表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
7/106

第一章 砂漠の交易路 その7

 巨象が暴れまわるときはこのような感覚なのだろうか。


 20キロの鉄塊を振り上げて地面を踏みつけるとその反動が足の裏から全身へと伝搬する。


 だが、止まるわけにはいかない。俺は背中の痛みに耐えながら、盗賊の頭に突っ込んでいった。


「お頭、危ない!」


 盗賊のひとりが叫んだ。盗賊の頭は俺をじっと見据えていたかと思えば、俺が十分に間合いを詰めて剣を振り下ろし始めたその瞬間、素早く曲刀を両手を使って頭上にかざす。


 激しい金属音と飛び散る火花。さすが盗賊をまとめるだけの力量はある、頭の曲刀は俺の全身全霊の一撃をずっと短い曲刀で受け止めたのだった。


 俺はすぐさま剣を引きながら一歩後方に飛び退いた。相手は俺の剣が重みを失ったのを感じ取るや、すぐさま横の角度から曲刀を振り回しに来たが、俺の回避の方が少しばかり速かったようで、曲刀は虚しく空を切った。


 盗賊たちもすぐさま頭の応援に向かう。だが、いつの間にやらすっかり立ち上がったアコーンが後ろから蹴りつけると、盗賊たちはすっかり怯えてしまった。


 その姿に感化されたのか、倒れていた髭もじゃの商人も盗賊の死体から奪った曲刀を持ってアコーンに加勢し、小太りの商人に至っては背中を踏んでいた盗賊の脚に隠し持っていたナイフを突き刺して立ち上がったのだった。


 盗賊たちは商人とアコーンを頭に近付けまいと応戦し、頭は俺との一対一の勝負を受けざるを得なくなったのだった。


「くそ、この商人風情が」


 頭は曲刀を素早く連続で振った。突風のような剣裁きは隙が無く、こちらもうかつには近づけない。かなり熟練した腕前の持ち主だ。


 だが、俺をただの商人だとは思わない方がいい。俺の育った村では男は戦士として育てられる。男は皆、生まれながらの戦士なんだ。


 もう一撃、上から斬りかかる。しかし頭はすかさず曲刀を横に構え、この攻撃さえも止めてしまった。


「貴様の剣、長さと腕力を活かした必殺の一撃が真髄と見えるな。しかし、こちらは砂漠の盗賊の剣だ。変幻自在の曲刀にとってはあまりにものろすぎるぜ。まるでのんびり草を食ってる牛だな!」


「ほう、よく見切ってやがる。だが俺は牛は牛でも暴れ牛。どんな者も踏み潰して蹴散らす。お前らネズミがいくらかかってこようと敵わないんだよ!」


「おもしろいことを言いやがる。それならネズミに負ける屈辱を味わえ!」


 ぎりぎりと押し合いの力比べになっていたところで、頭は上半身をひねって当て身をかましてきた。だがこれくらい簡単に防げる。俺もすかさず身をよじり、体の側面を相手に向けた。予想通り、相手の体は俺の肘鉄にぶつかり、急所へのダメージは逃れる。


「かかったな、ニブチンが!」


 姿勢を変えるために少しだけ力を抜いたのがいけなかった。突如、相手の曲刀が重くなり、俺の両手剣が一気に押し込まれる。そして無理な体勢になってしまったせいで、俺は片膝を地面に突くまで追い込まれてしまった。


 腹の底から唸りを上げ、歯を食い縛りながら力を込めて重圧に耐える。なんとか寸でのところで押し返したが、今度は相手が上から剣を押し付ける形になり、俺は途端に劣勢に立たされた。


「重い剣が仇になったな。その首にゆっくりと刃を入れてやろう」


 盗賊の頭はさらに体重をかける。ぎりぎりと金属の擦れる嫌な音が俺のすぐ耳元にまで迫っていた。


 確かにこの状態では辛い。だが、この程度の重さなら故郷の稽古で既に体験済みだ。大男揃いのあの村では、このレベルなら下から数えた方が早い。


「それはこっちのせりふだあああああ!」


 今一度、爪先に至るまで全身に力を送り込む。腕の筋肉がパンパンに膨れ上がり、自分でもわかるくらいに肩が盛り上がった。


 俺の両手剣がジリジリと相手の曲刀を押し戻し、ついに二人とも真正面で剣を交えるまでになった。盗賊の頭も白い歯を噛みしめ、額に大粒の汗を浮かべながら対抗している。


 これはチャンスとばかりに俺は片足を地面から離し、相手の脛を狙って蹴りつけた。


 狙いは外してしまったが膝の皿には当たったようで、相手は躓いて体勢を崩した。俺はすぐさま腕に力を込めて斬りかかったが、盗賊の勘がはたらいたのか、その少し前に頭は飛び退き俺の攻撃をかわす。だが、やはり膝を蹴られてバランスを失っていたのか、後ろに下がったと同時によろけて尻餅をついてしまった。


「うう、なんて馬鹿力だ」


 頭は再び立ち上がろうと地面に手を着いた。その時、頭の背に黒い影が飛びかかり、握っていた曲刀を蹴っ飛ばした。突如武器を失い、頭は目玉が飛び出さんばかりに驚いて後ろを振り返った。


 影の正体はリーフだった。リーフは一切の感情が込められていないのかと疑う冷たい眼差しのまま、盗賊の頭の両肩に手を乗せた。


 途端に、頭は手脚をまっすぐに伸ばし、小刻みに痙攣を始めた。


「んげげげげげげ!」


 目玉も舌も普通では有り得ない程に飛び出た醜い顔。その状態で耳の穴から煙が上がり始める。それでもリーフは手を離さなかった。


 生まれて初めて耳にする、あまりにも痛々しい叫び声に、俺はある種の肌寒さを感じていた。いくら残酷な盗賊の頭とは言えさすがに哀れだ。リーフは一体、何をしているのだ?


 俺は意を決した。剣を突きつけ、震える頭に走り寄る。


「どうりゃあああ!」


 怯える自分を紛らわすためか、俺は無意識に雄叫びをあげていた。そしてその勢いのままに盗賊の頭の心臓を貫いた。


 剣が肌に触れると同時に、両手剣の柄に巻きつけた布から煙が上った。剣自身も火にくべた鉄のように熱くなる。


 反射的に剣を手放してしまった。そのせいで俺の剣は相手の心臓に突き刺さったままになり、そのまま自重で下腹部まで身を切り裂いたのだった。


 頭は既に声を出していなかった。ようやくリーフも手を離し、頭の上体は胸から腹を両手剣で貫かれたまま仰向けに倒れていった。


「これが戦いってやつか。恐ろしいものだな」


 皮膚が黒ずみ、しゅうしゅうと煙を上げる死体を覗き込みながらリーフは呟いた。


 一方の俺は唖然としたまま立ち尽くしていたが、小太りの商人が「盗賊を全員やっつけたぞ!」と声を上げるのを聞いて、自分の頬を二回叩き、首を振ってからリーフに尋ねた。


「リーフ、今のは一体何だ?」


「え、敵を倒しただけだが?」


 日々の家事の意味を今更尋ねられた女のように、リーフは首を傾げた。盗賊を殺したことに抵抗を感じている様子は無く、台所に沸いた虫を始末したのと同じようにしか思っていないようにも思えた。


「そうじゃない、倒し方が問題だよ。何の武器を使ったんだ?」


「いや、なんとなく念じたら相手がぶっ倒れるような気がして、その通りやっただけだが? これって珍しいことなのか?」


 声が出なかった。リーフは自分が何かしらの力を持っていることを自覚している。しかしそれが他人には備わっていないものであるとの認識は持ち合わせていないようだ。


 すっかり土で汚れてしまった商人たちも駆け寄る。髭もじゃの男が恐る恐る盗賊の頭の死体に近付くと、声を震わせながら言った。


「焦げて腫れている……こういう傷、見たことあるぞ。雷に打たれた人間はこんな感じになるんだ」

 雷だと? あの天上より注がれる神の怒りが、なぜ?


「ひえええええ、ごめんなさい!」


 突然の悲哀に満ちた声に、つい注意を奪われる。どうやら生き残った盗賊がいたようだ。


 仲間たちの死体が転がる狭い谷の中、アコーンの鼻先にぐいぐいと小突かれて大の大人がべそをかいて座り込んでいた。


 アコーンは一体何人を蹴散らしたのか、脚先は真っ赤に染まり身体中返り血の斑点が描かれている。相手からすればアコーンはただのラクダを通り越して、獅子に等しい猛獣にでも思えただろう。


「ゆ、許してくれ、着の身着のままでサルマから逃げてきて、食糧が欲しかったんだ!」


「サルマから逃げてきた? 一体何があったんだ?」


 小太りの男は盗賊の傍に駆けつけた。念のために曲刀を携え、近付いた後も剣を突き付けて用心する。


 盗賊は堰を切ったように話し出した。すっかり観念したのか、涙をぼろぼろと零して子供のように泣きわめくのでうまくは聞き取れないが、襲ってくる様子は無い。


「お、俺たちはサルマを拠点に活動する盗賊だ。だが三日前、ゾア神教の連中が俺たちのアジトを襲って、何人も仲間がやられたんだよ!」


 俺は耳を疑った。今、確かにゾア神教と言ったか?


「何を冗談を!」


 髭もじゃの男が怒鳴るが、盗賊は「ウソじゃねえ!」とすかさず答えた。


「奴らが貧民の救済活動に動いているのは知っていた。だが、盗賊の駆除までするなんて考えもしなかったんだ。奴らは俺たちの仲間を容赦なく痛めつけ、殺していった。俺たちは抵抗したが、全く歯が立たなかった。だからサルマを逃げるしかなかったんだよ」


 驚き過ぎて、息が止まりそうになった。いや、実際は何秒か呼吸を忘れていたのかもしれない。ゾア神教がアラミア教国であるタルメゼに入り込んでいるなど、想像もつかなかったからだ。


 ゾア神教はゾア神、アラミア教はアラミア神と互いに唯一神の存在を前提とする一神教で、両者とも戒律は厳しい。地理的に隣接した地域にあることから、ふたつの宗教はアラミア教が成立した1200年前から何度も小競り合いを続けている。ここ数十年は目立った争いは無いものの、長い歴史の中で生まれた溝は簡単に修復されるものではない。


 タルメゼ帝国は比較的緩いアラミア教国であり、ゾア神教を崇拝する西方諸国の商人も通行は可能だ。だがそれでも表立ってゾア神を祀るのは憚られる。タルメゼ帝国内では大都市であっても、ゾア神教の聖堂は裏路地で隠れるようにひっそりとたたずんでいるのが普通で、布教活動などは考えもせず、単に旅人の休憩所の役割を果たしているのだ。


 そういった経緯を知る俺にはあり得ない内容にしか思えなかった。だが、俺以外の二人の商人は真剣な面持ちで盗賊の話に聞き入っていた。


 小太りの商人は俺に顔を向けた。そして今まで見たことも無い険しい眼差しを一瞬だけ向けたが、すぐに元の穏やかな男の顔に戻った。ただ、その顔は愛想笑いをしているのが一目でわかるほど本心を押し殺していた。


「オーカスの旦那が知らないのも無理はないです。実は数ヶ月前からタルメゼ帝国にはゾア神教の僧侶たちがたくさん入り込んでいるのですよ」


 男の目は俺を見つめながらも、常に色んな方向へと泳いでいた。


 異教徒の商人同士が宗教の話題を持ち出すのはタブーとされている。信仰と経済活動を割り切って考えるアラミア教徒と、俺たちゾア神教徒では商売に対する考え方が違う。そこから無益な争いが生まれないよう、商人の間では宗教について語ってはならないという不文律がいつの間にやら完成していた。


「この前シシカにいた時も見たぞ。しかも奴ら、貧民に施しを与えていてさ、改宗すればもう貧しい思いはしなくなるって説くもんで餌付けされた一部の貧民どもは本格的にゾア神教へ傾倒しているみたいだ」


 髭もじゃの男も割り込んで説明する。いつものぶっきらぼうな口調がさらにとげとげしいものになっていた。


「ただの布教活動じゃないのか?」


 リーフが首を傾げながら尋ねると、俺はリーフの耳元に口を近づけ、小さな声で答えた。


「みんな商人だから相手をしているが、本当はアラミア教とゾア神教は仲が悪いんだ。互いに敵同士なのに、わざわざ敵地に乗り込んで堂々と布教活動なんかできるわけないだろ。そんなことしてたら兵士が止めさせるに決まってる」


「じゃあ、何でゾア神教は何ヶ月も前から活動できているのだ?」


 リーフも小声で尋ね返すが、どうやらこの会話は周りにだだ漏れだったようで、小太りの商人は大きなため息をつくとリーフの肩を叩いた。


「お嬢さん、やはり君は鋭い勘をしている。そう、普通なら活動を禁止されているところだ。でもねそれには裏があるんだ。実は今度の婚礼だがね、普通の婚礼じゃない。相手はパスタリア国の第三王女なんだ」


 心臓が口から飛び出すかと思った。パスタリア国の王女だって?


「おいおい、タルメゼ帝国はアラミア教国だろ? なんだって皇帝の血族がパスタリア国の王女を迎え入れるんだ?」


 パスタリア国は700年前の建国以来一貫したゾア神教国だ。それどころか首都にはゾア神教教皇のおわすカルナボラス大聖堂もある。つまり数あるゾア神教の中心国家であり、教徒にとって規範となるべき国なのだ。


 そんなパスタリア国が異教の国と婚姻を結ぶなど、とても考えられない。侵攻した土地の女を奴隷としてハレムに拘禁するならまだわかるが、婚礼の式を挙げるとなると正室として迎え入れるはずだ。


「詳しくは私たちにもわかりません。ただ、タルメゼ帝国は確実にゾア神教を受け入れつつあることだけはわかります」


「噂では皇帝にゾア神教の僧侶どもが取り入っているらしい。タルメゼ帝国はかつての繁栄を取り戻すために、信仰を捨てるつもりかもしれないな」


 小太りの男が両手で目を押さえ、髭もじゃの男は馬車の車輪を蹴りつけた。


「そうさ、タルメゼ帝国にゾア神教が入り込んだ。そしてそこの女、あんた絶対あいつらの仲間だろ!」


「へ、私が?」


 盗賊がリーフをにらみつけた。リーフは自分に指差しながらぽかんと口を開けている。


「そうだ、あいつらは俺たちのアジトに攻め込んできたとき、不思議な力で仲間を殺しまくったんだ。とんでもねえ馬鹿力の大男がいた。火を出して仲間を焼き払う奴もいた。いずれにせよ人知を超えた力の奴らばっかりだ。女、お前のその力も奴らと同じだろう!」


 皆の視線がリーフに注がれる。リーフは慌てて両手を振った。


「いや、私は一昨日より前の記憶が無い。そんなこと言われても困る」


「記憶があるか無いか、そんなことはどうでもいい。お前はそいつらの仲間なのか?」


 髭もじゃの男がリーフに顔を近づけた。あまりの剣幕にリーフは固まってしまったが、すぐに小太りの男が背中から肩をつかみ、俺が二人の間に割り込んで静止した。


「答えられるわけないだろ。本当にこいつには記憶が無いんだ。それにあの距離を三日でサルマの町から出て帰ってくるのは無理だ」


 髭もじゃの男はしばらく俺たちの腕を逃れようとしていたが、ようやく落ち着きを取り戻すと服の汚れを払い、馬車に戻った。その間際、盗賊に「お前がやったのだからな。この岩、どけておくれよ」と言い残すと、馬車の中でひっくり返ってすぐに眠ってしまった。




 生き残った盗賊が岩をどけている間に、俺たちはほどけた積み荷を括り直し、昼食をとった。その間に正午を迎え、商人と盗賊は並んで太陽に祈りをささげた。ついに馬車一台分が通れる道ができると、俺たちはすぐにサルマへと足を進めた。


 午前中までは賑やかだったリーフの乗った馬車からは誰の声も聞こえず、俺たちは黙々と奇岩の谷を抜けたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ