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愛しの彼女を埋めました。  作者: 喜多川 信
第二巻
35/101

第三十五話




     15



 風紀委員会のパーティーを再び抜け出し、保羽リコは香苗と話し合っていた。


「リコ、いい? あの二人、風紀の動きを警戒して今までは派手に動いて来なかった。銀野会長は年越しを家族と海外で過ごすらしいから。動いて来るなら今日が特に要警戒よ」

「クリスマス・イヴ……」

「リコ、森田清太の表向きのスケジュールは押さえてるわね?」


 香苗に聞かれ、保羽リコは頷いた。


「今日の午後は学校で生徒会の仕事納めで、部屋の掃除。今は、学生食堂で生徒会主催の忘年会のはず。銀野ヨロズも、清太と大体おなじっぽい」

「なら、動いて来るなら夜ね」

「たぶん……清太が、イブは予定があるって言ってたし……!」


 ぎりりっと、保羽リコは噛み締めていた。

 もう凹んでダメダメになったりはしないらしい。


 やる気は十分のようだ。

 保羽リコの様子を見て取り、香苗は声に力を込めた。


「年末は要注意部活の動きが活発になってたから、風紀もてんてこ舞い。終業式の日くらい風紀の子たちをちゃんとねぎらってあげないとダメだから、夜も動けるのは私とあんたの二人だけ。銀野会長側もその事は理解しているはず」

「なら、間違いなく今日動いてくる。銀野ヨロズはそういう女だから」

「信じるわ、あんたの勘を」

「現行犯で現場を押さえるしかない。銀野ヨロズを仕留めるには」

「そうよ、リコ。それ以外で、仕留め切れる相手じゃない」


 香苗は保羽リコの言葉に頷いた。

 地位も名誉もあるヨロズ先輩は、風紀の獲物としてはかなり大きい。


「いい、リコ? たぶん生瀬ちゃんは今回も向こうについてる。非常によろしくない状況よ。これを打破するには、生瀬孝也をぶつけるしかない」

「……虫研の?」

「そうよ」

「風紀ブラックリストのランカーだけど?」

「毒を以って毒を制す……違うな、これじゃ生瀬ちゃんまで毒になるわね。んーっと、えーっと、そう、そうね。毒を以って天使を制すのよ」


 香苗は鋭い眼差しでそう言った。

 どうやら香苗は天使に毒を盛るつもりらしい。


 とんでもない罰当たりである。保羽リコはためらった。


「生瀬にはなるべく、手荒な事はしたくないんだけど……?」

「四の五の言ってらんないでしょ。前回の敗因は、生瀬ちゃんの変人共への指揮統制力を侮っていたから。頭さえ砕いてしまえば、変人どもなんぞ風紀の敵ではないわ。逆に言えば、生瀬ちゃんを何とかしない限り私たちは窮地に立たされる」

「生瀬孝也が協力してくれる?」

「そこはあんたの腕の見せ所でしょ、風紀委員長」


 香苗にそう発破をかけられては、保羽リコとしては発奮するしかない。


 保羽リコが心当たりを探して回ると、生瀬孝也は家庭科調理室にいた。

 というより、椅子にロープでぐるぐる巻きに縛りつけられていた。料理部の面々は生徒会主催の忘年会のため、学生食堂に集まっているのだろう。


 異物混入を防ぐために、どうやら何者かが実力行使に出たらしい。


「なんでそんな事になってるの?」


 保羽リコが話しかけると、椅子に縛り付けられた生瀬孝也はやれやれと肩をすくめた。


「日頃のよしみに、僕も料理部を手伝おうとしたんだけどね。わからず屋の副会長に、こうして縛られてしまってね。まったく困ったものだよ、彼の疑り深さと頭の固さは」


 生瀬孝也は日頃の所業を反省することなく、そう言った。

 副会長グッジョブ、としか保羽リコには思えなかった。


「ところで、何か用かな?」生瀬孝也は保羽リコをニコニコとして見ながら、首を傾げて続けた「そちらのお世話になるような事、今日はまだしていないと思うんだが」

「手錠を掛けに来たわけじゃない。手を貸してもらいにきたのよ」

「そういう事は妹に頼んだ方が良いのでは?」

「いつもならそうする。でも今日は、いつも通りにはいかないのよ」


 保羽リコが答えると、生瀬孝也は驚いたと言わんばかりの顔をした。


「……ほぅ、面白いな。エリが君たちに協力しないなんて」

「彼女には彼女の正義がある。あたしはそれを尊重する」

「尊重はするが、僕を使って叩き潰そう、という訳だ……すごい算段をするじゃないか」

「こっちも手段を選んでらんなくてね」

「失敬、皮肉のつもりはなかったんだ。いくら規律と正義の風紀委員会でも、そういう事もあるさ。しかしエリがねぇ、君たちと対立とは……ふふっ」


 生瀬孝也は何やら含みのある笑い声を出している。

 保羽リコは本題へと話題を引き戻すべく、腹に力を込めた。


「……それで、あなたに手を貸してもらいたいんだけど?」

「そうする事で、僕に何のメリットが?」


 生瀬孝也はそう言って、当然のようにこう付け加えた。


「目の前に餌をぶら下げて勤労意欲をわかせようなんていう、下品なやり方も僕は嫌いじゃない。だがこれは、妹と対立せねばならない事だからね」

「食べるわ、あなたの料理を」


 保羽リコが即答すると、生瀬孝也は目を細めて微笑んだ。


「……ほほぅ」

「一週間っ、お昼はあなたの料理に付き合う! それが、どんな料理でも」

「分かっているとは思うが、僕の料理は普通ではないよ?」

「どんな料理でも、と言ったはずよ」


 保羽リコが断言すると、生瀬孝也はゆっくりと頷いた。


「額面通りの言葉のようだね」

「女に二言は無い」

「なるほど、なるほど。それで……愛しい妹を売れと?」


 静かながらも鋭い気迫をもって投げかけた生瀬孝也の疑問符は、保羽リコの頬を引っ叩いて目を覚まさせるには十分な力を持っていた。


「……そうね。あたしが馬鹿だった」


 保羽リコは自らを省みて強く恥じた。


 いかにド変人で血も涙もない生瀬孝也とはいえ、妹の生瀬さんとは血がつながっている。幼少よりずっと、同じ食卓を囲んで育ってきているのだ。


 もし森田君を同じように売れと言われれば、どうか? 保羽リコの答えは決まっている。年月を経て培われた兄姉としての情は、容易くどうにか出来るものではない。


 そのことは、保羽リコが何よりもよく知っていた。

 生瀬孝也がいつにない鋭い気迫をもって応じたのも、当たり前のことだ。妹を売れー―保羽リコは自分の吐いた言葉の汚さに、胸がざわついてしまった。


「あなたの言う通りだわ。どんな鬼畜生だろうと、大切な妹を売れる訳が――」

「よかろう、売った!!」


 生瀬孝也の声は威勢が良く、保羽リコは調理台に頭をぶつけた。


「ちょ、……いや……ま、こっちから持ちかけといてなんだけど……あんたさぁ……」

「そんな顔をされては困る」


 やれやれと、涼しい顔で生瀬孝也は首をふった。


「なに、これは別にエリに対する裏切りではないよ」

「……? どゆこと?」

「僕は常に、僕の料理をより理解しようとしてくれる者の味方なだけさ。そしてそれは、エリも良く知る公然の事実。常日頃から僕はそう言っているし、誰一人欺いてなどいない。つまり、さっきの条件を引き受けたところで、何一つ恥じる必要などないんだよ」


 そう言って生瀬孝也は堂々と胸を張った。


 まったく清々しい奴である。

 司法試験を通れば、将来さぞ名のある悪徳弁護士になれるだろう。


 保羽リコは目をぱちくりとさせ、生瀬孝也をしばし眺めた。


 こんなのが本当に大天使にして聖母であるあの生瀬さんの血を分けた兄なのかと、保羽リコはやや疑ってしまった。人の皮を被ったこんなケダモノのロープを解いて、はたして良いものかどうか迷ったが、保羽リコは生瀬孝也を解き放った。




     16



 解き放たれた以上、生瀬孝也は容赦しなかった。

 帰宅するなりすぐさま準備に取り掛かる。


 すると妹が生徒会の忘年会から帰ってきて、自室で生真面目に冬休みの宿題を始めた。生瀬孝也は準備を整えるなり、妹の部屋をノックした。


「はい、どうぞ」


 ノックの返事を受け、生瀬孝也は妹の部屋のドアを開けた。


「エリ、ケーキを食べないかい?」

「……に、兄さんの?」

「ほら、これみて」


 引きつった顔の妹に、生瀬孝也は手元の箱を見せた。

 妹が贔屓にしている洋菓子屋さんのマークがついた箱だ。


 そのマークを見た途端、妹の目の色が変わった。

 勉強机からぱっと離れ、近づいてくる。

 予想通り、とてもよい食いつきだった。


「わぁ、これ、警察署近くのっ。今日は混んでたんじゃない?」

「少しね。駅前の本店じゃなく、支店に行って正解だったよ」

「ありがとう、兄さん。買って来てくれて」

「ふふっ。帰ってくるなり、冬休みの宿題を始めたんだろう? 甘いものが欲しくなるんじゃないかと思ってね。エリの事だから料理部の手伝い優先で、生徒会の忘年会ではあまり食べて居なかったんだろう? 少し遅いけど、三時のおやつとして、どうかな?」


 生瀬孝也がそう言うと、妹は手を叩いて無邪気に喜んだ。


「ありがとう、兄さん」

「それじゃ、ひと段落したら下へ降りておいで。用意しておくから」

「ううん。今行くよ」


 そう言って妹は勉強机のノートや筆記用具を片付けた。

 よほど食べたいらしい。


 リビングでは母に、先にケーキを食べてさせておいた。

 母が食べているケーキは、件の洋菓子屋さんで買って来た本物だ。


 妹がやってきてその光景をみれば、必ず安心する。生瀬孝也の今までの所業など忘れ、大好きな洋菓子屋さんのケーキを食べることで頭が一杯になるだろう。


 生瀬孝也のしたたかな打算は、見事に現実となる。


「ああ、お母さんずるい。先に食べてる」

「ごめんね、エリ。でもまぁ、不安なら毒見してくれ、って孝也が言うから……」


 他愛もない親子の会話だ。


 わずかに残っていた警戒心が妹から無くなった事に、生瀬孝也は確信を持った。箱からお皿にケーキを移す手が、嬉しさで震え出しそうになるのを堪えねばならなかった。


「エリ、どれが食べたい?」

「私はこれ。チョコのやつ。……ふふっ、今日もケーキっ、明日もケーキっ、サンタは一日、ケーキは二日っ、ケーキさんはサンタさん♪」


 変な歌を無邪気に歌いながら、妹は軽い足取りで紅茶を入れに行った。


「兄さんも紅茶飲むよね?」

「うん。ついでに頼むよ」


 妹の選んだケーキは、洋菓子屋さんで売られている品物と、まったく同じ。

 そう、見た目は。


 妹のピースケーキの食べ方を、生瀬孝也は熟知していた。


 ケーキの尖った方からフォークで小さく切り出して食べていく。お気に入りのケーキを必ず、妹はそうやって食べる。そうして妹が五割ほど食べた時に、生瀬孝也が仕込んだ珠玉の食材が『顔』をみせるように、腕によりをかけて作ったのだ。


 見た目はケーキフィルムからチョコ細工に至るまで、味は香りと甘さから舌触りまで、ちょっとやそっとでは見分けがつかないクオリティ。

 生瀬孝也の持てるすべてを注ぎ込んで模倣した、渾身の一品なのだ。


「さあ、どうぞ召し上がれ」

「うん。いただきます」


 妹は嬉しそうにそう言って、目論見通り、ピースケーキの先端にフォークを当てた。

 すべて思い通り。

 狙った獲物は逃さない。


 生瀬孝也は微笑んだ。






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