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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第二部 ふたりの預言者
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第九章 絶海の聖堂 その7

 しばらくの間、シルヴァンズはじっと二階を見つめていた。


 上階に行く方法が無くなってしまった。だが目当てのリーフはそこにいる。操られながらもこの男は、自分のすべきことを考えているのだろう。


 何か思いついたのか、くるりと向きを変えたシルヴァンズは瓦礫を踏みながら歩き始めた。


 そして半分壁に埋もれた石の柱の前に来ると、上半身を大きくひねらせ、鋼鉄の拳を豪快に叩き込んだのだ。


 拳とは思えぬ轟音と激震。柱には拳大の穴が開き、石材がパラパラと崩れる。


 床にこぼれる石の粉を見て、俺は直感した。こいつ、柱を壊して建物ごと皆殺しにするつもりだ。


「くそ、やめないか!」


 俺は何度も何度も、剣で切り続けた。だがシルヴァンズには一切効かない。ただひたすらに拳を壁に打ち込み、壁の穴を徐々に大きなものにしていく。


 他の修道士も混じるが、同じようなものだ。


「くそ、この鋼鉄野郎が! この鉄さえなんとかなれば……!」


 何度も反動を受け、息を切らしながら俺は吐き捨てた。


「鉄? もしかしたら!」


 上の階ですっかりへたりこんでいるはずのナズナリアが声を上げたので、俺はそちらに目を移した。


 彼女は立ち上がるとすぐ、別の場所へと走って行った。吹き抜けになっていてもここからではどこへ行ったのかは見えない。


 一方のシルヴァンズはなおも手を休めない。柱の表面にはひびが入り、ついに拳を撃ち込む度に建物全体が小さく揺れ始めた。


 俺と修道士は何度も斬って叩いて、少しでも止めようとしたが全身鋼のこの男には蚊が止まったようなものにしかならない。


 何度も受けた反動で手が痺れて力も入らなくなる。諦めかけたその時だった。


「皆さん、離れて!」


 ナズナリアの声だ。見上げてみると、二階のナズナリアは両手で抱える大きさ布袋をふらつきながらも持っていた。


「これをシルヴァンズにかけてください!」


 ナズナリアは必死に持ち上げたその袋を一階に落とした。中身は黄色の粉末で、床にも少しこぼれている。


 何をするつもりだ? 言われるがまま、俺と修道士は袋を抱え、シルヴァンズの背中に忍び寄って黄色い粉を頭からかけた。すっかり全身黄色に覆われて、さすがに異常を感じたのか、シルヴァンズは柱を打ち付ける拳を止め、こちらに顔を向けた。


 攻撃される。そう感じた俺たちはすかさず後ずさりした。


「離れて、あとはこの火薬瓶を!」


 柱の傍に立つのはシルヴァンズのみ。ナズナリアはそこをめがけ、手にした瓶を放り投げた。


 当然のことながら、鋼鉄の肉体は炎に包まれた。だがこれで倒せるならとっくに倒している。こいつは今日だけで何十発も同じ爆発を受けているのだ。


 だが様子がおかしい。今までのシルヴァンズなら炎が鎮まった後は何事も無くけろりとしていた。


 それなのに今回に限って床に両手をつき、うずくまっているのだ。


 違うのはそれだけではない。シルヴァンズの鋼鉄の皮膚が真っ赤に変色している。高温を放っているのだろうか、周囲の空気も揺らめいている。


「ぐ、ぐおおおお!」


 とうとうシルヴァンズは叫んだ。身体をよじらせて悶え苦しんでいる。


 何が起こっているのかさっぱりだが、とにかく効いている。太い腕や胸の筋肉からボロボロと赤熱した破片が崩れ、床に落ちると炭のような黒色の物体になって固まっている。


 俺は床に散った黄色の粉を指先に付け、においを嗅いだ。無臭だった。


「なんだこれ?」


「硫黄の粉末です」


 俺がボソッと呟くと、2階のナズナリアがすかさず答えた。


「鋼鉄と聞いてもしかしたらと思いましたが、正解だったようですね。鉄と硫黄は高温になると互いに反応して、更なる熱を生み出します。それこそ鉄も融けるような高温で。一度反応すれば熱は金属を伝わってさらに反応を加速させます」


 俺たちは口を開いたままシルヴァンズを見るしかなかった。発熱は落ち着いたようで、全身は徐々に黒色に戻っていく。


 だがシルヴァンズの体表からはかつての光沢は失われ、デコボコで孔だらけの土くれのようになっていた。


「反応の後にできるものは硫化鉄。鉄とは全く違い、土の塊のように脆く弱いのです」


 黒い煙を上げながら、シルヴァンズがゆっくりと起き上がった。


 身体を動かすほど表面から黒い塊がべりべりと剥がれ落ち、巨木のような腕もすっかり枯れた細枝のようになっている。


 だがそれでも、ぽっかりと大穴の開いた柱の前まで這うように近付くと、変わり果てた右腕を振り上げるのだった。


 拳が壁に打ち込まれる。ピシッと硬いものが割れる音。


 だが割れたのは柱ではなかった。黒ずんで脆くなったシルヴァンズの腕に巨大なヒビが走り、肘から先が粉々に砕け散った。


「もうやめろ、死ぬぞ!」


 俺は叫んだ。敵とはいえ、本心としてはシルヴァンズには死んでもらいたくなどない。この男は操られているだけだ。


 残された左腕を振り上げた瞬間、ついにシルヴァンズの脚も崩れた。膝がぐしゃりと潰れ、胴体だけが仰向けの状態にで床に倒れた。


 シルヴァンズは目を閉じ、ひゅうひゅうと奇妙な息を出し入れしながら床にぐったりと腕を広げると、それ以上動こうとはしなかった。


「か、勝ったの、か?」


 俺たちは皆腰を落とした。今は自分の武器すらろくに支えられそうにない。


 毎度のことだが祝福を受けた連中との戦いは疲れる。

長々と書きましたが、つまり

Fe+S=FeS

です。

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