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愛しの彼女を埋めました。  作者: 喜多川 信
第一巻
7/101

第七話




     6



 森田君は授業にあまり集中できず、悶々とする日々がつづいた。

 授業どころか、クラスメイトや友人たちとの会話も、どこか上の空だった。耳や目から入ってくるはずの情報が、思い悩む心に弾かれて、右から左へと抜けていく。


 森田君の悩みの要点は、たった一つ。


(ヨロズ先輩は何のために、埋めてくれなどと言ったのだろう……?)


 何度考えても森田君には想像がつかなかった。

 分からないなら聞いてしまおう。


 直接的には聞きにくいが、遠回しになら聞いても問題ないだろう。

 そう考えて森田君がヨロズ先輩に、平日に尋ねた限りではこうだ。


「先輩って、マンガとか小説とか、書いたりするんですか?」

「しないわ。アレは読んで楽しむものよ。書こうなんて、人生の大切な時間を激しく消費しなければならないのよ。並大抵の人間に出来る事ではないと思う」

「では、演じたりはしますか?」

「役者はやるモノでは無く、見るモノだと教えられたわ。小学校でね」


 森田君はそれとなく探りを入れたが、疑問の尻尾すらつかめなかった。

 ヨロズ先輩の最後の返答は簡潔だった。


「……理由が必要なの?」


 好きな人がそう言っているから、では、あなたは行動できないの? ヨロズ先輩の言外の一言で、森田君はそれ以上聞くに聞けなくなってしまった。


(つまり先輩は言いたくないんだな)


 森田君はそう理解した。

 言いたくない事を無理に詮索するのは、人として間違っているだろう。


 すでに人として間違った事に十分加担している気もするが、だからといって、どこまでも間違って良いという訳ではないはずだ。崖から落ちるとしても、落ちるのならなるべく短い距離の方が良い。また、距離が短くなるように努力すべきであろう。


 いわゆる、出口戦略と言うヤツである。出口を作るべき部分を盛大に間違っている気もするが、それ以上考える余裕など森田君には残されていなかった。

 そして――


(もう、土曜か……)


 銀野家の表札を眺めつつ、森田君はため息が漏れた。

 五日は瞬く間に過ぎ、休日となっていた。


 早朝のランニングや友人から手ほどきを受けた筋トレは、当然ながら、効果が実感できるレベルではなかった。家での練習の成果は、穴掘りのコツを多少掴んだ程度だ。いろいろと道具が必要だが、購入資金などから、まだすべてを揃えてはいない。


(あいかわらず立派だな、先輩の家って)


 森田君は目前の家屋を見上げつつ、呼び鈴へと手を伸ばす。

 銀野家の呼び鈴を鳴らすのはこれで二回目だが、森田君は緊張した。


 もしヨロズ先輩の親御さんが出てきたら、どうしたものか。


 だが、そんな森田君の心配は杞憂に終わる。ヨロズ先輩の親御さんの姿はなく、またヨロズ先輩一人らしい。ヨロズ先輩に出迎えられ、森田君が玄関をくぐり、リビングへと進みながら家の中を見る限り、どうやら今回も家には二人きりのようだった。


(たしか、先輩も、一人っ子なんだよね……)


 ちょっとした共通点に、森田君は親近感を覚えた。

 するとヨロズ先輩が紅茶を一口飲み、タブレット端末で地図を指で示して森田君に見せた。


「前回は山のこの辺りで、中止になったわね」

「はい。今日は、その先まで行ければと思います」

「シャベルは用意しておいたけれど……山で穴を掘る所まで行けるかしら?」


 ヨロズ先輩はティーカップを置いて、綺麗な顎に指を当てた。

 森田君は首を横に振る。


「いきなり色々とやろうとしても、ボクたぶん、わってなっちゃうので。穴掘りの仕方も、今は試行錯誤してる最中で。徐々に身体を慣らしていきたいです」


 森田君はエベレストに挑む登山家の気持ちだった。

 順応が追い付いていない。


 無理をして、すべてを無に帰する訳にはいかない。この前のように警察屋さんに呼び止められたり、あるいは学校関係者に露見するかもしれない。切り抜ける方法や、ばれた時の誤魔化し方も、ヨロズ先輩とちゃんと話し合っておくべきだ。


 先走ってはいけないと、森田君は譲らなかった。


「わかったわ、森田君」


 森田君の頑なな口ぶりに、ヨロズ先輩も納得してくれたらしい。

 結局上手く事を運ぶには、回数を重ねるしかない。


 リビングでノートを広げ、前回の反省のまとめと、改良点のおさらいをおこなった。

 段差や道路の状態などを考慮してバス停までの道のりを変える事や、銀野家のフローリングに傷がつくかもしれないので、先輩がトランクケースに入るのは玄関の方が良い、などという些細な事まで、さまざまに意見を出し合う。


 ヨロズ先輩とは、肩が触れ合う距離だ。

 森田君の心拍数は否応なく高まった。


(良い匂いがする……)


 前回よりも幾分か冷静である分、森田君はより、ドギマギとしてしまう自分に気づいた。

 今日のヨロズ先輩はポニーテールだ。

 うなじに見惚れてしまう。


 ヨロズ先輩の姿を間近で見られる。

 生徒会での活動とは違う、プライベートな空間で。


 前回といい、今回といい、森田君にとっては、これが一番のご褒美だった。

 ティーカップを唇に当てているだけで、ヨロズ先輩は絵になる。


 森田君は出された紅茶の美味しさに気付き、前回は味が分からないほど追い込まれていたのかと、ふと思った。

 少し気を緩めた森田君へと、ヨロズ先輩が咳ばらいをした。


「森田君、この前は初めてだったから言わなかったけれど、ちゃんと犯人らしく、下足痕に注意を払ってほしいわ。ビニール袋と輪ゴムがあれば一手間で出来るから。そういうディディールをしっかり作ってもらわないと、困るわ」


 ヨロズ先輩にやんわりと注意され、森田君は目をぱちくりとさせた。


「先輩がボクを困らせている分量に比べれば、些細な事だと思いますけど………」

「たとえば私のスマホ」


 森田君の呟きは聞こえていないのか、ヨロズ先輩はガラステーブルの上を指さした。


「これの通話履歴を見られたら大変でしょう? もし事件が発覚したら警察がすっ飛んできてしまうわよ。警察の情報端末の修復技術を舐めないでね。電子レンジ程度では手緩いわよ。私と一緒に埋めるか、どこかのゴミ箱に捨てないと」

「……ついでに、海外逃亡のためのパスポートでも取得しますか?」

「それも一つの手ね」


 ヨロズ先輩はナイスアイデアだと頷いている。

 森田君としては少々皮肉のつもりで言ったのだが……ヨロズ先輩は構わず続けた。


「犯人引き渡し条約を結んでいないか、結んでいたとしても無視する様な国への出国準備を整えておいたら素敵ね。死体が発見されるまでは国内でも良いけれど、発見されれば終わりと考えなさい。日本の警察を侮ってはだめよ」

「そ、そこまで拘らないとダメですか……?」


 森田君が自身の額の汗を拭きながらそう聞くと、ヨロズ先輩にじっと見つめられた。


「森田君、たとえ実物を揃えられなくても、なるべく正確にイメージする事が大切なのよ。それが雰囲気や緊張感に直結する要素でもあるの」


 ヨロズ先輩は透き通るような声でそう言った。

 なかなかの拘りだ。なんだか、伝説の映画監督のようでもある。


 森田君がぽかんとしていると、ヨロズ先輩は人差し指をぴんと立てた。


「女の子はね、ムードを大事にするものなのよ。欲望の赴くままにやりたいことだけやるなんて、そんなのケダモノだわ。乙女の想いを踏みにじった、非文明的な行いよ」

「文明的に埋めるという境地への至り方が分からないです、先輩……」


 森田君は辛うじてそう答えたが、ヨロズ先輩は気にした様子もない。


「人を埋めるという事を、もっと常識的に考えないと。たとえ失敗するにしても、どんな物事もやるんだったら、なあなあで進めるなんてよくないのよ」


 落ち着いた声でヨロズ先輩に説明されるほど、森田君は理解が遠のく気がした。ヨロズ先輩の綺麗な瞳と美しい声によって、より拍車がかかっている。

 常識を説きながら玄関へと向かい、靴箱の前でトランクケースに入って、『さあ、そろそろ行きましょう、森田君』と目配せするヨロズ先輩は、なかなかにシュールだった。


 どうしてヨロズ先輩はこんなに非常識な事を、これほど真顔で言い放てるのか。

 何が良くて、悪いのか。

 コインの表と裏のよう。


 ここ最近、森田君としては常識と非常識の区別が曖昧になってきていた。

 だが、やるといった以上、ヨロズ先輩をほっておくわけにもいかない。


 森田君はトランクケースを閉め、キャスターの動きを確認し、玄関ドアを開けて外に出てから、預かっていたカギで玄関に鍵をかけた。


 長い道のりがまた始まる。


 森田君はひゅっと息を吐いて、パンパンと自らの両頬を叩いた。

 目指すは山だ。


 山の中腹の雑木林までは、何としてもたどり着こう。前回よりは、前に。少しでも進歩したところをヨロズ先輩に見せたい。

 森田君はそう思い、両拳を握り締めて気合いを入れた。




     7



「なかなか出てこないな……」


 保羽リコは電柱の影から、銀野家の様子をうかがっていた。

 尾行は地味に、気長にやるもの。


 とにかく気を長く持たなければならない。と分かって居ながらも、保羽リコは苛立ち、餡パンをかじった。銀野家の玄関がかろうじて見える曲がり角に、保羽リコは身を潜めていた。


 険しい眉の下から、鋭く目を光らせる。

 保羽リコはパック牛乳を一口飲んだ。


 今朝方、それとなく探りを入れてみたが、森田君はすっとぼけていた。

 やましい事があるのだろう。


 まずは証拠を集めなければ話にならない、と保羽リコは口元を拭った。だが、そんなやる気満々の保羽リコとは対照的な声が、横手から保羽リコの顔に突き刺さる。


「で、なんでこんなデバガメまがいの事、しなくちゃなんないの?」


 欠伸を交えながら気怠そうにそう尋ねた少女が、ぼりぼりとオヤジ臭い雑さで頭をかいている。風紀委員長補佐にして保羽リコの友人、香苗だった。


 ソバージュヘアが寝癖の様に感じられるのは、香苗の表情のせいだろう。

 香苗の質問に対して、保羽リコは眉をひそめた。


「デバガメだなんて、人聞きの悪い。……香苗、こういう格言があるでしょ。『悪がやればストーカーでも、正義がやれば尾行です』って。これは立派な尾行だから」

「そんな格言、聞いた事ない。そもそもストーカーと尾行の違いは恋愛感情の有無だから、悪とか正義は関係ない。……まぁいつもの事と言えばいつもの事なんだけどさ、あんたの話、ちょっと飛躍しすぎてない?」


 香苗の冷静な指摘に、保羽リコは譲らない姿勢で首を横に振った。


「清太はきょう、一人で買い物に行くって言ってた。それなのに、ああして銀野ヨロズの家にいる。あたしに嘘をついたのよ。後ろめたい事がなければ嘘はつかない。違う?」

「あんたと銀野会長は中学時代から仲が良くないから、気ぃ使ってるだけでしょ。ってかさ、飯おごる、っつーからここまで来たんだけど?」

「…………これでいい?」


 食べかけのあんパンを保羽リコがおずおずと差し出すと、香苗の口が引きつった。


「うん、私、帰るわ」

「待って、そんなっ、薄情な。尾行は二人一組以上が基本でしょ!?」


 保羽リコは踵を返した香苗の腕を掴んで引き留めた。

 だが香苗は、保羽リコの手を素っ気なく振り払う。


「そんな一昔前の刑事コントみたいな真似してる奴から何言われたって、ギャグにしか聞こえないわよ。あんた若干、遊んでるでしょ」

「友達でしょ!?」

「友達だったら友達の休日を邪魔するな! ただでさえ、平日はおろか時たま休日さえ、学校の変人共の相手で疲れてるっつーのに。やってられるかっ」

「あ、ちょっ、香苗――」


 保羽リコの引き止めも虚しく、背を向けて香苗はとっとと帰ってしまった。

 サバサバしている香苗は、協力してくれる時はすんなり協力してくれ、見切りをつける時も実にテキパキしている。心強い味方であるが、都合のよい味方ではない。


「くっ……ジャムパンだったら、香苗を引き留められたかもしれないのに……」


 手元のあんパンに目を落として保羽リコは失策を嘆いた。あるいは、手料理の一つでも後でふるまうから、とでも言っておけば良かったのだ。

 香苗はそこそこ食いしん坊だし、保羽リコは料理の腕前にそこそこ自信がある。


「どうしよう……」


 保羽リコが呟くも、声はだた消えていくのみだった。

 森田君やヨロズ先輩に見つかると警戒心を持たれてしまう。一人ではなかなか身動きが取りにくい。保羽リコが思案していると、道行く人影に見知った顔を見つけた。


「生瀬、こっち!」


 保羽リコは呼びかけた。

 保羽リコの手を振る姿に気付いたらしく、人影は小さく会釈している。


 森田君のクラスメイトにしてクラス委員長の、小柄な女の子だ。風紀委員会の活動に何度も助力をしてもらった事があり、親交がある。保羽リコが手早く手招きすると、ヘアクリップでまとめた後ろ髪を揺らして、女の子はたたたっと近づいてきた。


 生瀬さんだ。

 柔和な顔立ちと明るい表情で、初対面の人にも警戒心を抱かせない。誰に対しても物腰が柔らかく、話しているだけでほっと一息つける、お淑やかな少女だ。


 生瀬さんは、こざっぱりとしたスカート姿だった。

 バッグの類を持っていない。小さなビニール袋を手に提げている。駅前までちょこっと出かけた、その帰りらしい。どうやら時間を作ってもらえそうだと、保羽リコは思った。


「リコ先輩、どうしたんですか?」


 そう言って小首を傾げる生瀬さんへと、保羽リコは親指をぐっと立てた。


「生瀬、グッドタイミング! 今、暇!?」

「……えっと、まぁ、はい。用事はもう済ませたので」


 小さく頷いて、生瀬さんは手のビニール袋を保羽リコに見せた。小さな画材道具が数点、入っているようだった。やはり買い物帰りらしい。

 生瀬さんは美術部員なのだ。


「ぜひとも協力してほしい事があるんだけど!」


 目を白黒させる生瀬さんの両手をがっしりと掴み、保羽リコは距離を詰めた。上級生にぐいっと迫られては、一年生の生瀬さんは頷く他ないようであった。


 丁度その時、ヨロズ先輩の家の門から森田君が出てきた。連れ立って歩いているヨロズ先輩の姿はなく、いかがわしい事が行われた後にも、これから行われるようにも思えない。


(あの二人は、野外で、その、しようとしてるのよね……?)


 それなのにヨロズ先輩の家から出てきたのは、森田君たった一人だ。

 どういう訳なのか、森田君は大きなトランクケースを引いている。


(なに……あれ?)


 保羽リコは訝しんだ。

 森田君の引くトランクケースは、なんだか重そうだ。


(なんで清太が、あんな大きな荷物を抱えて出てくるの?)


 保羽リコは分からない。

 けれど風紀委員長としての勘が、このまま捨て置いてはいけないと囁いた。


 なにか、重大なことが行われているのではないか。

 森田君がなにか、とんでもないことを、ヨロズ先輩にさせられているのではないか。


 保羽リコはそんな気がした。

 保羽リコは生瀬さんに手短に事情を話し、尾行を始めた。




     8



 ヨロズ先輩の家を出て、森田君が信号待ちをしていた時だった。

 コツコツッ、と音がして、森田君は立ち止まった。


 トランクケースの中から聞こえてきたような気がしたのだ。

 森田君は首を捻った。


(おかしいな。先輩がそんな事するかな?)


 あれほどディティールをしっかり、と言っていたヨロズ先輩が死体設定をないがしろにするとは思えず、森田君はしばし判断に迷った。


 とりあえず、計画通りに進もう。

 森田君はそう思った。


 歩道の段差や凹みをなるべく避けて、十歩進むか進まないか。またコツコツ、とトランクから音がする。靴紐を結ぶ自然な動作を装い、森田君はトランクケースに顔を近づけた。


 横断歩道はちょうど赤信号。

 見ず知らずの歩行者との距離をはかりつつ、森田君は声をひそめた。


「先輩? どうしました?」

「……その、……い……しら……」

「はい?」


 ヨロズ先輩には珍しく、口調が弱く躊躇いがちだった。


「……その……お、お手洗いは、近くにあるかしら……」


 ヨロズ先輩はかなり切迫しているようだった。


(これはまずいぞ)


 と森田君は周囲を見回した。


 そういえば家で打ち合わせをしている時、先輩は紅茶を何度もお代わりしていた。ヨロズ先輩なりに緊張を誤魔化していたのかもしれない。しかし今居る場所は、人通りもそれなりにある。こんな道のど真ん中で、先輩をトランクから出すわけにはいかない。


 だが、不幸中の幸いであった。


「先輩、すこし我慢してください。すぐ近くに公園があるので。そこまで急ぎます」


 中規模の公園が目と鼻の先にあったのだ。

 早く青に変われと、森田君は信号をにらみつけた。




     9



「茂みの中に入って、ずいぶん経つわね……」


 雑誌をぱらぱらとめくりつつ、保羽リコがそう言った。

 顎に指を当てて、眉を寄せている。


 公園のベンチに腰掛け、生瀬さんは保羽リコと体を寄せ合い、一つの雑誌を二人で読んでいた。はた目から見れば、友達同士でくつろいでいるように見えるだろう。だが、二人の注意は誌面の向こう側――離れた場所にある小奇麗な公衆トイレに注がれていた。


「変ね、何か」

「ですね」


 生瀬さんは公衆トイレの方をちらりと見て、相槌を打った。


 トイレに用があるはずが、なぜか森田君は裏手の茂みに入っていったのだ。大きなトランクケースを引いて、足早だった。一刻も早くトイレに行きたかったはずなのだが、それにしては人目をはばかるような素振りで、少々まどろっこしい事をしている。


「でも、リコ先輩。森田君の事ですから、何も問題はないと思いますけど……」


 生瀬さんがそう言うと、保羽リコは一度頷いてから、首を横に振った。


「清太は良い子よ。けれど、何かに巻き込まれているかもしれないから」

「……巻き込まれる、ですか?」


 小首を傾げる生瀬さんへと、保羽リコは確信に満ちた頷きで返した。


「世の中には悪い虫がたくさん居るのよ、生瀬。知らぬ間に悪の道に引きずり込まれ、気付けば身体がボロボロ、そういう人をあたしは何人も見て来たわ」

「風紀の活動で、ですか?」

「いや、警察密着番組で」


 保羽リコは歴戦の強者のような顔をしている。

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。だが、警察密着番組で見た事から学んだ気になる女子高生というのは、愚者であるのか賢者であるのか、生瀬さんには判断しかねた。


「は、はぁ……」


 物々しすぎる保羽リコの佇まいに、生瀬さんは気の抜けた返事をしてしまった。


 生瀬さんの知る限り、森田君は誰かに自慢するためにルールを破ったり、道に外れた事をする事に喜びや興奮を見出したりするような、そう言った類の男の子ではない。もしも悪の道とやらに引きずり込まれても、ちゃんと警察の門を叩ける人のはずだ。


 だが生瀬さんはそう思っていても、保羽リコは違った。


「生瀬、悪いんだけどさ」

「なんでしょう?」

「見てきてくれない? 清太の様子。あたしが行くと、清太が警戒しちゃうから」


 保羽リコに頼まれて、生瀬さんは快諾した。


「はい」

「生瀬が虫とかすごく苦手なのは知ってるから、出来る範囲でいい。清太がいたら『姿を見かけたから声をかけた』みたいな感じで、さりげなく様子を探って欲しいの」

「わかりました。行ってきます」


 生瀬さんは立ち上がって、ぽんぽんとスカートをはたいた。

 さくっと行って、さくっと様子を見てくれば良い話だ。


 保羽リコはひどく緊張感を持っていたが、生瀬さんは違う。


(リコ先輩は風紀委員長だから、疑り深くなってるのかなぁ。職業病……って言っていいのかな? 森田君が風紀委員会のお世話になるような事、する訳ないのに………)


 生瀬さんはそう確信していた。

 学校での森田君を思い出し、生瀬さんは歩を進めた。


 クラス委員長として、生徒会役員である森田君とは、会話する機会もそれなりにある。森田君の人柄は知っている。文化祭で攻めすぎた企画のクラス出し物をする事になり、教師が難色をしめした時も、森田君が粘り強く交渉してくれたおかげで、なんとかなった。


 クラスの中心でみんなを盛り上げたり、取り仕切ったりするタイプではないけれど、ふと生瀬さんが目にすると、その時に必要な役割を黙々とこなしている事が多い。真面目で頑張り屋で、目立つ人では無いけれど、とても誠実な人だ。


 生瀬さんは森田君をそう評しているし、クラスメイトも大方はそう思っているだろう。優秀すぎる生徒会長と副会長の影に隠れてこそいるが、森田君も立派な生徒会役員だ。生徒会役員の人事権を握る、ヨロズ先輩が目利きした人物でもある。


 会議の席で多様な話の要点を手早くまとめ、すらすらとホワイトボードに書き出していく森田君の手並みに、すごいなぁと生瀬さんは感心していた。

 あの手並みは、森田君の人柄ゆえだろう。


(蜘蛛の巣は、避けてっと……)


 生瀬さんが虫を警戒しながら茂みを回り込むと、森田君の後姿が見えた。

 森田君はなにやら、屈んで作業しているようだ。


 生瀬さんは何一つ警戒していなかった。


 保羽リコと森田君を話し合わせて、手早く誤解を解いてしまおう。ほんのわずかなボタンの掛け違いに、違いないのだから。森田君が疑われているなんて可哀想だ。大きなトランクケースを引いているのも、森田君に理由を聞けば「なんだ、そうだったの」となるはずだ。


(そうすれば、リコ先輩の不安もなくなるし)


 生瀬さんはそう思案して、森田君の後姿へと歩み寄った。


 落ち葉は綺麗に掃き清められている。

 おかげで足音はまったくしない。


 森田君はどうやら生瀬さんに気付いていないらしい。このままでは忍び寄ったような形になってしまい、少し驚かせてしまうかもしれない。

 それではいけないな、と生瀬さんは一声かけようと口を開いた。


「あ、森田く――……」


 警戒心の無い生瀬さんの声は途切れた。見てはいけないモノを見てしまった時、人は固まってしまうものらしく、生瀬さんは目をしばたかせた。





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