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愛しの彼女を埋めました。  作者: 喜多川 信
第四巻
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第八十一話




「これで、鎮まったのかしら?」

「違う。香苗、まだ終わってない。東原先生が笑顔のままだった」

「そうね……」


 保羽リコにそう指摘され、香苗は頷いた。

 五限目のチャイムが鳴る少し前、廊下ですれ違った東原先生は足取り軽く、受け持ちの教室へと向かっていた。

 そのまま何事もなく五限目は過ぎ、六限目に入った。


 もうすぐ放課後。

 黒板をノートに取りながら、香苗は釈然としない何かを感じていた。


(すべての生徒を一網打尽にしようとすれば、やはり下足ロッカーに仕掛けるのが一番効果的だ。けれど、昇降口には常に風紀の子を配置して……まてよ)


 香苗はふと気付いた。

 昼休みの騒動だ。屋上に風紀委員を集め、見張りに隙が出来た瞬間がある。


(……あの騒動がもし、そのための陽動だったなら? あれが、昇降口から風紀の目を逸らすために、引き起こされた騒動だとしたら――)


 席から立ち上がり、香苗は先生に告げた。


「先生、席をはずします! 風紀活動です!」

「あたしも席をはずします、先生!」


 同じクラスの保羽リコも、香苗に続く。

 教室を出て足早に進みながら、風紀委員たちに召集をかけた。


「香苗、どうしたの?」

「昇降口のロッカーが怪しい」

「ロッカー? でも、休み時間の間は常に警戒を――」


 昇降口が見えると、保羽リコの口が止まった。

 小規模ではあるが、人だかりが出来ている。倒れ伏した男子生徒の姿が見える。「保健室へ!」と、担がれて運ばれていく姿もちらほらあった。


 間違いない。

 ロッカーに何らかの劇物が仕掛けられている。


「やられた、半歩遅れたかっ」


 香苗は悔しがったが、一歩は遅れていない。


「下足ロッカーを封鎖! 急げ!!」


 駆けつけた一年生の風紀委員たちと共に、香苗と保羽リコは素早く動いた。

 KEEPOUTの黄色いロープが素早く貼られていく。終業直後にこんな事をすれば、廊下が生徒で溢れてしまうが致し方ない。「さっさと帰らせろよ」だの「少々神経質すぎる」だの「生徒の自由を縛るな」だの、突き上げを食らう事になるだろうが、風紀にとってはいつもの事。風紀の職務とはそう言うものだ。


 授業が早く切り上がった一年のクラス一つが犠牲になっただけで、昇降口の下足ロッカーの封鎖に成功したのだ。被害の拡散を防ぐ、この成果は大きい。


「香苗、保健委員を呼んだわ」

「あいよ、リコ。……そこのキミ」


 香苗は声をかけた。倒れる男子生徒を介抱している一年生だ。


「あなたのロッカーは?」

「そこです」

「協力を。下足ロッカーを見せてもらえる?」

「はい」


 ただでさえ律儀に施錠している生徒は少ないが、本日はバレンタイン。チョコを入れてもらうため、下足ロッカーにカギをかけていない男子生徒は多い。

 一般生徒のロッカーには、包装された小箱があった。だが、成分表示や製造会社が記されたシールが張られていない。売り物では無い。

 手作りされたものだ。


「このチョコ、心当たりは?」

「ないです。彼女も居ないし、モテないんで」

「開けてもいい? 事件性があるの」

「はい」


 許可をとり、箱の包装を引き裂いて香苗はチョコを取り出した。何の変哲もないチョコレートだ。触ると柔らかい。生チョコレートのようだった。香苗がチョコを二つに裂くと、中から突起が現れた。足がついている。突起はお尻らしい。


「こ、これは……コオロギ……?」


 こんなものを作るのは、日戸梅高校に一人しかいない。おそらく、ほとんどのロッカーに仕掛けられているのだろう。

 だが、たった一人では人手が足りない。

 昇降口でもたもたして居れば、風紀が見逃すはずがない。


「昼休みに見張りに立っていた子は?」

「私です!」

「何か変わった事は? 報告に上げなかった、些細な事でもいい」

「いえ、何も……屋上での一件が終わって、見張りに戻って来た時、ボランティア部が居たくらいで……昇降口の清掃をしていたみたいです」

「ボランティア部が?」

「ええ、でも、ボランティア部の清掃活動は、いつもの事ですし……」


 盲点だったと香苗は顔をしかめた。ボランティア部の活動なら、疑いは抱きづらい。風紀委員会の目も掻い潜れる。どうやらボランティア部を利用してチョコをロッカーにばら撒かせた奴がいる。

 おそらく、首謀者はテロ研だろう。


「物証は上がった。リコ、まずはテロ研を拘束!」

「わかった!」

「放火魔と同じ心理のはず。近くに必ずいる!!」


 香苗の読みは正鵠を射ていた。方々に風紀委員を放つまでもない。廊下の衆人観衆に紛れて、眼鏡をかけた小太りの男子生徒がいた。太い眉毛に、やや気弱そうな目鼻立ち。使い方を間違わなければ世界の役に立てるであろう、知性の光がその目にあった。


 テロ対策研究部の部長だ。しれっと突っ立っている。

 燃やした現場を見たくなる放火犯と同じく、テロ研部長も自らの起こした惨劇をその目で見たかったのだろう。

 惨劇の空気を、肌で感じたかったのだろう。


 香苗の指示の下、瞬く間に風紀委員たちが取り囲む。

 ロクな抵抗もせず、テロ研部長はしおらしく両手を上げた。


「お見事。さすがは風紀委員会。よくぞ見抜いた、すばらしい」


 惨劇はぎりぎり止めたというのに、テロ研部長は余裕の表情だ。小さく拍手までしている。油断ならないと、風紀委員たちはゆっくりと包囲を狭めた。


 テロ研部長の傍には、よく見知った顔もあった。

 風紀委員なら誰もが知る、二年の男子生徒。妹と同じような優しげな顔立ちをしていながら、中身は真逆の問題児。

 奥歯をぎりっと噛んで、保羽リコは睨みつけた。


「毎度毎度、罪もない人々を巻き込んで、生瀬孝也……」

「犠牲を恐れていては研究などできないものさ、風紀委員長」

「個人の趣味に他人を巻き込むんじゃない」

「個人の趣味? それは聞き捨てならないな」

「どういうこと?」

「昆虫食市場は五年以内に、その市場規模が六百億円まで膨れ上がると予想されている、とても熱い分野だ。欧米ではベンチャー企業が次々と立ち上がり、投資だって積極的に行われ始めている。近い将来訪れる食糧危機への重要な切り札の一つとして、今や世界が動いてるんだ。単なるゲテモノ食いの話ではないんだよ」

「そ、そうなの……」

「そうなんだよ。将来を担う若者が、この波に乗り遅れてはいけない」

「……は、はぁ……」

「だが、今もって偏見は根強い。根強い偏見には荒治療も必要だ。人は認識一つで可能性を狭め、思い込み一つで未来を潰してしまう生き物だからね」

「それが……コオロギ生チョコをテロ研に提供した理由なのね……」

「コオロギ生チョコ……?」


 生瀬孝也は首をひねり、そして口元を緩めた。

 愛らしい間違いをした園児をいさめる先生の如き、とても優しい眼差しだ。以前、森田君に言い放った「心を入れ替えた」とは一体何だったのかと小一時間問い詰めても、のらりくらりと受け流すであろう、悪魔の平常運転だった。


 風紀委員としての勘が働き、保羽リコの背筋を震わせる。


「ふふふっ、『生』が一つ抜けているよ、風紀委員長」

「!? ま、まさか、あんた……」

「生コオロギ生チョコだ。渾身の傑作だよ、あれは」

「…………」 

「出来ればより大勢の人に食べて貰いたかったんだが、いやはや、残念だ」


 一クラスを保健室送りにしておきながら、生瀬孝也は物足りなさそうだった。全校生徒をモルモットにすべく、虎視眈々と準備を重ねていたのだろう。


「テロ研に頼まれて、あんたが東原先生をそそのかしたのね……」

「人聞きが悪いなぁ。そそのかした、だなんて。『女子の友チョコや、もてない男子どもを一斉に餌食にできる』と言ったら、『最高だな』と褒めて頂けただけさ。東原先生とは……そう、ウィンウィンの関係になっただけだよ」


 あれは実に公正な取引だったと、生瀬孝也は頷いていた。だが、その発想に堕ちた時点で東原先生に勝利はない。生瀬孝也の一人勝ちにしかならないのだが、東原先生にとっては目先の青春こそが邪魔なのだ。


『一度被害にあえば、将来チョコをもらえたとしても、そのチョコにたいしてトラウマが発動する訳だ……すばらしい。来年のバレンタインは疑心暗鬼で溢れる。くくっ、ふふふっ、良い、実に良いな。いってみれば、これは青春病への予防接種……』

 くらいの事は、東原先生なら考えるだろう。


「昼間の騒動を利用して風紀の監視に隙を作り、ボランティア部にチョコを配らせ、生瀬孝也の作ったあの劇物を昇降口の下足ロッカーに拡散させた。しかも早朝、昼と過ぎて、みんなの警戒が一番緩む時間を狙った……昼間の騒動が一段落して、生徒の間に安心感が広がってしまったのも、手痛い失策だったみたいね」


 香苗がほぞを噛むようにそう言った。

 人の機微まで計算されつくした手法であった。

 生瀬孝也たった一人では、これほど大規模に仕掛けられるはずがない。この犯行のあらましを考えたのは――


「テロ対策研究部、このド外道がっ……!」

「おやおや、なんのことだか。まったく酷い言いがかりだ」


 保羽リコの眼差しを涼しい顔で受け流し、テロ研部長は肩をすくめた。


「ある者は善意で、ある者は己の研究のため、ある者は打算で、ある者は恩義のため、ある者は己の欲望と願いのため。多種多様な者たちの想いを練り上げ、こうして一つの形にしたに過ぎない。私ですら、テロ研の一部でしかないんだ」

「あんたが絵を描いたんでしょうがっ」

「首謀者と目されるのは心外だな。絵の具があったから、混ぜただけさ。混ざり合ったそれが形をなした。それをテロ行為と呼ぶなら呼ぶがいい。ただ――」


 テロ研部長は余裕の笑みをまったく崩さず、続けた。


「まだ、終わったと思わない方がいい、風紀の諸君」

「なに?」


 香苗がそう尋ねた途端、ざわめきが走った。

 昇降口の方からだった。




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