ルーン村
「はっ・・・はっ・・・」
走る、走る、走る。少女は走り続ける。走らなければ、数秒もかからずに死ぬ。死はすぐ其処まで来ているのだ。
少女は長いプラチナブロンドの髪を揺らし、翡翠の瞳に涙を滲ませて走る。白く透き通った肌には玉の様な汗が光っている。
脅威はすぐ側まで迫っている。体力はもうほぼ限界だ。しかし、それでも尚、少女は走り続ける。
走らなければ、すぐにでも絶命するだろう。
「グオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォ!!!」
周囲一帯に響き渡る大絶叫。少女は身を竦ませる。しかし、それでも必死に逃げ続ける。逃げなければ命が無い。
・・・だが、限界は無情にもやってくる。少女は足をもつれさせ、無様に転んだ。
「きゃっ!?・・・痛っ~」
みしみしっと、背後から木々をなぎ倒す音が聞こえる。はっとして振り返ると、其処には五メートル程の巨躯を誇るオーガが居た。オーガの鋭い瞳が、少女を射抜く。
びくっ!!と、少女は身を震わせる。身体が言うことを聞かない。
「いっ・・・嫌あっ・・・」
必死に逃げようとするも、先程足を挫いたのか、まったく動けない。その姿を見て、オーガはにやりと嫌らしく笑う。その笑みに、少女はゾッと背筋が凍る。
オーガは口元から涎を垂らす。このままでは、無残に殺され食われてしまうだろう。
少女は顔を恐怖に歪め、必死に逃げようとする。嫌だ―――まだ死にたくない。まだ生きたい。
私は、こんな所で死にたくない―――
「だっ・・・誰かっ・・・」
誰か助けて―――そう言おうにも、声が震えて上手く言えない。オーガの腕が、少女へと伸びる。
食べられるっ―――ぎゅっと、少女は強く目を閉じる。その時。
「せいっ!!!」
ゴキャッ!!!
何かが砕けた様な音が響いた後、ズズゥンッ!!と僅かな地震と共に、何かが倒れる。少女はゆっくりと目を開く。
「よう、大丈夫か?」
其処には黒髪に黒い瞳の青年が立っていた。その背後には、首を折られたオーガの死体があった。
どうやら、この青年がオーガを倒したらしい。信じられない光景だ。
オーガは魔物の中でもかなり上位に入る怪物だ。その魔物の首を、一撃でへし折るなど文字通り並ではないだろう。
呆然と見詰める少女に、青年は苦笑して手を差し伸べる。
「立てるか?」
「あ、は、はいっ!」
少女は青年の手を取り、立ち上がろうとしたが、足に上手く力が入らず青年の胸元に倒れ込んだ。
「おっと、・・・大丈夫か?」
反射的に、青年は少女を抱き留める。心配そうに、少女の顔を覗き込む青年。視線が合う。
少女はぼふっと顔を真っ赤に染めた。
「あわ、あわわっ!!」
慌てて離れようとする少女だが、未だ疲労は足腰にきており、上手くいかない。青年は苦笑し、優しく少女を抱き締め、背中を撫でる。少女は更に頬を赤らめる。
「大丈夫、大丈夫だから・・・」
その優しい声に、心が安らぐ。自然と少女の腕が、青年の背中に回る。抱き締め合う二人。
この日、少女は初めて恋をした。
・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・で、何故其処で隠れて見ているのかな?アイ」
「えっ!?」
しばらく後、俺は呆れた声で背後の大木の陰に声を掛ける。少女は驚いた顔で、其方を見る。
やがて、大木の陰からアイが苦笑しつつ出てきた。何処か、バツが悪そうな顔をしている。
「いや、あの・・・良い雰囲気だったので、つい・・・」
「何がついだよ・・・」
やれやれと、俺は肩を竦める。少女はしばらくきょとんっとしていたが、やがて状況を察して、顔を真っ赤に染め上げた。
「あ、あうっ・・・」
真っ赤な顔で、あうあうとうわ言の様に繰り返す少女。正直に言って、少し可愛いと思う。アイも頬を両手で挟んで、微笑ましそうに笑っている。
本当に、やれやれだ。心の中で深く溜息を吐く。
「自己紹介がまだだったな。俺の事はドラクルと呼んでくれ。コイツの名はアイ。君の名前は?」
「わ、私の名前はマヤです!」
「マヤか。良い名前だ」
そう言ってマヤの頭を撫でると、マヤは頬を赤らめて微笑んだ。何だか、小動物の様だ。
そう思っていると、マヤは俺の胸元に頬をすり寄せてきた。いきなりの事に、俺は目を丸くする。
一方で、アイは微笑ましいものを見る様な目で、俺達を見ていた。
「・・・・・・・・・はぁ~」
げんなりとした気分で、俺は深く溜息を吐く。随分と懐かれたものだ。
さっき出会ったばかりの少女に、まさか其処まで懐かれるとは。流石に予想外だ。
というか、何故アイは其処で微笑ましいものを見る様な目で見ているんだ?俺は思わず、更に溜息を吐きたくなった。まったく・・・。
見た所、マヤとは十歳近くは歳が離れているだろう。
「・・・マヤ、今何歳だ?」
「?十五歳ですけど・・・」
女の子に歳を聞くのは失礼かと思ったが、普通に答えてくれた。
・・・現在、俺は二十三歳。歳の差、八歳程だった。俺の元居た世界では、中学三年から高校一年くらいの年齢だ。
対する俺は、一年留年して大学四回生。頭がキリキリと痛んできた。嗚呼、頭が痛い。
「あの、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。問題無い・・・」
頭を押さえて苦々しい顔をする俺に、マヤは心配そうな顔をする。・・・そんな彼女に、俺は思わず苦笑して頭を撫でた。さらりと流れるプラチナブロンドの美髪。マヤは頬を薄っすらと染めて俺の胸元に寄り掛かる。
本当、随分と懐かれたものだ。俺は深く溜息を吐く。
「で、マヤの家は何処かな?良ければ送っていくけど・・・」
「あ、はいっ!えっと・・・こっちの方です」
そう言って、マヤはいそいそと歩き始めた。俺とアイは、それに付いていく。
・・・二時間後。
ようやく、俺達は樹海を抜けた。樹海を抜けるまで、合計二度程オーガの襲撃を受けたが、それ等全てを尽く、俺は返り討ちにした。
「ドラクルさんって、凄く強いんですね」
「まあ、そんなやわな鍛え方はしてないからな・・・」
マヤの感嘆の籠った言葉に、俺は無難な答えを返す。で、何でマヤは俺の腕に抱き付いて、しかもそんな瞳を輝かせて俺を見るのかな?
何でアイはさっきから微笑ましげに此方を見てるのかな?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」
もう疲れたよ・・・精神的に。はぁ。
そんな疲れ切った俺の心情を他所に、心底嬉しそうに俺の腕に抱き付くマヤ。その際、ぐいぐいと柔らかい胸が押し付けられるが、ちっとも嬉しくない。むしろ胃が痛くなってきた。
嗚呼、胃薬が欲しい。俺、こんなに精神面脆かったっけ?
本当に、胃が捩じ切れそうだ。まったく・・・。
そうこうしている内に、目の前に村が見えてきた。
「あっ!見えてきました。あの村が私の住む、ルーン村です!!」
村の入口には、一人の青年が立っていた。年の頃は俺とそう変わらない様に見える。プラチナブロンドの髪に翡翠の瞳、整った顔立ちをした青年だ。
青年はマヤの姿を見付けると、慌てて駆け寄って来た。
「マヤ!!!」
「兄様!?」
どうやら、この二人は兄妹らしい。良く見れば、顔立ちとか似てなくもない。あと、プラチナブロンドの美髪とか翡翠の瞳とか。
兄妹を側で観察していると、青年と目が合った。じーーーっ。
俺とアイをじっと見詰める青年。一体何だよ?
「マヤ、此方の人達は誰かな?」
「あ、はいっ!!此方の方達は私をオーガから助けてくれたのです!」
「!?」
ぎょっと目を見開き、青年は俺達を凝視する。俺とアイは共に苦笑した。
「お前達だけで、オーガを倒したのか?」
「正確には、俺がオーガを倒した」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ついに青年は黙り込んでしまった。口を真一文字に結んで、何処か納得がいかなそうだ。
・・・しばらくして、青年は深く深く溜息を吐く。
「・・・まあ良い。妹を助けてくれた礼もあるし、父さん―――村長に紹介しよう。付いて来い」
そう言って青年は村の中へと入って行った。俺とアイは一瞬顔を見合わせ、黙って付いて行った。




