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愛しの彼女を埋めました。  作者: 喜多川 信
第一巻
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第九話




(こんなはずじゃなかった……こんなはずじゃ……)


 計画は狂いに狂い、当初の予定などすっ飛んでしまう。犯罪の突発性をこんな形で痛感する事になるとは、森田君も考えていなかった。ヨロズ先輩をトランクケースで山中へと運んでいたはずが、生瀬さんをいれて森田家へとヨロズ先輩と協力して向かっている。


 悪い事態は、さらに続く。


(……あれ? 雨?)


 肩にぽつっときた感触に、森田君は空を見上げた。


 先ほどまでの陽気が嘘のよう。

 曇り始めた空から、ぽつぽつと雨粒が落ち始めた。


 ヨロズ先輩と森田君の足より、雨足の方が早い。この地域の人間が今朝方の天気予報士に苦情の電話を入れかねないほどの、土砂降りとなった。

 泣きっ面に蜂とはこのことだろう。


 追い立てられるように森田家の玄関をくぐり、森田君とヨロズ先輩は一息ついた。髪から滴が垂れ落ちている。森田君は急いで洗面所へと向かい、玄関へと戻った。


 寒い。気温が下がっている。

 このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。


 森田君はそう考えて、ヨロズ先輩へとタオルを差し出した。


「先輩、どうぞ」

「ありがとう、森田君」

「はやく生瀬さんをトランクから出して介抱し――」


 森田君はそう言いかけて、言葉を飲み込んだ。

 玄関でやり取りしていると、かちゃんっという金属音と靴音が聞こえたのだ。


 森田家の門の開く音だ。

 雨音の中でも、森田君は聞き逃さなかった。

 誰かが来る。


「先輩っ、とりあえず奥に! 隠れてくださいっ」


 森田君は鋭く指示した。

 部屋の奥へとヨロズ先輩を下がらせ、ヨロズ先輩の靴を隠すのがやっとだ。


 森田君にトランクケースの中の生瀬さんを何とかする時間はない。


 ガラリと躊躇いなく玄関戸が開けられた。

 保羽リコが傘をたたみ入って来る。保羽リコも濡れている所をみると、雨に見舞われて一度家に帰ったのだろう。


(……どうして、リコ姉ぇがここに? 服も着替えずに、たぶん傘を取るなりすぐに)


 森田君は引っかかった。

 だが森田君が考えるより早く、保羽リコが話しかけてくる。


「すごい雨ね、清太も今、帰ったとこ?」

「うん。リコ姉ぇも出かけてたんだ」

「まぁね」


 何気ないやり取りをしながら、森田君は注意深く保羽リコを観察した。

 保羽リコの目は玄関のトランクケースに引かれている。


「ずいぶん大きなトランクね。買い物があるって言ってたけど、これのこと?」


 そうだよ、と答えかけて、森田君は思いとどまった。

 どうして雨に見舞われて濡れたままの保羽リコが、身体も拭かずに森田家へとやってきたのか。先程のその引っ掛かりが、森田君の頭の中に電光となって駆け抜けた。


(……もしかして、つけられていた?)


 森田君の勘がざわついた。


 公園での一件もそうだ。

 生瀬さんがあのタイミングでやってきたのは、何かおかしい。保羽リコの差し金だったのではないか? 生瀬さんは保羽リコと親交がある。


 どこかで保羽リコが生瀬さんを尾行へと引っ張り込んだのだとしたら?

 もしそうなら…………まずい。


(リコ姉ぇは生瀬さんが消えたタイミングを知っている)


 森田君は気付いた。

 だから、保羽リコはここに来たのだ。


「ううん。実は、銀野先輩の家に行ってたんだ」


 森田君はそう答えた。


「銀野ヨロズの家に?」


 声音に変化の見られない保羽リコへ、森田君は頷いた。


「うん。今度、父さんの誕生日に、トランクケースを買おうかと考えててさ。今使ってるの、ガタがきているみたいだから。相談したら、先輩が家にあるから見てみるか、って言ってくれて。使い心地はどうなのか、公園を一回りくらいしてたら、雨が降って来たんだ」

「そうだったの」


 保羽リコの返事は平静だ。

 森田君の言葉を疑っている様子はない。


 公園に入った時は森田君一人だが、出てきた時はヨロズ先輩と二人連れだった。生瀬さんが入ったトランクを抱えて茂みから抜け出した時、人影は小犬の飼い主だけだったが、なにぶん急場だった。見落としがあっても不思議では無い。保羽リコに見られて居たかもしれない。そこを保羽リコに突っ込まれた場合は、どう返すのが望ましいのか。


 森田君は頭の中で対処法をぱぱっと組み立てていく。

 前回の警察屋さんとの一戦で耐性がついたのか、頭の回りがいつになく良かった。


「じゃあ今日、なんで私にちゃんと言わなかったの?」

「だって、リコ姉ぇと銀野先輩、あんまり仲良くないから……変な気遣いだった?」

「嘘は良くないわよ、清太」


 保羽リコの鋭い一言に、森田君はびくりとした。

 何か不自然な点があったろうか? 気づかぬうちに地雷を踏んでしまったか?


 森田君の鼓動は乱れたが、保羽リコの反応は森田君の予想とは少し違った。


「例え気遣いだったとしても、嘘は良くないわ」

「そだね。うん。ごめん」


 内心の動揺を気取られまいと、森田君は素直に謝った。

 どうやらトランクケース中身に関して、保羽リコは関心を抱いてないらしい。ということは森田君が茂みからヨロズ先輩と二人で出てきたところも、見られていなかったのだろう。


 森田君はほっとした。

 なんとか、保羽リコの来訪をしのぎ切れそうだ。


「……それで、リコ姉ぇはどうしたの?」


 森田君が尋ねると、保羽リコは肩をすくめて見せた。


「友達とはぐれちゃってね。雨が降って来たから、仕方なく一人で帰って来たんだけど」

「電話してもつながらなかったの?」

「スマホ、家に忘れてたのよ」


 と言って保羽リコはスマホを取り出した。間違いなく、生瀬さんに電話を掛けようとしている。生瀬さんが持っているスマホに着信が入れば、どうなるか。


 今現在、森田君の真横にあるのだ。赤いトランクケースが。

 いるのだ。その中に詰められたままの、気絶した生瀬さんが。


(ボクは馬鹿か……)


 森田君はほぞをかんだ。

 自分からわざわざ墓穴を掘りに行ってしまった。


 生瀬さんを説得するには時間が必要だ。その時間は今しかない。鉄は熱いうちに打ち、説得は事態が悪化しきる前にする。なんとしてでも、保羽リコをやり過ごさねば。

 森田君は頭を回転させ、保羽リコへと半歩近づいた。


「あのさ、リコ姉ぇん家にあるタオル、貸してくれない? 乾いたタオルがちょうど無くて困ってるんだ。先輩のトランクケースを拭くのに使っちゃってさ」

「もちろん、いいわよ」

「じゃあ、行こう。身体、結構冷えてて」


 森田君が手振りで急かすも、保羽リコのスマホをいじる指はとまらない。

 一刻も早く、この場から保羽リコを遠ざけるのだ。


(先輩はこのやり取りを聞いてくれているはずだ、だから、早く!)


 保羽リコさえこの場から立ち退かせれば、ヨロズ先輩が動けるようになる。

 生瀬さんをトランクケースから出して、介抱してくれるだろう。


(早く早く、リコ姉ぇ、はやく!)


 森田君は平静を装いつつ、力の限り念じた。


 スマホを耳に当てつつ、保羽リコが玄関を開ける。冷たい空気が吹き込み、森田君と共に強い雨音の方へ一歩踏み出した、その時であった。

 着信音が響いてきた。森田君の背後の、トランクケースから。


「……?」


 保羽リコは立ち止まり、振り返る。


 どうか雨音よ着信音を掻き消してくれ――森田君のその願いは届かなかったらしい。心臓の音が漏れ出ないように森田君はぐっと息をのんだ。


「…………」

「…………」


 保羽リコの視線が森田君の背後に注がれている。奇妙な音源を見ている。

 保羽リコのその顔は、確信がある訳では無い顔だった。


 ただし――


(時間の問題だ……)


 そう気づいて森田君の心拍数は一気に跳ね上がった。


 もし保羽リコが電話を切れば、この着信音も消える。

 そして、その瞬間に疑いは確信に変わるだろう。いくら保羽リコがちょっとアホの子であるとはいえ、仮にも日戸梅高校で風紀委員長をやっているのだ。


 森田君の予想通り、保羽リコは耳からスマホを放し、電話を切るべく親指を動かした。


 その様が、森田君にはひどくゆっくりと見えた。

 やばい。まずい。いけない。だめだ。

 どうしよう。どうすれば。


 このままだと――


「清太君、どうしたの?」


 保羽リコの動きを遮ったのは、廊下の奥から聞こえた声だった。

 まぎれもなくヨロズ先輩のもので、何を考えているのかと森田君はばっと振り向いた。


「先輩、なんで出てくるんです……かぁ!?」


 素っ頓狂な声を出し、森田君は呆気にとられた。


 奥から出てきたヨロズ先輩の姿は、カッターシャツ一枚のみ。さらには、大胆に着崩していたのだ。湿り気を帯びたシャツと、解いた長い髪が、ところどころヨロズ先輩の肌に張り付いている。均整の取れた肢体は淫靡さよりも、彫像のような神秘さに満ちていた。


 森田家でなにか、男女の秘め事が行われたかのような――そういう艶めかしさをヨロズ先輩は醸し出している。森田君とヨロズ先輩の間には一切何もなかったというのにも関わらず、生徒会役員二人による背徳的な交わりの痕跡がありありと匂ってくる。


 森田君は何が起っているのか分からない。

 ヨロズ先輩の意図も分からない。


 だが、森田君とて男だ。ゆえにこう思った。

 ――いまの先輩の姿を脳に焼きつけ、願わくば一眼レフで撮りたい。


 そんな森田君とは違い、保羽リコは取り乱していた。


「ぎ、ぎぎっ、銀野ヨロズ!? せ、せせっ、清太っ!? これは、どういう、なっ、なんでそんな、カッターシャ……シャツ一枚なんて、そんな、はしたな……は、はひゃ!?」


 保羽リコの口ぶりは、ほとんど要領を得ないものとなっている。

 保羽リコの頭から、トランクケースの事は吹っ飛んでいるようであった。


 そんな保羽リコへと、ヨロズ先輩はさらに仕掛けた。

 森田君の背中へと、なんとヨロズ先輩はぴったりと身を寄せてきたのだ。森田君は心臓が飛び出しそうなほど驚いたが、ヨロズ先輩は平然とした様子だった。


「ああ、保羽さん」


 ヨロズ先輩は今気づいたとばかりに、余裕の眼差しで保羽リコを見下ろした。

 保羽リコの動揺に拍車がかかっている。


「それに、せ、清太君……って、いつのまに、清太のこと、名前で呼ぶように――」

「プライベートではいつもそう呼んでいるけれど。ねぇ?」


 ヨロズ先輩に艶めかしく微笑みかけられ、森田君はこくこくと頷いた。


「……は、はい」

「いま、取り込み中なの。申し訳ないけれど、帰ってもらえるかしら?」


 森田君の背後にぴたとくっついたまま、後ろから森田君の腰に手を回してヨロズ先輩が妖艶にそう言うと、催眠術にかかったように保羽リコはふらふらと出て行った。


 絶体絶命からの、ぎりぎりの起死回生。

 なんとか、事なきを得た。

 得たものの……森田君は気がかりだった。


「あのぅ、先輩……」


 背中越しに伝わるヨロズ先輩の柔らかい感触に赤面しながら、森田君は小さく手を挙げた。むにむにとした温かい感触と、新たな危機が相まって、森田君の鼓動は弾けそうだった。


「なにかしら?」

「リコ姉ぇを追い払えたのは良いんですけど、これはこれで、先輩の立場を考えるとかなり危機的なスキャンダルになってしまうんじゃ………?」


 森田君がそう述べると、ヨロズ先輩は目をぱちくりとさせた。


「……………………………………………………………それも、計算の内よ」


 長い沈黙の後、ヨロズ先輩はそう答えた。


(あ、うっかりしてたんだぁ……)


 森田君は察した。

 ヨロズ先輩は意外と抜けている所がある。


(そういえば……)


 と森田君は思い出した。


 初めて先輩を山中に埋めに行った時も、スコップひとつ用意されていなかった。手間取ってしまえば日が暮れる可能性もあったのに、ライトもなかった。

 警察屋さんがいるというのに、くしゃみをしたのもヨロズ先輩だ。


(も、もしかして先輩って、雰囲気とか口調とかでそうは見えないけど……リカバリー能力が高いだけで、実はそこそこドジなんじゃ……?)


 ふとよぎった疑問を森田君が熟考する余地もなく、ヨロズ先輩が手招きした。


「さぁ、森田君。手伝って。生瀬さんを介抱して、事情を話して、説得しないと」

(あ、清太君じゃなくなった……)


 少々残念さを覚えつつ、森田君はトランクケースに手を掛けた。


 今は生瀬さんだ。

 一刻も早く介抱せねばならない。

 こんなことになった事を、謝罪せねばならない。


 事情も話さねばならないだろう。


 森田君はそう考え、考えた通りにヨロズ先輩と協力した。


 生瀬さんが目を覚ましたら、とにかく土下座だ。

 額が擦り切れるまで土下座せねばと、森田君は思った。




     11



「……ふふっ……」


 保羽リコは口から、なぜだか笑い声がもれた。


 喜びなど無い。

 笑い声がこれほど乾くのかと、保羽リコ自身、驚くほどの声だった。


 森田君に親密そうに身体を寄せ、淫靡に微笑むヨロズ先輩の眼差しが、脳裏に焼き付いて離れない。あの冷静で、機械的で、それなのに、どこか勝ち誇ったようなあの瞳。


 保羽リコは、髪先からポタポタと落ちる水滴を呆然と眺めていた。身体が冷えていたが、まるで気にならない。傘をさすのも忘れて家に帰って来たのだ。


 音楽が聞こえてくる。

 つけっぱなしになったテレビからだ。


 明るく前向きな曲調だった。

 世界平和と愛と幸せと真心と優しさと、とにかく世の中の常識で良いとされるモノを全部ぶち込んで、うま味調味料を二瓶使って味付けしたような歌だ。


 すると保羽リコの頭の中で、かつて聞いた言葉がよみがえる。


『他人の幸せを心から祝福できるのは、自身が今まさに幸せであるか、よほど人格的に優れた人間の場合であって、私の場合は心の中で中指をおっ立てているよ。こちとら男日照りで心が荒れ果ててるっつーのに、親友面したバカップルの「ハッピーのおすそわけ」などというイチャイチャ画像が届いた時など、世界中の善意という善意を憎みたくなってしまうほどだ』


 風紀委員会特別顧問のセリフが、保羽リコの脳裏を鮮明によぎった。

 東原先生のお言葉だ。


 核ミサイルの発射スイッチを持たせたら一週間で押す、と噂されている歴女、それが日戸梅高校で歴史を教える東原先生だ。この言葉は、風紀委員の新人教育がディスカッション形式で行われている時に、ふとした事で飛び出したのだ。


『自分が今まさに幸せでもねぇのに、人様の幸せを願えだぁ? 幸せは人から人へと伝わってゆく愛のバトンだぁ? ちょーしこいてんじゃねぇぞ、クソ馬鹿ボケナス低能ハッピーフリークが。誰かの幸せは誰かの不幸せ。誰かが休日を満喫するためには、誰かが休日を犠牲にして働いているっ。それがこの世の、社会の、人類の真理なんだよ。だからな、心底私はこう思うんだ。幸せな人間は誰かから呪われて当然、ってな……幸せってのは、踏みにじられた者たちの憎悪の上に成り立つんだから……なぁ?』


 東原先生に同意してしまうと、何か負けてはいけないモノに負けてしまう気がした。この言葉を聞いた時は、幸せをリリースする能力が高すぎる東原先生に同情した。


 しかし、今は違う。

 保羽リコはもはや、東原先生に同情どころか、同感するしかない。


 雨音が激しくなればなるほどに、心がなぜだか澄んでいく。

 自らの想いに、まじりっけが無くなっていく。


 保羽リコは乾いた笑みからさらに潤いを絞り落とすかのように、笑みを深くした。

 純粋な敵意は、保羽リコを笑顔にして止まない。


 純粋である事は良い事だ。心にとって良い事だ。善悪など関わりなく。


「……ふっ……ふふふっ……」


 保羽リコは笑い、のろのろとリビングへと入ると、テレビの電源を消した。


 幸せな歌は消えた。

 喜びの声は途絶えた。

 そして保羽リコは思った。


(許さない……)


 森田君をたぶらかし、背徳の世界へ誘ったヨロズ先輩を、許しはしない。

 保羽リコは両手をぐっと握りしめ、カレンダーを睨みつけた。


(月曜日だっ)


 保羽リコは決意した。


 月曜日の生徒議会の場において、風紀委員長として生徒会長の不純異性交遊の追及を行う、と。ヨロズ先輩を叩きのめしてやる、と。





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