第二十話
27
森田君が山下に追っ手の撃退を頼んでから、道のりは順調だった。
(山下、生瀬さん、厳島先生、副会長、ありがとう……)
森田君はそう思わずにはいられない。
多くの者の助力があるからこそ、森田君はこうして山へと向かえている。
バス停で風紀委員に捕まる事は無かった。これで風紀委員の追撃は完全に振り切ったはずだと森田君は思った。スタートこそ慌ただしかったが、事はつつがなく進行している。
体力も十分残っている。
トレーニングの成果だろう。
トランクケースの状態も万全だ。
空気穴も増やした。車輪にも何一つ不具合はない。
各種道具もそろっている。
(悪くない調子だ)
森田君は冷静にそう判断した。
しかしバスを降りて山の車道を登り始めると、森田君は立ち止まらねばならなかった。
行く手に立ちふさがる二つの影があったのだ。
保羽リコと、生瀬さんだった。
生瀬さんは保羽リコの付き添いなのだろう。
公証人のように敵意が感じられない。
だが、保羽リコの目には正義の炎が燃えていた。
森田君の間違いを正そうとするかの如く、保羽リコには不退転の決意が感じられた。
「り、リコ姉ぇ………」
森田君はそう呟き、保羽リコと対峙した。
生瀬さんが情報を漏らしたとは、森田君は考えなかった。
ヨロズ先輩をトランクケースに詰めてどこかに埋めようとしている事は悟られても、どこに埋めるかまで、生瀬さんには知りようがないはずだ。
こうして待ち伏せをしてきたのは、保羽リコの実力なのだろう。
森田君は甘く見ていたと口元を引き締めると、保羽リコがうっすらと笑みを浮かべた。
「どうしたの、清太? ずいぶん驚いているようだけれど。まさか風紀委員会を振り切った、とでも? 天下御免の風紀委員長を見損なってもらっては困るわねぇ」
「ど、どうしてここが……?」
「あなたたちが山中で何かしようとしているのなら、山林の所有者に許可を得ようとすると考えたのよ。兄さんの目撃情報を鑑みて、目星をつけた所有者に電話すれば一発だったわ。この山の地権者に電話一本すれば、銀野家とは昵懇の間柄だというし。目的地が分かれば、あとはこうしてタクシーを使って先回りすれば済む話だもの」
あなたたちの行動なんて風紀委員会の前では無駄なあがきよ。おバカさんね、ふふふふ――とでも言いたげに保羽リコは口の端をあげた。
最後の最後に立ちふさがる障壁に相応しい、強敵の雰囲気を醸し出している。
だが、森田君は引っかかった。
「……え、じゃ、じゃあさ、リコ姉ぇ。ここに最初から、風紀の人たちを配置しておけば、追っ手を放つ必要もなかったんじゃ……? タクシー使うんだったら、スマホで連絡入れれば、もっと大勢の人員を連れて余裕で先回りだって出来るのに………」
「…………………………………………」
森田君の冷静なツッコミに対して、保羽リコはぴたりと動きを止めたまま虚空を見た。
どうやら盲点だったらしい。
保羽リコが香苗に相談していれば、確実に森田君の目的は潰えていたことだろう。だが保羽リコのポンコツっぷりが、森田君に思わぬ活路を作り出してくれたようだ。
「り、リコ姉ぇ……」
「そんな残念な人を見る目をするなぁ!!」
「ものすんごいドヤ顔してたのに……」
森田君が頬をポリポリと掻くと、保羽リコは虚空を鋭く手で薙いだ。
「あれよ、あれっ。二重三重に封鎖線を作るのは、風紀の常道なの! すべてはあたしの計画通りだったの!! うはっ、うははははっ!」
「取り繕うための早口は逆効果だと思うよ」
「だまらっしゃいっ。さぁ! そのトランクケースの中を改めさせてもらうわよ!」
鋭く指をさす保羽リコの目を見つめ、森田君は悠然と頷いた。
森田君もいろいろと潜り抜けてきたのだ。警察屋さんに山中で呼び止められたり、生瀬さんに背後から不意打ちを食らったり、保羽リコにトランクケースを怪しまれたり、校舎裏で生瀬さんに土下座したり、クラスメイトにド変人と認定されたり。
その経験のすべてが、この場で森田君の度胸を支えていた。
「わかった。じゃあ、令状を見せて」
「…………へ?」
ぽかんとする保羽リコへと、森田君は冷静に言葉を紡いだ。
「風紀委員としての職務でリコ姉ぇがここに居るのなら、当然、学校の規則にしたがってもらわないとね。日戸梅高校では風紀委員の職務執行に、司法機関である教職員があたえる捜索差押許可証が必要なはずだよ。それがない限り、法的な強制力はない。このトランクケースは私物だし、ここは学校の敷地内じゃない」
「なっ!?」
保羽リコは面食らい、言葉に詰まった。
そんな保羽リコへ畳みかけるように、森田君は一歩踏み込んだ。
「なにか反論があるかな?」
森田君は保羽リコの目を射抜くように見つめ、そう問うた。
保羽リコはアホの子であっても、補佐の香苗は切れる女だ。それがこのように詰めの甘い包囲しか築けないという事は、森田君側の動きは不測の事態だったのだろう。つまり、このドタバタの最中に教職員が発行する令状など持っているとは考えにくい。
という森田君の読みは鋭かった。
「うにゅ、うぐ、ぬぐぐっ……!!」
保羽リコは歯ぎしりし、地団駄を踏んでいる。
「せ、清太っ!! いい加減にしなさい! お姉ちゃんのいう事が聞けないの!?」
「聞けない!!」
「みゃっ!?」
森田君の鋭い返答に、保羽リコは奇妙な声を上げた。
そんな保羽リコへと、森田君はさらに一歩踏み込んだ。
「他人から馬鹿にされるような小さな事でも、そうと決めたら全力でやれ――ボクにそう教えたのは、リコ姉ぇじゃないかっ!!」
「そりゃま、そ、そうだけどっ………」
「山の地権者に使用許可だってもらってる。そりゃ、不健全とは言わないまでも健全とは言い難い事かもしれない。でも校則や法律に反する事ではギリギリ無いし、リコ姉ぇが風紀委員会を動かしてまでどうこうするような案件じゃないはずだ」
森田君が立て続けにそう言うと、保羽リコは首を激しく振った。
「清太っ、あなたは銀野ヨロズに良いように使われているだけよ! 目を覚ましなさい!」
「だったら何!?」
「ぴゃっ?」
「好きな人の為にがんばって、何が悪いんだよっ!?」
「……っ!」
森田君の剣幕に、保羽リコはたじろいでいた。
「ボクだって訳分かってないよっ。もう、ほんとっ……意味分からなくて、なにがなんだか分からなくてっ!! でも仕方ないじゃないか! 先輩にお願いされたのなら、ボクを信じて頼んでくれたのなら、ボクはそれに応えて見せるっ。全力で!!」
「あう、いう、えう……」
「職権乱用で他人の事をこそこそ嗅ぎまわるなんて、見損なったよリコ姉ぇ!!」
森田君の激しい口調に、保羽リコはぐらついた。突風に突き押されたようによろめき、三歩ほど後ずさると、保羽リコは情けなくへたりこむ。
「わ、わたしだって……こんな事したくないわよぉっ……でも仕方ないじゃないっ。清太が変な事に巻き込まれてるかもって、もう居ても立っても居られなくなって……」
森田君の意思は動かしがたいという現実に、保羽リコは目を潤ませた。そして恥も外聞もなく、幼児のようにわんわんと泣き出した。
保羽リコの元に駆け寄った生瀬さんに、森田君は会釈した。
「あの、生瀬さん。何度もごめんなさい。リコ姉ぇの事、お願いします。一度こうなっちゃうと、立ち直るのに時間がかかるので……」
「はい。リコ先輩には私がついてます」
生瀬さんの返答に、森田君は頭を下げた。
生瀬さんには感謝してもしきれない。
たくさん嘘をついてきた上に、風紀の追撃を阻止するためとはいえ、保羽リコにきつい事を言ってしまった事も、森田君にとっては胸を締め付けられる思いだった。
けれど、もう迷わない。
難関を突破して、森田君は坂を進んだ。
息は荒い。けれど身体は問題なく動いた。へばる事無く目的の中腹までやってきて、森田君は雑木林の合間に穴を掘る場所をさがした。あらかじめ目星はつけていた。
「これから穴を掘ります」
森田君はそう告げた。
「…………」
ヨロズ先輩は黙ったままだった。死体という設定なのだから当然だろう。ちらりと森田君は横目で見たが、ヨロズ先輩の方も森田君から顔を逸らしたい様だった。
恥ずかしくはあったが、森田君はもう足や声が震えたりはしなかった。
やるべきことやるだけだ。
ヨロズ先輩が望むことを、叶えて見せるのみだ。
森田君は、柔らかそうな土の場所を掘り返してゆく。穴掘り同好会で教えてもらったシャベルは、とても使い心地がよかった。細い木の根なら難なく切る事ができた。
幸い、粘土質や石にぶつかる事もない。
森田君はまず、浅い横穴を掘った。
暮れの鳥の音、木立の葉が擦れる音の中で、土を掘り返すシャベルの音が響く。一定のリズムで、練習通り、森田君は地面を掘り続けた。
横穴を綺麗に掘り下げていく事、十数分。
ヨロズ先輩を埋めるには充分な深さになる。
森田君はヨロズ先輩を力強く担ぎ上げ、穴へと横たえた。そして近くから太い枝を数本とってきて、横たわるヨロズ先輩の上に敷く。ヨロズ先輩を埋める時も、生瀬さんに手伝ってもらった経験が生きた。この枝があれば、掘り起こすときにシャベルで傷つける心配がない。
ヨロズ先輩に呼吸用のホースを咥えてもらい、準備は万端だ。
ヨロズ先輩が肌着姿のままだと、さすがに目のやり場に困るので、森田君はコートを脱いで着せておいた。しかしコートの合間から見える肌が、かえって色っぽくなってしまい、森田君は煩悩を振り払うようにシャベルを動かして土をかけた。
森田君の身体は火照り、上着を木にひっかける。
森田君はヨロズ先輩を埋めてから、四分ほどして掘り返し始めた。
一度掘った土は、柔らかい。
ヨロズ先輩を傷つけないよう、森田君が慎重にシャベルで掘り進んでいくと、すぐにヨロズ先輩の身体の位置を知らせる、木の太い枝の感触がシャベル越しに伝わった。
土をのけていくと、地中からヨロズ先輩の顔が見える。
森田君はヨロズ先輩に手を貸し、その体を引き起こした。
「ずいぶん……長かったのね」
体中の土や落ち葉、木の根を払いながらヨロズ先輩はそう言った。森田君もヨロズ先輩の身体から土を払い落とすのを手伝いつつ、自らの時計に目を落として確認した。
「きっかり五分。時間通りですよ、先輩」
森田君がそう教えると、ヨロズ先輩は意外そうな顔をした。
「そうなの? 十分以上は経っていたのかと……」
「土の下だと長く感じますから」
森田君は経験者として、穏やかにそう語った。
森田君の汗を冷たい風が拭い去っていく。雑木林は森田君の赤い想いを隠せるほどの朱に彩られ、引き伸ばされた二つの影を際立たせていた。
非日常はこれで終わり。
これで、すべてが終わった。
ヨロズ先輩の望みを森田君は叶えたのだ。
明日からは、また生徒会長とその書記、それだけの関係になるだろう。森田君はそれで構わなかった。ヨロズ先輩の幸せこそが、自分の幸せだと気づいたのだから。
ヨロズ先輩に利用されただけだとしても、構わない。
それでいい。
森田君はそれで文句はなかった。
「あの、先輩。この事は誰にも言いませんから。安心してください。先輩の気持ちは分かっていますから。無理にボクとの約束を果たしてもらわなくても、構いません」
「……森田君、何を言っているの?」
「先輩、言ってたじゃないですか。あの男の人のために、埋めて欲しいってボクにお願いしたんだって。先輩はあの人の事が……好きなんでしょう?」
森田君がそう尋ねると、ヨロズ先輩は無慈悲に頷いた。
「ええ、大好きよ」
「…………」
「だって父親ですもの」
変化の少ない表情で、あっけらかんとヨロズ先輩はそう言った。
あまりと言えばあまりな発言に、嘘か真か判別がつかず、森田君は目を瞬かせた。
以前、森田君が見かけた、ヨロズ先輩が路上で極めて親しそうにしていたあの男性は、どう見ても二十代だったのだ。だがヨロズ先輩の父親という事は、三十代以上でなければ辻褄があわない。森田君はいろいろと考えた結果、一つの結論を導き出した。
「……………………義理の、ですか?」
「血縁よ。私が生まれてくるまでに何か間違いが起こっていなければ」
ヨロズ先輩は静かな口調でそう答えた。
森田君はにわかには信じられない。
「いや、お父さんって……いくらなんでも若すぎますよ」
森田君がそう指摘すると、ヨロズ先輩は同意するように頷いた。
「そうね、あれで四十七歳には見えないわよね」
「四十七!?」
森田君があんぐりと口を開けると、ヨロズ先輩も顎に指を当てて不思議がっている。ヨロズ先輩にとっても謎らしい。
「ほんとうに奇妙な事なのだけれど、父は年々若返っているのよ。隠れて手術でもしているのかしら? そんな暇は無いはずなのだけれど」
小首をかしげるヨロズ先輩を見るかぎり、嘘をついているとは思えない。
心底疑問に思っている仕草だ。
呆気に取られている森田君へと、ヨロズ先輩は申し訳なさそうな目を向けてきた。
「誤解される前に言うべきだったわね。父は漫画家で、私は資料集めを手伝ったりしているのよ。これもその一環。なるべく秘密にしたくて。……その、さすがに穴に埋まるなんて、こういう事まで自分でやって、実践的に資料集めをしているとは、父は思っていないから。私がここまでやっていると知ったら、きっとやめろと言うでしょうし」
「で、でしょうね……」
森田君は辛くも頷いた。
なんだか心にわだかまっていたものが、ほろほろと崩れていく。嬉しいのか脱力しているのか、それともホッとしているのか、森田君は良く分からなかった。
そんな森田君の様子を見て取ったのか、ヨロズ先輩が首を傾げた。
「もしかして、森田君が朝からずっと暗い顔だったのは、それが理由だったの?」
ヨロズ先輩が綺麗な眼差しと共に、そう森田君に尋ねてくる。
ありのまま答えるしかなく、森田君はこくりと頷いた。
「……はい。だって、先輩のお父さん、すごくカッコよかったし、先輩の表情も……」
「でも、並んで歩いている所を見ただけでしょう?」
「え、ええ」
森田君が躊躇いがちに頷くと、ヨロズ先輩は眉根を寄せた。
「たったそれだけで、私が不誠実な事をする女だと思ったの?」
「いえっ、その…………あの、あぅ……ごめんなさい」
森田君は言い逃れするのも嫌で、おとなしく頭を下げた。
そんな森田君を面白がってか、ヨロズ先輩は口元に手を当てている。
「ふふふっ。そそっかしい所も、保羽さんに少し似ているのね」
ヨロズ先輩は優しく微笑んでいた。
「でも、先輩。そんな秘密にしたいことを、どうしてボクに頼んだんですか?」
ふと疑問に思って森田君がそう聞くと、ヨロズ先輩は顎に指を当てた。
「この学校ね、どういうわけか、変な部活動が一杯あって。エクストリームクッキング部だとか、テロ対策研究部だとか、イエロージャーナリスト部とも言われる第二新聞部だとか……なかなか悩みの種が尽きないのよ。風紀委員会は本当によくやってくれている。追われてしまう立場になると、良く分かるわ。でしょう?」
「はい」
森田君が頷くと、ヨロズ先輩は言葉を続けた。
「保羽さんはおっちょこちょいで自分の感情に真っすぐ――と言えば聞こえは良いけれど要するに精神年齢が小学校低学年で止まっていて、こうと決めたら恥じや外聞というものをほとんど気にせずに職権乱用やプライバシー侵害も辞さない頭がアレな人で、あけっぴろげで自分の醜い感情とか一切隠したりしないおかげで無駄に敵をバンバン作っては自分の首を締めて、おまけに出口戦略一つ考えられない失敗の仕方がド下手なポンコツで、結局最期は玉砕覚悟でよく突っ走ってしてしまう人だけれど――――」
「あらん限りの罵倒ですね……」
確かにその通りではあるが……と森田君はつぶやいた。
そんな森田君のつぶやきなど聞こえていないのか、ヨロズ先輩は虚空を見て続けた。
「どんな事でも全力でやる。一度決めたらやり抜こうとする。そんな人が弟のように育ててきた、っていつも自慢している森田君なら、きっと信頼出来ると思ったのよ。森田君は書記としての働きぶりも丁寧で正確だから。副会長も影で褒めているのよ」
「…………」
「時々思うの。保羽さんみたいに居られたらなぁって……」
ヨロズ先輩が羨むようにそう言った。
仲が悪いようでいて、ある一点では、とても認め合っているのかもしれない。生徒会長と風紀委員長の複雑な関係を、森田君は垣間見た気がした。
森田君は姿勢を正して、口元を引き締めた。
「自分って何なのか、ボクは良くわかりません。もともと大して分かっていなかったんですけど、最近ますます分からなくなってきているというか……それで、その。クールな先輩も、ちょっとオッチョコチョイな先輩も、訳が分からない事をする先輩も、誰かのために変な事をしようとする先輩も、全部ひっくるめて先輩だと思うし……素敵だなってボクは思います」
森田君は切々と語った。
この数週間で新しく見えてきたヨロズ先輩に対する率直な思いだった。
森田君の眼差しはヨロズ先輩を捉えて離さなかった。
「…………」
ヨロズ先輩も無言ながら、森田君から目を離そうとはしていない。
二人は見つめあった。
ヨロズ先輩がくしゃみをするまでの、ほんのわずかな時間であったが。
「先輩、冷えますから、どうぞ」
森田君が慌てて上着を取り、ヨロズ先輩に着せた。森田君は、ほっとしたような残念だったような、つかみどころのない気持ちに体が熱くなった。
森田君が見る限り、ヨロズ先輩も同じだったらしい。
「…………そ、そう」
冷静な声を出しながら、ヨロズ先輩は髪を払う自然な動作をはさみ、森田君から顔をそむけていた。ヨロズ先輩は表情を見られたくないようだった。
ヨロズ先輩は火照っているのか、それとも寒さのせいか、髪からのぞく耳が赤い。
「森田君のそういう所って、時々ずるいと思う」
ヨロズ先輩の呟くような一言を、森田君は聞き返す。
「……え?」
「さっき、保羽さんとやりあった時の言葉とか……ああいうのは、ずるいわ……」
いつものヨロズ先輩のきっぱりとした口調は鳴りを潜め、口をもごもごとさせている。夕日や寒さのせいにしては、ヨロズ先輩の頬は赤過ぎた。
森田君は言葉を失くしてしまう。
坂道での保羽リコとのやり取りをすべて聞かれていた事にやっと気づき、ヨロズ先輩を面と向かって見る事が森田君はできなくなった。
あまりに恥ずかしすぎる。
自分の本心を全部聞かれてしまっていたなんてと、顔を真っ赤にして森田君が視線を落ち葉へとさ迷わせていると、ヨロズ先輩が小さく咳払いした。
「それで……森田君の想いは良く伝わったわ。だから……」
少したどたどしくヨロズ先輩はそう言って、頭を下げた。
「だから……よ、よろしくお願いします」
それは何に対しての、「よろしく」なのか。
森田君は一拍ほど理解できず、ぽかんと口を開いてしまった。
「……へ?」
目を瞬かせる森田君を、ヨロズ先輩は顔を上げて真っ直ぐに見た。ヨロズ先輩のその表情には、恥じらいの入り混じった艶めかしさのようなものがある。
「約束したでしょう? その……お付き合いをする、と……」
「あ、は、はいっ。こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
ヨロズ先輩につられる様に、森田君はぺこりとお辞儀した。
色恋にしては、微笑ましいほど堅苦しいやり取りだった。
「でも本当にいいの? 森田君」
ヨロズ先輩に念を押され、森田君は首を傾げた。
「なにがですか?」
森田君がそう聞くと、ヨロズ先輩は言いよどんでから口を開いた。
「……わたし、少し変な女よ?」
「す、少し……?」
自覚があるのだか無いのだか、と森田君は面食らう。
そんな森田君の様子を知ってか知らずか、ヨロズ先輩は慮るように言葉を続けた。
「これからも、変わったお願いを沢山してしまうと思う」
「構いません。ボクに受け止めきれる限り、受け止めます」
森田君は力強い眼差しで、はっきりとそう言った。
するとヨロズ先輩が表情を緩ませた。
「ありがとう、森田君。なら、次はコンクリートに詰めて湖に沈めて欲しいわ」
「………………」
はにかみながら嬉しそうにそう言われ、森田君はへなへなと崩れ落ちた。
一難去ってまた一難。
これもまた愛の形の一つなのかと考えると、好きになると言う事は、これほど人に近しい事柄でありながら、人知の及ぶ物事では無いのかもしれない。
第一巻 END




