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愛しの彼女を埋めました。  作者: 喜多川 信
第一巻
15/101

第十五話




     18



「怪しい。怪しすぎるっ……」


 保羽リコは椅子に腰かけ、香苗にそう言った。

 月曜日の昼休みだ。


 風紀委員会室のブラインド越しに声が聞こえている。運動場で遊ぶ生徒たちや、部活の練習に励む声だ。明るいその声とは真逆の雰囲気を、保羽リコは漂わせていた。


「銀野ヨロズと清太は、絶対におかしい。何かを隠してるっ」


 保羽リコは机をどんっと叩いた。


「この前も清太の家に、銀野ヨロズが訪ねてきてた……」

「そりゃまぁ、不自然ってほどじゃないでしょ。あの二人、生徒会役員同士だし」


 香苗は興味なさそうに、事務仕事で机に目を落としたまま答えた。


「銀野ヨロズは私に用があったのよ? ご飯食べて仲直りしましょう、って」

「……へぇ。で、したの? 仲直り」

「まさか」


 保羽リコが首を横に振ると、香苗は「だろうね」という目をした。中学の時から保羽リコとヨロズ先輩は馬が合わず、お世辞にも仲が良くない。


 保羽リコはさらに続けた。


「それに、生瀬も清太の家にいて……」

「生瀬ちゃんが?」

「なんか……今にして思えば、様子が、変だったような気がするし……」


 保羽リコは休日の一件を思い出しながら言った。

 書類に目を落としていた香苗が、机から目を上げた。


「んー、でもまぁ、確証がある訳じゃないしね。風紀の子たちを動かすのも、ねぇ。相手が相手だけに、慎重に行かないとヤバいわよ」


 欠伸を噛み殺しながら、のほほんと香苗が続けた。


「風紀委員たちを使って動いたとなったら、下手すりゃあんた、生徒会長に濡れ衣着せたって事になって首が飛ぶのよ? いままでのキャリア、全部おしゃかよ? あんたが一人でアホ言ってるのとは、わけが違うんだから、さ」


 香苗に念を押されても、保羽リコは怯まなかった。


「そのくらいの覚悟、いつでもしてるわよ」

「そもそも私らの管轄って、校内と通学路でしょ? それ以外で風紀の子たちを動かして、何にもありませんでしたじゃ、それだけで責任問題になるし」


 香苗が手をひらひらとさせると、保羽リコは腕を組んで口元を引き締めた。


「活動範囲が狭すぎるのよ。取り締まれるモノも取り締まれなくなる」

「風紀の活動範囲の拡大に関しては、まだ生徒議会で審議中の案件でしょ? 私らは現行のルールに従って現行のルールを守らせるのが仕事よ」

「色々手はあるでしょ。競技自転車部が練習に使う範囲は広大よ。部活動の行動範囲なら風紀の管轄内とねじ込む事もできる」


 保羽リコがそう言うと、香苗は思い悩む顔をした。


「できるにはできるけど、グレーゾーンよ。どちらにしろ、危ない橋を渡る事になるし、動かせる人員は限られて来る」

「びびってんの? 香苗」


 保羽リコの軽い挑発に、香苗は余裕の表情で頷いた。


「飼い犬が飼い主に噛みつこうってんだから、そりゃ慎重にもなるでしょうよ。噛み方をミスったら、こっちはもれなく狂犬病認定をくらって、保健所行きになんのよ?」


 香苗の言葉には一理あった。

 それはそうだけど、と保羽リコは何度も頷いた。


 日戸梅高校は三権分立だ。

 教職員などが司法機関であり、各クラス委員長や部活動の長によって開かれる議会が立法機関、そして行政機関であるのが生徒会長を頂点とした生徒会だ。


 風紀委員会は生徒会の傘下にある。

 副会長や会計・書記などと同じく、風紀委員長の任命・罷免権も生徒会長にある。


 しかし、日戸梅高校には奇人・変人が多く、暴走する変態どもや部活などが後を絶たず、風紀委員会の取り締まりが無ければ様々な問題に対処できない。そのため、風紀委員会は生徒会傘下の委員会の中では独特の力をもっている。


 風紀委員会には、特別に専用部屋まで与えられているのだ。

 日戸梅高校の治安が乱れた場合、風紀委員長の任命責任者である生徒会長の失策と見なされてしまう。そのため風紀委員長は代々、風紀委員会の実力者から選ばれるという暗黙のルールまで出来ているほどだ。


 風紀委員会は生徒会長の意のまま、という存在ではない。風紀委員会によって失脚した生徒会役員、クラス委員長や部長は少なくないのだ。


 保羽リコは組んだ腕をほどき、顎に指を当てた。


「風紀としての勘がびんびん反応してるのよ。なにかそう、とてつもない事が地下で進行しているような……日戸梅高校を揺るがすような大事件の匂いが……このまま捨てておけば、清太がとんでもないことになってしまうような、そういう感じがするの」


 大仰な保羽リコの物言いに、しかし香苗は笑わなかった。


「んー、まあ、あんたそういう嗅覚だけは人一倍だもんね。それで風紀委員長になったようなもんだし。厄介な人間の思考は同じような人間の方が読みやすい、みたいな?」

「褒め言葉と受け取っておくわ」

「どうやってそう受け取ってくれたのかは分からないけど、どういたしまして」


 香苗の皮肉が聞こえていないほど、保羽リコは考え事をしつつ、机の上に唸りながら突っ伏していた。無い知恵をひねっても、結局、ないものはない。

 昼休みが終わる直前にがばっと跳ね起き、ふっきれたように保羽リコは言った。


「グダグダ策を弄するより、やっぱり、清太に直接ぶつかった方がいい」


 それが保羽リコの結論だった。

 実行に移すには、放課後まで少々待たねばならなかったが。




     19



「森田、少しいいか?」


 廊下で呼び止められ、森田君は立ち止まった。


 呼び止めた背の高い二年生が、近くの空き教室に来るよう身振りをした。人目を避けたいらしい。森田君は隣にいた友人に「先に行っていて」と頼み、二年生の後に続いた。

 見知った顔だった。


「……副会長、なんでしょうか?」


 森田君はそう尋ねた。


「この前の議事録ならいつものフォルダに……なにか、不備でもありましたか?」


 森田君が首を傾げると、副会長は小さく手を挙げて制した。


「いや、生徒会の仕事の事ではない」


 つるを掴んで眼鏡を直しつつ、副会長は一つ咳ばらいをした。いつもの単刀直入に必要な事を淡々と伝えていく、副会長の様子とは違う。


 なにか言い出しにくい事があるらしい、と森田君は気付いて問いかけた。


「では、なんの?」

「……最近、変な噂を耳にしてな」


 副会長は唸るように言った。

 何のことか分からず、森田君は目をしばたかせた。


「うわさ、ですか?」

「まあ、うわさと言うか評判と言うか」


 いつになく歯切れの悪い副会長に、森田君は首を傾げた。

 そんな森田君を慮るように、副会長は口を手で覆いながら続けた。


「この高校では良くあるゴシップの類だと、信じたいんだが……。なんでも、キミが女生徒とみれば見境なくアタックする軽薄恋愛ビーストで、しかも地面を舐めながら土下座することに無上の喜びを感じている変質者、という風評なんだが……」


 森田君はずっこけた。廊下の柱に肩をぶつけてしまう。

 森田君は柱に手をついて姿勢を戻すと、副会長へと身振り手振りを交えて訴えた。


「ち、ちがいますっ、恋愛ビーストではないです!」

「ん? 土下座うんぬんの部分は否定しないのか……?」

「少なくとも地面をなめる趣味はありませんっ」

「無上の喜びを感じている、という事は?」

「…………あの、副会長……ボク、自分ではかなり真面目に書記の仕事をしてきたつもりなんですけど………そんなに信用ありませんか……?」

「あ、いや、そのっ、別段深い意味はないっ」


 少し涙ぐみながら言った森田君に、副会長もわたわたとフォローを入れた。


「ただキミは風紀の保羽リコと親戚づきあいをしていると聞くし、あの暴走機関車――ではなくて、少々張り切りすぎる風紀委員長が弟の様に育ててきたと吹聴しているものだから、ひょっとするとと……。いや、その、つまりだな……気にするな」


 副会長は手を小さく振り、森田君へと頭を下げた。


「くだらないことを聞いてすまなかった、森田。私が間違っていた」


 改まって副会長に謝罪され、森田君は焦った。


「いえ、その。ボクも疑わしい真似をしてしまって、身から出た錆の部分もあるので」

「……ん。まあ、ともかくだ。あまりに奇妙な風聞が出回っているものだから、心配になってしまってな。生徒会の一員である以上、問題は少なければ少ないほど良い」


 そう言う副会長の目には、森田君を案じる優しさがあった。

 副会長は面倒見がよい。無駄口を叩かず、堅物で厳しいと思われがちだが、実際は違う。生徒会長であるヨロズ先輩の足りない部分を補う、人の機微に通じた男子生徒なのだ。


 森田君は襟元を正した。


「それはその、不徳の致すところです」

「やはり銀野会長のように、生徒の範として在ることが生徒会役員には求められる」

「…………で、ですよねぇ………」


 元をたどればそのヨロズ先輩のおかげで、こんな風聞が出回ることになったんですけど。という言葉を飲み込んで、森田君は頭を下げた。


「以後、気を付けます」


 森田君は心底そう思った。

 やや放任傾向にある副会長がわざわざその用件で声をかけて来るとは、それだけ、噂が見過ごせないほど流れているという事なのだろう。


(まずいな……)


 森田君のその予感通り、放課後の帰り際、保羽リコにつかまった。


 土曜日の外食を経ても、森田君には、ヨロズ先輩と保羽リコの関係は改善しているようには思えなかった。保羽リコは風紀委員会を動かしては居ないようだが、その準備には入っている事だろう。保羽リコ個人が、森田君自身や周辺に探りを入れている事は知っていた。


 今日の保羽リコはしつこかった。


「ねぇ、清太。正直に言って」

「言えない事の一つや二つさえ、ボクは持っていちゃいけないの?」

「そういうわけじゃない。ただ心配なの」

「…………」

「なんだか最近、清太の様子が変だし。学校では、訳の分からない噂が立ってるし」


 保羽リコにそう言われ、森田君はため息をついた。


「噂は噂だよ」

「火の無い所に煙は立たないわよ」

「放火魔が同じことを言っても、リコ姉ぇは信じるの?」


 むっとした森田君に、保羽リコも目を細めた。

 このままだと喧嘩になる――森田君は経験で感じ取り、目を逸らす。


 そんな森田君へと、保羽リコは「考えがある」とばかりに顔を強張らせた。


「わかった。ならそこら辺の事、どう思っているのか銀野ヨロズに聞いてみる。自分の部下がこんな風にあらぬ噂たれ流されてて、風紀に一言二言くらい取締りの要請でもすればどうかって。まだ帰ったばかりだから、急げば追い付くわね」


 保羽リコはそう言うなり、歩き出す。


「リコ姉ぇ、余計な事しないで」


 森田君はそう呼びかけたが、保羽リコは黙殺して歩き出した。森田君は追いすがって、引き返すように説得しようとしたが無駄だった。仕方がない。ヨロズ先輩に上手い具合に言ってもらおうかと、森田君が諦めかけたその時、ヨロズ先輩の後姿が見えた。


 その時見たヨロズ先輩に、森田君は衝撃を受けて足を止めた。

 保羽リコでさえ、立ち止まってしまった。


 遠くの街角に、ヨロズ先輩が立っている。

 ヨロズ先輩は、男の人と楽しそうに二人並んで話をしていた。二十代前半くらいだろうか。学校では見せた事の無い顔で、ヨロズ先輩はその男性と親しげに接していた。腕を組んで連れ立って歩き、身を寄せ合っている。二人は、とても親密そうだ。


 モデルのような美しいヨロズ先輩に相応しい、身長の高いかっこいい男性だった。二人が並んで歩くだけで、さまになっている。森田君が見てすら、お似合いと思う二人組だった。


 なにより、男性を見るヨロズ先輩の、幸せそうな表情。

 森田君はヨロズ先輩のそんな顔を、一度だけ、見かけたことがある。


(ヨロズ先輩に兄弟は居ない……)


 森田君はヨロズ先輩と話しをする男性が、誰かと消去法を使った。

 親戚でもないだろう。海外に住んでいるはずだ。ヨロズ先輩自身から、森田君はそう聞いたことがある。つまり、あのヨロズ先輩と親しげに話す若い男性は――


 と、森田君は気付かざるを得なかった。


 森田君の耳から音が消えた。


 森田君がヨロズ先輩への想いを募らせたのは、中学一年の時からだった。

 ヨロズ先輩は中学でも生徒会長で、地元では有名人だった。


 容姿端麗でスポーツ万能、学業優秀。目立たないはずがない。芸能事務所のスカウトや雑誌の記者が学校へやってきて、ちょっとした問題になった事すらある。


 綺麗な人だな。

 絵画の向こう側の人みたいだ。


 森田君のその思いが『好き』に変わったのは、中学校の文化祭の時だった。校舎の片隅で、普段他の生徒には見せないような顔で、ヨロズ先輩は誰かと話し合っていた。

 友人か、親戚か。その話し相手が誰かは覚えていない。


 けれど、森田君が遠くから見た、ヨロズ先輩のその時の表情はくっきりと覚えている。

 ヨロズ先輩のその顔はとても幸せそうで、森田君は見惚れた。

 ヨロズ先輩のその幸せそうな顔を、自分にも向けてほしい。


 絵画を眺めるのではなく、中へ入りたい。近づきたい。

 森田君はそう思った。


 今ヨロズ先輩が見知らぬ男性に向ける顔は、その時の幸せそうな顔だったのだ。

 森田君は今まで疑問に感じていて、心の底で押さえつけていた謎が、すらすらと解けていくような気がした。いろんな「なぜ」に、得心がいってしまう。


『山中に穴を掘って埋めてほしい』

『埋めて、生きたまま掘り返してほしい』

『誰にも知られる事無く、ヒミツのままで』


 ヨロズ先輩がなぜそんなことを求めたのか。

 それは、誰のためにそんなことを求めていたのか。


 森田君はなぜだか、分かったような気がした。


 すべては今、ヨロズ先輩がああして、微笑みかけている男の人のためなのだろう。生徒会長としての地位や名誉をリスクにさらしてでも、ヨロズ先輩をそう動かすことのできる人。


(敵わない……)


 森田君は気付いた。

 森田君は、あんな幸せそうな顔をヨロズ先輩に、させてあげられない。


 あの男の人は、ヨロズ先輩に尽くされる人なのだ。

 森田君は、ヨロズ先輩に尽くす人でしかない。


(それが、ボクの、分際だ……)


 森田君は自覚した。


 遠い遠い、美しい絵画の向こう側の住人。それが銀野ヨロズ先輩なのだ。

 近づこうなどと考えてはいけなかった。

 遠くから眺めるだけでとどめておくべきだったのだ。


 そうしていれば、こうして胸に透明のナイフが突き刺さることもなければ、透明の刃を胸に刺したままかき回すこともなく、目に見えない血を流さずに済んだのに。


 森田君は朗らかな笑みを見せたまま、保羽リコの袖を引いた。


「リコ姉ぇ、帰ろう。よくないよ、先輩のプライベートを邪魔しちゃさ」

「……清太………」


 保羽リコは森田君の笑みへと、何と言葉をかけてよいのか、分からないようだった。

 朗らかな仕草で帰宅を促す森田君に、保羽リコは大人しく従った。





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