第九章 絶海の聖堂 その5
山道まで俺たちが下がり、敵兵たちも急峻な坂道に足を踏み入れる。
桟橋から続く細長い隊形を維持して、兵たちは山を登り始めたその時。
「第一部隊、投下!」
どこからともなく男の声が響き、続いて兵士たちの列のあちこちで爆音とともに火柱が上がったのだった。
「な、何事だ!」
これにはさすがの兵士たちも驚きを隠せないようで、あっという間に隊列が乱れる。
俺がふと上を見上げてみれば、木の上には先ほどの容器を何個も手にした修道士が隠れていた。
そう、俺たちの作戦は敵兵を山道まで惹きつけ、木の上や岩の上に隠れた他の修道士が火薬瓶で奇襲を仕掛けるというものだった。
効果は抜群のようで、突然の爆発に兵士は慌てふためき、火が燃え移った者はあちこち走り回ったのちやがて力尽きて倒れるのだった。
「まだまだ遠慮するな、投下を続けろ!」
部隊長の号令の後、またも火薬瓶が投げ込まれ隊列はさらに乱れた。
「ええい、これしきのことでわめくな!」
あの弓の女が列から飛び出した。女らしいおしとやかさよりも、粗暴な荒々しさに溢れている。
そして矢筒から弓矢を一本抜いて弓に添えると、目にも止まらぬ早撃ちで林道脇に弓を放つ。
直後、木の上に隠れていた修道士が山道に落下し、持っていた火薬瓶が全て爆発した。山道を遮るほどの巨大な炎の壁が出現し、周囲の木々は瞬く間に炎に包まれる。
女はさらに弓を構え、また別の場所へと矢を飛ばす。またしても命中し、今度は岩の上から修道士が転がり落ちたが、その途中で火炎瓶が爆発し、修道士の身体は細切れの炎の塊となって兵士たちに降り注いだのだった。
「あの女、なんて強さだ!」
俺たちはさらに後退した。あの女の目は夜闇はおろか木々の間まで見通している。
百発百中の女弓使いを囲みながら、兵士たちは進軍を続けた。修道士たちが火薬瓶を投げつけても兵士が身を呈して女を守り、欠けた人員を後ろから別の兵が埋めて補う。
そして木の上に隠れた修道士たちは女にとって動かぬ格好の的となり、次々に射落とされ爆散するしかなかった。
大聖堂で相手にした素人寄せ集めの兵たちとはまるで違う。皆でひとつの生き物のように連動した、高度に統率された集団だった。
「第二部隊、投下!」
俺たちが通りすぎた木の上から男の声が聞こえた。
すぐさま兵士たちに爆弾が降り注ぐかと思いきや、林道から現れたのは巨大な丸太だった。
山道の脇に隠れた修道士たちが次々と丸太を転がしている。坂道で勢い付いた丸太は轟音を上げながら兵士の隊列に直撃した。
これなら弓でも敵うまい。
だが、期待は儚くも砕かれるのだった。
敵兵にぶち当たってそのまま坂道をまっしぐら、と思った丸太は、先頭の兵士にぶつかるとそこでずしんと異様な音をあげて受け止められたのだった。
後に続く丸太も同様、先に止められた丸太に弾かれて脇の木々にぶつかりそのままなぎ倒す。
あり得ない、何をしたんだ?
愕然としながらも先頭を歩く巨大な影を凝視する。
木を受け止めたのは大柄な男だった。皆が鎧を着込む中、一人だけ上半身をさらけ出し、頭髪はきれいに剃り落としている。
男は掴んだ丸太をそのまま持ち上げた。そこで俺の目にも男の顔がくっきりと映った。
「……シルヴァンズ!」
兵を率いていたのはシルヴァンズだった。
全身が鋼となって周囲の炎を映し込んでいるため、鍛えられた肉体は妖しい燈色に輝いていた。
しかしその目は虚ろでまるで焦点が合っていない。正気でないのは確かだ。
「カーラの術にはまってしまったのか!」
思わず声をあげると、女が弓を引き始めた。慌てて太い木の幹に身を隠したその直後、燕のような速さで弓矢が木を掠り飛んでいった。
「気を付けろ、あの男は全身鋼だ。斬っても殴っても何も効かないぞ!」
「それならば爆弾ならどうです」
修道士の一人が山道に飛び出した。そのままなら女の弓の餌食になるところだが、この男は大きく腕を振って握りしめた火薬瓶を放り投げたのだ。
瓶は見事にシルヴァンズに命中し、爆風とともにシルヴァンズの鋼の身体は炎に包まれる。
だがそれだけだ。少しよろけはしたものの、身体に付着した可燃物質が炎を上げつづけた状態でそのまま歩き始めたのだ。
「ええい、これだけ当たれば!」
修道士は持っていた火薬瓶を全て投げつけた。連続で爆発を浴びせられ、鋼鉄のシルヴァンズもついに後ろに倒れる。
瓶が破裂するたびに炎は巨大さを増し、後方にいた兵士も噴き出す炎に次々と呑み込まれていった。
武器も尽き、息を切らしながら修道士が見つめる先にはもはや火炎地獄と化した山道が続いていた。
ここまでやれば鋼鉄人間だってただじゃ済まないだろう。ほっと息をはいた俺は次の瞬間、信じられないものを見て目を飛び出させた。
灼熱の火の海からひとつの影がゆっくりと立ち上がり、燃え盛る炎を踏み分けてずんずんと歩いてきているのだ。
シルヴァンズはまだ生きていた。黒い焦げ目があちこちに残ってはいるものの、肉体への影響は皆無のようだ。
「そ、そんな、我々の火薬がこうも効かないのか?」
修道士は震えながら立ち尽くした。
その刹那、山道を覆う炎の向こう側から一本の矢が飛来し、修道士の眉間を貫いた。修道士は絶望に怯えた表情のまま、仰向けに倒れて動かなくなってしまった。
「後退、後退だ! 修道院まで下がれ!」
部隊長が叫び、俺たちは急いで山道を上った。木や岩の影に隠れていた修道士たちも飛び出して坂を駆け上がる。
幸いにも敵は炎で足止めを食らっているので、俺たちは敵兵を振り切ることができた。それでも後ろから弓矢に射抜かれて、逃げ遅れた修道士からバタバタと倒れていった。
修道院の庭まで戻ると、別部隊の修道士たちが剣や槍を握って待っていた。修道院の扉を守る最後の部隊で、老人も混ざっている。
「気を付けろ! 敵には暗闇でも弓を確実に当ててくる女と、何をしても効かない鋼鉄の大男がいる!」
修道士のひとりが走りながら報告した。
「敵兵は順調に倒してはいるが、その二人が厄介すぎる。女たちの援護に掛けるしかないな」
陽動部隊としてずっとともに逃げてきた修道士がちらっと上を見る。俺もつられて目を凝らすと、確かに鐘楼に大勢の人が集まっているのが見える。男はほぼ全員外に出ているはずだから、あれは皆修道女たちだろう。
「さあ迎え討つぞ。全員、配置について待機せよ!」
白兵部隊長の修道士が言うと、皆武器を構えて扉を守る位置に着く。陽動部隊の生き残りである俺たちも加わって、ようやく背中の両手剣を抜いた。
前庭に大きな畑を挟んだ山道が徐々に賑やかになる。兵士たちの足音だ。いや、それだけではない。何か大きな力で木々を払い倒すような、強烈な破壊音も聞こえている。
俺たちは皆冷や汗を垂らし、遠くの山道をじっと見つめて待った。
そしてついに、山道の木々が大きく揺れ、木の葉をまき散らす。同時に、今しがたへし折ったばかりだろうか、硬くて丈夫な木の棒を振り回しながら、鋼鉄に身を包んだシルヴァンズが姿を現した。
木の棒と言っても優に長さ2メートルはあり、一方が大きく膨らんでいる。即席の巨大なハンマーと言った方が正しい。
山道を出てすぐの所にシルヴァンズが立ち止まると、後ろから続々と白銀の鎧を着込んだ兵が続き、横に広がって隊列を整えた。
特製火薬瓶のおかげでここまでたどり着けたのは60人ほどまで減っていたが、こちらは若い男は多くがやられてしまい、残りの多くは女や老人だ。これ以上の進撃を許すわけにはいかない。
「射撃部隊、用意!」
敵の女の声が響いた途端、前列の兵士たちは弩を構えた。傾向性に優れた小型のものだ。.
「まずい、隠れよう!」
俺が隣にいた修道士に呼びかけたが、修道士はにやりと笑い、「これでいいんだ」とだけ答えた。
何てこと言いやがる、俺だって空中の矢を叩き切るなんて芸当はできないぞ。
「撃て!」
女の声とともに何十もの矢が扉を守る俺たちに襲い掛かる。
「今だ、紐を斬れ!」
隊長が叫んだ直後、俺の足元から巨大な壁がせり上がった。矢は全てドスドスト音を立てて突き刺さり、俺は間一髪のところで一命をとりとめた。
「はあ、はあ、び、びびらせんなよ」
俺は危うく腰を地面に着きそうになり、ここは戦場だぞと言い聞かせて背筋を伸ばした。
扉の前に兵を置けば、敵はそこを狙って矢で攻撃してくると予想していたのだろう。いつから仕掛けられていたのか、厚い木材を組み合わせて作った壁は見事に表土で隠され、仕掛けの紐を切った瞬間に跳ね上がるよう用意されていたようだ。
いつでも真正ゾア神教の攻撃に備えているというのは口だけではなかった。爆薬の研究も事前の作戦も、すべてこの時を想定していたのだ。
「さあ、一気に畳みかけるぞ!」
隊長の声に、修道士たちは叫んだ。彼らの雄姿は信念のために戦う戦士そのものだった。




