第十二章 天空の公国フォグランド その8
鳴り渡る金属音。あちこちで上がる悲鳴。そして漂う血のにおい。
城壁の前は敵味方入り乱れての大混戦となっていた。
公国兵が敵を斬りつければその後ろから敵兵に突き刺される。槍の一振りで一気に三人を倒したと思ったら、飛んできた弓矢が喉を貫いてそのまま倒れる。
どちらが有利なのか不利なのかもわからない、
俺はといえば馬に跨ったまま愛用の両手剣を振っていた。俺の武器は元が長いので馬の上からでも扱いやすい。故郷では馬上での戦闘も想定し、訓練を受けていた。
「どりゃっせい!」
振った大剣が敵の首筋に入り、そのまま頭を刎ねる。首の無い死体は血を噴出しながら倒れ、それを見て怯んだ別の兵士の首もついでに落とした。
傷だらけの男もこの混乱の戦場で馬を乗り回し、懐から火薬瓶を取り出しては的確に教団兵に向けて投げ込んでいた。
城壁の上にいた弓兵もこう敵も味方も混在しては誤って仲間を射殺してしまいかねないので、大半が剣に持ち替えてこの白兵戦に飛び入った。
敵兵を次々に斬って蹴飛ばして、俺はようやく目指していた場所までたどり着いた。
テッソとエダリス。厄介な二人はどうしてもさっさと倒しておきたかった。特にこいつらがいなくなれば敵の戦力も大きく削がれるのだ。
「うおおおお!」
雄叫びとともに俺は突っ込んだ。このままテッソもエダリスも馬で蹴飛ばしてしまおう。横に跳び退けばすれ違いざまにそこに剣を叩き込む。
だがテッソは一歩も動かない。じっとこちらに眼光を向けたまま、根が張ったようにその場にとどまり続けている。
何をするつもりだろう。だが坂道で勢いに乗った俺は止まることはできなかった。自由落下にも等しい最高速で馬を突進させ、目の前のテッソめがけて剣を振り上げた。
だがそのとき、すぽっと俺の身体だけが投げ出された。
空中で回転しながら俺が見たのは、両手を合わせたテッソのすぐ正面で、不自然に脚を上げたままピタリと動かなくなっている馬だった。
どういうわけか、馬は突然動きを止められ、そしてそれに乗っていた俺だけが勢いを殺さず慣性で進行方向へとすっぽ抜けたようだ。俺の身体はテッソ、そしてエダリスと女を飛び越え、そのまま草の生い茂る斜面に叩き付けられた。
「あぐがっ! はぎゃっ!」
回転して背中から落下したのが幸いだった。俺は前転の形で坂道を転がり落ち続け、なだらかな斜面のところでようやく止まった。
背中も足も腕も、全身を打ち付けて激痛が走る。だが頭は守った。意識はしっかりある。
どうやら斜面を20メートルほど転がったらしい。馬を横に倒し、さらに斜面をずんずんと登って行くテッソたちの背中が見える。
早くあそこに行かないと。痛みに耐えてゆっくり立ち上がると、俺の頬に冷たい何かが触れた。
じっと視線を移すと、敵兵が俺の背後から剣を頬に当てていたのだ。それだけではない、周りにはざっと見渡しただけで五人、完全に俺をマークした兵士が武器を構えていた。
両手剣は転がっている最中に手から離れてしまった。俺はかつてない大ピンチに直面していた。
「まさか例の商人が自分から突っ込んでくるとはなあ」
頬に剣を当てた兵士がにやにやと笑っている。俺の話はおそらくテッソかスオウあたりが仲間に広めているのだろう。
「散々真正ゾア神教に抗ってきたお前も今日で最期だ。俺たちの手で安寧の地へと送られるんだぜ、良かったな」
別の兵も剣を突き出し、俺の目の前で刃を振った。まるで追い詰めたネズミを嬲り殺す子供のようだ。
そんな連中の顔を一人一人じっと見比べ、俺は静かに言った。
「切りたかったら切ってみな。ただし、その瞬間お前ら全員も巻き添えだぜ」
兵士たちが顔を歪めたので、ここぞとばかりに俺はにやりと笑ってやった。
「どういうことだ?」
「火薬を見たろ? あれと同じものを俺も体に仕組んでいる。もし俺が切られたら仕掛けが作動して、身体中に隠した火薬が一気にさく裂するのさ。あの樽爆弾と同じくらい、いやそれ以上の大爆発がお前らを消し飛ばすぞ」
戦いの中で何度も見てきたあの驚異的な威力。それを思い出してか、全員が互いに顔を見合わせ、つばを飲み込んでいる。
「嘘をつくな!」
兵士が俺の喉に剣を突き立てた。だが俺の肌を傷つけることはしない。こいつらは俺の言葉を信じてはいないように振る舞っているが、内心ものすごくびびっている。
「嘘じゃないさ。あ、ほら火薬がこぼれちゃってるよ」
俺は懐に手を突っ込んだ。再び外に手を出したときには、黒い火薬の粉ですっかり汚れている。
「こりゃあもういつ爆発するかわかんねえな、今すぐかもしれねえ」
「おい、すぐにこいつの首を刎ねろ!」
「おいおい、そんなことしたら間違いなく大爆発だぜ。あ、これ本当にやばいわ、あはははは、どかーん!」
最後の擬音だけ、腹の底からの大声で叫んだ。それにビビった兵士たちは尻もちをついたり方向転換して逃げ出したりと情けないことこの上ない。
一方の俺はというと爆発なんて全くしていない、傷だらけだが原型のままだ。土壇場での口車がなんとか通じたようだ。
実際に持っていた爆薬は懐に忍ばせた最後のひとつの瓶だけだったが、先ほど転がっている内に割れてしまった。その火薬もうまく小道具に使えたようだ。
さあ、相手が怯んで間合いが取れた。幸運にもビビった兵士の一人が剣を落としている。
俺はすかさずその剣を拾い上げ、立ち上がりざまに尻もちをついた兵士の喉に剣を突き刺した。声も上げず倒れる兵士に、散った仲間たちもようやく状況を把握した。
今だ。俺は駆け出し、坂道を上った。後ろから追いかけてくるようだが敵は皆重い鎧を着込んでいる分動きが遅く、普段着の俺には追い付かない。
途中で落とした両手剣も拾い、気分の乗った俺はさらに足を速めた。
「エダリス、覚悟!」
両手剣を振り上げ、俺は背中めがけて突っ込んだ。振り向いた三人は完全に不意をつかれた様子で、驚嘆の表情を浮かべていた。
だがもう遅い。俺の振った剣はエダリスの胸を斬り裂いた。
今一つ入りが甘かったか、エダリスがのけぞって背中から倒れると同時に鮮血が飛び散るが、量は多くない。
「まだ生きていたか!」
テッソが腰から剣を抜いた。胸を軽く金属で覆うだけの軽装ゆえか、高速の剣裁きで俺に斬りかかる。
飛び退いて距離を取ると、テッソはそんな俺を追って剣を構えたままじりじりと近付いてきたのだ。その間にも倒れたエダリスに女が抱き着いた。
くそ、あともう少しだったのに。
「オーカス、私はあなたを殺したいほど憎んでいる」
テッソの目は氷のように冷たくあり、炎のように燃え盛ってもいた。抱えきれぬほどの憎悪で見た者を震えさせる、そんな目だった。
「ああ、シルヴァンズ司教のことは俺も残念に思う。恨みたいなら好きなだけ俺を恨め」
「違う、そうではない!」
拒絶の言葉を発しながら、疾風の如く剣を振るテッソ。俺とは対極的な細身の剣だが、その技能は優れていた。
「私は真正ゾア神教を心より信奉している。我々の模範たる立場にありながらあなたたち旧教に加担した司教はいわば背徳者だ! だが司教を背徳者に仕立てたのはあなたたちだ!」
俺は黙って剣を構えた。俺に譲れない信念があるように、こいつにも変えられない想いがある。言葉での理解はただ相容れないだけだ。ここは戦場、あとは剣で決着をつけるしかない。
そのころ、テッソの背中では今もなお事切れそうなエダリスに女が抱き着いていた。
その時、ぱあっとエダリスが光に包まれた。女が命を分け与えているのだ。
目を開きゆっくりと起き上がるエダリス。だが同時に、女がエダリスの胸に倒れてしまった。明らかに顔色は先ほどより青白くなっている。
エダリスが女を揺さぶり、顔をぺしぺしと叩く。だが女はぴくりとも動かなかった。
その時戦場の真ん中で、エダリスは涙ぐんだ。そして女を丁寧に寝かせて立ち上がると、万全とは言えない体を引きずりながらゆっくり坂を登り始めた。
「待て、エダリス!」
俺は叫んでいた。あいつを行かせてはならない!
「そうはさせるか、相手は私だ!」
テッソが俺の前に飛び出た。連続して繰り出される超高速の突き。まったく隙が無く、俺は避けるだけで精いっぱいだ。
絶え間ない攻撃に押され、後退する。その間にもエダリスはさらに斜面を登り、俺たちとの距離はどんどん離れていく。
テッソの隙の無い攻撃。だが剣に精通する者同士、次にどこを攻めれば良いのかは大方予想がついていた。
俺はわざと足を前に出し、剣を高く持った。がら空きになった俺の脇腹。そこをテッソは見逃さなかった。
急滑降する猛禽のような一閃を俺の脇腹に突き刺す。この時を待っていた! 俺はすかさず剣を振り下ろした。
いくらテッソの技術が優れていようと、剣の重みと腕力で俺に敵うことは無い。テッソの細い剣は俺の全力の一撃で容易くへし折れた。
「まさか騙されるとは……」
すかさず飛び退いて俺の追撃を逃れたテッソ。息を荒げながら武器を失った右手を押さえているのは、俺の一撃が手首まで響いたからだろう。
「レスリングでは負けたが、この勝負は俺の勝ちだな。じゃあ急ぐんでな!」
俺は苦笑いしてエダリスを追った。その時、足首を何者かに捕まれ、俺は前ずどんとにこけた。
「いてて、あれ?」
振り返っても誰もいない。いるのは相変わらず右手を押さえたまま立ち尽くしているテッソだけ。
それでもなお誰かに足首を掴まれている感触は残っていた。まさか?
「テッソ、お前の能力は見えない腕だな!」
俺が叫ぶと、テッソは肩を上下させながらも不敵な笑いで答えた。
「そうだ、私は近くの物ならひとつだけ、腕を使わずともつかんで持ち上げることができる。その力は私自身の腕力の10倍! 馬だって持ち上げ、放り投げられるほどだ」
さっき俺だけが馬から落ちたのも、このテッソのせいか!
「くそ、放せ!」
「誰が放すか。そこからエダリスによって公国が破壊される様を見ておくが良い!」
いくらもがいても、がっしりと掴まれた足は動かない。ゆっくりながらも今もエダリスは上へ上へと歩いて行くのに。
このままだと本当に公国は終わってしまう!
その時、テッソの後方に一騎の馬が駆け寄っていたことに、俺たちは気付かなかった。
「なああんた、もう剣も握れなくなってしまったらこの戦場、どうやって生き残るつもりなんだ?」
テッソが振り返った時にはすべてが終わっていた。あちこちで火薬瓶をばらまいていた傷だらけの男の接近を許したテッソには、既に瓶が投げられていたのだ。
火炎に身を呑まれ、絶叫する。同時に俺を掴む見えざる手の感触も消え、俺は駆け出した。
敵を剣で払いながら、とにかく全力で。
「エダリスうううう!」
またも背後からエダリスに近付き、俺は背中から斬りつけた。
今度はうまく入った。おびただしい量の血を噴き上げて、エダリスは前のめりに倒れた。
「よくやったな!」
すぐさま傷だらけの男が追いかけてきたので、俺は駆け寄った。
「ああ、ダメかと思ったけど、助かったよ。ありがと……?」
その時、俺の背後で強烈な光が煌めいた。まるで地上に太陽が現れたかのよう。
慌てて振り向くと、エダリスがまだ生きていた。倒れた状態で頭だけを城壁、さらに言えばその上の公子に向けて、大口を開けていたのだ。
口の中にはめらめらと燃え盛る火球が発生しており、火山の溶岩のように凄まじい熱を放っていた。
「せめて……せめて公子だけでも……」
「やめろ!」
俺が駆けだすと同時に、傷だらけの男は火薬瓶を放っていた。
エダリスに直撃した瓶はすぐに割れ、倒れた男は爆炎に消える。
直後、樽爆弾をもはるかに凌ぐ大爆発がエダリスを中心に起こった。




