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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第二部 ふたりの預言者
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第九章 絶海の聖堂 その6

「弩をしまえ! 奴らは修道士、接近戦になれば我々に分がある!」


 いらついた女が声を張り上げる。すぐにシャキンと金属のこすれる音が一斉に鳴った。敵兵が剣を抜いたのだ。


「かかれ!」


 女の声。鎧がこすれるガチャガチャという音が徐々に近づいてくる。


 壁の隙間から覗き込むと、兵士たちが横に広がった兵士たちが足をそろえて迫ってきている。一糸乱れぬその動きは俺たちを震え上がらせた。


 しかし俺たちだって負けてはいない。


「今です、投下!」


 年を取った女の声が夜の闇を突き抜けると、兵士たちめがけて例の火薬瓶が雨あられと降り注いだ。鐘楼の上から修道女たちが落としているのだ。


 だが、彼らは足を止めなかった。横に広がって的が小さくなった上に、鐘楼というかなりの高さから落とすので直撃の確率が減り、兵士たちの前や後ろ、時には全く離れた場所で爆炎が上がった。


 中には運悪く直撃を食らって炎に呑まれる兵士もいるが、そのすぐ隣を歩く兵士は仲間など振り向きもせず、ただひたすらに歩き続けている。


 猛火の雨をしのぎ畑を渡りきった兵士たちは、誰も声をあげずともピタリと立ち止まった。


「かかれ!」


 女が号令を出す。直後、野太い男たちの「うおおおおお!」という歓声のような雄叫びが空間を震わせ、兵士たちは一斉に駆け出した。


 ほんの数十人とは思えないほどの地響き。修道士たちも顔つきは勇ましいものの、その手はガタガタと震えている。


 ついに壁のすぐ前まで兵士が迫り、多くの兵が壁によじ登り始める。


「今だ、第2の紐を切れ!」


 部隊長が指示を出すと、突如壁が動き始めた。


 先ほど跳ね上がった木の壁は今度は地面を軸にして、車輪のように回転した。ちょうど壁につかまった兵士たちを潰すような格好だ。


 驚いたことにもう一枚別の壁もせり上がって俺たちは今までと同じように弓矢の脅威からは守られているのだ。


「やったあ、これで俺も戦いやすくなったぞ!」


「まだ終わりではありませんよ。この下は空洞になっているのです」


 剣を軽く振る俺の隣で、修道士は相変わらず笑っていた。


「落とし穴になっているのか? なんでそんな面倒なことを」


「すぐにわかりますよ。ほら、早速」


 修道士の指差す先では、松明を手に持った別の修道士が壁の隙間から地面に空いた穴を覗き込んでいた。


 地面からは兵士たちのうめき声や「くっそー出せ」といった騒ぎ声が聞こえている。不意討ちを食らった割りには元気のようだ。


「この穴の中には油をたっぷり染み込ませた藁が敷かれています。もうお分かりですね?」


 そうか、それはご愁傷さまなこった。


 修道士は松明を穴に投げ入れた。途端、炎が地面を大蛇のごとく駆け巡った。


 足元から噴き上がる炎に身を焦がされ、兵士たちの絶叫がいつまでも響いた。


「よっしゃ、大成功!」


 修道士はパンと一回手を叩き、叫びたいのを我慢して全身に力を込めている。


 確かに一般の兵士ならひとたまりもない。ただ敵には一人、これだけではとても止められない輩がいるんだよなあ。


 喜ぶのはまだ早いぞ。そう言おうとした時、俺たちを矢から守っていた木の壁が吹き飛んだ。


 下の穴から炎が少し燃え移っていたため、材木と火の粉が空に舞い上がる。


 呆気にとられて木材が地面にバラけるのを目で追っていると、灼熱の炎の川から一本の真っ黒の腕が飛び出し、別の木材の壁を掴んだ。


 木材は手の触れた部分からじりじりと白い煙が上がり、ついに発火してしまった。


 腕が溝の縁をつかむと、その主がゆっくりと這い出てきたのだった。


「これくらいでは倒せるわけ無いか、シルヴァンズ」


 炎から這いずり出したシルヴァンズはどこを見ているのか不明瞭な目を顔ごと俺に向けると、表情ひとつ変えずに立ち上がった。


「な、これが真正ゾア神教の奇跡だというのか!」


 修道士が腰を抜かしていると、そこにシルヴァンズが片手に持った例の巨大な木の棒を降り下ろした。炎が燃え移った木を脳天に受け、修道士の頭は割れた果実のように鮮血を撒き散らす。


「この野郎、正気に戻れ!」


 俺はシルヴァンズの首に両手剣を叩き込んだ。


 瞬間、激しい金属音とともにビンビンと振動が俺の手まで伝わり、反動で俺の方が後ずさる。


 俺の全力の一撃を受けても引っ掻いたような傷ができただけ。この男のしつこさは今まで戦った相手の中でも飛び抜けている。


「埒が明かな、うわ!」


 ヒュンと風を切る音に反応して急いでまだ壊れていない壁の裏まで逃げ込む。


 シルヴァンズが壁を破壊したおかげで俺たちの姿が敵から丸見えになっている。そこをめがけた一斉射撃を危うく浴びそうになった。


 矢の何本かはシルヴァンズの身体に当たっているが、いずれも高い金属音を立てて弾かれ、地面にぼとぼとと落ちていく。


 すっかり地面に立ったシルヴァンズは持っていた巨大な木の棒を棄て、一目散に修道院の扉を目指してのしのしと歩き始めた。


 何人もの修道士が果敢に飛びかかるが、絶え間なく飛んでくる矢に当たって倒れ、運よく近付けた者も金属の拳の一撃を受けて意図も簡単に吹きとばされた。


 ついに木製の扉の正面まで到達すると、野獣のような逞しい鋼の右腕を大きく振り、肩ごと扉に打ち付けた。


 巨大なハンマーを叩きつけたような衝撃。礼拝堂の屋根が落ちそうなほどの破壊音。扉を形成していた板は真っ二つに折れると蝶番ごと外れ、屋内の石の床を転がった。


「さあ礼拝堂の扉は破った! 修道士どもを蹴散らせ!」


 女の声が兵士たちを奮え立たせ、炎を迂回してシルヴァンズを追いかけた。大胆にも仲間が焼け死んでいる上を飛び越えようとする者もいたが、そいつは俺が剣で炎の中に叩き落とした。


 修道士たちは必死に武器を振って兵士たちと交戦している。


 この場所は彼らに任せるとして、俺と陽動部隊の生き残りはシルヴァンズを追った。奴の最大の目的はリーフの殺害だ。


 礼拝堂の聖人像には目もくれず、ガゴンガゴンと鈍い音を立てて歩くシルヴァンズ。その風格は草原を行く獅子のようだが、幾多もの火薬瓶による攻撃で身体はほぼ黒焦げだ。


「待てシルヴァンズ、俺がお前を止める!」


 鋼鉄になったシルヴァンズは俊敏な動きは苦手のようだ。礼拝堂に入っても悠然と歩くだけで走ろうとはしない。すぐに追いつき飛びかかった俺はもう一度、今度は後ろから首筋に剣を入れた。


 そしてカーンと高い金属音と同時に二階から飛び降りたような凄まじい反動を受け、弾き飛ばされて尻もちをつく。


 シルヴァンズは首を回してこちらを睨みつけた。いや、瞳が定まってなかったのでそう言うとおかしいかもしれない。


「いやああ、ついにここまで!」


 礼拝堂奥の部屋から顔を出した修道女が叫び、部屋へと引っ込んだ。奥の階段を昇って他の仲間に伝えるのだろう。


 すぐそちらに顔を向けたシルヴァンズは、俺たちには取るに足らない無いとでも言いたげに背中を向け、女の後を追い始めた。


「この野郎!」


 俺たちは必死にシルヴァンズに立ち向かった。


 俺は何度も剣を叩き込み、ある者は椅子で殴り、ある者は抑え込もうとつかみかかった。


 だが俺の剣はすべて弾かれ、椅子の方が粉々に砕け散り、手が鋼鉄の皮膚に触れた瞬間に「あちい!」と手を引っ込めて逆に退散させられてしまった。俺たちではどうすることもできない。


 ついにシルヴァンズが部屋を通過し吹き抜けとなっている石造りの階段を昇り出した時だった。


「皆さん、離れて!」


 女の声が階上から聞こえ、シルヴァンズに集っていた俺たちは困惑して互いに顔を見合わせながらも、階段から飛び降りた。


 二階にいたのはナズナリアだった。両手には例の火薬瓶を持ち、階段を塞ぐ形でシルヴァンズを見下ろしていたのだ。


 体はぶるぶると震えているが、その目はしっかりと迫りくるシルヴァンズをとらえていた。


「私特製の超強力火薬を受けなさい!」


 ナズナリアは右手に持った火薬瓶を投げた。シルヴァンズの胸に直撃し、大きな爆音と爆風が狭い室内を揺らし、俺たちは全員床に伏せた。


 すかさず二投目。二度目の爆発で天井がミシっと嫌な音を出し、俺たちにも熱くなった瓶の欠片がバラバラと降り注いだ。


 直後にガラガラと何かが崩れ落ち、部屋いっぱいに埃が舞い上がった。


 咳き込みながら見てみると、階段が崩れその瓦礫の中から真っ黒の腕だけが飛び出ている。シルヴァンズを封じることには成功したようだ。


「や、やりました……」


 ナズナリアはへなへなと腰を床に降ろした。表情も安堵に満ちている。


「やったぞ、これならさすがのシルヴァンズも―—」


 動けまい。そう言おうとした瞬間、もう片腕が瓦礫を掻き分けて飛び出し、小さな石の欠片を部屋中に飛び散らした。


 ま、まさか! そんな言葉すら出てこなかった。


 瓦礫に埋もれたシルヴァンズは外に出た腕を振り回し、周囲の瓦礫を力づくでどかした。やがて肩、上半身と姿を現すと、あとは勢いで下半身まで引っこ抜いたのだった。


 瓦礫の上に立ち、じっと二階を見上げる。その姿を見て、ナズナリアは震えるどころか完全に固まってしまった。

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