第十一章 燃え上がるエリア国
ただひたすらに青い海から赤い大地がひょっこりと頭を出したのは、リタ修道院を発ってから10日後の朝だった。
あの赤土こそエリア国の象徴で、この半島国家のほとんどを占める乾燥地帯の一角。そのふもとに位置するは海沿いの平野部をびっしりと家々が埋め尽くす港町パナット。
「うわあ、初めてです! エリアの赤土は血潮のようだとはサルベリウス様からお聞きしていましたが、こんなに鮮やかだなんて!」
船から半身を乗り出しているのはナズナリアだ。この娘は生まれはエリアだが、物心着いた頃にはパスタリアの女子修道院に入っていたので、生まれの故郷を目にするのは初めてらしい。
だが少女のきらきらと輝かせた瞳も、やがて失望の灰色に染まる。
遠くで見える陸地からは、黒い煙が空高くまで立ち上っていたのだった。
「戦場が近い。このまま接岸するのはやめた方がいい」
甲板で帆の紐を手繰っていた兵士がぼそっと言った。
真正ゾア神教がエリアを侵攻しているというのは本当だった。大軍を乗せた船で港湾を占拠し、祝福を受けた者が奇襲で一気に攻める。一般人の被害は最小限で済ませ本丸だけを落とす方法だ。
しかし以前まではじわじわと支配者層をマインドコントロールして取り込んでいくことが多かったのに比べると、ここまで大規模な侵攻は例が無かった。プラート亡き後、カーラに代替わりして強硬姿勢にさらに磨きがかかったという。
「そんな、あれが私の生まれ故郷?」
ナズナリアは茫然としていた。ずっと夢に見ていた光景が、まさか戦場になっていたことに思考が追いついていないようだ。
「沖から小舟を出して離れた場所に降ろす。もう荷物を準備していてくれ」
年配の船乗りが指示を出したので、俺は立ち尽くしたままのナズナリアの手を引いて船室に戻った。商売道具と金、それにアコーン。あらゆる荷物を小舟に移し終えた頃には、港町の様子もおおむね目で見えるようになっていた。
巨大な帆船が港に集まっている。手漕ぎと帆船の複合型の巨大な船体が港を埋め尽くし、それを取り囲むようにエリア連合海軍の船も集まっていた。
だが海軍の船からは既に火の手が上がり、巨大な帆だけを海に突き出して沈んでしまっているものもある。エリア連合の劣勢は誰が見ても明らかだ。
「さあ小舟を降ろすぞ」
小舟に乗り込んだ俺、ナズナリア、そしてアコーンの二人と一頭は、船体をロープにつられながらゆっくりと海面へ下降する。
こういった経験は初めてなのだろう、ナズナリアは震えながらアコーンにしがみついていた。せめて頼るならそんなラクダじゃなくて俺にしてくれと目で訴えたが、揺れるたびに「ひっ」と声を出しているこの娘には、俺の視線を気にしている余裕はまるで無かった。
海面に降ろされると俺はロープを解き、甲板から見下ろしている兵士たちと最後の言葉を交わした。
「俺たちはこれ以上近づけない。必ずや真正ゾア神教の横暴を止めてくれ!」
「あとは頼んだ、健闘を祈る!」
つい先日敵として攻め込んできた連中なのに、まるで戦友を励ますようだった。
波にさらわれないよう力強く櫂を握り、俺は陸地を目指した。市街地からかなり離れた場所に砂浜が見えていたので、そちらへと船を進める。
「オーカスさん、私たちはこれからどこに行くのですか?」
ようやく波の揺れに慣れて話せる程度には余裕のできたナズナリアだが、その手は今でもしっかりアコーンの首に回されていた。
「リーフさんがどこに連れて行かれたか、見当はついているのですか?」
俺は黙り込んだ。
すぐにナズナリアは口を押えてしまったなあとでも言いたげな表情を浮かべた。
「いや、ついていない」
下を向いてしばらく沈黙した後、俺はそう答えた。そこからもう何回か櫂を漕ぎ、俺はナズナリアに顔を向けた。
「パナットの港から上陸できれば良かったが、今は交戦中で近づけない。パナットには寄らずに、サルベリウス様の仰っていた領主にまっすぐ会いに行こうと思う」
「その領主はどちらに?」
「ここから近い。距離なら二日もあればたどり着けるが、問題は場所だ」
振り返って陸をちらっと眼に入れる。赤い大地に乗っかるように、蒼白い山々がずらっと連なっている。大陸と半島の境目を走る大山脈だ。
「あの山に囲まれた場所にある。これから登山だぞ」
自分で言いながらも俺はずんと気が滅入った。ラクダは起伏ある土地が苦手なのでああいう場所はできるだけ通りたくないのだが、目的地は四方八方を全て山で塞がれているのだ。
だがナズナリアは強気だった。
「山ですか? それなら修道院生活は毎日登山みたいなものだったので大丈夫です!」
「そういえばお前、リタ修道院の前はどんなところにいたんだ?」
「はい、パスタリア北部の大山脈の頂上でした。一年の大半が雪に覆われて、街に買い出しに行けるのも年に一回でした。物資を背負って三日かけて崖や沢を登っていましたので、あの程度の山でしたら何とかなる
と思います」
いとも簡単にこう言ってのけたので、俺はますます気分が滅入った。
砂浜に船をつけ、周囲に気付かれないよう急いで上陸する。アコーンは足が海水に濡れるのを嫌がっていたが、ナズナリアが「いっしょに降りよう?」と誘うと素直に従いやがった。このラクダは最近主人を舐め腐ってやがる。
大地の赤とは打って変わって砂浜は白一色だった。石灰岩でもあるのだろう。遠目からは燃えるように赤く見えた陸地も、実際に近くで見てみればほんのり橙色がかかった程度にしか映らないのは不思議だった。
それでもなお姿を変えないのは延々と続く大山脈。あまりの巨大さに、近くにある山でさえ頂上付近は青みがかかっている。特に大きな山ではこの季節でも頂上付近が冠雪し、砂糖菓子のような美しさを帯びていた。
「懐かしいですねこの雰囲気。前にいた修道院もこういう山に囲まれていたんですよ」
アコーンの荷紐を縛りなおしながら、ナズナリアは笑っていた。初めての土地なのに、妙な安心感を覚えているようだ。
「さあ急ぎましょう! 領主の協力を得て、さらわれたリーフさんを助け出さないと!」
意気込むナズナリア。その背後のはるか彼方では軍艦がついに爆発し、おびただしい破片を海面にまき散らしていた。
そんな人間たちをただじっと、この世の創られた頃からずっとそこにあり続けたのであろう雄大なる霊峰たちは物も言わず見下ろしていた。




