第九章 絶海の聖堂 その3
翌朝、俺たちは重い瞼を懸命にこじ開け、朝の礼拝に参加した。
一晩中語り明かして俺たちはいつでも夢の世界に転がり落ちそうだったのに、サルベリウス様は昼間と変わらずピンピンしていた。
そして空が青みを帯び始めて「もう朝か。いやあ、また夜更かししてもうた」と笑いながら言うのだった。
ここに寝泊まりする100人ほどの修道士、修道女の聖歌の合唱の後、サルベリウス様が教典の一文を朗読し、神に祈りを捧げる。祭壇のセラタ像はそんな修道士たちをじっと見下ろしていた。
この礼拝にラジローは参列していなかった。様子を見に行ったナズナリアによると、解読に熱中するあまりこちらが部屋に入っても気付かれなかったそうだ。
何かをブツブツと呟きながら筆を走らせるその姿が恐ろしく、そのままにしておいたらしい。
朝の礼拝の後、それぞれの部屋に戻る修道士に続き、俺たちも部屋へと帰る。
「なあオーカス、解読はいつ完了するだろう?」
隣を歩くリーフは小声で尋ねた。
「文字は読めるようだしそれに関しては時間はかからないだろう。問題は欠落が多すぎることだ、内容を想像しながら埋めていくとなると相当手間がかかる。おまけに禁断の書とあれば俺たちの常識を覆すような記述がされているかもしれない。今までの知識や常識は役に立たないと思え」
「そうなのかなあ……」
ここ数日、リーフはすっかり弱気になってしまった。
自分に預言を授けたのは本当に神だったのか、疑問に思っているのだろう。もしも別物だと判明したら、その時どんな反応を取るか本人にもわかっていないようだ。
「まあ気にするな。ここは真正ゾア神教でも一部の連中しか知らないはず。追手が来るにも時間はかかるし、どこ見ても水平線の絶海の孤島、ちゃんと航路を知らないとたどり着くことすらできないんだ」
だが俺は不安だった。あの真正ゾア神教のことだ、もしかしたら最初から俺たちがここに来ると予見して泳がせているのかもしれない。
それにサンタラムのような力を持った輩もいる以上、シルヴァンズの口を割らずともここに来たことがバレる可能性もある。のんびりしてはいられない。
途中、ラジローの個室を覗いてみる。なるほどナズナリアの報告の通り、机に向かってブツブツと独り言を言いながら何枚もの羊皮紙とにらめっこしている男の背中がそこにあった。
「南の大陸……人類発祥の地……」
「おおい、解読は進んでるか?」
声をかけたが反応は無かった。机の脇に置かれたパンとワインも昨夜から手つかずのままだ。
今は天変地異でも起こらない限り、この男を動かすのは無理だろう。
部屋に戻った俺たちは眠ることにした。昨晩眠らせてもらえなかったのだ、これくらい神様だって許してくれる。
さて、ぐっすりと眠ってこれからの旅に備えよう。清潔な枕とシーツに包まれて極楽へと誘われているその時だった。
修道院全体を揺るがす振動、そして爆音が一回、鳴り響いたのだ。
突き上げられるような動きでベッドから跳び起き、俺はすぐに脇の両手剣を手に取った。
「真正ゾア神教の奴ら、もう攻めてきやがったのか?」
窓から顔を出して桟橋に目を向ける。だがしかし、そこには俺たちの乗ってきた船がぽつんと停泊しているだけで、桟橋の上で船乗りが腕を回して体操をしていた。
あれ、気のせいか? でも何か爆発音がしたのは確かだぞ。
一方ですうすうと熟睡しているリーフ。やはり俺の思い違いか?
「馬鹿者、あれほど火打石はここで使うなと言っていたのに!」
男の怒鳴り声だ。
何事だろう? 俺は声のした方へと走った。
いくつかの部屋の並んだ廊下を抜けると、途中扉の開け放たれた部屋があった。そこからもくもくと黒い煙も立ち上っており、あからさまに怪しい。
興味本位で中を覗き込んでみると、初老の修道士が修道士たちを並べ、くどくどと説教をしているのだった。
「うう、すみませーん」
前に立たされた修道女はすっかり小さくなっていた。ナズナリアだ。顔は真黒に汚れ、服も焦げ付いている。
「まったく、薬品を扱う時は少しは気を遣え。せっかくの調合の技術も、お粗末な性格でパーになっては元も子もないだろ。ここで扱うのは未知の薬品だ、どんな性質があるか誰もわからん。丁寧に、慎重に、細心の注意を払って調合を進めるのだぞ!」
床には割れた陶器が散らばり、石材にも何か焦げ付いた跡が残っていた。周りの修道士たちの表情は辟易し、「またかよ」とでも言いたげだった。
長い長いお説教が終わり、修道士たちは作業に戻る。
「おい、ナズナリア」
箒で床の陶器片を集めるナズナリアに声をかけると、彼女は赤面した。
「オ、オーカスさん、お恥ずかしい所をお見せしました」
「いや、それはいいんだけど……何作ってんだ?」
俺は机に残っていた黒い粉を見る。
「あ、取り扱いにはご注意ください。火薬なのですが、特製なんで威力が桁違いなのです」
なるほど、こんな所で火薬を作っているとはなあ。
修道院が自給自足の生活の末に自家製のワインや食品を作るのはよくあることで、中には錬金術の研究を行う施設もあるとも聞いていた。
修道士は学者にも劣らぬ知識集団であり、修道院の技術が俗世にも伝搬して農業や産業で革命的な発展を遂げることもある。
火薬の製法は多くが国家機密レベルで守られており、俺たち一般庶民が知ることはできない。火縄銃や大砲も高価なため、使えるのは限られた階層だけだ。そもそも誇り高い騎士たちは火砲の使用を嫌い、例え不利でも剣一本で勝負するという。
そしてさすがに旧教の修道士を集めているだけのことはある、ここには通常より強力な火薬を作る者もいるそうだ。何の目的で使うのかは不明だが、採石でもするのだろうか?
「私、昔は修道院を出てパスタリア王室の火薬製造に携わりたいと思っていたのですが……こんなにおっちょこちょいなんですから、きっと無理ですよね」
ナズナリアは苦笑いしながら床を掃き続けていたが、その目には涙が浮かんでいた。
たとえ出る機会に恵まれても、今の王室が昔と同じように火薬作りを奨励するかどうか。王家は既に真正ゾア神教の連中に支配されているし、奴らはこういう技術の研究に関しては疎そうだし。
「そうだな、少なくとももうしばらくはここで修行した方がいいかもな。時期が来れば修道院を出ればいいさ」
時期が何を意味するのか、俺は明言しなかった。ナズナリアは涙目のままこくんと頷いた。
その夜のことだった。昼間寝てしまってどうも眠れなかった俺は、ベッドに寝そべったまま窓越しにぼうっと月を眺めていた。
ふと海に目を向けると、灯りが三つ、真っ黒の海面をゆっくりと動いているのが見えた。
こんな時間に船を出すとは、定期船だろうか。内海は常に船が行き来し合うからなあ。
しかし三隻の船はゆっくりとだが確実に、こちらに近付いている。まるでこの島を目指しているように。ここに客が来るのは一年に数回と聞いていたが、随分と団体様で用事があるものだな。
そこで俺は気付いた。この島には灯台なんて無い。海上から見ても夜は闇に混じるはず。
それなのになぜ奴らはここを目指してまっすぐに近付いてこられるのだ?
俺の直感が正しいとすれば、あの船に乗っているのは真正ゾア神教だ! 夜でも航海できる奇跡の力を使い、ラルドポリスから俺たちを追ってきたんだ!
「起きろリーフ、敵かもしれない!」
俺は両手剣を手に取り、昼間もたっぷり眠っていたのに今もすうすう寝息を立てているリーフを叩き起こした。
「ふあ、敵だと? どこだ!」
寝ぐせでくしゃくしゃになった髪の毛を振り回し、ベッドの上でファイティングポーズを取るリーフ。
「あそこだ、海の上だ」
俺は窓から外を指差した。船の灯りはさらに大きくなり、かなり大きな帆船が3隻、三角形で並んで向かって来ているのまで目視できた。
「きっとあそこには奇跡の力を持った連中も乗っているはずだ」
「逃げられないのか?」
「こんな孤島じゃ無理だ。俺たちにとっても逃げ道は桟橋の船のみ、迎え討つしかない」
俺が両手剣を背中に背負いながら答えると、リーフは自分の頬をぺちぺちと叩き、机の上に置かれた水差しから直接、口に水を流し込んだのだった。
口から水がどぼどぼと流れ、服にも水が垂れているがそんなものお構いなしに水差しを飲み干すと、ぷはっと気持ちの良い息を吐く。
「よし、私も戦おう!」
すっかり目の覚めたリーフの眼は完全に戦士のそれだった。




