空虚な世界の過ごし方。
※この作品は「世界の終わりの過ごし方」のスピンオフです。
先にそちらを読むことをおすすめします。
世界の終わりの過ごし方 スピンオフ 1
「空虚な世界の過ごし方」
昔から、感情の起伏のない子だった。
激しく怒ったりもしなかったが、喜ぶこともなかった。
両親も最初は心配していたらしいが、体に問題はなく、健康そのものだったため、次第にそういう子なんだなと慣れていったらしい。
言われたことには文句一つ付けず従い、逆らうこともない。傍から見ればただのいい子だ。誰もケチをつけないどころか、よく褒められて育っていった。
僕はそんな無味無臭の湿気た人間だった。
いや、だったと言うと今はそうではないかのように聞こえてしまうので訂正しよう。
ここまでは主に祖父母に聞いた話だが、多分この話はすべて真実なんだなと確証を持って言える。
僕の今持っている記憶の端っこにいる僕がそうだったから。最初の僕も、最後の僕も。
小学4年生の時、両親が亡くなった。
僕を祖父母の家に預け、結婚記念日に夫婦水入らず旅行へ行ったその先での出来事だった。祖父は血相を変え家を飛び出し、僕は祖母にそっと抱きしめられたのをよく覚えている。いきなりの事で周囲の人がみんな慌てて駆け回っていた映像が今も鮮明に思い出せる。
緩やかに流れていた時が、まるでダムが決壊した川のように勢いをつけ、すべてを飲み込んでいった。僕はそんな荒れ狂う川を、ただただ流されるしかなかった。必死にもがいたり、岸を目指したり、助けを呼ぶなりすれば良かったかもしれないが、それ以外の選択肢を当時の僕は思いつかなかった。
それが原因か、当時もも、そして今も、僕は両親が事故で死んでもうこの世にはいないという事実を受け入れられてはいない。受け入れたくなくて逃げている訳ではない。
分からないのだ。
人は死んだらもう戻っては来ない。
物語の中のようにはいかない。
そんなことはもちろん分かっている。
でもなんでか、ひょっこり父さんと母さんが玄関を開け迎えに来そうな気がしてならないのだ。
ただ今回はちょっと帰りが遅いだけ。明日には、来週には、来月には……と自分の中で完結させ補完していた。
こうして僕は8年待ち続けた。
そして今も、待ち続けている。
来るはずのないお迎えを。
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この世に生を受けてから……少なくとも記憶の限りでは、大きな波のない、穏やかで平坦な人生を送ってきた。
スポーツに打ち込むこともなかった。
勉学に励むこともなかった。
恋愛にときめくこともなかった。
趣味があったわけでもなかった。
ただ、1日が当然のように過ぎていく。
誰も時が流れていくことに疑問を抱かない。
1秒、また1秒時が刻まれていくのは疑いようのない……いや、疑うなんてバカバカしい事実だ。
一国の王も、
世界の大富豪も、
スラム街の子供も、
そして、僕も、
みな同じ時間の中を生きている。
それでも、僕の1秒はとても空虚なものだと言える。
ずっとなにか熱中出来るものを探せと言われてきた。部活にも入らせられたが、行くのが億劫になってすぐ辞めた。どんな娯楽も僕の器を満たすことは無かった。
でも、一つだけ。たった一つだけ空っぽな自分をつなぎ止めてくれる物があった。
本だ。
本を読んでいる時は何もかも忘れられた。
物語の中に入り込み、世界を閉ざし、まるで登場人物の一人かのように楽しんだ。
誰にも邪魔されない僕だけの空間、まさに楽園。
他のどんな場所でも味わえなかった興奮を、僕はそこでだけじっくり味わうことが出来た。
そんな僕を見て、祖父母は本をたくさん買ってくれた。大抵のジャンルは読めたのでチョイスは基本お任せした。
毎月くれるお小遣いはほぼ全て本に使った。
僕の持てる時間もほぼ全て本に使った。
高校3年間の登下校、片道1時間の電車内で一体何冊の本を読んだのだろうか。見当もつかない。それくらい僕は本の世界に魅了されていた。
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「境くんは、面白いね。新品のノートみたいだ。ちなみに私は最初に限らずノートは綺麗に気合を入れてとる派だ。綺麗なノート作りは成績向上に繋がるからね 」
ある時、同級生の女子にこんな事を言われた。誰に対してもくんさん付け、でも特に孤立している訳では無い。そして何しろ雪のように真っ白な髪を持つ彼女に面白いと言われて、なんと言ったらいいか言葉に迷ったのを覚えている。相当おかしな奴だった。
「面白くなんかない。僕は何にもなれない空っぽの男だよ 」
「そうか……何にもなれない……今の境くんは何でもないと……」
やっぱり彼女の言うことはよく分からない。
「じゃあこれから何にでもなれるな 」
……は?
「心の容量は限られている。あいにく私はもうパンパンでこれ以上何かを得ることは出来ない。だから私は境くんが羨ましいね。」
そう言って彼女は去っていった。
同級生のはずなのに、自分より何十年も長く生きているかのような達観っぷりだった。
数年前のことなのに、あんなにおかしな奴なのに、名前はおろか、顔さえぼんやりとしか思い出せない。けれども言われた言葉はしっかりと覚えている。
あいつは何だったんだろう。
いや、それよりも、あの言葉の意味はなんだったのだろうか。
「じゃあこれから何にでもなれるな 」
結局未だに答えはもちろん、自分なりの回答さえ掴めていない。
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「半年後、この世界は終わります」
急にテレビから聞こえてきた馬鹿げたセリフ。マンガの中でもいまや中々見れない堂々たる破滅宣言。その上期間指定まで重ねてきた。
色々な本を読むようになってから、その本のドラマや映画、アニメなんかも見るようになったが……そんな感じの番組を録画した覚えはなかった。
好奇心からチラッと数世代前の薄型テレビに目をくれると、そこに映っていたのはおふざけ一切無し、正真正銘のニュース番組だった。
半年後に世界が終わる。
そんなことをこの人は大真面目に言っている。理解の追いつかない僕を置き去りにして、薄い板の中では世界の終わりについて議論が進んでいく。
詳しいことは結局よく分からなかった。
初老の男性が、地殻変動やらマントルやらコアやら難しい言葉を並べ説明していたが、つまりはおしまいの4文字で済んでしまう話だった。
世界終了のお知らせは瞬く間に日本中、世界中に広がり、人々はみな何かしらの行動を起こした。
あるものは宛もなく逃げ惑い、
あるものは静かに終わりを待ち、
またあるものは───自ら命を絶った。
しかし、いきなり世界の終わりなんて告げられてもピンと来ないのが普通の感覚。何十年も前にもなんたらの予言とか言って世界の終わりが告げられたことがあったらしい。
まぁ……その時の根拠も何も無いお告げと、今回とでは似て非なるものなのだが。
科学的に証明された世界の終わり。
知らなくてもいい事実を知ってしまう、それが人間のたどり着いた終着点だった。
とは言えまだ滅亡まで半年はある。
一体何をして過ごそうか。
僕は色々考えた。
いや、嘘だ。時間はたっぷりかけたが何も考えてない。全く中身のない空っぽな時間をただ過ごしただけだ。
祖父と祖母は「どうせ老い先短い命だ」と特に慌てる様子もなくいつも通り過ごしている。僕はその横でぼーっと空を眺めていた。
いつも通り青くだだっ広い空。
今日は雲ひとつない快晴だ。年末で外は寒いが散歩に丁度いい。コートとマフラーがあれば特に問題ないだろう。手袋も……あるに越したことはないな。
田舎の休日は怖いぐらい静かで、時折耳に入ってくるのは近所の犬の鳴き声と、宅配便のバイクの音ぐらい。夏は風鈴の音が心地良い。
ゆっくりと過ぎていく時間の中、僕は一つの答えを見つけ出した。
最初からそこにあった答えを……やっと。
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「ごめんくださーい……」
祖父母と8年間生活した自宅から自転車を漕いで数十分。地元の商店街のハズレにあるここ、「カササギ書店」に僕は足を運んでいた。
小さな本屋だが僕は結構ここに足を運んでいる。電車にちょっと乗れば都会に出ることが出来るが、あいにく人混みは大の苦手だ。
対してカササギ書店は、静かで居心地のよい最高の書店だ。土地柄もあるがいつ訪れても静かで落ち着く。店的には手放しに喜べる状況ではないのだろうけれど、個人的にはこれもまた売りのひとつと数えてほしい。
「おぉ……また来たか少年……まぁゆっくりしていけ」
入口の引き戸を開けて声をかけると、奥からこだまのように返事がくる。低く落ち着いた優しい声。口調こそ一見ぶっきらぼうな感じはするが、彼が心優しい男だということを僕は知っている。
世界の終わりが宣言されてから、社会は少しずつ変化を始めた。都市部では街から人が明らかに減り、空き家が増え、治安が悪くなった。一方僕の住むような田舎は元々人は少ないし、空き家は多いし、行く宛もないしで特に変わった様子は見受けられなかったりする。
それに伴ってなのか、学校が閉鎖された。
まぁ当然の判断と言えるだろう。半年後に世界が終わるというのに、机に向かって意味の無いお勉強をしているなんて馬鹿馬鹿しい。勉強すればするほどバカになる気がする。
学校に行かなくなるとまぁ暇になった。
かと言って行きたい場所も特にない。
そもそも僕には趣味がこれといってない……アレを除けば。
というわけで結局消去法で近所のカササギ書店に入り浸ることにした。元々人が少ないということもあったが、以前よりいっそうのんびりとした雰囲気になった気がする。
僕は毎日毎日ここに通った。
有り金を全部はたいて本をどっさり買ってやろうと意気込んでいたが、「どうせもう誰も来やしないさ」と店主さんは僕の手に1万円札をそっと戻した。
それからというもの、僕はカササギ書店に入り浸るようになった。もちろん、日が暮れれば家に帰って、祖父母の手伝いをした。たとえあと半年で世界が終わろうとも、僕をここまで育ててくれた8年間は変わらない。最後の最後まで支えていこうと決意した。
一度2人と世界の終わりについて話をしたが、世論のように慌てることはなく、いつも通りが一番だ、と言っていた。さすがこれが年の功というやつなのか、と感心したが、よく考えれば僕も似たようなことを考え現に実行していることをふと思い出した。
すっかり僕は2人の色に染められたというわけなんだろう。空っぽだった器に少しだけ色が滲み出ている。うっすらと、遠目から見れば見逃してしまうような薄さだけど、確実に色づいていることが、なんだか妙に嬉しかった。
「なぁ少年」
そちらを向かずとも声の主は分かっている。
この声も聞き慣れたし、そもそもここには僕と彼しかないのだから。
「なんですか店長」
「もしかしたらな、俺はここを離れなきゃ行けないかもしれん 」
「随分唐突な話ですね 」
店長は若い頃からずっと、この町のこのカササギ書店で本を売っているらしい。少なくとも僕がここに来てからはずっといるので8年は確定だ。実際はそんなものではないだろうけど。
奥さんを随分前に亡くし、それ以来1人でひっそりとこう暮らしているとの事だった。
前に一度「どうして本屋やめなかったんですか? 」と聞いたことがある。
店長はニヤリと不敵な笑みを浮かべながら「金は多いほうがいいだろ? それにこの商売は楽だしな」と言っていた。
どこまでが本心なのか。はたまたこれが本心なのかは測りきれないが、どちらにせよぶっちゃけどうでも良かった。
そんなことを差し引きしたところで、僕は毎日タダで本を読みに来る輩にお茶やお菓子を出して、一緒に談笑してくれる店長が大好きだった。
本来人は、こんな気持ちを学校で知るものなんだろう。同じ歳、あるいは近い年の生徒と、同じ空間で同じ事をして同じ思い出を共有させていく。お互いを知り、絆を深め、そして友となる。それこそが世の定義する学校生活、しいては青春というものだ。
だけど、こんな形で青春を知るのも……案外悪くないだろう?
後1ヶ月で世界は終わる。僕はただ近所の本屋では本を読みふける。話し相手は店主のおじいさん。
一般常識というものさしで測れば微塵も青春に掠らない光景かもしれない。でも、僕は見つけ出した。そんなおかしなシチュエーションから青く透き通った原石を。
「娘がさ、どうせ終わるならみんな一緒にいたいって俺を呼びつけたんだよ。娘とその旦那と子供と4人で終わりを迎えようってさ 」
「いいじゃないですか。僕もできるだけ家族の元にいるつもりですよ 」
「でもなぁ……俺はここが、カササギ書店が心配でならねえんだよ。もう何十年もの付き合いのダチだしよ……最後の時に一人ぼっちってのも可愛そうでな……」
店長の顔は声のトーンと共に暗く大人しくなっていった。普段から寡黙で静かな店長だったが、この時はただ静かなだけじゃないとさすがの僕でも分かった。
長年共に生きてきた友との別れ。
僕がもうちょっと普通の子で、普通に友達がいたらそんな気持ちにもなったのだろうか。
いや、そんなこと考えるだけ無駄だ。
たられば論なんて普段から不毛なのに、世界の終わりがマジカに迫った今なら尚更無意味なお話だ。
「そこでな、ここを少年に任せようと思う。ほれ 」
店長はそう行ってに小さな鍵の束をポケットから取り出して見せた。3つの鍵がぶつかり合いチャリンと金属の音を立てる。
「僕にですか 」
「あぁ。もうここに来るのは俺と少年だけだ。そんでもって俺はいなくなる。そしたら少年しかいないだろう。なぁに、今まで通りにしてくれれば構わないさ 」
店長はまたニヤリと笑った。
多分、随分前から考えてたんだろう。
僕にここを渡す。店長の親愛なる友人を任される。僕にはちょっと荷が重いだろうか?
いや、大丈夫さ。あの店長の友人だ。きっといい人に違いない。人……? 友店と言った方が正しいのか?
「分かりました。任せてください 」
「おう、すまねえな 」
店長がポイッと鍵の束を僕の手元に放り投げる。ゆっくりと放物線を描きチャリンと音を立て着地した。3つの銀色の小さな鍵。一応金属だろうが、サイズや材質からほとんど重さを感じない。はずなのに、やけにズシッとした感触を覚えた。体の芯に響く不思議な重みを僕はしばらく反芻したいと思った。
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僕個人的には、ちょっと長い春休みみたいな感覚で過ぎ去っていった終焉へのカウントダウンも、気づけば残り2日───終わりの一歩手前までやってきていた。
長いようで短かった、なんて卒業式の門出の言葉テンプレートにありそうな感想しか出てこない。でも、実際にそんな日々だった。
他の人はどう過ごしたんだろうか。
家族と穏やかに過ごしたのか。
明日に怯えながら生きたのか。
友と思いっきり遊び倒したのか。
自分でもよくわからずに仕事を続けたのか。
欲望のままに全てを解き放ったのか。
僕のように、今までと変わりなく過ごしたのか。
自分の人生を見つめ直すのに、半年は少々長すぎた。少なくとも僕の空っぽな人生は半年前、世界滅亡のニュースを聞いた数時間後にはキレイさっぱり見直しされていた。
濃い人生を送ってきた人達は、半年で何を見て何を思ったのか。なんだかちょっと気になってきた。
普通じゃない僕は普通を知りたかったんだ。
ベッドに寝転がり天井をボーッと見つめる。
室内を暗くしても外から月明かりが優しく差し込んでくるのでほんのりと明るい。
元々暗く明かりの少ない田舎町だったが、それ以上に明かりが無くなった今、何もなくなった夜を占領していたのは空の星々だった。
こんなに沢山星は存在したのか。
今まで見落としていたのが悔しい。
もっと早く出会っていれば、僕の器に「天体観測」が溜まっていたかもしれない。
いや、たられば論はやめよう。不毛だ。
人々は口を閉じ、聞こえるのは虫や犬の無邪気な鳴き声だけ。彼らは知らない。もうすぐ世界が終わることを。
でも、それが不幸だなんて思わない。むしろ僕は幸せなんじゃないかとさえ思ってしまう。
いつも通りに朝起きて、
いつも通りにご飯を食べ、
いつも通りに時間を潰し、
いつも通りに夜を迎え、
いつも通りに眠りにつく。
それ以上の幸せがこの世界にあるのだろうか。もし存在するならぜひ出会ってみたいものだ。
明日は世界最後の日。
僕はいつも通りを貫く。貫くしかない。
明日は何冊読めるかな。今読んでるシリーズが終わったら何を読もうかな。
空虚な僕の最後が、始まる。