楽しんで頂けるのは作者冥利に尽きます。
ですから、少しくらいオマケをつけたくなっただけなので気にしないでください。
「ありがとうございます……!」
おっと、そろそろ時間のようですね。
それでは、これからもどうかこの世界を心ゆくまで楽しんでください。
「わかりました! この私、貰い受けた第三の人生、心ゆくまでやりこみます!」
ええ、楽しんできてくださいね。
□ □ □
それから一年が経ちました。
「う〜、重い〜! ユーリ、少しは手伝って〜!」
「自分で狩った獲物の素材くらい自分で持ち帰れるようにならないとダメだ」
「だってジュエルロブスターの甲殻よ!? あんなにでっかいザリガニの殻なんて持てるわけないじゃない!」
「ハサミの振り下ろし攻撃を正面から受け切った奴の言うセリフじゃないな……」
「ユーリが持たないなら俺持とうか?」
「エリオ、リカを甘やかすな!」
もうリカには氷の冷たさなど見る影もありません。
リカは建て直された始まりの村で、ユーリやエリオと慎ましいながらも、幸せな生活を送っていました。
ですが、それも今この瞬間まで。
「魔王軍が攻めてきたぞぉぉぉ!」
新たに建てられた見張り台から、そんな叫び声が聞こえてきました。
「ついに来たか……」
「第二の魔王の誕生、だっけ」
「ああ、俺とエリオが前の魔王を倒した時、ヤツが最後に言っていた。『勇者がいる限り、魔王は現れ続ける』って」
「それならそれで、現れるたびに倒せばいい。そうだろ?」
エリオがユーリとリカに笑いかけます。
「ああ、もちろん。今はリカもいるし、百人力だ」
「そう言われると、照れるわね」
「っと、もうお喋りしてる時間は無さそうだ。エリオもリカも、いけるか?」
今度はユーリが真剣な面持ちでエリオとリカに問いかけます。
「いつでもいける」
「わたしも、準備はできてるわ」
「それなら、行こう!」
ユーリとエリオが走り出します。
リカはその背中に続こうとした時、視界に突如現れた物に驚き立ち止まりました。
彼女の視界には、こんな言葉が現れていました。
『これにてチュートリアルは終わりです。
これから、あなただけの冒険が始まります。
覚悟はできていますか?
▼はい
いいえ 』
リカはその視界を見て、思わず笑ってしまいます。
そして、自信満々に答えるのです。
「はいっ!」
これから先は、彼女だけの物語。
あなたたちが見ることは、『今のところ』できません。
ですがもし、彼女の冒険を見ることができるようになったなら。
その時は是非とも、見にきてくださいね。




