第十七章 死の砂漠を行く その2
死の砂漠。その名に違わぬ過酷な大地がここにはあった。
一滴の雨も降らぬこの平坦な砂漠には熱風が常に吹きつけ、地上のあらゆる生命を奪い去る。太陽を覆い隠す雲が現れることは無く、生命の痕跡さえも焼き尽くす。
ラクダでさえこんな場所には近付かないだろう。だが、俺たちの向かう先はこの彼方にある。
太陽の光を少しでも遮るため、俺とリーフはいっしょに大きな布をかぶっていた。テントにも使える薄手の布なのだが、こうでもしないと皮膚から煙が上がりそうなほどに太陽光が厳しいのだ。
あのアコーンでさえも首をいつも以上に揺らしながら、重そうな足取りでのろのろと歩いている。普通こんな場所を歩こうとするのは追放刑でも受けない限り機会さえ無いだろう。
そんな道標さえ何も無い猛暑の砂漠を、俺たちは一直線に突き進んでいた。リーフが「このまままっすぐ」とか「少しずれている、もう少し右に」とことあるごとに教えてくれるので、その通りにアコーンを歩かせているのだ。
アコーンに乗って旅をしている間、俺とリーフは常に取り留めも無い話をしながら歩き続けるのが常だった。だが、今に限ってはそんな余裕は無かった。あまりにも暑いので無駄口叩いて余計な体力を減らしたくない。
このままあと五日ほど歩き続けた先に、原初教典の収められた神殿は眠っているそうだ。それを知るのはリーフ、いや、リーフに預言を授ける神ゾアのみ。俺はその言葉をただ信じるしかない。
砂漠の夜は思った以上に冷え込む。昼間の熱波が嘘のように、肌寒い冷風へと変わるのだ。
大布を立てテント代わりにして夜風をしのぎ、俺とリーフは互いに身を寄せ合って横になった。
「なあオーカス、もし原初教典を見つけた後、どうするつもりだ?」
狭いテントで俺に抱き着くように寝ているリーフがぼそっと尋ねた。
「特に何も考えていない」
絶句するリーフ。俺はそっとリーフのおでこに手を置いた。
「クーヘンシュタットも領主がどうにかするみたいだし、俺の心残りと言えばリーフのことだけだ。だから俺はお前に従うぜ」
リーフは何も言わなかった。だが俺の手をすっと握り返すと、「ありがとう」とだけ言って眠りについた。
ふとテントの隙間から外を見ると、雲一つどころか地上の灯りさえ無いこの砂漠では、満天の星が祝祭日の蝋燭のように広大な夜空を彩っていた。こんなに美しい星空は初めてだ。
ちょうど良いタイミングで流れ星が横切り、一際輝きを放った直後に消えた。その姿に俺は一抹の不安を覚えたものの、やがて眠りに誘われたのだった。
二日目、三日目と時が過ぎた。日中ひたすらに歩き続けた俺たちは既にくたくたで、アコーンも辟易している。だが諦めるという選択肢は無い。ただ前進あるのみだ。
水と食料も随分軽くなった気がする。普段の旅なら街道沿いの町に立ち寄って補給もできるのでそうそう困ることは無かったが、この旅は勝手が違う。未踏の地への旅は探検家の仕事であって、本来商人の役割ではない。リーフのガイドが無ければ死の砂漠と聞いた時点で何もかも諦めていただろう。
無言で砂を踏みしめながら進み続け、ちょうど正午を回った頃だった。カチカチに焼き固めたパンを水筒の水を口に少し含みながら噛みしめていると、突如リーフがきょろきょろと辺りを見回したのだ。
「どうした?」
なかなか噛み砕けないパンをもぐもぐと咀嚼しながら、俺は振り返る。
「妙な気配がする。この世の者とは思えないような、何かがいる」
「まさか幽霊か?」
「いや、そういうのではない。もっとはっきりした実体があって……これは生き物だ」
「この三日間サソリの一匹すら見ていないんだぜ。そんな生き物なんているわけないだろ」
「待て……これは私たちの知るような生き物ではない。気を付けろ、来るぞ!」
「おいおい」
リーフが俺の背中を強くつかんだので、俺は水筒に蓋をし、齧りかけのパンを鞄に放り込んだ。
突如、目の前の足元が隆起した。砂が持ち上げられ、何かが地面の下から現れる。流水のように細かな砂が流れ落ち、砂粒が振り払われて姿を現したものは、この世の生き物とは思えなかった。
「な、何だこいつは?」
俺は剣を抜き、目の前のモノに突き立てた。現れたモノは金属をひっかいたような耳障りな鳴き声を上げている。
アコーンの三倍以上の体高のある獅子だ。その大きさは最早ゾウと言ってよい。
しかしそれだけではない。尻尾はサソリのような硬質の殻に覆われ、先端に鋭い棘が付いている。そして最も不気味なのは、顔が人間の男のものである点だ。白目を向いて牙も生えているが、まさしく人間の男の顔だった。生き物同士を混ぜてひとつとした、見るに堪えない異形だった。
「まさか、クリシスの創り出した魔獣か?」
直感で口走ったものの、リーフは「ああ」と頷いた。かつてクリシスがゾアと争った際にこの世に産み落としたとされる超常的な魔獣たち。その生き残りか、はたまた俺たちの追跡に警戒して新たに生み出したのかはわからないが、こいつは元々地上にいたような生き物ではない。
魔獣は長い尻尾を振り回し、俺たちに向けて突き刺した。俺はすぐさま剣で弾くが、鋼鉄製の剣でさえも相手の尻尾には傷ひとつつけることもできない。
「まずい、走れアコーン!」
俺の指示にアコーンは駆け出した。つい先ほどまでいた場所に尻尾が突き刺さされ、砂に深々と先端が刺さる。
その隙に魔獣の側方へと回り、俺は太い獅子の前脚をすれ違いざまに斬りつけた。
骨が硬くて切断はできなかったが、熱い鮮血が噴き出し黄色い砂を赤く染める。同時に魔獣は例の耳障りな悲鳴を上げて滅茶苦茶に尻尾を振り回した。
「もう一発、食らえ!」
がら空きのどてっ腹に最後に一撃、剣を入れる。今度は肋骨を砕き、内臓まで到達したらしい。血潮とともに黒い体液をまき散らし、魔獣は大絶叫を上げて倒れた。
「よっしゃあ!」
俺はガッツポーズを取った。だが、その直後改めて前を見ると、そのまま固まってしまった。
前方に広がる砂漠の、あちこちから砂が盛り上がって魔獣たちが地表に現れている。
今しがた倒したものと同じ外見のものが多数、他に巨大鳥のような魔獣、10メートル近い蛇のようなものなど、地上のあらゆる生物を弄ったような異形たちが何十体も。
「嘘だろ……」
俺は力が抜けそうになった。それを背中からリーフが支え、俺の腕を強くつかんだのだった。
「このまま前進だ、もう神殿は近い! この魔獣たちはかつて神殿を守るためにクリシスが放ったものの生き残りだ!」
神殿は近い。その一言が俺を奮わせた。もうこうなりゃやれるだけやるしかない。
俺はしまっておいたマグノリアの手袋を取り出し、手にはめた。これで剣が滑り落ちることは無い。そして剣をしっかり握りなおすと、咆哮を上げる魔獣たちめがけてアコーンを走らせたのだった。




