表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第二部 ふたりの預言者
60/106

第九章 絶海の聖堂 その1

 目的地までは2日ほどの船旅だった。


 かつてストイックなまでの禁欲生活を求めたある僧が孤島での生活を始めた。それをきっかけに多くの同志が集まり、やがて大きな修道院となった。それが俺たちの目指すリタ修道院だ。


「うわあ、山の上に建物があるぞ!」


 甲板から身を乗り出したリーフの見つめる先には、絶壁の上に木々が生い茂った島。その緑の木々を突き破ってそびえ立つ石造りの建築物。黒い瓦に覆われた三角屋根が、遠くからでも異様な存在感を放っている。


 島の反対側の桟橋に接岸して荷物とアコーンを降ろしていると、修道院に続く山道から誰かが降りてくる。


「もし、何用でここにいらしたのですか?」


 驚いた、若い修道女シスターだった。


 ここは男だけの修道院として作られたとばかり聞いていたので、正直女っ気についてはしばらく諦めるしかないと思っていた。だが、まさか最初に出会うのが女だとはとんだ不意打ちだ。


「シルヴァンズ様の計らいです。我々は新たなる預言者の真相を探りに、ここまで来ました」


 ラジローが深々とお辞儀をした後、説明した。


 若い修道女は真ん丸な瞳を瞬きさせた。


 黒地の貫頭衣の胸には太陽の紋章が描かれ、髪の毛を全て隠した純白の頭巾の上には黒色のベールをかぶっている。


 典型的な修道女の服装だが、大きく開かれた目に始まり通った鼻筋、服の上からもわかる流れるように均整の取れた体型、リーフより頭一つ分小柄というあどけなさ。市井にいれば男が放ってはおかなかっただろう。


 その小柄な修道女はくすっと微笑んだ。修道服に身を包んでいるがその本質は天真爛漫な娘なのだろう。


「どうやら急な用事のようですね。すぐにご案内します、どうぞこちらへ」


 ぷいと振り返ると黒いベールがふわっとひるがえる。俺たちはアコーンを引いて山道を登った。


「坂が急なので足元にお気を付けください。ラクダは歩きづらいかもしれません」


「気にするな、うちのアコーンはそんなに軟弱じゃねえよ。なあ、アコーン?」


 俺がアコーンの顔を覗き込むと、こいつはラクダのくせに前を行く修道女の頭のすぐ後ろまで首を伸ばしていたのだった。


「このエロ畜生! 売り払ってやろうか!」


 アコーンの側頭にこつんと拳を入れると、このクソラクダは身体を揺らして俺にぶつけてきたのだった。


「この野郎、やりやがったな!」


 孤島の山道にて俺とアコーンがどつき合いが展開される。その様子を見て修道女は微笑んだ。


「そういえば、女性のあなたがなぜここに? ここは男性だけの修道院でしょう?」


 不意にラジローが尋ねた。途端、修道女の表情は一気に重苦しいものになったのだった。


「ええ、ここは元は男性専用でした。ですが真正ゾア神教により私たちは迫害を受け、ここに逃げ延びました。そこをシルヴァンズ様らにより秘匿され、旧教の資料や高僧をここに隠しているのです」


 この娘も以前は別の女子修道院に入って慎ましやかな生活を送っていたのだろう。だがそこにプラートが現れ、命からがらここまで逃げてきたに違いない。この島は旧教最後の砦なのだ。


 山頂付近の土地は平らで、あちこちに畑が作られていた。黒服の修道士が男女混じってクワを握り種をまき、作物を収穫している。


 この時は若い修道女たちがイチジクの木から果実をもぎ取って籠に放り込んでいた。


 アコーンを厩舎につないで、俺たちは礼拝堂へと案内された。遠くから見たら三角屋根をした巨大な建物だ。


 礼拝堂の門は黒く塗った木を組み合わせた簡素なもので、大きくはあるが決して頑丈とは言えなかった。


 だがその先の光景は荘厳そのもの。旧教の宗教芸術の粋を結集させた壁画、ステンドグラス、彫像。これでもかとばかりの極彩色で描かれた聖人たちを、この礼拝堂の中では今なお変わらず拝めるのだ。


 これこそ俺が東方の旅の中で心待ちにしていた景色だ。


 初めて入る礼拝堂なのに、何もかもが懐かしい。イコンのセラタも石膏のルトーも、幼い頃より慣れ親しんだシンボルであり、俺の心を支える存在だった。


 いつの間にか俺は祈りのポーズを取っていた。


「おや、お客様ですかな?」


 礼拝堂の奥から小柄な老人が姿を現した。右手に木製の杖を持ち、不自由な足を引きずっている。長く伸びた白髭は艶があり、きれいに整えられていた。服装は黒一色のローブだが、金属製の巨大な首飾りを下げていた。


「はい、シルヴァンズ様からここに来るよう言われたそうです」


 修道女がはきはきと答えると、老人は歩くペースを早めた。


「そうか、よくぞこんな辺境まで来られました。シルヴァンズ様が寄越された方々となれば大変な用事がおありでしょう、私で良ければお力添えを……?」


 老人と目が合う。その時、俺も、そしてこの老人も互い一瞬にして固まってしまった。


 ステンドグラスと蝋燭の光に照らされた澄んだ瞳、皺だらけになっても聡明さを醸し出す凛々しい眉。


 こんな顔をした僧と言えば、あの人しかいない。幼き俺の師として、俺の一生の道標を提示してくれた人物。


「あれ、サルベリウス様?」


 固まって震える俺たちを見比べて、修道女が老人に声をかけた。


 俺は耐えられず口を開き、礼拝堂を駆け出した。


「サルベリウス様!」


「オーカス君、オーカス君か?」


 老人―—サルベリウス様―—は杖を床に落とし、両手を広げよろよろと歩く。


 俺はサルベリウス様の小さな肩に手をかけ、そのまま床に膝をついた。


「サルベリウス様、お久しぶりです。お元気にされていましたか?」


「ほっほっほ、歳には勝てんが病は無いぞ。どれ、15年振りかな? すっかり逞しくなりおって」


 嬉しくて俺は涙を流した。まさかこんな所で出会えるとは、なんたる奇跡か。


 一方で他の面々は皆、ぽかんと口を開けて再開を喜び合う俺たちを眺めていたのだった。




「ええ、オーカスの恩師だと?」


 礼拝堂裏の食堂でワインを飲みながらリーフがわざとらしく驚いた。このワインは修道院で育てたブドウから醸造した手作りらしい。ここは原則自給自足の生活なのだ。


「ああ、サルベリウス様が俺の村に来たのは20年ほど前だ。文字さえ読めなかった俺たちに読み書き計算を教え、ゾア神の教えを説いてくださったのだ」


 俺はすっかりサルベリウス様の横の席に座り、これまでの来歴を語っていた。


「オーカス君は勉強熱心で好奇心も旺盛でなあ。商人になって東方まで旅するなんて当時は思いもしなかったが、なるほどよく考えてみれば実にピッタリじゃないか」


「よしてくださいサルベリウス様、あなたの足元にも及びません」


 旅の僧侶としてクーヘンシュタットを訪れたサルベリウス様は、困窮した村の現状を憂いた。せめて自分にできることは無いかと思い、子どもたちを集めて教育を与えたのだった。


 その内の一人が俺だった。親たちの中には文字など読めなくていいから畑を耕せと言う者もいたが、俺たちは読み書きの面白さに目覚め、皆こぞってサルベリウス様の下を訪れた。


 そして15年前、当時の教皇に呼ばれるまでの5年間、サルベリウス様は村にとどまり俺たちの成長を見続けてくださったのだった。すっかり読み書きを覚えた子供たちは、成人してより高度な職に就くことができた。


 俺のように商人になった者、士官として城に仕えた者、計算の才を活かし会計士として大成した者など様々だ。それらは皆、サルベリウス様が村に来てくださったからこそ実現できたのだった。俺たちにとっては師であり、命の恩人と言っても過言ではない。


「ところでオーカス君、どういった用件で君はここを訪れたんだい?」


 そうだすっかり忘れていた。再開を喜んでばかりはいられない事情があったんだ。


「それについては私から説明いたします」


 ラジローが頭を下げ、これまでのいきさつを説明した。


 この修道院にもプラートの死去の報せは届いているそうだが、カーラが新たな預言者を名乗っていることは初耳のようだ。もちろんリーフのことも。


 同伴している修道女に至っては信じられないという顔をして、リーフをじろじろと見てくる。


 その視線を感じる度に、リーフはしゅんと小さくなった。


「うむむ、ふたりの預言者ですか。同時代に神の啓示を受けた者が複数現れるとは、不思議なものですな」


「はい、ですが何かしらの預言を授かっているのは疑いようのないことかと。現にふたりとも超常的な奇跡を起こしているのです」


 目を閉じ、サルベリウス様は考え込んだ。


 長居時が過ぎた。手を顎に当てたまま動かなくなったサルベリウス様は、時折「うーん」とうなりながらも、それ以外ピクリともしなかった。


 こちらが声をかけても何も返事は無い。俺もこのようなお姿は見たことは無い。


 俺たちも座ったまま動くことができず結論を待った。


 どれほどの時間が流れたのだろう。高く上った太陽が海に沈む頃、ついにサルベリウス様はカッと目を開き、立ち上がったのだった。


「よし、ついてこられよ。この修道院が、いや旧教の僧侶たちが命を賭して守ってきた秘密、今こそ解き放つべきでしょう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ