第九章 絶海の聖堂 その2
礼拝堂の建物を抜け、俺たちは夕焼けの山を下りた。
獣道のような道とも呼べぬ道を歩き続け、やがて岩のゴロゴロと転がる崖の前に出る。こんな所、道順を知らないとたどり着くこともできまい。
サルベリウス様はその中でも特に大きな岩によじ登ろうとするので、慌てて俺が補助に入った。岩に登った俺が見たものは、崖と岩の隙間に作られた洞窟だった。
その奥には金属製の扉が打ち付けられており、いかにも大切な何かが隠されていると素人目でも分かった。
「ここは一体?」
俺の質問にサルベリウス様は答えず、懐から古く錆びた鍵を取り出すと鉄製の扉の鍵穴に突っ込んだのだった。
ガチャリと鍵の開く音がして、扉を押すとギリギリと嫌な音を出しながら少しずつ開く。その奥は真っ暗な洞窟へと続いていた。
「ナズナリア、灯を」
サルベリウス様は修道女をちらっと見る。この場所の存在を知らなかったのだろう、茫然としていた若い修道女は慌てて蝋燭を取り出し火を点けた。
このナズナリアというのが修道女の名だそうだ。
「真正ゾア神教の台頭後も私たちはここを守り続けてきました。ここには人類の歴史を解き明かすほどの秘密が眠っておりますからの」
洞窟の中は宝物庫だった。宝物と言っても宝石や黄金が収められているという意味ではなく、ただ金属製の箱が何十も積み上げられているだけで何が入っているかはわからないが。
しかしラジローにはここに何があるのか、わかったようだった。
「禁断の書……ですか。噂には聞いたことはありましたが」
「そう、俗に禁断の書と呼ばれている資料。元は世界中に散逸していたのですが、真正ゾア神教の魔の手から逃れここに保管されています。おかげで我々は書物をつなぎ合わせ、一部ですが内容を知ることができました」
「禁断の書? 初耳だな、どんな内容だ?」
リーフが俺の顔を覗き込むが、俺だって知らないぞ。
「禁断の書はゾア神教の開祖セラタとその弟子たちによって書かれた最初期の文献です。神の正体に迫るだの読んだ者は死後永久に救われることは無いなど噂はありましたが、その存在は長らく否定され続けてきました。ですが、どうやら実在したみたいですね」
ラジローの眼鏡が妖しく光った。
サルベリウス様は無言のまま箱のひとつの鍵を開けた。取り出したのはぼろぼろの羊皮紙。穴が開き文字がかすれ、とても読めたものではない。
「痛みが激しいので全容はわかりません。ですがラジロー殿とリーフさんならもしかしたら……」
「お見せください」
ラジローはサルベリウス様の手から羊皮紙を慎重に受け取ると、リーフを手招きして呼び寄せた。
二人並んで羊皮紙をじっと覗き込んでいると、リーフが音読を始めた。
「この世……創造せし神ゾ……スと……南の……大いなる知恵を与え……ううん、文字が消えていて読めないな」
「この時代の文字なら読めないことはありません。私はこれから解読作業に入ります。リーフさんの力をお借りすることもあるかと思いますが、可能な限りこの文書の修復を急ぎましょう」
ラジローの目には鬼気迫るものがあった。未知の文献が神学者としての魂に火を点けた瞬間だ。
「東の国にはなんて食べ物があるのでしょう! 私も行ってみたいですわ。それでリーフさん、先ほど話してくださったラクとは一体どういうお酒ですの?」
食堂にて、俺とリーフは質問攻めに遭っていた。新品だった蝋燭は既に溶けて消えかかっているものの、そんなことは目にも入っていないのかナズナリアの目は蝋燭以上に輝いていた。
ラジローは部屋に閉じこもって解読に専念し、船乗りは番のために船室で寝泊まりしている。修道士たちは陽が沈むと軽い夕食の後床に就くのが日課のようだが、この娘はそんなことすっかり無視して俺たちの旅の話を根掘り葉掘り聞いているのだった。
「ナズナリアは随分と外に興味があるんだな」
そのアグレッシブさにはリーフも若干押され気味だった。
「はい、物心ついた頃より修道院にて過ごしておりますから。リーフさんのように外の世界を旅しておられるのは大変羨ましいです」
「ほう、そんな小さい頃からねえ。親や故郷も知らないのか?」
「生まれはエリア国だとは聞いておりますが、気が付けばパスタリアの女子修道院にいました。親のことは何も聞いていません」
あっけらかんと答えたナズナリア。外に出たいという欲求はあるものの、自らの境遇自体に不満は無いようだ。
「こりゃ、まだ起きておったのか」
叱りつけたのはサルベリウス様だった。ランプを手に修道院の見回りでもしていたのだろうか。
「明日の朝にも勤めがあろう。オーカス君も疲れているだろうし、早く寝なさい」
「はぁーい」
頬を膨らましながらもナズナリアは素直に従った。
「それではお休みなさいませ」
一礼し、食堂を後にするナズナリアを見送ると、サルベリウス様は椅子に腰かけた。
「ふう、君たちも色んなことがあったろう。どれ、私にもこの15年間、どんなことがあったか聞かせてもらえるかな?」
子供のような笑顔でサルベリウス様が迫る。
「ですがサルベリウス様、明日はお勤めでは?」
「ほっほっほ、この歳になると眠りが浅くなっての。どれ、これでも交えて飲み明かそうぞ」
そう言って立ち上がると食堂の戸棚を開けて中から杯を取り出し、さらに酒の入った瓶まで片手に提げていたのだ。
「ひえっ、サルベリウス様、やりますね」
俺とリーフの眠ることは許されない夜が始まった。
この章は他と比べて短くなりそうです。




