第十二章 天空の公国フォグランド その5
「真正ゾア神教のパナット配備軍は1万。パスタリアから援軍が来ればまだまだ増えるでしょう。ですがここに来るのは多くて3000。山脈を越えるのに1万は動きづらいでしょう」
「公国の人口は1万にも満たない。戦える者をかき集めても1000行くかどうかだ。今すぐテリヌ国に援軍を頼もう」
公爵の言葉に臣下の一人が立ち上がった。すぐに脇に控えていた兵士に一言伝えると、兵士は駆け足で部屋を出た。
「ここに来る可能性のある祝福を受けた者は10名以上います。パナット防衛のために実際に来るのはもっと少ないでしょうが、その者たちについてお話ししましょう」
傷だらけの男は現在パナットにいる者について、奇跡の力を皆に教えた。その中にはカーラとその御付きであるスオウもいたが、特に危険だとされる人物はまた別だった。
火炎熱線のエダリス。パスタリア南部出身の元傭兵で、授かった力は口から鉄をも融かす超高温の炎を吐くことだという。以前シシカで出会ったトドーマは口から吹雪を巻き起こしていたが、それとは逆だと言ってよい。
恐ろしいのはその威力で、遠く離れた標的であってもこの炎は直進して狙い撃つようで、パナットの海戦ではエリア連合国軍の船を陸地からことごとく焼き払ったという。峠を越えられて城が目に入れば、その時点で炎を浴びるだろう。
しかし一度炎を放てば再び吐き出すのにしばらくの休憩が必要なようで、あまりに多くの敵が現れればその隙を突かれることもあるらしい。現にパナットでは敵の船が多すぎたために攻撃が間に合わず、真正ゾア神教の船も何隻か沈められているようだ。
「もしエダリスが出陣した場合、早急に撃破するのが得策かと思います」
傷だらけの男の言葉に耳を傾けながら、公爵はふうんと口に手を当てた。正直色っぽい。
「山道脇には見張りのため兵を隠しておく場所が複数ある。そこに兵を置き、常に目を光らせておこう。特にそのエダリスという者が現れれば、真っ先に報告するよう早馬も用意しておこう」
公爵が言うとまたも臣下の男が脇にいる兵に目配せをして、兵が外に出て行った。この国の無言の連携は見事なものだ。
「だが我々は奇跡の力を持った者の顔を知らぬ。汝には申し訳ないが、ひとつ手を貸してくれぬか?」
公爵は傷だらけの男をじっと見た。男は喉を鳴らしたが、すぐさま頭を下げた。
「公爵の言葉は我が主の言葉にも同じ。喜んで動きましょう」
二日後、朝の太陽に照らされながらも、俺と傷だらけの男は冷たい風にさらされて、ひたすら身を震わせていた。
山道脇の死角にこんな溝が掘られているとは思ってもいなかった。この溝を通ればフォグランド城下まで一直線に帰ることもできる。
「なあ、本当に奴らは来るんだろうな?」
「当り前だ。さもなくば私が公爵にお伝えしに忍び込むわけが無かろう」
お前、その前に俺に見つかってたじゃねえか。
「もうそろそろ来るはずだ、目にゴミが入ってもまばたきするんじゃ――」
軽口を言っている口が止まった。尾根の向こう側から黒い影が少しずつ現れている。
「来たぞ!」
俺たちは身を屈めた。影は巨大な帯となって尾根を伝っている。敵の大集団だ。
俺は戦慄した。こんな行進、見るのも初めてだ。
敵兵はいずれも重厚な鎧に身を包み、一歩ごとに不快な金属音を響かせている。
「……いた! エダリスが先頭にいる!」
傷だらけの男は集団の真ん中に立つ男を指差した。他の兵士が鎧で武装しているのに、この男だけは何の武器も防具も持たず、手ぶらに茶色のマントだけを羽織っている。
歴戦の勲章だろうか、なびくマントからは左腕が見えない。黒い髪の毛は短く切りそろえ、口髭もきれいに整えている。
「急いで伝えるぞ、馬に乗れ!」
俺たちは用意していた馬に乗り、城へと急いだ。アコーンは山道は苦手なので、城で休んでいる。
高山植物咲き乱れる山道を抜け、秘密の地下通路から城へと潜り込む。
「どうでした?」
待ち構えていた伝言役の兵士にエダリスが来たと伝えると、すぐさま太鼓が打ち鳴らされ、皆が警戒態勢に移った。
「民はテリヌ国側に避難! 兵は守りを固めよ!」
城下を慌ただしく行き来する人々の真ん中で、口々に兵士が叫ぶ。馬車に家財一式を積んで逃げる一家の中で、年端も行かない息子だけが鎧を着込んで互いに別れを惜しんでいた。両親は鎧の上から息子を抱きしめ、涙ながらに息子を鼓舞している。
一旦城に戻った俺たちだが、すぐに配置に着く準備に取り掛かる。そんな時兵士の行き交う部屋の中で、俺はナズナリアに声を掛けられた。
「オーカスさん、もしもの時にはこれをお使いください」
目の下にクマを創りながらも、ナズナリアが渡したのは陶器製の小さな壺だった。例の火薬瓶の改良版だと言う。
公国にも火薬の製造技術はあり、火砲もそれなりに揃ってはいる。しかし火薬の威力はリタ修道院で開発されたものの方が高く、この数日間ナズナリアは火薬工場で特製火薬の製造に勤しんでいたのだ。
このおかげで火砲の射程も兵の装備も格段に向上したと公爵からお褒めの言葉を頂いたが、ほとんどぶっ続けで作業に関わっていたためにナズナリアはすっかり疲労困憊していた。
「私はこれからも火薬の製造を続けます。必ずや敵を追い返してください!」
「当り前だ、任せろ!」
俺は胸をドンと叩いた。
「オーカスさん!」
またも背後から声を掛けられる。振り返ってみると、ぶかぶかの鎧を着込んだエリーカ公子が剣を握って立っていたのだ。
「公子様! なぜここに」
「私はあなたに感謝しなくてはなりません。あの夜言われたことは毎日欠かさず行っております」
公子は剣を抜いた。細身の軽い剣だが、きらめく湖水のような美しい刀身だ。
「私はまだ幼く非力です。ですが、何かあった時にはこの剣で母様を守り、公子の名に恥じぬよう努めましょう」
エリーカ公子が剣を振った。数日前とはまるで違う剣風に、俺はこの幼き貴公子の覚悟を心底感じた。
「ご立派です公子。ですがご安心ください、我々はあなたにその剣を握らせたりはしません」
公国の兵が配置に着いた。尾根伝いに城下を取り囲む城壁には弓兵、山道からの死角となっている窪地には騎兵が置かれる。それに加えて例の火薬瓶と火砲を備えた別動隊も所々で待ち構えている。
俺たちは城壁に備わった高い見張り台の下で、馬に乗っていた。正規の兵でない俺たちはいわば遊撃部隊であり、戦況に応じて自由に走り回って良いと許可をもらっている。組織立った戦闘に参加したことの無い俺にはこの方が動きやすくて好都合だった。
それに相手は奇跡の力を持っている。大軍で作戦を立てても敵うかわからない以上、戦場で臨機応変に戦える者も必要なのだ。
見張り台の上で兵士がじっと目を凝らし、ついに山影から這い出た軍勢を視界にとらえる。
「来たぞ、作戦開始!」
兵は見張り台に備え付けられたラッパを吹いた。高山地帯に高らかに金管の音が響き、兵士たちも掛け声を上げた。
「さあ、俺たちも出撃だ!」
馬に乗って見張り台を離れる俺と傷だらけの男。その時だ、敵の軍勢の戦闘が一際光ったかと思うと、そこから真っ赤な炎が放たれ、こちらに飛んできたのだ。
巨大な炎、いや、もはや赤い光の筋は俺たちの頭上を通過すると、その途端猛烈な熱風が俺たちを襲い、馬も速度を落とした。
そして巨大な火炎がまっすぐ見張り台に突っ込むと、石造りの見張り台は大爆発とともにたちまち炎に包まれ、焼け落ちてしまった。あのラッパの音はもう聞こえない。
なんという威力と正確さ。まだ相手はアリよりも小さくしか見えていないのに。
「驚くな、この程度ならまだ全力ではない。エダリスが本気を出せば一個小隊が一撃で全滅する」
震えあがる俺に、傷だらけの男は平然と言った。今まで戦ってきた連中でも、ここまで本気でやばいのは初めてかもしれない。
だがこれも予想の内だ。すぐさま山道脇に隠れていた騎兵隊が雄叫びとともに飛び出し、敵の軍勢に突っ込んでいく。
襲い来る騎兵隊に気を取られている敵兵。そこに大砲を撃ち込むのが別に隠れている火砲部隊だ。敵陣の中央に落ちた大砲はさく裂し、黒い煙を上げて敵陣を混乱させる。
そんな状況を高台から見下ろしながら、俺たちは出陣の機会を窺っていた。相手は真正ゾア神教、一騎当千の能力者を抱える異常集団だ。普通の軍隊相手なら通用するこの作戦も、いつ破られるかは定かでない。
「来るぞ、二発目だ!」
傷だらけの男が叫んだ。直後、軍勢の先頭に光りが集まり、またしても巨大な炎が放出される。
狙われたのは騎兵たちだった。機動力にすぐれた騎兵も、高速で突っ込んでくる火球には対処の仕様がない。100人ほど隠れていた騎兵の内、数十は迫りくる炎に包まれ、一瞬で炭になった。着弾後も炎は大爆発を起こし、炎の風を辺りに巻き起こす。
その威力はすさまじく、俺たちの立つこの場所にも生温かい風がふっと届いた。残されたのは半減した騎兵と、植物が焼け、岩さえも溶けて赤く輝いている山肌のみ。
しかし公国の騎兵は足を緩めなかった。見事な馬術で坂を駆け下り、敵兵に突っ込んでいった。エダリスの攻撃が次に来るのはしばらく時間を溜めてからだ。
崩れる敵陣。容赦なく浴びせられる砲弾。兵の数では不利ながらも、公国は現在圧倒的有利だった。
「俺たちの出る幕、無いかもしれねえな」
そんな軽口を叩いていた時だ。あれだけ降り注いでいた砲弾の雨が、ついぞピタリと止んでしまった。
何事かと思いよく目を凝らして見ると、火砲部隊の隠れていた窪地にも少数であるが敵兵が攻め入っていた。不意を突かれた公国兵は奮戦虚しく、次々と倒れていく。
しまった、敵も大隊だけでなく別ルートで小隊を送り込んでいたのだ。わざと目を引くような大隊でそちらに注意を向けさせ、事前に山に放った小隊で山道脇の奇襲に適した場所を調べさせていたのだろう。
公国の作戦は相手に見抜かれていたのだ。




