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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第二部 ふたりの預言者
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第九章 絶海の聖堂 その9

「オーカス様、ご無事だったのですね!」


 すっかり砂埃で汚れてしまったナズナリアがにっこり笑って俺の顔を覗きこんだ。


 吹き抜けの崩壊後、俺は積み上がった瓦礫を伝って二階まで上がった。


 この下にシルヴァンズがいるのかと思うと複雑な気分だったが、あの男ならそんなこと気にするなと笑い飛ばしてくれるだろう。


「ああ、リーフたちは?」


「皆さんのおかげで修道女とサルベリウス様はご無事です。リーフさんもご一緒のはずです」


「そうか、みんなの所に急ごう!」


 疲れ切っているはずなのに、俺とナズナリアは駆け足で鐘楼へと向かった。幾度も揺れたはずなのに、ここら辺は壁にヒビひとつ入っていない。


 階段を駆け上がり、鐘の釣られた大きな屋上へと出る。多くの修道女たちがいる、きっとこの中にリーフも。


「リーフ、待たせたな! 敵は全員倒したぜ!」


 だが返事は無かった。帰って来たのは女たちのすすり泣く声だった。


 見ると修道女全員、立ち尽くしたり座り込んだりして泣いていたのだ。「ああ、この世の終わりです」という声まで聞こえる。


「どうされたのですか?」


 ナズナリアが近くで泣いている女に不安げに尋ねた。


「サルベリウス様が……リーフ様を守って……」


 ふたりの名を聞いて、俺は駆け出した。


 特に女が集まっているところを掻き分けると、床に目を瞑ったサルベリウス様が倒れていた。


「サルベリウス様、一体何が!」


 俺はサルベリウス様を抱きかかえ、叫んだ。息が荒く顔も真っ白だ。


「オオーカス君、すまない。リーフさんは、ラジロー君に……」


「ラジローが?」


 意外な人物の名が出てきて、俺は困惑する。こんな状況でも部屋に閉じこもって禁断の書の解読に当たっていたあのラジローに何があったのか?


 苦しそうなサルベリウス様を見かね、傍らに立つ修道女が話し始めた。


「つい先ほどのことです。ラジロー様が突然上ってこられて、『ついに神の謎を解き明かしたぞ! 私は神に近付けたのだ』とかなんとか叫びながらリーフさんをさらっていったのです」


「さらうって、リーフはそんなタマじゃない。雷の力で倒せなかったのか?」


「それが、何度リーフさんが身体を光らせても、ラジロー様にはまったく通用しないみたいで。逆にサルベリウス様がつかみかかったら、すさまじい風で吹き飛ばしてしまったのです」


 あのラジローが? あいつは祝福を受けていないはず。そうなると、何が起こったというのか。


「ラジローは、奴はどこだ!」


「下へと逃げました。何人か追いかけましたが―—」


 聞くや否や俺は階段を駆け下りた。


 ラジローがこもっていた部屋の前に来ると、扉が半開きになって中から灯りが漏れ出ている。


 覗いてみると机の上には乱暴に散らばったメモだけが残されていた。禁断の書の原本はどこにも見つからず、翻訳した文章も無い。


 メモには奇妙な俺にも読めない文字と、いくらか『南の大陸』『セラタ』『神の名』といった単語が乱雑に描かれていただけで、内容は全く分からなかった。


 ラジローは禁断の書を訳し終えたのだ。そして何か重大なことに気付き、不思議な力に目覚めたに違いない。


 俺は部屋を出た。この建物には表向き階段は俺たちが先ほど壊したひとつだけだが、隠し通路を使って島の裏側へと逃げるルートが用意されている。途中ですれ違わなかった以上、ラジローはその道を使ったはず。


 俺は事前に言われたように隠し通路のある部屋に飛び込んだ。一見すればただの本棚、しかし実は蝶番が仕組まれて扉になっている箇所がある。


 予想通り、本棚が見事に口を開いて外の風が吹き込んでいた。その前には三人の修道女が気を失って倒れている。


「おい、しっかりしろ!」


 一人の頬をぺちぺちと叩き呼びかけた。外傷は無く、すぐに「うーん」と声を出し、目を開いた。


 若いというにはやや無理のある俺と同い年くらいの女だ。男にこうも触れられるのは滅多に無いのだろう、頬を赤らめながらも「裏の船に……」と小さく返した。


「船か、ありがとう!」


 俺は女を丁寧に起こすと、すぐに隠し通路を通って外に飛び出した。


 ほとんど崖のような坂を下り、夜の闇に包まれた岩場の波打ち際に立つ。


「リーフ、ラジロー、どこだ!」


 俺の声が打ち付ける波の音に吸い込まれているようだ。目を凝らしても船さえ見えない。


「どこだ、返事しろ!」


「オ、オーカス……」


 すっかり弱りきった男の声。見てみると、波しぶき立つ岩の上で、ぐったりとしている船乗りの姿があった。


「お前、大丈夫か? リーフは?」


 膝まで海水に浸かりながら、俺は船乗りを抱え上げた。波のかからない岩場まで運び、慎重に寝かせる。


「ラジローが、リーフを連れて行ってしまった。船も沈められた」


「そんな、あいつはどうやって海を渡ったんだ?」


「信じられねえかもしれないが、浮いていたんだ。まるで水の上をすーっと滑るように。あいつは神学者でむしろ真正ゾア神教を疎ましく思っていたくらいなのに、いつの間にあんな力を」


 やはりラジローが超常の力を得たという憶測は当たっていたようだ。しかもその力は単に祝福を授かった者のように一種類だけではない。


「奴は、ラジローはどこに行ったんだ!」


「カーラに……カーラの向かっているエリア国に」


 エリア国。大陸最西端の連合国家だ。西大洋に突き出た半島は南半分が内海に面しており、地の利を活かして長らく海を支配した。南の大陸を大きく迂回して東方への航路を開拓できたのは、このエリア国の航海技術があったからこその偉業だ。


 シルヴァンズも大軍がエリア国に向かっていると話していた。きっと合流するつもりだ。


「急いで追いかけよう!」


 俺は意識も朦朧としている船乗りの手を握り返した。とにかくリーフを奪還しなくてはならない。さもなくば真正ゾア神教の侵攻はさらに加速する。

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