第十四章 はるかなる故郷クーヘンシュタット その1
俺たちを出迎えた故郷の男たち。運んでいた丸太も放り出して、皆一様にアコーンに跨る俺に駆け寄った。
皆根っからのこの土地の人間で身体はでかい。俺もここでは並程度だ。200センチを超える巨漢もごろごろいる。
そしてほぼ全員が大剣と木の伐採で鍛えた逞しい体を持ち、太い傷だらけの腕をさらけ出していた。
「オーカス、よく帰って来たなあ、10年振りか?」
「すっかりでかくなったな、何だこの動物は?」
多くは生まれてからこの村を出たことが無い連中だ。山を一つ越えれば大冒険というこの狭い共同体の中で、俺のような長旅から帰ってくる者は好奇の対象だった。
そして俺の背中にちょこんと貼り付いているリーフを見ると、皆固まり、突然どっと沸き立ったのだった。
「何だお前、旅の間に嫁なんか迎えたのか!」
「いやぁたいした奴だ、昔は女心のこれっぽっちもわからん奴だったのに」
「あんたどこの娘だい? どれ、俺がとびっきりの酒を用意してやるから飲んでいかないか?」
予想通りとはいえこの反応は辛い。俺は顔を真っ赤にして唾をまき散らした。
「ちがうわい、こいつはそういうのじゃねえ! 旅の中で出会って親しくなっただけだよ」
「そういうのを世間じゃあ夫婦って言うんだよこの強情っ張りめ」
男の一人が返してそれをみんなが笑う。リーフも顔を赤くしてはいたが、一緒になって笑っていた。
「おい何一緒になって笑ってんだよ。なんか言い返してやれよ」
「ああ、私はリーフだ。オーカスとはずっと一緒に旅をしてきた、そしてこれからもずっとな」
そう言って俺の首筋にがっしとつかまったのだった。
「な、バカ!」
こいつ、いつの間に冗談なんか言うようになったんだ?
俺は耳まで真っ赤になり、当然男たちはヒューヒューと口笛を吹いて茶化す。
そんなやりとりをアコーンは欠伸をしながらただやり過ごしていたのだった。
俺の帰還を村は温かく迎えてくれた。木こりたちの親方、領主から派遣されている役人、皆あいさつ回りに尋ねると作業をほっぽリ出して俺に駆け寄った。
特に俺の剣の師匠に至っては齢60を超えてもう病気がちでろくに動けないと言うのに、ベッドから立ち上がって泣きながら俺に抱き着いたのだ。
10年と言う歳月は人を変えるのに十分な長さだが、温かさは昔のままだ。再会を喜び、また酒を飲み交わそうと約束をして去る。
そして俺が訪ねるべき場所は残りひとつとなった。それは村の中央に立つ古ぼけた聖堂だった。
木造で派手な装飾も無いこの建物は、パスタリアの豪勢な石造りの聖堂に比べればごみのようなものだろう。いつのかわからない古い鐘は文字も擦り切れて読めない。
だがここはまぎれもなく俺の心を育んだ場所であり、精神の拠り所なのだ。この紐帯は如何に天下一の美しさを誇る大聖堂と言えども、断ち切ることは決してできない。
材木は古いが所々修理され、屋内は常に清潔に保たれている。かつてサルベリウス様も過ごしていたここには現在若い僧侶が寝泊まりしているが、彼がいなくとも村人が自然と集まって手入れをしてくれているのだ。
過酷な環境のこの村でも、ここだけは安らぎを得られる特別な場だ。
「オーカス、ここは良い村だな」
木製の長椅子に座り、俺の隣で聖人像に祈りを捧げていたリーフがふと口にした。
「そうだな、貧しくても俺にとってはただひとつの故郷だ。それにここまでは真正ゾア神教の連中も攻め込んでは来ないはずだ」
「ああ、この村が平和でありますよう、神に祈ろう」
聖堂を去った俺が実家に帰ると、中から飛び出してきたのは6人の小さな子供たちだった。
「おじさん、だあれ?」
「もしかして、オーカスさん? 父さんの話していた」
表面を焼いた木材を組み合わせた簡素な家だが、中は思った以上に温かい。この家の今の主は俺の実兄キリフだ。そしてこの子供たちはその息子に娘、つまりは俺の甥と姪に当たる。
「よく帰って来たな弟よ」
子どもたちの後ろにぬっと現れる。俺よりもさらに背が高く、丸太のような四肢を持つ男の中の男、キリフだ。
「兄貴、ただいま!」
俺は帽子を取って金髪をさらけ出した。兄貴の湿ったような金髪と共鳴しているようだ。
「オーカスのお兄さんか。リーフだ、よろしく!」
俺の後ろからひょいと顔を出したリーフがあいさつすると、兄貴の顔が緩んだ。かつては村イチの剣豪とも呼ばれた男も、私生活は素朴なものだ。
「うわさは聞いているぞ、お前が嫁を連れ帰って来たと。きれいな人じゃないか、良かったな」
珍しく容姿を褒められたせいか、リーフの顔が赤くなる。
「うるせえ、嫁じゃねえよ」
狭い村はこういう噂が伝わるのが異常に早い。さっさと誤解を解いておかないと手遅れになるが、もう遅かったようだ。
「もう村長もそう思っているぞ。皆は多分お前たちを夫婦としか見ていないだろうな」
兄貴は腰に手を当ててガッハッハと豪快に笑い飛ばした。
「おじさん、旅の話聞かせてよ」
「さばくってところは行ったことあるの?」
子供たちは俺に興味津々だった。六人が一度に押し掛けてくるので、俺もさすがに面食らった。
「わかったわかった、あとでゆっくり話してやる。とにかく家に入れてくれよ。ほら、リーフも遠慮するな、兄貴がきっと腕によりをかけたシチューを作ってくれるぞ」
「お前、10年振りだと言うのに図々しいな。まあ上がれ上がれ、今日は仕留めたシカ肉があるんだ」
兄貴の声に、俺は屋内へ入った。それにリーフも続き、扉を固く閉めた。
クーヘンシュタットに今年初めての雪が降った。指の上で冷たい雪が溶けるこの感触は、ついこの夏に熱砂の大地を横切っていた俺にとっては不思議だが懐かしいものだった。
ついこの前に近くの小川が凍り付いたと思ったら、もう雪か。この地域は寒冷だが積雪自体は少ない。今年は例年以上に厳しい冬になるかもしれない。
「オーカス、今朝は一段と寒いな……て、何だこれは?」
目をこすりながら家の扉を開けたリーフは外が白く染まっているのを見て仰天した。記憶を失ってから初めて見る雪景色なのだろう。
商売で稼いだ金を村に寄付した後、俺とリーフはこの村に空き家を借りて住むことにした。昼間は木こりとして森で材木を伐り、日が沈めば家でリーフの用意した料理を食べて寝る。そんな平穏な生活が数ヶ月続いている。
時には村の子どもたちを相手に旅の思い出話を語り、文字や計算も教えた。リーフも神より授かった力を活かし、物語の読み聞かせをしている。
結局なぜこの力をリーフは授かったのか。その理由は今でもわからない。
とにかく、俺はこの10年で最も平穏で落ち着いた時間を過ごせたことは間違いない。リーフもすっかり村に打ち解け、井戸端で若い女たちと話に花を咲かせている。
しかし運命はどうも俺に平穏を与えないようだ。
その日俺が切り出した木を運んでいると、村に一頭の馬を駆らせた旅人がやって来たのだった。
「この村にオーカスとリーフはいるか?」
分厚いマントを着込んだ大男の声が響き、皆が注目した。
体格自慢の男たちですら腰を抜かすような大男だ。その姿を見るや否や、俺は駆け寄った。
「マグノリア!」
村を訪ねたのはマグノリア、そしてその後ろに座るチュリルだった。




