第十三章 戦乱の町パナット その1
休むことなく山を駆け下り、高山の冷えた空気も平野の熱風へと一変する。
朝の太陽を背にパナットへと走り続けると、思った以上に早く到着した。山の馬はどいつも尋常ならぬ健脚というのは本当だ。
赤土の平原には所々に牧草が生え、羊飼いが大群を率いているのを何度も横切った。夏の終わりは近付いているが、雨まではもうしばらく待つ必要がありそうだ。
平坦な大地からパナットの家々が見え始めると俺たちの足もさらに速まった。黒い煙がもくもくと立ち昇っていたからだ。
真正ゾア神教がパナットを占領した後、奴らはエリア連合海軍を撃退したと聞いている。しかし今、目の前の港町はエリア連合国の歩兵師団によって完全に包囲されていた。
さらに援軍として駆けつけた別のエリア国の戦艦が沖に停泊し、容赦なく砲撃を行っている。海戦で活躍したエダリスを失った今、教団に戦艦を沈めるだけの決定打は無いようだ。
「何者だ、農民はすぐに引き返せ!」
何も無い平野を走り抜ける俺たちは遠くからでも目立ったようで、すぐに軍隊から兵士が二騎、駆けつけてきた。
「パナットで捕らえられた仲間の救出に来た。ほら、フォグランド公国の後ろ盾もある」
俺は胸に付けた勲章を見せつけた。
兵士は目を丸くし、「失礼しました!」と俺たちを案内した。
あとは兵士の言いなりだった。エリア連合国軍の寝泊まりするテント村を抜け、特に大きく立派なテントの中に連れ込まれると、この一個歩兵師団を率いる中将の前に通された。
中将は簡素な机であってもしゃんと背筋を伸ばし、豊かな白髭と彫り込まれた皺、そして祭祀用かと疑うほど鮮やかな金色に彩られた鎧。いずれも下民では近付きがたい厳かさがあった。
「フォグランド方面から敵兵が降りてきたと思ったら……ついにテリヌ国も動いたか。そうなれば近日中にもここまでテリヌの軍勢が助力に来るだろう」
中将は俺の胸の勲章を疑い深い目でじっと見ていたが、真贋を確認するとにっこりと笑った。笑えば意外と親しみやすい雰囲気の好々爺だ。
「聞いた話ではパスタリアにも真正ゾア神教に反対する勢力がいるそうだ。それらがこちらに向かっているという情報もある。備蓄もあるし、パナットをもう一月も包囲すれば敵も音を上げるだろうね」
「いえ、それでは遅いのです!」
テントの中で立っていた俺は前に一歩踏み出したかったものの、脇に控える兵士の視線が気になって下手に動けない。静かに、それでもなるべく強く訴えた。
「奴らの能力は常識を逸脱しています。通常の戦法が効くとは限りませんし、敵の援軍もいつ現れるかわかりません。早く手を打たないと、取り返しのつかないことになります」
「君たちの目的は確かさらわれた預言者の奪還だったかな?」
中将は子供っぽくも真剣な口ぶりだった。俺の隣に立つ傷だらけの男も「はい」と答えた。
「現在、真正ゾア神教は戦闘の得意な仲間の援軍を待っています。自分からは動かないでしょう。預言者リーフをラジローが殺さずにわざわざさらっていったことには何かしら重要な意味があるはずです。きっと今も町のどこかで監禁されているはずです。幸いにも我々の仲間に侵入の得意な者がいます」
俺の背中からチュリルの小さな影がすっと前に出て、中将に深々と頭を下げた。
「ほっほっほ、これは可愛らしい密偵だこと」
中将の顔は孫を見るようだった。だが、すぐに机に手をついて立ち上がった。
「うむ気に入った。私の常識ではこの戦いは乗り切れん、キミたちに任せるとしよう!」
中将の呆気ない返答に、逆に俺たちが面食らった。あまりにあっさりし過ぎているので聞き返してしまった。
「よ、よろしいのですか?」
「勿論。キミたちは早く仲間は戻って来てほしいだろう。それに私たちとしても敵にはさっさとこの町から出てもらってほしいんだよ」
一瞬、お茶目な中将の顔に影が差した。そして気付いた。俺がリーフを救出した場合、真正ゾア神教は懸命になってリーフを追うだろう。その際に城壁の外まで出られたら、敵も外へと追ってくるのは容易に想像がつく。
パナットにいる教団兵は現在多くて7000ほど。フォグランドへの出兵で3000を使ったばかりだ。
それに対して中将率いるエリア連合歩兵師団は少なくとも15000はある。戦力差から見ればどちらが有利か、誰でも分かるだろう。
一旦外に出た敵は待ち構える歩兵師団と戦わねばならない。俺たちは自分の目的達成とともに、エリア連合にとっても都合が良い駒になるのだ。
この爺さんめ、一見人当たりが良さそうで、狡猾な一面を隠していやがる。軍人とは思えぬこの人が中将まで上り詰めた理由がなんとなくわかった気がした。
夜になっても沖からの砲撃は止まらない。一発一発の威力は弱く命中は悪かろうとも、こうも休まず攻撃が続けば敵も安眠はできないだろう。
高さ最大15メートルにもなる城壁の上では敵兵が巡回しているのか、いくつもの灯りが行ったり来たりしている。途中で穿たれた壁面や塔の採光窓からも光が漏れ出ているので、中には思った以上の兵がいるのかもしれない。
俺と傷だらけの男は石造りの城壁に背中を押し付けながらチュリルの手を握っていた。今はチュリルの能力のおかげで姿は見えないはずだが、やはり目立たないような場所に落ち着いてしまうのは人の性か。
「旦那、本当にここかい?」
チュリルが心配そうに俺の顔を覗いた。
「ああ、あいつの話が本当ならな」
昼間、俺と傷だらけの男は教団兵の捕虜の拷問に立ち会っていた。
公国から逃げ帰った教団兵は、命からがら帰ってきてみると既にパナットが包囲されているのを目撃した。彼らはパニックに陥り、完全に統率を失った。
山に逃げる者、平野に消えて行った者、そして降伏した者。そんな教団兵の一部は師団に捕らえられ、重要な情報源になっていた。
黒地で外の光を遮断したテントの中、わずかな蝋燭の灯りに照らされて、縄につながれた一人の教団兵が幾度と鞭を受けていた。
「さあ吐け、あの城壁に侵入するルートはどこだ?」
上半身裸の教団兵の背中に、エリア連合の兵士が鞭を打ち込んだ。高く鋭い音が耳を突き刺し、同時に背中の皮が裂けて血が飛び散る。「ひああ!」と教団兵の悲痛な叫びも、不気味で聞けたものではなかった。
「い、言ったら俺がカーラ様に殺される……」
「ほう、それなら今死ぬか?」
「わ、わかったよ! 城壁には雨樋が連なる場所がある。そこだけは上からも見えづらくて、足場になるものも多いから身軽な奴なら登れるよ!」
「雨樋? 嘘じゃないだろうな?」
「うんうん、本当だって! 酒場の爺さんが、そうやって侵入してきた盗賊がいたことを話してくれたよ!」
「これのことか?」
壁沿いに歩き回り、俺たちはやや窪んだ壁面を発見した。上を見ると、窪みに沿っていくつも彫像を兼ねた雨樋が突き出している。
なるほど、無理をすればここを上れるかもしれない。俺は懐から紐を取り出した。
俺とチュリル、それから傷だらけの男は互いに無言で頷くと、まずは俺の背中にチュリルが飛び乗った。そしておんぶした状態から俺の身体ごと紐で固定した。これで絶対に離れない。
「構造はこの地図の通りだ、いいな?」
傷だらけの男がお手製のパナットの地図をチュリルに手渡した。
「ありがとう、じゃあな!」
俺は窪みに手と足をかけ、そのままゆっくりと壁面を上り始めた。さあ潜入の始まりだ!




