第四十七話
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「副会長。少し、いいかしら?」
ヨロズ先輩がそう切り出すと、副会長は机仕事の手を止めた。
「なんでしょうか? 例の資料ならもうすでに――」
「いいえ。業務の事では無いわ」
「? といいますと?」
「プライベートに関してアドバイスを貰えるかしら?」
「……は、はあ。アドバイス、ですか?」
「ええ」
ヨロズ先輩がこくりと頷くと、副会長は少し戸惑っていた。
ビジネスライクなヨロズ先輩にしては、とても珍しい事なのだ。まさか生徒会の業務中にこのような申し出を受けるとは、副会長も考えていなかったのだろう。
「アドバイスとは、具体的にどのような?」
「これはその、私の友人の事なのだけれど。……恋愛相談の類で、私はそういうものに疎いから、助言を頂こうかと。男の人の意見を知りたくて」
「なるほど。わかりました」
落ち着いた物腰で副会長は頷いた。
七三の髪型に眼鏡のお堅い男子生徒で、時折ややズレた所があるものの、副会長は仲間想いで実直な人柄だ。部長や各種委員の相談などにも、公私を問わず乗っている。口の堅さには定評があり、なにより、その助言が的確な事で知られていた。
「その友人と言うのが、クリスマス・イヴに恋人をその、自分勝手にふりまわしてしまったらしくて。関係が気まずくなった、と」
「それはひどいですね」
「や、やはり?」
「ええ」
副会長は断言した。
「一緒に居るだけでは、ダメなのかしら……?」
「銀野会長、恋人同士だから一緒に居られるだけで幸せ……なんて甘っちょろい事を考えているようでは、そのご友人は近いうちに愛想を尽かされます」
「そ、そうなの?」
「はい」
「……どうして?」
「会長、そもそも人はそれぞれ個性豊かで、違っているものです。違う者同士が寄り添い合うのですから、共通認識を作っておく事は大切です。どれほど親密な間柄であろうとも、やはり他人と他人なのです。最低限の礼儀やマナーがあらゆる場所で必要なように、互いの個性を真に尊重し合うには、少々面倒臭くとも、そう言った共通項がある程度は必要です。ルールに縛られない自由な発想が必要、礼儀やマナーより大切なものがある、そういう考えは確かに一理ありますが、同時にとても危険なのです」
副会長は静かな口調で続けた。
「そういった面倒臭さを放り出す事は個性では無く、身勝手です。世の中の恋人たちはそれを理解しているから、イベント事を大切にし、それをうまく利用しているのです。決して浮ついた気持ちや、世の中の雰囲気に流されてばかりいる訳ではありません」
「…………」
副会長の見解は極めて冷静だった。
「イヴにその、恋人にプレゼント一つ用意していなかったらしくて。慣れないものだから思い至らずに、そういうのも、やはり、いけないことなのかしら?」
「用意していなかった? イヴに?」
「そうらしいの。その、それで公平さを欠いてしまったらしくて」
「……公平さを欠いた?」
「ええ」
「まさか、プレゼントは貰ったのに、あげなかったのですか?」
「え、ええ」
「その方は人間のカスですね……会長? どうなさいました?」
副会長は怪訝な眼差しを向けた。
がたっと椅子からヨロズ先輩が崩れ落ちそうになっていたのだ。
「い、いえ。なんでもないわ。続けて、副会長」
「普段から贈り物をこまめにしている仲ならともかく、そういう特別な日をすっぽかすのはご法度でしょう。先ほども言いましたが、自分が必要ないと感じるから相手も必要ないだろう、という考え方は個性では無く身勝手なのです。会長のご友人は、もしかすると、それまでも恋人の方に随分と一方的な事を押し付けてきたのでは?」
ヨロズ先輩はぎくりとした。
トランクケースに詰めて山中に埋めてほしいだの、足をコンクリートで固めて湖に沈めて欲しいだの、今だってそうだ。高層ビルから突き飛ばしてもらおうとしている。森田君の好意と優しさに、何から何まで甘えすぎているのだ。
「……え、ええ。おそらく」
「互いに何を望むのか、話し合わねば。恋人だから分かっていて当然、心で触れ合っているから大丈夫、などという考え方がそもそもおかしいのです。関係性が特別であるからと言って、神聖視しすぎてはいけません。結局は人と人なのですから」
「……はい……彼女も、とても反省しているわ」
「反省は行動で示すものです」
「そうね」
ヨロズ先輩はしゅんっとした。
「まったく、お話を伺っているだけで、少々腹立たしい気持ちになりますよ。控えめに言って人間のカス、遠慮せずに申し上げるなら、病原性ウイルスにすら精神構造で劣ると言っても過言ではない多細胞生物の恥さらし……か、会長!?」
副会長は心配そうに駆け寄った。
ヨロズ先輩が椅子から崩れ落ちたのだ。
「す、すいませんっ。男の立場として、少々感情がこもりすぎてしまったようです。銀野会長のご友人に対し、辛辣が過ぎました」
「い、いいえ。むしろ、そう言ってもらえて良かったわ」
「は、はぁ……銀野会長のそのご友人は、女性の方なんですよね?」
「え、ええ」
「それで、相手の方は男性?」
「そうです」
「恋人関係というより、ドSのキャバ嬢に搾取されるマゾ男という感じがします」
「そんな……」
事はない、と続けようとしてヨロズ先輩は口ごもった。
副会長の言葉は第三者の意見だ。当事者の意見はどうしても自らに都合の良いようになってしまうもの。そう考える冷静さは、ヨロズ先輩にも残っていた。
「そのお二人は、現在、どういう状況なのですか?」
「男の人の方はその、まだ好意を寄せてくれていて。キャバ嬢の方はその、その好意を受け続けて良いものかどうか、分からなくなっている……という状況よ。簡潔に言うと」
「偏った関係ですね、それは……」
「え、ええ……そうらしいの」
「結局、銀野会長のご友人はどう思っているのですか? その男の方を」
「……え?」
「突き詰めれば、結局はそこに行き着くしかないでしょう。こういう問題は」
「そうね。彼女は……どう、思っているのかしらね……」
「は、はぁ……と、いいますと?」
「わからない、らしくて」
「……わからない?」
「今までは割り切れていた物が、急に割り切れなくなって……それで――」
「割り切れないものですよ。そうなって仕方ないものです。それはそうです。本気なのですから。本気で何かを想うのですから。求めるのですから。それは当然、迷って悩んで足が震えて……分からなくなってしまって、当たり前なんです」
「副会長……」
「ご友人はおそらく、本気になりかけているのでは?」
「…………」
副会長の言葉に、けれどヨロズ先輩は掴み所を見つけられなかった。
見つける事の恐ろしさに、足がすくんでいたのかもしれない。




