第十二章 天空の公国フォグランド その7
「……テッソ!」
馬で再び距離を取りつつ、振り向きながら強く呟いた。
「知り合いか?」
傷だらけの男はテッソを知らないようだ。駆けつけた援軍の一員だろうか。
ラルドポリス司教シルヴァンズのお気に入りで、祝福を受けた男テッソ。レスリングの名手であるとともに、その能力は謎だ。一度対峙した時には離れていたのに首を絞められ、そのまま気を失ってしまった。
遠目で見えたテッソの目には憎悪が宿っていた。そしてその目を今もなお俺に向けている。
明らかに俺を恨んでいた。何を吹き込まれたのかは知らないが、あいつが俺を恨むような動機、いくらでも思い当たる節がある。
シルヴァンズ司教を間接的とはいえ死なせてしまったこと、真正ゾア神教にとって異端であるリーフを庇ったこと、ラルドポリスの仲間たちをリタ修道院の戦いで失ったことーーざっと思いつくだけでもこれだけはある。
だがここは戦場だ、うだうだ考えている暇は無い。
またも坂を駆け上がった俺たちは、破壊された城門まで後退した。
城門には既に木で組んだ簡易のバリケードが築かれていた。遠距離から破壊されたときを想定して、内側に隠しておいたのを急いで運んだようだ。
だがここも突破された場合、城下が例の火球の射程に入る。それだけは何としても食い止めねばならない。
城壁の上の弓兵が絶え間なく矢を放ち続けても、敵は勢いを殺さずずんずんと突き進む。
城門までもう少し、最後の直進の上り坂まで敵兵が到達し、味方の浴びせる矢の雨が勢いを増したその時だった。
「弓兵、全員伏せろ!」
城門のバリケードの向こうから突如現れた男たち。鎧は着ておらずガウンやローブを纏った非戦闘員だ。
彼らは二人一組で大きな樽を抱え、バリケードの隙間から城壁の外へと飛び出していた。
「オーカスさん、離れて!」
男たちに混ざっていたのはナズナリアだ。
また何かしでかすつもりか? 俺たちは城壁の脇まで逃げた。その間にも多数の男たちが山道に樽を並べていく。
「投下だ!」
一人の声に合わせて樽がひとつ、手放された。
坂道を転がって徐々に加速する樽は、敵陣の正面へと向かっていく。
隊列から特に重装備の兵が数名、前に飛び出し、これまた重厚な金属の盾を構えて受け止める体勢を作った。
予想通り、転がった樽は兵士たちの構える盾にぶち当たった。
そして樽は爆発した。山を引き裂くような轟音に、黒い爆風と赤い炎が周囲に炸裂し、盾を構えた兵だけでなく先頭にいた集団が一斉に10人以上、高く吹き飛んだ。
エダリスノの火球にも劣らぬ威力だ。
「な、何だありゃ?」
鼓膜が破れるかと思う大音響に、俺は両手で耳を押さえていた。
「こんなときのために作った特製爆弾です! 火薬瓶に改良を加え、大型化に成功しました!」
ナズナリアが胸を張って手を腰に当てる。
爆散した敵陣は大混乱だ。隊列が崩れ、隙間を埋めていた盾も乱れている。
「弓兵、一斉射撃!」
その隙を突いて城壁から兵士が弓を乱射する。盾を構え損ねた敵兵は次々と倒れた。
さらに敵が隊列を整え直せばすかさず火薬樽を転がす。ぶつかれば大惨事だと分かっているので部隊が二つに割れた。しかし反応の遅れた後方の兵に直撃してまたも大爆発が巻き起こるのだった。
この調子ならいける!
城門間際に来ての大攻勢に、公国の兵は皆そう思っていた。
「もう隊列など気にするな、突撃! あの樽を奪え!」
敵の指揮官は破れかぶれに剣を振った。それに呼応して敵大隊はばらけ、全力で走り来る3000の白兵となった。
分散して押し寄せる相手には、樽爆弾の効果も半減した。
組織立って密集した敵を崩すにはもってこいだが、的が小さくしかも自由に動き回っていれば当てるだけでも難しい。当たったとしても精々近くの2、3人が吹っ飛ぶのみだ。
その分弓兵が手の感覚を失うほど全速力で矢を放ち続け、ガードの緩くなった敵兵たちをバタバタと倒していく。
そんな弓矢の雨の中でも表情ひとつ変えず、ゆっくり、ゆっくりと山道のど真ん中を歩く者がいた。
テッソだった。奴に飛来した矢は目前で壁にぶち当たったかのように弾かれ、地面に落ちるのだ。その後ろにはエダリスが女を支えながら坂を上っている。だがまだ火球を放った疲れが抜けていないのだろう、片手に木の杖を持ってわっせわっせと足取りは重い。
それならばと俺は火薬樽をテッソめがけて蹴飛ばした。回転を増して斜面を転がり落ちる樽は、砂埃を立てながらテッソたちに向かう。
だが樽がまさに直撃する直前、テッソが両手を合わせて念じるようなポーズを取ると、勢いよく転がっていた樽がピタリと止まった。そしてゆっくりと空中へと浮き上がったのだ。
「な、何だあれは!」
俺も弓兵も、公国の兵はテッソの起こした奇跡の光景に目を奪われた。そして次にテッソが目を開いた瞬間、宙に浮いた樽がなんと俺たちに向かって放り投げられたのだ。
「に、逃げろー!」
樽は城壁に直撃した。石と煉瓦が吹き飛び、爆風に複数の弓兵が巻き上げられる。細かく砕けた壁土のシャワーが俺たちの身を打ち付け、公国兵の攻撃の手が休む。
その隙に敵は一気に駆け上がった。矢も爆弾も無い今、剣と槍で突っ込む歩兵たちは弾丸となって城門を目指す。
一方の公国兵はぽっかりと口を開けた城壁に慌てふためいた。今から即席でバリケードを築くにしてももう敵は目と鼻の先だ。
その時、城壁の内側から歩兵たちが飛び出した。もしもの時のために残しておいた公国最後の戦力だ。城門を守るため、背水の白兵戦を任された部隊。
だが彼らの多くは老人に少年だった。ろくに剣を握った経験の無い者も多い。皆腰は入っていないし、剣を握る手も震えている。厳しい訓練を受けた正規の兵士たちにとっては、取るに足らない存在でしかない。
正直なところもはや手詰まりだった。突破されるのは時間の問題だとふと感じた時、高らかに声を響かせるものがいた。
「怯むな、皆の者!」
城壁の縁石に登り、堂々と立ち上がる小さな影。手に持った剣は太陽の光を反射し、金星のように輝いていた。
その威厳溢れる姿に、敵も味方も皆立ち止まった。そしてその澄み渡る声に耳を傾けていた。
「フォグランド公国は建国以来800年、この高山に抱かれた地を守り続けてきた。幾度となく南北からの侵攻を受けながら、今日まで破られることは無かったのだ。これもすべてそなたたち誇り高き山の民がこの地を守ってきたからだ!」
エリーカ公子だった。いつ敵の矢を受けるかもわからないのに、その小さな体で戦場の者たちの視線を一様に惹きつけている。10歳の子どもとはとても思えない。民を統べるために生まれてきた王者そのものだった。
「私は公爵家に生まれ、ゆくゆくは皆を率いてこの国を守ることになろう。だが実際にこの国を守っているのは公爵家ではない。ここに集い、日々の糧を得ているそなたたちだ。公爵家など無くとも皆、恵みに満ちて、時には荒れ果てる山とともに生きていける。公爵家はそなたたちの団結の証であり、拠り所となればそれで良いのだ」
随分と思い切ったことを言うものだ。ここで公子は剣を振った。白刃がヒュンと風を切り、民を「おおっ」と呻らせた。
「しかしこの地を、この山を奪われることを私は許さない。いかに肥沃な土壌があろうとも、私は山を離れたりしない。皆はどうだ、この山を守りたいか!」
公国兵が一斉に沸き立った。
「そうだ、そうだ!」
「俺もこの山を守る!」
民の声を聴いて公子はふっと微笑む。そして再び剣を天高く突き上げ、一際刀身を輝かせた。
「そうだ、私もだ! さあ、我々の安寧を奪わんとする敵を追い払おう! ともに戦ってこの山を守ろうぞ!」
凄まじいまでの歓声と雄叫び。公国兵の士気が目に見えて向上し、数で勝る敵兵は恐れおののき二の足を踏んだ。
突撃する公国兵。その勢いは騎馬隊をも凌駕していた。
当然ながら圧倒される敵兵。だが、中にはそうではない者もいた。
「なるほどなあ、あのガキが大将か……皆、あのガキを生け捕りにしろ! 成功した者には一生かけても味わえないだけの褒章を用意する!」
エダリスが叫んだ。途端、敵兵の中でも勇敢な何人かが突撃を始め、つられて周囲の兵も声を上げて突撃に参加した。他の兵へ他の兵へと伝播した士気はやがて敵兵全体に伝わり、巨大な鉄色の塊となって公子へと向かっていった。
「この山を、公国を命を懸けても守れ!」
「あのガキをよこせぇ!」
植物と岩に覆われた山の斜面にて、ついに二つの軍勢は真っ向からぶつかり合った。
エダリスの能力は平成ガメラをパク……リスペクトしました。




