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下っ端メイドは和平希望

作者: 空桜歌

息抜きにノリと勢いで書きました。

魔素によってできた身体に、人間とは比べ物にならない程膨大な魔力を自在に操る力。

魔大陸において生きる私達魔族はそれぞれそのような力を持って生まれている。

そんな魔族を一つの国としてまとめ上げ、魔族の繁栄をもたらした一人の王──それが我らが主、魔王様です。



魔王様の事は全ての魔族が尊敬しています。

何百年もの間この国をより良い国にしようとしっかりとした政治を行い、更に魔族でありながらも弱者にも優しいお方なのです。

知ってます? 今年も作物の収穫量が増えて識字率が上がったそうですよ。歴史上初の魔族学校創立まで目前らしいですし、すご過ぎですよね。




魔族はその身の特異さから子供ができにくく、それに関係して強い種を残すために実力主義で全てが決まる種族でもあります。

そのため、私のように魔族にしては少ない魔力で魔王様がお住まいになられるこの魔王城で働く事ができるなんて、滅多に無い事だそうで。



「だからやっかみも結構あるのですよ、ホント。

 上司は良い人ですけどね、同僚も良い人ですけどね。魔王城にいる人からは無くなりましたけどね。

 でも一歩城の外に出れば好奇の視線にさらされるんですよ……私はスキャンダルを起こした芸能人かって話ですよね」


「すきゃんだる? げいのうじん?」


「いつものアレです。お気になさらず。それよりも今日もお手伝いありがとうございます、ルデアさん」


「気にするな。私も息抜きができている」



腰まである灰色の髪を揺らし、私の何倍もの量の荷物を軽々と運ぶルデアさんにお礼を言えば、微かに口角を上げてそう言ってくれた。

ほんっと良い人ですよねぇ。こうして会う度に話を聞いてくれたり、力の無い私に代わって荷物を運んでくれたり、しかも気にするなって? 神ですか。

魔族としては一般的なはずの紅い瞳は他の人と違って不思議とキラキラしてて星空みたいですし、魔族の中でもトップレベルのイケメンですからねぇ。眼福眼福。




魔力の少なさをコントロールで補うという方法でこの魔王城で働く事になった私は、それはもう浮いていました。

魔力の量が魔族の強さを決める大きな要因です。

更に魔王城は選ばれた者だけが入る事を許される場所で、魔族の中でもエリート中のエリートのみが働く事を許されるのです。


だというのに魔力だけ見ればただの村人A、でも魔力コントロールで試験を勝ち上がるという意味のわからない魔族が魔王城で働くなんて事態になったわけですよ。

そりゃあもう、反感は買うわイジメは受けるわでそれはもう酷い有様でした。

良い人は居ましたけどね。それでも辛いモノは辛いんですよ。




落ち込む日々が続いていたある日、倉庫の掃除をしていた時に出会ったのがルデアさんでした。

最初は何でこんな強そうな人がこんなところに来てるんだって思いましたが、ルデアさんってば最初からすっごく良い人でした。


所作や雰囲気からしてただの魔族じゃないってわかっていましたよ。魔王城にいる時点でただの魔族な訳が無いんですが。

なのに下っ端の私の仕事を手伝ってくれて、耐えきれなくて爆発寸前だった私の話を聞いてくれて。

それだけでもすっごく救われてたのに、ルデアさんと話すようになってからイジメが減ったのですよ。すごいですよね。



魔族って相手の魔力にちょっとでも触れれば相手が上かどうかがわかるんで、多分「あんな強い人と知り合いだなんて、ちょっかい出したらやべぇぞ!」って感じでイジメが減ったんだと思います。

良くも悪くも実力主義ですからね。ここまで来たらいっそ潔いです。

城の外では相変わらずですが、まぁほとんどの時間を過ごす城内ではそんな目に遭わなくなりましたから良いのです。

こういう目に遭うっていうのはここに来る前から覚悟していたことですし、ルデアさんもいますからね。




ルデアさんの傍はとても落ち着きます。

例えるなら日向ぼっこをしているような感じでしょうか。それとも温泉に浸かっていると言いましょうか。

きっとルデアさんは魔力が多いだけでなく純度もとても高いのでしょう。

傍でこうして過ごすだけで、今までにないぐらい心が安らぐのです。気持ち的には赤ちゃんですよ。ばぶぅ。




一週間に一度あるかないかの時間ですが、私にとってこれはとてもとても大切な時間でした。

今日、珍しくルデアさんから話を振られるまでは。



「──勇者、ですか?」


「あぁ……先日、人間界の聖都を発ったそうだ。

 忌々しい事に、また魔族討伐だと銘打っている」



魔国がある魔大陸とは別にこの世界に存在する大陸。

そこには人間やエルフなど様々な種族が暮らしています。

海によって隔たれた二つの大陸はそれぞれ関わる事無く暮らしていました。




ですが人間達は何を思ったのか魔族を絶対の悪だと思っているようです。


曰く、魔族によって災害が起きている。

曰く、動物達が狂暴化するのは魔族のせいだ、など。

言いがかりでしかない事を私達魔族に押し付け、不定期ですが聖なる者による魔族討伐を行うのです。


その聖なる者がこの世界における勇者でした。




魔族は魔大陸を満たす魔素によって身体を作っています。

なので怪我をしても、上半身と下半身がさようならしても、魔素を操る心臓さえ無事なら死にはしません。

ですが勇者の持つ特別な力には、魔素を消滅させる力があるのです。


身体を構築する魔素自体を消されては、心臓が無事であろうと身体を作れずに消滅してしまいます。

私が産まれてからはまだ一度も勇者が出現しておらず、村のご長寿のおじいさまから聞きかじっただけの話ですが、勇者の前にはただの魔族など紙切れ同然だったそうです。




勇者に対抗できるのは強大な力を持つ魔王様のみ。

私のような下っ端にできるのは、勇者が魔王様と出会うまでに力を消耗させることだけです。


今代の魔王様は幾人もの勇者を薙ぎ払ってきたと聞いていますが……それには幾人もの魔族の犠牲があってのことだと、魔王様は慰霊碑を立て、毎年鎮魂のために魔力を解放してくださっています。

魔王様の魔力は誰よりも純度が高い物ですからね。常に不機嫌な人であろうと、みんなその時は穏やかに過ごすんですよ。すごいでしょう。




話がずれましたが、私も、もしかしたらそのためにこの身を捧げねばならないかもしれません。

魔王様の死は魔族の滅亡を意味します。

魔族の中で魔王様が一番強いのですから、一番強い人が負ける相手に誰が勝てるって言うんですか。



考えれば考えるほど幼い頃から想像していた嫌な考えが頭を過ぎります。

下手したら一番槍を任されるんじゃないでしょうか。

流石に戦闘専門の魔王軍の方々がいらっしゃるので違うとは信じていますが、どうなることやら。


魔王様のためとはいえ、私はもう二度と死にたくないのです。




珍しく苛立ちを露わにするルデアさんに、私の本能はあまり聞かない方が良いと叫びます。

こんな不機嫌なルデアさん見た事ないです。ちょっと怖いぐらいです。


ですが、私としてはその話をしっかりと聞かねばなりません。

私は、この話をいち早く知るために魔王城へと来たのですから。



「あの、ルデアさん」


「……お前は心配しなくていい。いつものように、魔王が勇者を殺す。

 魔王は誰も犠牲を出さぬよう策を考えている、と聞いている。

 お前のような者まで前線に出しはしない」


「それは嬉しい情報をありがとうございます。でもお聞きしたいのは違う事で……」



もしやルデアさんは魔王様に近い地位にいらっしゃるのでしょうか。

勇者の事といい、魔王様の策といい、メイドとして城中の噂を耳にする立場のはずなのに、そんな話まだ一度も聞いた事無いですよ。

魔王城の仕事には一部人に話せない仕事もあるので、今まで一度もルデアさんがどのようなお仕事をなさっているのか聞いた事はありませんでした。

下っ端な私より遥か上の地位だろうとは思っていますが、ルデアさんって普段何をしてらっしゃるのでしょう。ミステリアスな人ですね。



とはいえ、嬉しい情報を頂けたのに違いありません。

でも私みたいな下っ端が聞いて良かったのでしょうか。


いえ、魔王様のことですからいずれ公表しますよね。

直接会った事はありませんが、民を安心させるのに定評があるお方ですから。

私はちょっとだけ早く知っちゃっただけですよ。予定通りです。




ルデアさんの物々しい雰囲気に思わずおずおずと伺えば、ルデアさんは一瞬きょとんとした表情を見せた後、私を見つめてきました。

あ、良かった。ちょっと雰囲気が和らぎましたね。



「……何が聞きたい?」



一拍を置いてルデアさんから聞いてくれた時の声色はいつもよりも柔らかさを意識したような声で、気を遣ってくれたのだとすぐに察しました。

せっかくの気遣いを無駄にするわけにはいかないため、私は覚悟を決めて切り出します。



「その、勇者の名前は何というのでしょうか……?」


「勇者の、名前? ……確か【セイヤ・カンザキ】だったか」


「ひぇっ」



ルデアさんの口から出た名前に思わず悲鳴が出ました。

ついでに手に持っていた箱を落としてしまい、つま先強打です。痛い。

痛いということは夢ではないのですね。ぐすん。



「~~~っぅ……!!」


「大丈夫か?」


「は、はいぃ……」



蹲り涙目でつま先を抑える私に、ルデアさんが珍しく動揺した様子で私の顔を覗き込んできました。

御心配おかけしてすみません。色々と動揺してしまってつい。それにしても痛いです何入ってたんですかこれ。こんなの乙女に持たせるなですよ。痛いです。



ルデアさんの気遣う視線が辛いですが、それよりも優先しなければならない事が山ほどあります。

痛むつま先へと魔力を集中させれば後は勝手に収まるでしょう。

この日のために磨いた魔力コントロールの見せ所です。


私は早速、ルデアさんの気遣う視線を感じつつ、魔力を操り痛みを遮断しました。

そうすると私の思考から痛みというノイズが消え、思考回路が全て勇者に関する事に回り始めます。

何十年も前の記憶ですが、何十年も繰り返し考えていた記憶です。

細かいところまで覚えていますよ。えぇ。この記憶のために私はここにいるのですから。




とにかく、私は魔王様にお伝えしなければなりません。

「このままでは魔族が滅びてしまいます」と。






心配そうにしてくださるルデアさんと別れ、私は大急ぎで上司の元へと向かいます。

その間に誰にでも説明できるよう、改めて私の記憶について整理しておきましょう。




簡単にいえば、私には前世の記憶があります。

最早うろ覚えと言っていい状態ですから、正直自分がどんな人生を歩んで死んだのか、ほとんど覚えていません。

この世界の事に気付いて将来の事を必死に思い返していたせいか、それ以外は忘れてしまったんですよね。




この世界の事というのも、実はこの世界、前世の私がハマっていたRPGゲームの世界なのです。

気付いたのが最終ダンジョンでもある魔国のみで入手できるスペシャルアイテム、【エールナ】を見つけたからという理由でした。


前世であのアイテムを入手するのに苦労しましたから、きっかけとしては十分インパクトがありましたね。

何日もかけてようやく入手し、アイテム収集率100%を達成したというのもあるかと思います。

そんなわけで【エールナ】は色んな意味で私のトラウマアイテムです。話がそれました。




ゲームのシナリオを簡単に説明してしまえば「世界を守るために召喚された主人公が仲間と共に魔族の王である魔王を倒し、世界に平和をもたらす」というもの。

よくあるRPGでしたが、グラフィックの美しさ、キャラやサブイベントの充実さなど、とても作り込まれた作品で私は随分やり込んでいました。



そんな私が転生したのは主人公に倒されてしまう魔王様が治める魔国です。

魔王様が勇者に倒された後を考えると恐怖しかありません。

実力主義のこの国において頂点に立つ魔王様が勝てない相手に、他の魔族が勝てるはずがないのです。


人間達は魔族滅亡を望んでいるのですから、きっと魔族は一人残らず蹂躙されてしまうでしょう。

そんな運命、日本という平穏な国で生きた前世の記憶を持つ私が受け入れられようか(反語)。




もしかしたら私の勘違いかなと思った事は何度もありました。

ですがずっと嫌な予感がして、とにかくいち早く情報を得られるように、私は努力して魔王城務めにまで上り詰めたのです。

魔王様が何人もの勇者を倒してきたのは知っていますが、今回ばかりは駄目です。



だって、勇者の名前、デフォルト名だもの。



名前を考えるのが面倒だった私は、常にデフォルト名でやっていました。

だからよーく覚えておりますよ。えぇ。



これはもう確実に運命が動いています。

世界が魔族を殺しにかかってます。

ふざけるな魔族が何をしたんですか。




というのも、ゲームの本編では魔族、ひいては魔王様が巨悪の元凶みたいな感じにされていました。

ですがサブイベントをこなす度に、節々に妙なセリフや伏線があったのです。



一番に例を挙げるとすれば、魔族と結ばれた娘の話でしょう。

そのサブイベントは本編とはほとんど関係の無い村にあるサブイベントでした。

イベント発生条件を満たすのも難しいような、そんなイベントでした。




そのイベントはある村人が「村はずれにある家に巣くう魔族を退治してほしい」と勇者へ頼むところから始まります。

イベントを進めていけば、一人の魔族がある家を中心に近寄る者全てに襲いかかっていたのがわかります。

勇者はこれを退治。魔族は倒されると家に火を放ち、燃え盛る家の中へと姿を消します。



「私達は貴様らを許さない」

「永遠に、永遠に、永遠に」

「私達は貴様らを許さない」



崩れゆく家からそんなセリフが聞こえ、村人から報酬として指輪の装備品をもらってイベントは終了となります。

ですがイベント終了後、たった一日だけその家に入る事ができるのです。


おそらく村人が立ち入る前にのみ、という設定なのでしょう。

家の中を探索すると鍵が手に入ります。

他にもグラフィックや主人公が調べた際に出るテキストから、その家には三人暮らしていた事がわかりました。




鍵はその家とは違う、村にある空き家で使う事ができます。

その空き家は村人との会話で「魔族に操られた夫婦」が住んでいた事がわかります。

夫婦はすでに亡くなっていて、それ以来その家は不吉だと言われ人が寄り付かなかったのです。



空き家の奥に隠されていた小さな宝箱。

それに鍵を使えば宝箱は開き、中から女性の物と思われる手紙が出てきます。

それは、魔族と結ばれた一人の女性が遺した物でした。




その空き家に住んでいたという夫婦へ宛てた女性の手紙は所々血を思わせる黒い何かで読めず、テキストは所々飛ばしながら進んでいきます。

魔族の男性と結ばれた事、子供ができて幸せだった事、両親に迷惑をかけてしまった事。

かろうじて読み取れる内容はそのような物でした。

そして最後、「あの人と、あの子と一緒に生きたかった」という願いが綴られ、手紙は終わります。



そして空き家から出た瞬間、一人の村人が話しかけてきます。

手紙を読み、空き家から出た後の最初の一回でしか見られないテキストで、それはもう数々の考察が飛び交う事になります。



「勇者さん、それ以上知ったら駄目だ」と。



単に種族を越えた愛があったとの表現なのだと、最初は思いました。

でも、どうして女性は血を流しながら両親へ宛てて手紙を書いていたのか。

村人はなぜそんな事を告げたのか。




人間にとって魔族は忌避される存在だということを考えれば、最悪な考察のできあがりですよ。




とまあ、そのような不穏な描写があちこちのサブイベントで見る事ができました。

その本当の意味は魔族に転生して良くわかりましたよ。



魔族、何も悪くないですよね。

魔大陸だけで静かに暮らしていますよね。

ためにそっちの大陸に行く魔族もいますが、それは人間も同じですよね。

魔王様、そんな人間も暮らせるように法を整備なさいましたよね。



これはもう完全に人間側の言いがかりですよ。

なのに虐げられて滅ぼされるって、なんて不条理な。




私は平和主義です。

前世から引き継いだその願いだけは変わりません。

無意味な争いなんてセールで九割引きされてても買いません。



そんな私が努力し、実力主義のこの国でそこそこの地位まで来たのは全てこのためです。

魔王様は私達を守るために戦う事を選ぶでしょう。

きっとあの方は犠牲を減らすために、最強であるご自身が前線に立ち戦うはず。




ゲームでもそうでした。

魔王は時折勇者と直接戦い、互いに傷を負わせるのです。

勇者からすればいわゆるイベント戦でした。

魔王様の力を直に感じ、勇者は新たな力を得るために修行をしたり、古代の遺跡を巡って新たなアイテムを手に入れていました。


プレイしている時はどうしてこんなところにラスボスが出て来るんだろう、なんて思っていましたが、魔王様に対抗できるのは勇者のみ。

逆に言えば勇者に対抗できるのは魔王様のみなのです。

魔王様は自分の身を削り、私達魔族を守ってくださっていたのです。



勇者との戦いの歴史は自分なりに勉強してきました。

私よりも長く生きておられるルデアさんにも当時の話を何度も聞きました。

魔王様はいつも、自身を削って戦ってくださっていたのです。




ですが今回の勇者は異例です。

ルデアさんが教えてくださった事が正しければ、優しく慈愛に満ちた魔王様は魔族を守るために戦うのでしょう。

でも、いくら歴代最強の魔王様とはいえど、あの勇者に勝てません。


今までの勇者と違って、今回の勇者は世界が認めた主人公です。

主人公補正がどこまでかかるか……未来を知る私でも測りかねます。




それを知っている私が、魔王様にお伝えしなければならないのです。

「今回の勇者と戦ってはいけない」と。




私としては人間の頃の感覚も僅かに残っているので、できれば和平を結んで頂けると一番嬉しいですね。

互いの歴史を考えると難しいでしょうけれど、誰よりも優しい魔王様ならきっとわかってくださるはず。

争いなんて、無い方が良いのです。




勇者は今どのあたりでしょう。

RTAでの最速クリアにはゲーム内時間で何日かかっていたでしょうか。

シナリオだけ進めるのならそれほど長くかからなかったように思いますが、まだ魔王様は一度も勇者と戦っていないはず。

ならばまだ時間はあります。



「先輩! お願いします魔王様に取り次いでください! このままでは魔族が滅亡してしまいます!」


「ふざけてないで仕事なさい」



ふざけてないです本気です。いつもの発作って何ですか。真剣に聞いてくださいお願いします。

え、庭師の方にこの差し入れを出して来い?

先輩、今は仕事してる場合じゃないんですってばぁ!!






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






いつもの元気を失くし、顔を真っ青にして「急用ができた」と告げて去って行った彼女の背を見送る。

彼女は血気盛んな魔族にしては珍しい、争いを嫌う性格だ。

そんな彼女に勇者の話をしたのはまずかっただろうか。



勇者が来るならばどのような形であれこの国に嵐が起こる。

まだ成人してそれほど経っていない彼女は、まだ勇者の起こす災害に遭った事が無いと言っていた。

平穏を求めてやまない彼女にとってこれほどの脅威はないだろう。


あの笑みが曇らなければいいが。



「トキ、彼女を見守れ」



彼女に悟られないよう気配を殺していた影へと命を下す。

即座に消えた気配に私は溜息を吐いた。



いっそのこと、トキを彼女専属の影へと配属させるべきか。

勇者の件もそうだが、近頃宰相が頻繁に子を成すように言ってくるのもあって城内はいつになく騒がしい。

もし宰相に彼女の存在を知られれば、彼女をこちらに巻き込んでしまうだろう。



もうしばらくはこのぬるま湯に浸っていたい。

勇者の件で私も疲れが溜まってきているのだ。

彼女に癒されなければやってられん。


彼女にまで話が回る前にさっさと宰相を黙らせようか。

それに勇者の件も片付けなければ。全く、忌々しい。




転移を行い、一度自室へ戻ってから変えていた色を元に戻す。

魔法で手早く身支度を整えてから執務室へと戻れば、丁度勇者に関する新たな報告が来ていたようだ。

補佐官からまとめられた報告を聞き、対策を練る。



報告によれば勇者は順調に力を付けているようだ。

魔大陸へと乗り込んでくるのもそう遠くはないだろう。


他の者では相手の力を消耗させるだけで決定打にはならない。

ただでさえ子が産まれにくい種族だ。

なるべく犠牲を出さないように済ませたい。



皆からは止められているが、やはり私が前線に出るべきだろう。

あれに対抗できるのは私だけだ。



しかし面倒なのが、今回の勇者は異界の存在である事だ。

今まではこの世界の存在だったので高が知れていたが、異界の存在となると、この世界の加護とは別に異界の加護まで与えられている。

そのせいでこれまで異界の勇者に何度手を焼かされた事か。




ふつふつと込み上がる怒りに、彼女の姿が脳裏に過ぎる。

できればもう少し傍にいたかったが、こればかりは仕方あるまい。


今の私が彼女の傍にいるのは少々目立ちすぎる。

彼女の平穏を守りたいのに、私がそれを壊すわけにはいかないのだから。




彼女の魔力は不思議と私になじむ。

傍にいるだけで微睡みにいるような錯覚を覚えるのだ。

何百年と生き、多くの魔族を見守って来た私でも、そのような魔力を持つ魔族は初めてだった。



理由はわかっている。

彼女の卓越した魔力操作能力がそうさせるのだろう。


その魔力量故に力押しになりがちな我ら魔族の中で、彼女は針の穴に糸を通すような繊細な魔力操作を行う事ができる。

それがどれほどの才能か。

周囲の者も、本人もわかっていないようだが、魔族にとって稀有な存在であることは事実だ。




彼女ほどの細やかな魔力操作を行うには私でも神経を使う。

普段からそれを難なく行える彼女の力は性格にも表れているようで、常に細やかな気配りができる女性だ。

自分中心の考えを持つ傾向にある魔族の中でそれは最早異常なほどだった。


そんな彼女を、このような面倒事に巻き込みたくはない。

彼女の事だ。気を遣い過ぎて倒れかねん。




彼女にはこの城で私の息抜きであってほしい。

隣にいるだけで心が休まるのも、私の知らぬ興味深い話を聞くのも、彼女の傍でしかできない事だ。

可能なら四六時中傍にいたいほどだが、彼女の性格を考えれば私の仕事を聞けば倒れてしまうだろう。


普段から魔王を尊敬していると言ってくれる彼女に、隣りにいるのが魔王なのだと言えばどうなる事やら。

彼女の反応は想像に難くない。



彼女には穏やかな日常を過ごしていてほしい。

普段と変わらずに過ごしている彼女の傍でこそ、私も穏やかに過ごせるのだから。






地図を手に、どこで奇襲をかけるか将軍と共に思考を巡らせていると、彼女に付けていたはずのトキが戻って来た。

その顔には影として処罰対象になりかねないほど表情が表れている。


彼女に一体何があった。

そう問うた私に、トキは困惑した様子でこう告げた。



「あの方が『このままでは魔族が滅びてしまいます』とおっしゃっていて……」



……勇者の嵐は既にこの城で起きていたようだ。

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