第十三章 戦乱の町パナット その4
「探せ、必ずどこかにいるはずだ」
ヤドリガは腕を振って兵に指示を出す。あちこち駆け回る兵士にぶつかるまいと、俺は静かに足を引っ込めた。
兵士たちは俺を探しているが、一向に俺がすぐ近くにいることには気付かないようだ。
「ああもう、本当に隠れてなんかいるのか?」
しびれを切らし、イラつきを見せる。あちこち行ったり来たり、落ち着きも無い。
「ヤドリガ様、やはり逃げたのでは? こんなに探してもいないのですし」
兵士の一人が不満を口にする。それを聞いてヤドリガはにやっと笑った。
「頭を使え、この女を探して奴は侵入したのだろう? 例えこんな状態であっても連れ帰ろうとするのが男と言うものだ」
ヤドリガは脇でぼーっと立っていたリーフの肩を寄せた。従順にヤドリガの胸に頭を押し付けるリーフに、俺はつい立ち上がりそうになった。
「貴様、早く出てこないとこの女がどうなるかわかっているのか?」
ヤドリガは高らかに笑うと、机の上に置かれていた燭台を手に取った。まだ蝋燭が刺さったままで、あかあかと室内を照らしている。
突如、ヤドリガはリーフの右手を掴むと、その指先を蝋燭の炎であぶり始めた。
悪魔のような微笑みのヤドリガに、無表情でただ炎を手に受けるリーフ。
やめろ! 叫び声を上げようと震えると、突如俺の背中を誰かがつかんだ。
チュリルの腕が俺の背に回されていた。この娘は自分の気を失いかけながらも俺を制止したのだ。
ここで叫べばすべて無に帰る。俺は口をつぐみ、耐えた。
ようやく手を引っこ抜くと、リーフの白い指先に水膨れが生まれ、赤く変色していた。見たところ軽い火傷で傷跡も残りそうに無いが、痛々しいのに変わりは無い。
何よりリーフに何てことをしやがるという怒りの感情で、俺自身が苦しい。
「まだ出てこないのか、ではこれならどうだ?」
次にヤドリガは懐からナイフを取り出した。戦闘にもろくに使えないような短いものだが、錆びひとつ無い刀身が切れ味を物語ってる。
そしてその小ぶりの刀身をリーフの眼の前でちらつかせると、首筋にふっと刃物を触れさせたのだった。そんなことまるで気付いていないかのように、リーフはただ虚ろな瞳を誰もいない部屋の隅へと向けていた。
この野郎! 立ち上がろうとする俺を、チュリルは必死で押さえた。
だがもう我慢の限界だ、これ以上放っておくことはもうできない。
「どうなるかわかっているだろう、と、傷物にする前に私も楽しませてもらおうか」
ヤドリガはナイフを柔らかい頬からすっと離した。そして突き付けた先は胸元だった。
ついに俺は爆発した。腰に差したナイフを抜き、ヤドリガ向けて投げつける。
ナイフは回転しながらヤドリガの左腕へと飛び、その腕に突き刺さった。
そう、突き刺さったはずだった。だがどういうことだろう、俺のナイフはすっとヤドリガの腕に吸い込まれ、そのまま消えてしまったのだ。
何が起こったんだ? そう叫ぶ間もなく、俺は後悔した。
兵士が皆驚いたような眼を俺に向けている。俺の透明化は解かれ、傍らには泣き出しそうな表情のチュリルが壁にもたれかかっていた。
「いたぞ、始末しろ!」
ヤドリガの声に兵士たちは雄たけびを上げながら一斉に飛びかかった。
俺は背中の剣を抜くと同時に、振った。鞘を滑らせて力を蓄えた刃物は普段以上のスピードと力強さで空間を切り裂き、間合いの中にいた兵士たちをことごとく薙ぎ払った。
金属の鎧ごとぶち壊しながら、俺は剣を振り続けた。おかげで敵兵は近づけず、10人ほどが壁際に追い込まれた俺を相手に立ち往生している。
「リーフに手を出すな!」
鋭い眼光をヤドリガに向け、吠えた。
「私もそのつもりは無い。ラジローに何か言われては面倒なのでな」
ヤドリガはリーフを解放し、元の部屋へと戻した。その手つきは思った以上に丁寧だ。
「お前がオーカスだな。そしてそちらのお嬢さんは……まあいい、あとでゆっくり聞くとしよう」
ヤドリガはこつこつと床を鳴らしながら近付いた。その目は不敵に笑っている。
俺は剣を振りながら、無言で睨み返した。兵たちが間合いを詰めるのに機会を窺う中、ヤドリガは武器さえも構えずずかずかと俺の射程に踏み入った。
すかさず剣を入れた。ヤドリガの首に太い刃物が食い込み、そのまま振り切った。ヤドリガの頭は吹き飛び、そのまま床を転がる。
そう、転がるはずだった。
だが俺の剣はどういうわけか、すっとヤドリガの首を何事も無く空振ってしまった。もちろん首はまだつながっている。
どういうことだ?
俺は言葉を失いながらも、すかさず二発目を叩き込んだ。今度はヤドリガの胴めがけて突き刺すような動きだ。
俺の両手剣がヤドリガの胸を貫いた。だが血は一滴も流れず、手ごたえも無い。何も無い空間で素振りをしたのと同じような感触だ。
「驚いているようだな、せっかくだから私の授かった奇跡を教えてあげよう」
ヤドリガは自分の胸に突き刺さった剣の刃にすっと手を当てる。
突如、カーンと金属同士がぶつかる音が響き、俺の腕に凄まじい衝撃が走った。剣を打ちつけられたような感覚に、俺は両手剣を床に落とした。
不可解すぎる。こいつの力は何だ?
「私の身体は受けた攻撃を『記憶』し、好きな時に『再生』することができるのだ。もちろん私自身は無傷のままでな」
「……どういうことだ?」
困惑する俺に、兵士が腹を抱えて笑っている。
「簡単に言ってやるよ。お前の攻撃と同じものをヤドリガ様は身体から放つことができるんだ」
「そう、この力を使えばこのようなこともできるのだ」
ヤドリガが俺に向けて手をふっと掲げた。何をするつもりだ?
突如、俺の身体にチュリルが飛びついた。おかげで俺は揺さぶられ、横に倒れてしまった。
その直後、ヤドリガの手から何かが飛び出し、壁にぶつかり高い金属音を上げた。
ナイフだった。先ほど俺が投げたばかりのナイフがヤドリガの掌から高速で回転しながら現れたのだ。もしあの場に立ったままならば、心臓に刃を受けていただろう。
「ちぃ、悪運の強い奴め」
ヤドリガは床に崩れた俺を睨みつけながらも、再び手を俺にかざした。今度は確実に殺すためだろう、わざわざしゃがんで手を直接俺に触れさせようとしている。
もしもあれに触れれば、俺が放ったもう一発分の剣と同じダメージが俺にくる。普段から自分で放っている剣だからこそ、その威力は自覚している。
だが今、両手剣を床に落とした俺にあいつの攻撃を防ぐ手段が無い。まずい、何か回避する方法は無いものか。
その時、俺の腰を掴んでいたチュリルの姿がふっと消えた。娘が消えたことにヤドリガも「ん?」と声を上げる。
次の瞬間、ヤドリガは何かに足を取られ、盛大にずっこけてしまった。
「わわ、何事?」
突然の攻撃に床に頭をぶつけ、うずくまったままのヤドリガ。兵士たちもどよめいている。
だが俺には分かった。チュリルだ、あの少女が身体に鞭打ってヤドリガに不意打ちを食らわせたのだ。
そしてわかった、こいつは受けた攻撃を無効化するようだが、それはいつでもとは限らないようだ。攻撃を受ける時に『認識』している必要があるようで、不意打ちにはすこぶる弱い。
俺は床に転がるナイフを拾い上げ、うずくまるヤドリガの首筋に突き刺した。今度は手ごたえもある。
「っ!」
叫び声をあげる暇も無く、ヤドリガは息絶えた。真っ赤な血を噴出し、そのままピクリとも動かない。
「あわあわ、あのヤドリガ様が……」
兵士たちはナイフ一本だけの俺を前に、完全に戦意を喪失していた。今まで無敵のヤドリガがこうもあっさりと敗れたことが信じられないようだ。




