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「あんたは日本という国のS県S市というところに住んでて、S高校という学び舎に通っている、と」
「はい」
「……どれもこれも聞いたことない名前だね」
「う、嘘なんてついてませんよ!?」
私の話を聞いたアルネトアさんは、懐疑的な目を向けてきました。
「まあ、嘘をついているようには見えないさ。さっきの反応も併せてね」
「そう、ですよね……」
それは少し前、これまでの経緯を説明してる途中でふと視線を窓に向けた時でした。そこには私の知らない景色が映っていたのです。思わず家から飛び出し、辺りを見回すと、そこに私が知っている青々とした林はありませんでした。
酷く歪み黒ずんだ木々、強烈な色調の鳥、毒々しい色をした植物、足元を見ればのっそりと動く毛むくじゃらトカゲがいました。「そいつ食えるんだよ」というアルネトアさんの言葉が印象に残っています。
しかしてそこは、言葉のとおり、まったくの別世界でした。
「ここはイングストという国で、この場所はその辺境、でしたよね」
「ああ。聞いたことはないのかい?」
「ないです」
「ふむ……林、渦、気絶……」
アルネトアさんはぶつぶつと何を考え込んでいるようでした。
私の身に一体何が起きているのでしょうか。性質の悪い夢を見ているのであればまだ救いもあります。けれどあの火の熱さが、これは夢なんかじゃないという現実を否応なしに私へ押し付けてきます。
「あの……ここは私がいた世界とは別の世界……なのでしょうか」
自分自身、半信半疑ではありましたが、私にはそう結論付けることしかできませんでした。
「さあね。異世界かもしれないし、過去に戻ったって可能性もあれば、未来に飛んだって可能性もある……まあ何にしても、あんたが今の世の人間とは違うってのはわかったさ。あんたが着てるその服も見たことないし、言っている言動も聞いたことないからね」
「そうですか……あの、ここが仮に私が居た世界とは別の世界だったとして、元の場所に帰る方法を知ってたりは……」
相手は魔法使い。ひょっとしたら元の世界に帰る方法を知っているかもしれない。そんな一縷の望みをかけて私はアルネトアさんに尋ねました。
「知らん」
それは無残にも、即座に一蹴されてしまいました。
「ほ、方法ではなくても、何か手掛かりになりそうなことは」
「知らん」
「そんな……」
私はもう元の世界に帰ることができないのでしょうか。このまま家族に心配をかけたまま、人知れずこの地で骨を埋めることになるのでしょうか。
「……だがまあ、知ってる奴はいるかもしれない」
「え?」
「私の他にも魔法が使える奴はいる。もしかしたらその中には世界を移動する方法を知ってる奴いるかもしれないって話さ」
「本当ですか!?」
「可能性の話だよ。けど、別世界に移動するなんて荒業をやるには、必ず魔法を使う必要があるはずだ。だったらあんたは魔法を身に付けるなきゃならない。他の奴が帰る方法を知っていたとしても、あんたの為に魔法を行使してくれるとは限らないしね」
「じゃあどうすれば魔法を使えるようになりますか!?」
私は藁にも縋る思いでアルネトアさんに詰め寄りました。アルネトアさんには「落ち着きな」と私の額を押して距離を制します。
「魔法を使うには、自力で使えるようになること。そして、魔法使いに弟子入りして教えを請うこと。この二つがあるは。基本的には弟子入りしてっていうのが多いわね」
「是非!私をアルネトアさんの弟子にしてください!」
再びアルネトアさんに詰め寄ると、今度は額にチョップをもらいました。
「魔法使いというのはね、前提として魔法を使う資質を持ってなくちゃいけないのさ。だからまずは、あんたが資質を持っているか確かめないといけない。魔法使いの弟子が魔法を使えないなんて笑い話にもならないよ」
「どうすれば確かめられるんですか?」
「ほれ」
アルネトアさんは火の玉を出した時に使った杖を、不意に投げ渡してきました。慌てて手を出して受け止めます。こうして手に取ってみましたが、印象としては何の変哲もないただの木の棒のように思えました。
「それを使って火を出してみな」
「ど、どうやってでしょうか?私、生まれたこのかた魔法を使ったことがないもので、まったくわかりません」
「火がどういうものか、どんな形を動きをしているか、とにかく具体的に想像して、それを杖先に点火させることを意識しな」
「わかりました」
私は杖先をじっと見つめながら、火というものを考えました。熱い、赤い、ゆらゆらしている、酸素を使って燃えている、風が吹くと消える。自分が知っている範囲のことで精一杯に火について思い浮かべました。すると、
「………………あっ!点きました!点きましたよ!」
杖先に蝋燭ほどの小さな火が灯りました。私は自分が魔法を使つことが出来たという事実に感動し、熱さも厭わず火に顔を近づけました。
「おめでとう、良かったじゃないか」
そう言ってアルネトアさんがふっと息を吹きかけると、火は消えてしまいました。
「まあこれで最低限の条件は達成したわけだ」
「はい!よかったです!これで弟子にしていただけるんですね!?」
「確かに弟子にすることはできるな」
アルトネアさんはそう言って一泊おくと、体ごと私に向き直りました。
「それじゃあ本当にそれでいいんだね?弟子になるってことでいんだね?」
「ど、どういうことですか?何かあるんですか?」
「いやいや、ただの意思の確認さ」
こう言われると不思議なもので、もしかして自分のやっていることが間違っているのではと、訳もなく小さな不安が生じてしまいます。
しかし、ここで尻込みするわけにはいきません。
「……大丈夫です!私には帰るべき理由があります!ここで留まっているわけにはいきません!」
早く帰るというお婆ちゃんとの約束だけじゃありません。仲の良い友人や大切な家族、私と知り合った人達との縁をこんな形で失いたくないのです!その為にも、こんなところで立ち止っているわけにはいきません!
「……わかった。そしたらあんたは、今日から私の弟子だ」
「あ、ありがとうございます!」
私は頭を下げ、精一杯に感謝の意を示しました。
「いいってことさ。元からそのつもりだったんだし」
「へ?どういうことですか?」
私が顔を上げると、アルネトアさんはにやりと悪役染みた笑み浮かべていました。
「倒れてるあんたをここに連れて来る時に、魔法が使えるであろうことはとっくに分かってたんだよ。倒れてるあんたが死んでるかどうか確認しようと体に触った時に、微かだったけど魔力を感じた気がしたからね」
「そうだったんですか!?」
「ああ。杖を使わせたのはその確認みたいなものだよ。でだ、元々こっちとしてはあんたが魔法を使う気があろうがなかろうが、魔法を使えるように仕込むつもりではあったのさ。魔法を使える奴の方が色々を使い勝手がいいからね。だからあんたが自分で魔法を発現させることができたのは幸運だったよ。ゼロから仕込む手間が省けたんだから」
アルネトアさんはそう言って、私の手が持っている杖を指差しました。
「更に言いうと、魔女の弟子になるなんて普通なら奴なら拒否して当然なのさ。何たって世間の嫌われ者の弟子になるんだからね。だから、上手く丸め込むなり脅すなりして無理矢理にでも弟子にするつもりだったんだけど……あんたはわざわざ自分から弟子になりたいと申し出てきたからね。これまた手間が省けたというわけさ」
「そ、そんな思惑が……」
どうやら私は魔女の罠にまんまと掛かってしまったどころか、鴨が葱と鍋を背負ってきたような有様になってしまったみたいです。
仕方がないじゃないですか!帰るためにはこうするしかなかったのです!
「そして何より良いのが……後腐れがないというとこさ」
この時アルトネアさんが浮かべる冷笑を見て、私は背筋がすぅっと冷たくなりました。
「この世界ではあんたは出所不明の人間だ。あんたがどうなろうが別に誰かが騒ぐわけでもない。こ私は心置きなくあんたを使い潰せるってわけなんだよ」
「つ、使い潰すなんて……冗談ですよね……?」
「冗談だったらあんたは嬉しいだろうね。でも残念ながら私は手を抜くつもりはないよ。最初の言葉どおり精々扱き使ってやるさ」
「そんな……」
果たして私は、元の場所に帰る方法が見つかったとして、五体満足で帰ることができるのでしょうか。
「まあ、他にも気になることはたくさんあるがそれは追々考えるとして、とりあえずは……これからよろしく頼むぞ、ツキミ」
それはまさに、魔女のみぞ知る、といったところなのでしょう。