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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第三部 はるかなる故郷へ
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第十四章 はるかなる故郷クーヘンシュタット その5

「ラ、ラジロー?」


 生命を吸いとられながらもスオウが首を上げて目を見開いた。


「ラジロー、確かに姿はそうね。でも今ここにおられるのはそのような人間ではありません。この世界を本来統べるはずであった神なのです」


 どす黒い微笑みを地面に伏せる男たちに向けながらカーラは言った。そして言葉を失い茫然とするスオウを一瞥すると、さらに多くの生命の光を集めた。


「さああと少しです。神を現世に降臨させましょう!」


 ぐはっと血を吐く男たち。光が集い、やがて黄金色に輝くローブと肉体を備えた男の姿がはっきりと浮かび上がる。


 カーラの掌を離れた男の肉体は空中にとどまり、やがて輝きを失ってかつてのラジローとそっくりな姿へと変わった。


 同時に男たちから吸い取っていた光の粒も消え、地面に倒れた者たちはがりがりに痩せ細った腕を痙攣させていた。


「素晴らしいわ、神が私たちの世界に降り立たれた!」


 男たちの唸り声が響く中、カーラが歓喜の声を上げた。


 ラジローの姿をした『それ』はゆっくりと目を開き、地面で苦しむ人間を見るとにやりと笑った。そしてカーラの手を優しく握り、互いに顔を向かい合わせた。


 『それ』は姿こそラジローと同じだが、何もかもが違った。そう、神学者ラジローの面影はそこには無く、パナットの城壁を破壊し、エリア国連合軍を壊滅させたあれそのものだった。あの人知を超えた破壊者が、今再び俺の目の前に現れたのだ。


 ここでようやく俺の金縛りは解けた。全身が痺れるような感覚に襲われ、肩で息を吐き出しながらも、敵味方関係なく倒れた者たちの下へと駆け寄った。


「みんな大丈夫か?」


 地獄だった。生命を吸い取られ、枯れ果てた植物のようになって転がる者たち。そんな下々の人間など目に入っていないように互いに目を見つめ合う二人。


 俺の怒りは頂点に達した。


「貴様ら、もう許さねえ!」


 助走をつけて跳び上がり、両手剣を振り上げながら空中に突っ立っている二人に斬りかかる。このまま二人まとめて真っ二つにしてやる!


 だが剣が入る直前、カーラがぷいとこちらに視線を向けると、俺の腕に強烈な反動が走った。雷を受けたかのような衝撃に、まぶしい光がバチバチと襲う。


 そしてついに刀身が強烈な光に包まれ、俺の剣は粉砕された。


 金属が割れる高く鋭い音とともに、鋼鉄製の重い剣が、朽ち果てた木のように脆く砕けてしまったのだ。


 俺の目の前が真っ白になり、直後俺の身体は弾き飛ばされた。背中をぶつけ、そのまま雪と血にまみれた地面を転がり、誰かの死体にぶつかってようやく止まった。


「神にさえ刃を向けるとは、本当にあなたは救いようの無い愚か者ですね」


 カーラが吐き捨てたが、ラジローの姿をした『それ』はハハハと笑った。


「気にするな、あのような人間に我々の意思など分かるはずが無い。分かってもらおうとも思わぬ。あなたは往来の真ん中を歩くアリを愚かだと思うかね? そのようなものにいちいち気を掛けたりしないだろう」


 屈託の無い笑顔だった。それにカーラは「はい」と頬を赤らめて答えた。


 なんて奴らだ。凄まじい衝撃で全身に走る激痛に耐えられなかった俺は、立ち上がることもできず死体の上に倒れ込んでいた。まだ生温かい屍からは、俺が体重をかけているせいで赤い血がどくどくと流れ出している。


 薄れゆく意識の中、空に浮く二人の姿もかすみ始める。だが確かに俺の目には見えた。二人に向かって何かが投げられたことを。


 あまりに不意のことで『それ』は気付かなかったのだろう、頭に何かがこつんとぶつかり、痛みで顔を歪め手で額を押さえる。指の隙間からは赤い血が滲んでいた。


 ぶつかったのは石ころだった。弾かれた石ころは白い雪の上に落ち、そのまま埋もれてしまった。


 カーラは顔を青ざめ、言葉さえ出ない。『それ』も何が起こったのか今一理解できない様子で目を開いている。


「何が神だ、こんな石ころすら避けられないのによく神を名乗っていられるよ!」


 勇ましい女の子の声に、その場で意識のあった全員が注目した。


 視線の先にいたのはチュリルだった。集団から離れた場所にいたおかげで、カーラの攻撃から無事に逃れられたようだ。その右手にはもうひとつ小石を握りしめている。


「神ってのはいつもどこからかあたいたちを見守ってくれているんだ。姿が見えないからこそ、触れることができないからこそ、そう信じて神の言いつけを守ってこられたんだ。でもあんたは何だい、のこのことあたいらの世界に降りてきて、そのために多くの人を傷付けて。そんな神、誰が信じると言うんだい?」


 チュリルは震えていた。だがそれでも次々と強い言葉を吐き続けた。


 一方の『それ』も震えていた。わなわなと、怒りに身を焼かれているように。


「そう、あんたは本物の神なんかじゃない。全知全能の神様なら、あたいみたいな女の投げた石ころなんて簡単に避けられたはずさ。おまけに痛がっているじゃないか。あんたはもうこの世に降り立った時点で、あたいらと同じ不完全な人間なんだよ!」


 ここで『それ』は動き出した。手を添えるカーラを振りほどき、ゆっくり、直立の姿勢で浮遊しながらチュリルとの間を詰めていく。


「人間の小娘が舐めた口を利く。私はこの世を創造した神そのもの。空も海も大地も、生命も、すべてのはじまりであるぞ。それなのにこのような言われようを受けるとは、どうやら貴様は失敗作だったようだ」


 憤怒の相を見せた『それ』の威圧感はすさまじいものだった。木の葉が舞い、立ち尽くすチュリルを囲む。


 チュリルは今にも泣き出しそうだったが、ぐっと堪えて歯を食いしばっていた。


「失敗作は失敗作らしく、責任持って処分しないとな! 死ね!」


 振り上げた手から巨大な炎の球が出現した。エダリスの吐き出した火球よりもはるかに巨大で、高温なのだろう、最早青みがかかっている。


 助けようにもこの距離では間に合わない。それにあの火球の威力では、この村ごと吹き飛ばしてしまうのではないか?


 俺もチュリルも、目を閉じて最期の時を確信した。そのせいで誰も、勇敢にも立ち上がって駆けつける男の姿を目にしていなかったのだ。


「チュリルを殺させない!」


 爆音の代わりに聞こえた野太い男の声に、俺たちは目を開けた。


 腕を振り上げた『それ』の背後から、生命を奪われて倒れていたはずのマグノリアが飛びかかっていたのだ。

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