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愛しの彼女を埋めました。  作者: 喜多川 信
第一巻
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第四話




 警察屋さんはトランクケースに近寄り、引き倒して一気に開き、目を見開いた。


「こ、これは……!」


 もうだめだ、と森田君はぎゅっと目をつむった。


 補導されてしまう。ヨロズ先輩との秘め事もこれで終わり。家族や友人や先生や知人に知れ渡ってしまう。生徒会役員としてなんたる失態か。どうして今日の予定を聞かされた時に、ヨロズ先輩を止めなかったのか。一生後ろ指をさされて生きる事になる。自分の事なら諦めもつくが、ヨロズ先輩は「舌を噛み切って死にかねない」と言っていた。ヨロズ先輩が死んでしまうかもしれないなんて、ああ、どうしよう? どうしたら?


 崖っぷちの森田君へと、しかしトドメの一撃は飛んでこなかった。


「…………何も、入っていない……?」


 警察屋さんがトランクケースをくるりと回転させ、森田君に見せた。


「…………?」


 トランクの中を見た森田君も、警察屋さん同様に訝しんだ。


 開け放たれた中には、何もない。

 居るはずのヨロズ先輩の姿が、忽然と消えてしまっていた。


 だが警察屋さんとは違い、森田君はピンとくる。


(せ、先輩、ナイスですっ!)


 森田君は心の底で手を叩いた。

 ケースのロックをとっさに外しておいて良かった。森田君が警察屋さんの注意を引きつけている間に、隙をついてヨロズ先輩はこっそりと抜けだしていたらしい。


 警察屋さんが首を捻っている。


「あれ? おかしいな……気のせいだったのかなぁ」

「え? 何が気のせいなんですか?」


 反転攻勢はこの時だと、警察屋さんへと森田君は一気に踏み込んだ。


「旅行用の鞄を買うための参考にするんじゃ?」

「ん、ああ、いやぁ………いいトランクだね。少々痛んでいるけど。……おや、黒い裏地がほつれて飛び出していたのか。あはははっ、これじゃ、アレだねぇ。外から見ると人の髪の毛みたいに見えてしまうねぇ、怖い怖い」

「はは、そうですね……ほんと、人でも入ってるみたいに見えちゃいますね」

「はははっ、それは物騒だねぇ。それはそうと、トランクの中が空なんだけど、どうしてかな? ずいぶん、重たそうに坂道を上っているように見えたんだけどなぁ」


 警察屋さんのカウンターパンチに、森田君は言葉に詰まった。

 本当に一筋縄では行かない警察屋さんである。


 森田君はぎくりとしたが、ヨロズ先輩の作り出したチャンスを無駄にしたくない。その一念が、この窮地にあって頭を素早く回転させた。


「……それは、実は、その……ぱ、」

「ぱ?」

「パントマイムの練習をしてたんです」


 思いつくままに森田君はそう言い放った。

 警察屋さんが不思議そうな顔をしている。


「ん、でも清太くんは、トレーニングで体を鍛えてたんじゃ?」

「ですから、パントマイムのトレーニングです。パントマイムの技術を鍛えていたんです。誤解を招くような事を言ってごめんなさい。見る人を驚かせたくて、できれば隠しておきたくて。お正月に一発芸でも披露しようかなあ、って」

「自宅から遠いこんな山道で?」


 警察屋さんにそう問われ、森田君は頷いた。


「はい。知り合いに見られるのも恥ずかしいですから」

「おや、清太くん。これは、なにかな?」


 トランクから一本の細長い頭髪を取り出し、警察屋さんが森田君へと見せてくる。長さといい、艶といい、太さといい、まちがいなくヨロズ先輩のものであった。


「この髪の長さ、清太くんのじゃないよね?」

「叔母さんのだと思います。貰ってから、トランクの中は軽くしか掃除してませんから」

「…………へぇ、そうだったの。ごめんねぇ、せっかくのサプライズだったのに。ああ、安心して。リコやおふくろ、おじさんには黙っとくから」

「はい、お願いします」


 警察屋さんの声の緩みを慎重に観察しつつ、森田君はぺこりと頭を下げた。


「それにしてもなかなか、清太くんのパントマイムは上手だねぇ。四、五十キロの米袋でも入っているようにしか見えなかったよ」

「はは……そうですか? そんな風に見えました?」

「うん、お金取れるレベルだった」


 警察屋さんの言葉の端にやや鋭さを感じつつも、森田君は嬉しそうな笑みを浮かべた。


「ここ最近、本当に荷物とか入れたりして練習していたから、上達したのかなぁ」

「うんうん、きっとそうだよ。とってもリアルだった」


 そう言いながら、警察屋さんは手袋を外し、トランクの内側を触った。


「ん? 妙に温かい……? それにフレグランスのような香りが……」


 ヨロズ先輩の体温を残すトランクケースの内壁に、警察屋さんは疑問を抱いたらしい。森田君の背中が嫌な汗でじんわり湿っていく。


 どう言い訳しようかと、森田君は頭をフル回転させたが――


「ああ、なるほど。これのせいか」


 警察屋さんはカイロを拾い上げた。

 おそらくヨロズ先輩のものだろう。


「匂いつきのカイロかぁ。いいよね、これ。温かいだけじゃなくて、リラックスできるし。でもどうして、カイロだけトランクケースに?」

「坂道を登っていたら、身体が火照っちゃって」

「なるほどね。ここ最近、ぐっと冷えこんだり、かと思えば汗ばむような日もあったり、気温も安定しないしねぇ。清太くん、確かにすごい汗だね」


 警察屋さんは森田君を見て、頭を小さく下げて続けた。


「ごめんね、呼びとめちゃって。ほら、こういうお仕事やってるとさ、どうしても疑い深くなっちゃって。いけない職業病だよ、まったく。いまちょっと事件が起きててさ。それに駆り出されているもんだから、ナーバスになっちゃってて」


 警察屋さんがそう言って両手を合わせている。

 森田君がこの山へ来る途中のバスの中で、大学生らしき男女が話していた事件の事だろう。


「ほんとにごめんね、清太くん。それじゃあね」

「いえいえ。お仕事、がんばってください」

「最近、家に顔を出してないから、おふくろやリコによろしく言っといて」

「はい。また今度」


 森田君はそう言いつつ、パトカーへと乗り込む警察屋さんへ手を振った。

 パトカーを見送ると、振る手を止めて森田君はへたり込んだ。警察屋さんの疑念を晴らせた訳ではないが、職務遂行に無関係だと思わせる事は何とか出来たのだ。


 首の皮一枚でつながった。

 身体が嫌に火照っている。未だに動悸が落ち着かない。ずっと水底で息を止めていたとでも身体は言いたげだ。指先が今になって震え出す。


「ふぅ……」


 森田君は長く息を吐いて、ようやく息を吸えたような気がした。


 背後の茂みからガサゴソと音がする。

 音の方へと森田君が顔を向けると、ヨロズ先輩が立っていた。警察屋さんがパトカーの同僚へと話しかけていた、あの一瞬の隙をついてトランクケースから脱出し、茂みに隠れていたのだろう。ヨロズ先輩の肩には、木の葉が一枚だけひっついていた。


「森田君、助かったわ」

「せ、せんぱい……くしゃみの時は、心臓止まるかと思いました……」

「ごめんなさい。……一度トランクケースから出てしまったし、このままいくと、日が暮れてしまうわね。今日はここまでにしておきましょう」


 茂みの中から現れたヨロズ先輩が、ねぎらうようにそう言う。

 森田君は力なく頷いた。


「……は、はい……お願いします。もうなんか、気力と体力が限界です……」

「お疲れさま、森田君。再チャレンジは来週にしましょう」


 時間割を読み上げるようにヨロズ先輩は言った。


(……え?)


 森田君は少々眩暈がした。


(来週もするの? しかも決定事項なの?)


 ヨロズ先輩は一度こうと決めたら退かない人だ。やり抜く人だ。舳先が魔の海域を向いているとしか思えなくとも、森田君にとっては乗りかかった船でもある。


 来週の苦難を想像するだけで、森田君の疲れは倍増した。





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