第十二章 天空の公国フォグランド その4
「オーカス、まさかこんな所で再会するとはな」
男は頭から血を流しながらも淡々と話した。
「何でお前がここにいる! マホニア司教は何しているんだ!」
騒ぎを聞きつけて巡回中の兵士が駆けつけた。俺と傷だらけの男はたちまち取り囲まれた。
「エリーカ様、またここにおられたのですか。やれやれ何の騒ぎです?」
老年の衛兵が少年に駆け寄った。呆れているような口ぶりだが、俺たちの姿を見た途端ぎょっと目を見開いて剣を抜いたのだ。
「貴様、エリーカ様に何をした! 返答によっては今この場で斬りつけるぞ!」
「爺や、この方は悪くありません! 私はこの方から剣の稽古を受けていたのです」
少年が顔を真っ赤にした老兵を制した。それを聞いてもなお老兵は俺を睨み続けていたが、やがて剣を鞘に納めた。
「エリーカ様、熱心なのはよろしいですがこのような旅の者にすぐ心を開くのはよろしくありません。この世にはエリーカ様のお命を狙う輩も多くいるのですから」
少年は小さくなって謝った。何だ、薄々勘付いてはいたが、この子もしかしてすごい高貴な身分なのか?
「何事です?」
威厳に満ちた女性の声。兵士たちが一斉に頭を下げた。
公爵だ。例の寝間着姿にマントだけを羽織った公爵が部屋から降りてきたのだ。傍らにはナズナリアも伴っている。
「母様!」
少年が兵士の中から飛び出した。そして公爵に駆け寄り、その胸に顔を埋めた。
え、母様? てことはあのエリーカって子は……公子様!?
俺は兵士に連れられ、徹底的に取り調べを受けた。そりゃあ夜中に公子と二人きりでいたのは事実だし、怪しまれても仕方がない。しかしあの傷だらけの男も別の部屋に連れて行かれて同じように取り調べを受けているようなので、同列に扱われているのは腑に落ちない。
「つまりオーカス殿はエリーカ様に剣を教えていただけと、そう仰るのですね?」
丁寧な言葉遣いの割りに、顔はまったく笑っていない。だいたい同じ話を何度させれば気が済むのだ。
「はい、まさか公子だとは知らず、差し出がましい真似をしてしまいました」
本当はエリーカ様の方から頼まれたのだが、ここは俺が頭を下げておくのが筋というものだ。
ようやく兵士は納得したようで、俺は狭い部屋から連れ出された。隣の部屋からも話し声が聞こえる。
「ここにいるのはあの侵入者の男ですか?」
「そうです」
深夜なのに俺の目はすっかり醒めていた。あの男ならリーフについて何か知っているかもしれない。
「少しばかりでかまいません、あの男と話させてくれませんか?」
「お知合いですか?」
「まあそんなところですね」
兵士は少し考えた末、部屋の扉を開けると中の兵士と言葉を交わした。そして扉を全開にし、俺を中へと案内した。
「まさかお前もここに来ていたとは、マホニア様も予想できなかっただろうな」
男は傷だらけの顔を歪めたが、この男にとってはこれが笑い顔なのだろう。手枷と足枷をはめられ、壁に鎖でつながれている。座らされているだけまだましであろうが、冷たい石の床の上ではこの夜は辛かろう。
「なぜお前はここにいる? 他の仲間はどこに行ったんだ?」
俺は努めて冷静に尋ねた。無理してでも心を落ち着けないと、リーフはどこだとすぐにつかみかかってしまいそうだった。
「何も好きでここに侵入したわけでは無い。俺たちもここには不本意で連れてこられたようなものさ」
「話せ、これまで何があった?」
男の頬が緩んだ。そして思った以上に饒舌に言葉をつづった。
「プラート様の死後、俺たちはカルナボラスの統治に励んでいた。だがお前たちが発った直後、北方遠征に出ていたカーラ様が戻って来たんだ。ゾア神の啓示を受け、プラート様と同じ力を授かったと」
カーラと俺たちの初対面はラルドポリスだ。そこに来る前、既にカーラはカルナボラスに立ち寄っていたのか。
「カーラ様の目的は真正ゾア神教による地上の統治だ。地上の人類全ての救済が神の意向だとさ。だがそれが本当にゾア神からの預言なのか、疑ったマホニア様は賛同しなかった。すると突然、カルナボラスのあちこちで火の手が上がったのさ。従わねばもっと恐ろしい災厄を起こすと言われ、マホニア様は泣く泣くカーラ様に従ったのだ」
マホニア司教は信徒に対しては非常に寛大だが、それを逆手に取られたか。皮肉にもマホニアはかつてサルマの町で行った自分がアラミア教徒を懐柔させた方法で、カーラに従わざるを得ない立場に立たされてしまったようだ。
「パスタリア中から兵が集められ、祝福を受けた者も再招集された。ゾア神教による世界の統一のため、我々は次に海の支配に目を向けた。そのためには西方屈指の航海術を持つエリア国を落とし、ここから世界へと真正ゾア神教を広げていくべきだと方針を定めた。決行までは早かったよ、あっという間に軍艦に兵士を乗せてエリア国へと乗り込んだのさ」
不意を突かれたエリア国は混乱に陥り、連合国軍が駆けつけても奇跡の力を持った者の前になすすべもない。パナットの町でも海軍が一方的にやられていたように、奴らにはこれまで培ってきた戦術が通用しないのだ。
「だがマホニア様はあきらめなかった。部下を使い、これから真正ゾア神教が攻め込んでくること各地に伝え回っている。俺のようにな」
「まさかお前がここに侵入した目的も?」
「当然だ、公爵に手紙を渡すためさ。だが偶然にもお前を見つけて、不用心に近付きすぎちまったのが不運だったようだな」
俺は後ろを振り返った。先ほどまで聞き取りをしていた兵士が傷だらけの男の荷物から小さな書簡を広げ、俺に見せつけた。マホニアの字だろう、パスタリア語なのでこの国の兵士には読めなかったようだ。
「ええと……三日後に攻め込む予定だと?」
俺が文面の一部を読み上げると、部屋にいた兵士たちの顔が一瞬で白くなった。高山に守られたこの地がまさかこんなに早く攻め入られるとは思いもしなかったのだろう。
「今は占領したパナットで兵士を休ませている。翌朝には大軍が出撃し、三日後にはここに着くだろう」
兵士たちは固まっていた。この国は守りは堅いが、領土は小さく人口も少ない。物量で攻め込まれればたちまち呑み込まれる。隣国のテリヌに援軍を呼ぶにしても確実に来てくれる保証は無く、今からでは間に合わない。
だがこの静寂を破ったのは、またしても彼女だった。
「話は聞かせてもらった」
公爵だ。寝間着から青を基調としたドレスに着替えている。
「汝は真正ゾア神教でありながら、私たちに危機を知らせてくれるとは有り難い、礼を言おう」
床に座り込んだ傷だらけの男に向かい、公爵は頭を下げた。俺も兵士も、男自身も驚いたが、誰も公爵を止めようとはしなかった。
「何をしておる、今すぐ枷を解け」
はっと我に返った兵士が男の手枷と足枷を外すが、男はじっと公爵を見つめて尋ねたのだった。
「よろしいのですか公爵。もし私があなたの命を狙う賊ならば、枷が外れた瞬間にあなたの首にナイフを突き刺しかねないのですよ」
男の不躾な一言に、公爵はふっと笑い返した。
「汝がそのような真似をする人間では無かろう。おそらくはそのマホニアという名の司教も、そうであろう?」
その時、男の傷だらけの頬を涙が伝った。司教を崇敬するこの男にとって、公爵に司教を褒められたことは自分の名誉を達成する以上に喜ばしいことなのだ。
「公爵殿、無礼をお許しくだされ!」
男は跪いた。
真正ゾア神教を如何にして迎え撃つか、城では夜通しで作戦会議が開かれた。そして奇跡の力を知る者として、俺とナズナリアも列席していた。
「大軍が攻め入るルートは山道しかありません。ですが奇跡の力を持った者が一人で来た場合には、ここに到達する方法は無限にあります。監視を置くにもキリがありません」
舞踏会すらできそうな豪華な部屋には巨大な机が置かれ、参加者全員が並んで座る。軍の幹部という髭もじゃの男が黒色の巨大な石盤にチョークで地図を描いて説明していた。
「真正ゾア神教には潜入の得意な者もいます。監視の目をかいくぐることも容易ですが、パナットから来る部隊には私の知る限りそう言った力を持った者はおりません。だからこそ大軍を使って一気に攻め落とす作戦に出たのでしょう」
傷だらけの男は冷静に分析している。
俺はこの男をちらっと横目で見た。ずっと気になっていたことがわかり、気分が随分に楽になったので感謝したかったのだ。
枷を外された後、男は公爵に話しながらも、俺の方を見て話したのだ。リーフはまだ生きている。ラジローとともにカーラのいるパナットで監禁されていると。




