第二章 豪商の都サルマ その2
「あ、これきれいだな。あ、でもこっちもかわいいな……うーん、オーカスどうしよう?」
絹の布を広げながら、リーフはキラキラとした瞳を俺に向ける。
「あまり高いのは遠慮してくれよ。報酬もらっても赤字になったら困る」
大通りの露店に並べられた色彩豊かな生地は若い娘には魅力的に映るようだ。
「どれもこれもお似合いで。お嬢さんは可愛らしいからどんな生地でもよく映えるよ」
店主はニコニコと営業スマイルを振りまいておべっかを使うのでリーフが「そ、そうかな」と照れ笑いする。
この野郎、調子に乗らせるな。俺はひとつ店主を睨みつけてやったが、店主の顔が崩れることは無かった。
「これはどうでしょう。タルメゼ産のシルクで編み込んで薄いピンクで染めた逸品だよ。薄く花形の刺繍も施されているから、遠くで見るのと近くで見るのと違った印象を与えられるよ」
「なるほど、ひとつ買えば二重でお得なんだな」
「騙されるな、そんなものここらの店ならどこでも買えるもので普通に買える。何も特別なものじゃない」
一瞬だけ、店主が俺を睨みつけた。だがすぐに元の笑顔に戻り、低い腰をさらに下げる。
「お客さん詳しいですね。これは今年最も流行っているスタイルの人気商品でございます。今こそ買い時、さもなくば大波に乗り遅れてしまいますよ」
「そうだな、流行に疎くては困る。これは買いだな」
「おいおい」
まあ、実際リーフも気に入ったみたいだし、良しとするか。俺は財布から銀貨3枚を取り出し、店主に渡した。
早速買ったばかりの布を頭に巻きなおしたリーフは軽い足取りで大通りへと飛び出す。元々の素材は良いので、道行く若い男は皆ちらっとリーフへ目を向ける。ここでは頭に巻く布も女の評価において重要なファクターを占めるようだ。
一人でどこかへフラフラと行ってナンパでもされると面倒だ。俺はすぐ後ろをただついていった。
そろそろ日も沈む頃だし、どこかで飯を食うのも良いかもしれない。
リーフが大通りの反対側で金細工の出店を覗いている時だった。祈りの時刻を伝える僧侶の声が、辺りに響き始めたのだった。
「お、もう祈りの時刻か」
金細工屋の店主は足元から巻いた絨毯を取り上げると、俺たちには目もくれず店の前の道にずかずかと歩み出た。そして地面に絨毯を広げると、モスクの尖塔を尖塔を縁取るって沈みゆく真っ赤な太陽に深々と祈りをささげ始めた。
見ると他の店からも人々が飛び出し、店主と同じように絨毯の上で身体を投げ出すようにして太陽を拝んでいる。買い物途中の者たちは町の中心部のモスクへと足早に急ぐので、何もせずただ突っ立っているのは俺たちただ二人だけとなってしまった。
「ちょっと居辛いな、こういう雰囲気は」
リーフがぼそっと呟いたので、俺は陽気に返した。
「祈ってみたらどうだ? 今のお前の恰好ならアラミア教徒として見られるだろ」
だが普段なら明朗なリーフが、この時ばかりは口に手を当てて考え込んでいる。
そしてゆっくり、無言で首を横に振ったのだった。
「いや、できない。やはり神はゾア神のみだ。ここで祈っては私の中の何かが壊れる気がしてならない」
陽も沈み、辺りも宵闇に包まれると、露店の店主たちは次々と店をたたみ始めた。逆に酒場では照明が焚かれ、薄暗い路上には明々とした光と男たちの笑い声が漏れだしていた。
その後宿に戻るとセリム商会の使いから荷物を預かったと宿の主人から告げられ、絨毯を三本渡された。
部屋に帰って紐を解いてみると、なるほど肌理の細かい羊毛で編まれた見事な一品だった。人ひとりが礼拝できる程度の小さなものだが、安くても金貨5枚は下らない最高級の品であることは間違いなかった。それが三本で合計金貨15枚以上、正直期待以上の報酬だ。
「うわあ、気持ち良い手触りだな」
リーフは机に置いた絨毯に掌を摩りつけていた。
「だろう、何十年も修行した熟練の職人が最高級の素材で作りだしたんだ。べたべた触って手垢でも付けたら……」
感慨に耽りながら解説に努めていると、いつの間にやらリーフは頬を絨毯に押し付けてその感触を楽しんでいた。その目は極楽至極、とろんと今にも眠りに落ちそうなものだった。
「お前、言ってる傍から!」
慌てて俺はリーフの首根っこをつかみ、つまみ上げた。
宿の食堂で夕飯を終え、ベッドで横になって休んでいると、リーフがこつこつとベッド脇まで歩いてきた。
蝋燭の灯りがゆらゆらと揺れ、その表情は読み取れなかったものの、ひどく落ち込んでいるように見えた。
「なあオーカス、やっぱり私はおかしいのか?」
「……昼間のことか?」
リーフは深く頷いた。
そりゃそうだ、記憶を失っていた上に雷と同じ力を身に付けている。自分が何者なのかと聞かれれば、普通の人間でないとしか答えられない。
サルマに着いてからの妙な明るさも、不安を紛らわすための演技だったのだろうか。そう思うとこの娘がひどくいじらしく思えた。
「オーカス、私は怖いんだ。この力は私以外の者は誰も付けていないという。皆から魔女として恐ろしがられて、殺されはしないかと不安で仕方がない」
部屋の灯りが乏しいためによくは見えなかったが、リーフの頬を光るものが伝うのが見えた。
俺は気付かないふりをして、わざと笑い返してやった。
「なあに心配するな。他人に見せなけりゃいいんだそんなもの。俺はお前みたいな信心深い女が魔女だなんて思ったりしない。むしろそれは神からいただいた奇跡の力なんだとさえ思うね」
「本当か?」
「ああ、本当だとも。だからこそ盗賊の襲撃も切り抜けられたんだ。俺とお前が偶然巡り合っていなければ、俺はあそこで死んでいるところだった。この出会いもゾア神の導きによる奇跡なのさ」
本当に、リーフには申し訳ない。俺のおかげでリーフの身を危険にさらしてしまったのだし、リーフのおかげで危機を乗り越えられたのだ。この点については俺はリーフに頭が上がらない。
しかし、リーフの正体がわからないのは事実だ。
いったいなぜこのような力を持っているのか。そもそもこの娘はどうしてあの岩山で眠っていたのか?
そういえばあの盗賊が言っていたな。ゾア神教の連中が不思議な力を駆使して盗賊を討伐したと。
「そうだ、リーフ。明日ゾア神教の宣教師に会いに行こう!」
俺はがばっと上半身を起こした。
突然のことだったのでリーフは後ろに一歩退いたものの、すぐにふっと笑い、目を拭った。
「商人たちの話ならゾア神教の宣教師もこのサルマに来ているはずだ。明日は結婚式で町には人も集まるし、もしかしたらお前のことを知る僧侶に会えるかもしれない」
お前の力の正体を知る、とは言えなかった。だがゾア神教の熱心な信者なのだから、何かしらリーフの出自につながる手がかりは見つかるような気がしていた。
「いいのか、オーカス。お前も次の町に急がなくても?」
「いいさそんなもん、急ぎの用じゃねえ。それよりお前をしっかり誰かに引き渡さないと、俺は安心して旅を続けられねえだろ」
俺はリーフの手をつかみ、そのまま引っ張った。
リーフは「うぉ?」と女らしくない声で小さく叫び、そのまま俺の上にのしかかった。
「それにお前みたいな娘、ここで手放すには惜しい。もう少し同伴してもらうぜ」
かっかっかと笑いながら言い放つ。次の瞬間にリーフの右握り拳が俺の左頬に叩き込まれていた。
激痛に悶えながら部屋を見渡すと、すっかり立ち上がったリーフが部屋の隅の別のベッドへと大きな足音を立てて歩いて行くのが見えた。
ジンジンと痛む頬を押さえながらも、俺はほっと安心してそのまま布団に潜り込んだ。
翌日、サルマの町は朝から活気に溢れていた。路上の至る場所に商人が店を構え人集りができ、昨日は見かけなかった旅芸人の一座が街角で剣をお手玉して観客の注目を集める。
いくつかの大通りは通行が制限されて兵士が槍を携えて道の真ん中に出てくる人々を追い返すものの、民衆の集団はその立ち入り禁止エリアギリギリまで押し掛けていた。
その群集の中に俺たちはいた。宿の前がちょうど結婚式のパレードのコースとなっていたため、宿の出口すぐの所まで人混みが膨れ上がっていたのだ。完全に外に出るタイミングを失った俺たちは、とりあえずこのパレードが終わるまで立往生する身となってしまった。
「オーカス、どこからこんなに人が湧いてきたんだ?」
「昨日はみんな家に閉じこもってたんだろ。遠方からの客は今日の朝着いた連中も多いんじゃねえか?」
あまりこういう人混みは好きでないのだが、リーフがパレードを見てみたいと譲らないので俺たちは間近で花嫁を見ようと下まで降りていた。
だが、こんなに人が多くてはスリにでも遭わないだろうか。俺は財布を外套の内ポケットにしまい、服の上から手で握りしめた。リーフも一応は年若い娘なのだし、邪な男に卑猥なことでもされないか不安だ。
これじゃあゾア神教の連中を探すのも一苦労だな。
そう考えていると突然、一際大きな歓声が上がった。ついに花嫁がやって来たらしい。
皆が皆手を挙げて飛び跳ねているので大柄な俺でも背伸びをしなくてはならなかった。何十人もの兵士に守られながらゆっくりと引かれる天幕の無い馬車に、このパレードの主役である花嫁が乗って民衆に手を振りながら笑いかけていた。
純白のドレスとヴェールが朝の太陽の光を反射し、地上にもう一つの太陽が降り立ったような輝きを放っていた。ヴェールの隙間からは豊かな金髪が溢れ出しており、アラミア教圏としては珍しいその姿に男たちは度肝を抜かれ、女からの歓声もより一層大きくなった。
そしてヴェールの上からは月桂樹だろうか、葉の付いた枝を冠状にしたものを頭の上に載せている。このような様式は西の地方でも見たことが無く、俺は首を傾げた。
兎にも角にも、アラミア教国家としてあり得ない衣装であることに間違いは無かった。花嫁が民衆に手を振ることすら珍しいのに、この花嫁はよくやったものだ。
「すごいなオーカス、私もいつかあんな風になれるかな?」
興奮して真っ赤な顔になったリーフが、息を荒げて尋ねた。
「お前、見かけによらず結婚願望強いんだな。万が一、どっかの貴族でもひっかけたらできるんじゃないか?」
平民じゃあ花嫁衣裳を用意することすら難しいだろうな。
花嫁が通り過ぎ去っても民衆の熱気は収まらず、いつまでも拍手と歓声が続いている。異教の地から訪れたこの花嫁は、この町の民の心をすっかり奪ってしまったようだ。