第十四章 はるかなる故郷クーヘンシュタット その6
マグノリアの逞しい四肢はすっかりやせ細っていた。だがそれはまるで樫の古木のような質感で、決して弱々しいものではない。むしろ老練した重厚感をも醸し出していた。
巨大な火球を抱えた『それ』は背後から飛びかかるマグノリアに驚きながらも振り返り、直後マグノリアは腕を振った。
快晴の日の朝日のようなまばゆい発光と強烈な爆風が周囲を包み、数瞬遅れて熱風が吹き荒れる。地表の雪は巻き上げられ、そのまま熱で蒸発した。
爆発の中心部は巨大な火柱が上がり、ある程度離れた俺にさえも身を焼かれそうな猛烈な熱が襲いかかった。
その炎もやがて小さくなる。その周りの地面には四人が転がっていた。
一人はカーラ。爆心から最も離れていたこの女はこれといった外傷も無く、単に爆風に煽られて失神しているだけのようだ。
次にチュリル。カーラよりは火柱の近くにいたものの、こちらも大きな怪我は無い。前髪が少し焦げ付いて、熱で皮膚が赤くなっているくらいだ。
問題はここからだ。火球に自ら突っ込んでいったマグノリアは全身が黒く焦げ、皮膚がめくれて生々しい赤い皮をさらけ出していた。そんな見ている方が痛々しくなる惨状であっても、この男は腕を地面に突き上半身をなんとか起こしていた。
そしてラジローの姿をした男。火傷はひとつも無く、美しいままの皮膚を残しているあたり、自らの火球でダメージは受けなかったようだ。
誰よりも早くむっくと立ち上がり、虫の息となったマグノリアを見てほくそ笑む。だが違和感に気付いて自分の身体に目を向けると、途端に顔を青白くさせた。
「う、腕が!」
先ほどまで火球を抱えていた右腕が肘の先からすっかり消え失せている。切り落とされたとかではなく、完全に消滅していたのだ。
マグノリアは自らに宿る消滅の力で、炎の威力を大幅に打ち消した。それだけでなく、それを放つ腕まで触れ、攻撃を封じたのだった。
「痛い痛い、なんだこの痛みはぁ!」
消えた片腕を押さえながら、男は泣きながらわめき散らしている。肉体を得てこの世に降り立った最初の感覚が激痛とは、皮肉なものだ。
その声にカーラとチュリルも目を覚まし、二人ともはじめは何が起こったか思考が追い付いていないように目を点にさせた。ようやく状況を理解したカーラが慌てふためき『それ』に駆け寄るが、どれだけ声をかけても叫ぶばかりで取りつく島も無い。
そしてぼろぼろになったマグノリアを恐ろしい形相で睨み付けると、近くに転がっていた剣を一本拾い上げてその巨大な背中に突き刺した。
「神の宿る肉体を傷付けるとは、地獄ですら生ぬるい! 未来永劫、永遠に続く苦痛をその身に受けるがよい!」
剣の扱いに関しては拙く、非力なせいでとどめは刺せない。だがカーラは動けないマグノリアに、何度も何度も剣を抜き刺ししては鮮血を散らせた。
もう声すらあげる力も残されていない勇者は、ぐったりと地面に伏せる。
「や、やめろ!」
俺がようやく声を上げて立ち上がったのとほぼ同時に、倒れた男たちの中からまたも一人が飛び上がった。
斑状の大剣を構えたキリフだ。こちらも生気を抜かれげっそりと頬が痩けているが、なおも太い腕で剣をつかみカーラに飛びかかる。
寸でのところで気づいたカーラは剣を捨てて逃げ出した。兄貴は足を引きずりながらもそれを追いかけた。
その合間にチュリルがマグノリアに駆け寄った。
愛剣は失ってしまったが加勢しようと、俺も痛みを堪えて駆け出した。
幸運にもカーラの攻撃を逃れていた俺は誰よりも機敏に動いた。いとも簡単にカーラに追い付くと、そのままタックルで雪の上に倒す。「きゃあ」と意外にも可愛らしい悲鳴を上げたが、躊躇している場合では無い。
そこに遅れてキリフが走り、とどめを刺そうとその剣を振り上げた。
その時、兄貴の腹から白銀に輝く刃が飛び出した。筋肉を貫き赤い血をまき散らしたその刃はさらに伸び、カーラを組み伏せる俺の頬を掠る。
俺の顔を温かい血が伝う。その滴が地面に垂れると同時に、痙攣した兄貴はポロリと剣を落とした。思い鋼が地面を跳ねる。
「あ、兄貴!」
叫んで気を取られている間に、カーラが俺の腕を振りほどいて逃げた。だが俺は追いかけることもできず、目の前で血を吐き出すキリフに手を伸ばした。
長く伸びた白刃はすっと縮み、貫いたキリフの腹から抜かれる。同時に赤黒い血が大量に噴き出した。そして兄は地面に崩れた。
「兄貴、しっかりしろ!」
真っ赤な血に濡れた兄貴の身体を起こし、顔を覗き込む。目はひっくり返り、焦点を合わせることすらできない。
「ははは……カーラ様を……守ったぞ」
倒れた男たちの中、ただ一人立っていた男が握っていた血濡れの剣を落とし、再び倒れた。スオウだった。
「スオウ、貴様!」
俺はすぐさまスオウに飛びかかり、襟をつかんだ。骨と皮だけになって目だけをぎょろっと向きながら、抵抗もせず笑い飛ばすスオウに俺は言いようの無い不気味さを感じた。
「ざまあみろ、オーカス……」
「なぜだ、なぜ兄貴を……」
「本当ならお前を殺したかったよ……だが、カーラ様を守るのが俺の務めだ」
「なぜだ、あいつはお前もまとめて殺そうとしたのだぞ!」
俺の腕に力が一層こもる。だがスオウは声を上げて笑うのみだった。
「俺にとってカーラ様は身を投げ出しても守り抜く存在なのだ。絶望の淵にいた俺に、手を差し伸べてくださった唯一の人。たとえ捨て駒になろうとも、カーラ様の本懐を遂げられるならそれで良い」
そう言いながらスオウは目を閉じた。呼吸は止まり、指先を動かすことも無くなった。
俺は歯ぎしりをさせながら動かなくなったスオウを放り投げ、辺りを見回した。
ラジローの姿をした『それ』は今なお唸りながらうずくまっており、そこにカーラが背中から抱き着いていた。
その近くで倒れたマグノリアにはチュリルが覆いかぶさり、すすり泣きながらも傷口に雪をかけている。
そしてキリフをはじめ、地面に倒れたまま死んでいく男たち。正気を保っている奴の方が少ない、異常な空間だった。
「うう、貴様ら、なぜこうも私の邪魔をするのだ」
『それ』がぎろりと俺たちに顔を向け、ふらふらと立ち上がる。その身体を後ろからカーラは必死で支えた。
そのまま宙に浮かび上がる二人。だがその飛び方はふらついており、ひどく不安定に思えた。
「貴様らの相手など、している暇は無いのに……くそ、今に見ていろ。私はこの地上を必ず支配して、ゾアを見返してやる。そしてお前たちは俺に跪いて命乞いをするのだ」
顔を歪め、子どもの負け惜しみのように話す。その姿に神々しさは微塵も無かった。
そしてカーラが肩を貸す格好で、ふたりは俺たちの頭上をふっと飛んで抜けて行った。
「逃げるな!」
俺の声にも振り返らない。木々の間をすり抜け、あっという間に見えなくなってしまった。
途端に村は静かになった。森に囲まれたここで聞こえるのは、チュリルのすすり泣く声だけだった。




