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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第三部 はるかなる故郷へ
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第十四章 はるかなる故郷クーヘンシュタット その7

「うーん、イタタタタ……」


「目覚めたか」


 ベッドから起き上がるリーフを横目に、俺は暖炉の炎をぼうっと見つめていた。


 ただ一軒だけ焼かれず残されたこの家屋には、敵味方問わずあらゆる怪我人が運び込まれていた。


 5人分のベッドにはリーフと特に重症の者が寝かされ、残りは床に藁を敷いて寝かされていた。唸れる者はまだ元気、本当にひどい者はただ呼吸が聞こえるだけで声を出すことはできなかった。


 そんな彼らを慌ただしく介抱しているのは先に逃げた村の女たち。子供も水汲みやらで総動員されている。


「これは……カーラが?」


 恐る恐るリーフが尋ねる。俺は頷いて返した。


「カーラは皆の命を吸い取ってラジローを……いや、パナットで出会った『あれ』を復活させた。おかげで村の男たちはほぼ全滅だ」


 リーフがそっと立ち上がり、静かに俺の後ろまで近付いた。


 俺は衝動を抑えられなかった。座っていた椅子をこかしながら振り返ると、リーフの細い首を絞めるようにつかみかかってしまった。


「なあ教えてくれ、『あれ』は一体何なんだ? カーラは何のために俺たちをこんな目に遭わせたんだ? ゾア神ならわかるだろ、教えてくれよ!」


 声に驚いて女たちは作業の手を止めたが、誰も俺を制止しなかった。


 正気に戻り、顔を真っ赤にして俺の手を握り返すリーフを見て、俺は「すまない」と呟きながら手を離した。リーフは息を整え、ぼそぼそと話し出した。


「実は眠っている間、私は夢を見た。例の……安寧の地だった」


 俺は立ち尽くしてうつむいたまま、頷きもせずリーフの声に耳を傾けていた。


「そこで聞いたんだ、あの声を……今度ははっきりと」


「どんな内容だ?」


 尋ねるとリーフは扉をくいっと目で指したので、俺は一緒に外へ出た。


 冬の間、ほんの短い間だけ顔を出している太陽は既に沈みかけている。そんな木々の間を抜けた薄明かりが、村中に手付かずのまま散らばる男たちの死体を餞のように照らしていた。


 そんな中地面に転がる一際大きな死体。それにすがり付いてずっと泣いている小柄な娘。マグノリアとチュリルはまだここにいた。慕っていた師を失ったこの娘は、今の時間までずっと泣き暮らしていた。


 俺たちは何も言わない内にチュリルの背後に立った。なおもチュリルはすすり泣き続けている。


「リーフ、聞かせてくれ。例の声は何て言ってたんだ?」


「ああ、まずラジローだが……あれは間違いなく神だ」


「そんなことあるものかい!」


 チュリルが割り込んだ。


「あいつが神なんてあたいは認めないよ! あんなのにこの世界が創られたなんて……神なら何であたいらをこんな目に遭わせるのさ!」


「聞いてくれ、これは私も驚いていることだが……神は神でも唯一絶対の存在ではないのだ。この世は2神によって創られたのだ」


 何となく予想はついていたが、いざ真実とわかると言葉に詰まるものだ。


 ラジローが禁断の書を解読して知った内容は正にそれだったのだ。パナットで口を滑らせるように教えてくれたあのことは、どうやら妄言ではないらしい。


「一神は知恵と秩序の神ゾア。この世の(ことわり)を司る全治の神。そしてもう一神は……世界に新たなる存在を生み出す全能の神。名は創造の神クリシス」


「クリシス……パナットで聞いた覚えがあるな」


 リーフに『何か』が降りたとき、ラジローに向かって口走った名前だ。リーフ自身おぼろげの記憶しか無かったので詳しく聞こうとはしなかったが、あの時既に神は俺たちの前に現れていたのだ。


「この世界はゾアとクリシスの兄弟神によって創られた。クリシスが大地を生み出すとゾアは星々の運行を、クリシスが海を創るとゾアは潮の流れを、クリシスが生命を作ればゾアは寿命を、互いに協力して秩序あるこの世界を作り上げたのだ」


「だがどういうわけか今の俺たちに伝わっているのはゾアのみだ。1600年前に開祖セラタが預言を授かったときには2神の存在が告げられていたはずなのに、クリシスについては禁断の書に書かれるだけで後に消されている」


「それには理由がある。最初に神の預言を書き記した『原初教典』についても」


 チュリルが耳をピクッと動かした。


「ある時ゾアとクリシスは人間を生み出し、知恵を与えた。おかげで人間は自ら発展を遂げ、ついには文明を、文字さえも作り上げた。神の手を借りずとも進歩を続ける人類に神は喜んだ。だが、やがて人間は神を作り出し祀り始めたのだ」


 ここでリーフが言葉を詰まらせ、目を反らした。


「人間は偶像を作り、それに祈りを捧げた。世界中のほぼ全ての民族がそれぞれに神を作り信仰した。これに怒ったのはクリシスだった。なぜ我々が親となって人間を生み出したのに、奴らは虚構の存在を祀るのかと」


 ふと東方の旅で見た神々を思い出す。熱帯の大河の畔で、蛇の頭と人間の身体を持つ石像に拝む人々。あの奇妙な光景は人間の本能的な信仰心の表れだったのだ。


「ゾアにとっては崇敬の対象を自ら生み出したと感心する出来事だが、クリシスには許せなかったようだ。そこで二人は当時最も文明の進んでいた国のある王族に預言を下し、この世に創造主の正しき名を広めるよう告げた。今から3000年ほど前の話だ」


「そしてその預言をまとめたものが『原初教典』だと言うわけだな」


 俺が挟むとリーフは「ああ」と首を縦に振った。


「だが直後に王国は滅び、預言の内容を知る者は潰えた。文字も読める者は途絶えたので、正確な内容は実際に読まない限りわからない」


「それっておかしくないかい?」


 チュリルが口を尖らせた。


「何でゾアとクリシスが自分で下した預言なのに、内容を教えてくれないのさ? 全知の神ならそんなのわかるはずだろ?」


「それは……この世界の根本を揺るがすことなのだが、『原初教典』は単なる書物ではない。この世の理を書き直す力があるのだ」


「理を書き直す?」


 今一つピンとこない。聞き返すとリーフは続けた。


「季節の巡り、大地の変動、風の行き先。あらゆる現象にはゾア神の定めた因果がある。一度定まった秩序には神ですら抗えない。ただ間違った理が生まれたとき、それを修復して別の因果律に書き換えるための逃げ道をゾア神は用意しておいたのだ」


「まさか『原初教典』を声に出して読んだら、その理の修復ができるってことかい?」


「まさにその通りだ。その一文は神の世界の言葉であり、人間には声を出して読むことさえできない。だがゾア神に認められて大いなる知恵を授かった人間のみ、読むことができる」


「そしてゾア神から大いなる知恵を授かった人間が……」


 俺とチュリルの視線は同じ方向を向いていた。じっとリーフを睨むように見つめた。


「ああ、この……私だったというわけだ」

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