第十四章 はるかなる故郷クーヘンシュタット その4
「どこだカーラ、出てこい!」
俺は次々と襲い掛かる兵士を斬り倒しながら、アコーンで村中を走り回った。炎に包まれた建物から火の粉が飛び、村唯一の聖堂も既に焼け落ちている。
こんなに走り回ってもカーラの姿は無い。あいつのことだから安全でもそう遠くない場所にいると思っていたが、見当外れだったか?
焦り出して歯ぎしりをさせていた時だった。突如、女の叫び声が聞こえたのだ。
声がしたのは先ほどまで俺たちが戦っていた辺り、まさに戦場のど真ん中だ。逃げ遅れた女とは考えにくいし、そうなれば。
俺は急いで回れ右すると、アコーンを駆らせた。
戻って俺は仰天した。つい先ほどまで圧していた村人とマグノリアたちが、今では完全な劣勢に立たされている。
「リーフを出せ、さもなくば殺す尽くすぞ!」
マグノリア率いる精鋭の兵士たちをバタバタと倒しているのは異常に長い剣を振り回している男だった。そしてその男は俺が視界に入ると、憎悪の目で睨みつけたのだった。
スオウだった。スレインの腹違いの兄にして妹の敵である俺たちを恨む男。カーラの側近で自分から戦いに参加することは滅多に無いはずのこいつがいるということは、カーラもすぐ近くにいるはずだ。
だがこの男は厄介だ。俺を執拗に狙う上に、握った剣を音よりも速く伸ばす力を持っている。
「オーカス、ここで会ったが百年目、串刺しにしてくれるわ!」
離れているにもかかわらず、スオウは俺に剣を向けた。その隙を狙って集団から一人の男が飛びかかり、スオウは剣の向きを変えてその攻撃を防いだ。
飛び出したのは兄のキリフだった。集団を圧倒するスオウの力にも負けず、今の今まで無傷のままだ。
そしてその剣はスオウをも凌駕している。祝福の力で剣を伸び縮みさせて翻弄するスオウを前に、キリフは何度も剣を弾いてスオウをじりじりと追い詰めていた。
さすが兄貴だ、俺も負けちゃいられない。キリフがスオウを封じている間に、俺はアコーンを走らせて敵兵に突っ込んだ。
「カーラ、いるだろ、出てこい!」
敵兵を切りながら叫ぶ俺。
「こっちだ、カーラが逃げた!」
声を上げたのはマグノリアだった。馬上から巨大な槍を振り回し、敵兵を草刈りでもするかのように薙ぎ払っている。
確かに、敵の集団の後方で、黒い髪の女がこそこそと背を向けて逃げている。
「すまねえ、やい待てぇ!」
俺は剣を振り、敵を押しのけて道を開いた。
「カーラ様!」
スオウも叫ぶがキリフの猛攻で押さえ込まれ、俺に攻撃を出せない。そのキリフを守らんと、村人やマグノリアの仲間たちが他の敵兵相手に奮戦していた。
敵兵の壁を突破し、俺はカーラを追いかけた。隠れるように燃える家の陰へと逃げていくが 、この村を知り尽くしている俺から逃れられると思うな。
アコーンで追い付くと、俺はその首筋に剣を入れ、カーラの頭を弾き飛ばした。
確かな感触と首が地面を転がる音に、俺は「よっしゃ」と顔をにやりとさせ、振り向いた。
だがそこに転がっていたのはカーラではなく、汚い男の死体だった。軽装の真正ゾア神教の兵士だ。
「な、おかしい。俺は確かにカーラを……!」
そしてはっと気付く。これは囮だと。
急いで辺りをきょろきょろと見回すと、マグノリアの馬車が燃えている。確かあそこにはリーフが乗っていたはず!
「リーフ!」
血の気が引いて、俺はアコーンを走らせた。そして馬車の裏まで回ると、そこに目を回しながら倒れたリーフと、それを立ったままじっと見つめる本物のカーラがいたのだった。
俺に気付いたカーラは半分が大きな火傷に覆われた顔をこちらに向け、にやりと笑った。
「お前、リーフに何しやがった!」
俺は一歩ずつ、アコーンに跨がったまま詰め寄る。
「何も傷つけてはいないわ。ただゾア神の奇跡を少々分け与えてもらっただけ」
カーラはふっと笑った。突如どうっと風が吹き、木の葉が舞い上がり馬車の炎が大きく揺れた。
「もうここには用は無いわ。というわけで私はお暇させてもらうわ」
ほんの一瞬、目を瞑った次の瞬間にはカーラの姿は消えて無くなり、気絶したリーフだけが残されていた。
「リーフ、無事か?」
アコーンから飛び降りてリーフの上体を起こす。呼吸も安定しているし外傷も無い。本当にただ気を失っているだけのようだ。
一安心してほっと息を吐いた時だった。突如何人もの男たちの「ぎゃあああ」という叫び声が轟いたのだ。
何事かと見てみると、村人も、敵兵も、まとめて皆がバタバタと倒れていた。
マグノリアもキリフも、スオウさえも、悶え苦しんでいる。
そんな彼らの上にはカーラが宙に浮いたまま直立していた。その右手には黄色の光の球が浮かび、地面を転がる男たちの全身から沸き上がる黄色の小さな光の粒子を集約させているのだった。
「な、何だあれは?」
そう口にした直後、俺は思い出した。
フォグランド公国での戦闘で、エダリスに己の生命を分け与えて力尽きた女。あの時の光とまったく同じだ。
あいつは男たちの生命を奪い取っているんだ!
「やめろ!」
俺は剣を構え駆け出した。だがカーラがコブラのような不気味な眼でぎろりとこちらを睨みつけると、俺はまるで凍りづけにされたかのように指先一本でさえ動かせず固まってしまった。
「カ、カーラ様、なぜ……?」
げっそりと骨ばった老人のようになり果てたスオウが、息も絶え絶えに尋ねる。だがカーラはただにやっと口角を上げたままだった。
カーラの集めた生命の光がついにまばゆい太陽のように輝くと、その形がどんどん縦に長く変形してゆく。まばたきさえできない俺は、その様子を一部始終目に焼き付けた。
やがて光は人の形を取った。逞しい体躯は大人の男のそれで、さらに光が密集して顔の輪郭を作り上げる。
俺の身体で唯一動いていた心臓が激しく鼓動した。その輪郭に見覚えがあったからだ。
通った鼻筋と底無き知性を感じさせる目、それを覆う眼鏡まで。
ラジローだ。カーラの奪った生命は、禁断の書を読み解いたただ一人の人間をこの世に呼び戻したのだった。




