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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第三部 はるかなる故郷へ
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第十三章 戦乱の町パナット その8

「旦那、リーフが目を覚ましたよ!」


 テントからチュリルが飛び出した。近くで焚火に当たっていた俺は立ち上がり、目を輝かせた。


「本当か!?」


「こんなとこで嘘なんかつくわけないだろ!」


 チュリルの顔は涙に濡れていた。急いで俺はテントに入る。


「リーフ!」


「大声を出すな、まだ回復はしていないのだぞ!」


 声をかけた途端、介抱をしていた老年の兵士の鋭い返事が飛んできたので俺は面食らった。


「オーカス……」


 布団に寝かされながら、虚ろな瞳でこちらを見つめるリーフ。口元は微笑んでいた。


「本当、良かった。無事で……」


 ラジローの攻撃でエリア連合歩兵師団は甚大な被害を受けた。たった一回の攻撃で多くの死傷者を出した師団は戦闘の続行は不可能となったが、残った者たちはパナットからやや離れた場所に宿営地を移し援軍を待った。


 一方のパナットを占領したゾア神教は急遽破壊された城壁を再建築しているものの、ラジローとヤドリガを失いさらにリーフも奪還されたとなっては士気はだだ下がりのようで、疲弊したエリア連合国軍に攻め込んでくる気配は無い。


 今回の出来事は互いに痛み分けとなっただけだった。


 いや、正確にはエリア軍側の方が優勢かもしれない。何せ俺たちには心強い味方が駆けつけてきたのだから。


「リーフが目を覚ましたそうだな」


 俺の背後に巨大な影がぬっと現れる。それを見たリーフはたまげて目を開いた。


「マ、マグノリアさん!」


「久しぶりだな」


 マグノリアはその巨体ですっと俺の背後を抜けると、狭苦しいテントの中を移動してリーフのすぐ傍らに腰を落とした。


 ともにカルナボラスの大聖堂に攻め込んだマグノリア。一時故郷のムサカ国に帰っていたが、真正ゾア神教のエリア国侵攻を聞いて駆けつけてきてくれたのだ。


 マグノリア率いるムサカ国からの援軍が合流したのはあの不思議な出来事の翌朝だった。故郷で仲間を募り高速船でここまで来たらしい。


 マグノリアの仲間とは軍人時代の同胞たちだが、いずれも屈強な男たちで一人でも10人を同時に相手できるという猛者ばかり。古風で軽装ながらもその肉体はフルプレートの兵士よりもはるかに強靭に見える。


「聞いたぞ、ひどい目に遭っていたそうだな。だが無事なようでよかった」


 マグノリアは微笑んでいた。リーフは苦々しい笑いを返し、ちらっと俺を見た。


 俺は首を横に振った。それを見てリーフはほっと安心したように息を吐いた。


 あの夜、ラジローが放したことはまだ誰にも言っていない。神という存在がひとりではないこと、ゾア神以外の何かがラジローを通じて俺たちに話しかけたこと、そしてリーフに何かが乗り移り、ラジローを消し去ったこと。


 何もかも理解の範疇を超えている。この旅の中で色んな不思議な場面には出くわしてきたが、あそこまで奇怪なものは初めてだった。


 これは無闇に話さない方がいい。三人の無言の了解がそこにはあった。




「行くと言うのか?」


 荘厳な謁見の間に、腰掛けるは麗しきフォグランド公爵。そして隣に設けられた小さな椅子には、凛々しくなったエリーカ公子も座っている。


 ここは天空の公国フォグランドの宮殿だ。俺は公爵の前に跪いていた。


「はい、リーフを奪い返し、目的を遂げることができました。ムサカからの援軍の活躍で、エリア国の真正ゾア神教も次々と逃げ出していると聞き及んでいます。私も当初の予定通り、故郷のアイトープ国に帰ろうと思います」


「そうか、少し寂しくなるが、仕方ないな。逃げ延びた真正ゾア神教はゲリラ戦を展開するかもしれんが、そこは各国で協力して対応しよう。ともかく、汝の活躍は大したものであった」


 お褒めの言葉を頂き、俺は深く頭を下げた。


「それと、汝の本職は商人であろう。東方の良質な香辛料を持っているそうではないか、公爵家に売ってはくれまいか?」


 いたずらっぽく話しかける公爵に、俺は少しばかり戸惑った。


「そんな、公爵様のお口に合うかどうか」


「そんなもの私が賞味して決める。相場はいくらくらいだ?」


 公爵の目は本気だった。これはいける。ちょっとばかし釣り上げても良いだろう。


「それでしたら金貨100枚ほどで」


「そうか、それならば金貨500枚出そう!」


 あまりの即答。そして桁違いの破格。俺は絶句した。


「ええ、え?」


「私からの餞別だ。故郷に持って帰ってくれ」


 公爵がふふふと笑うと、周りの貴族や衛兵たちも笑った。


 宮殿を後にした俺が厩舎へ向かうと、アコーンの前によく見た背中が座り込んでいた。


「待たせたな!」


「遅かったじゃないか、オーカス……と、その袋は何だ?」


 俺はじゃらじゃらと金貨の詰まった革袋を片手に、すっかり元気になったリーフの元へ歩み寄った。


「香辛料が思ったより高く売れたんでな。さあ、行こうか」


 俺はアコーンを座らせて背中に跨った。その後ろには何も言わずリーフも座った。


 俺は行く当ての無いリーフとともに故郷へ帰ることになった。真正ゾア神教はまだエリア国各所に潜伏しているものの、最近はすっかり劣勢に立たされていると聞く。マグノリアをはじめ多くの援軍が駆けつけたためにすっかり勢いを失ってしまったそうだ。


 チュリルもマグノリアについて各地を戦って回るらしい。自分の能力がマグノリアの役に立てればとすすんでついて行った。


 ナズナリアはその火薬調合の技術を買われテリヌ国に招聘された。何でもフォグランド公国での戦いで新兵器を開発した話を王宮の火薬研究所が聞きつけ、高官からラブコールが届いたらしい。彼女は修道女として諦めていた夢を実現したのだ。


 だが例の顔中傷だらけの男はあの夜以来姿を消してしまった。あの炎に巻き込まれたのか、すでに逃げてマホニアの元に帰ったのか、それは誰にも分らない。あいつの消息だけは心残りだが、俺にもやるべきことはまだある。


 俺のやるべきこと。そう、この長い長い旅で金を稼ぎ、故郷を潤すこと。途中で思いがけない寄り道を挟んだが、今その目的はようやく達成されようとしている。


「オーカス、私のいない間にどんなことがあったのか全部話してくれ」


 背の低い高山植物咲き乱れる山道をアコーンに揺られながら進む俺たち。冷たい風が吹き、ぴったりと身を寄せ合っていた。


「全部ってなると大変だな、結構長かったもんな」


「それじゃあフォグランド公国ではどんなことがあった?」


「フォグランド? そりゃあ大変だったよ、色々と」


 ふとあの公爵の顔が浮かぶ。美しく色っぽい、あの笑顔が。


「……オーカス、なんか顔がだらしないぞ。そういえばあの公爵、随分お前を気に入っていたが、何かあったのか?」


 ぎくっ! 俺の頬を冷や汗が伝った。




 山脈を抜け平原を抜け森を抜け……俺とリーフの長い旅はようやく終わりを迎えた。


 なだらかな丘陵にうっそうとした針葉樹の大森林がいつまでも続く。夏でも冷えるこの地域は今の季節は夜は極端に短く、昼がやたらと長い。


 アイトープ国のクーヘンシュタット。枯れた土壌と極寒の冬に虐げられるこの土地は、人間の暮らす中でもかなり過酷な地域だろう。そんな場所も、俺にとっては懐かしき故郷に変わりは無い。


「戻って来たぞ!」


 暗い森に囲まれた街道を抜け、俺たちは小さな村にたどり着いた。丸太や木の皮で組み立てた素朴な家々の間を、屈強な男たちが行き来している。


 その男たちはラクダに乗った俺の声を聞いて飛び跳ねた。


「オーカス……オーカスじゃないか! よく帰って来たなあ!」

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