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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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第一章 砂漠の交易路 その6

 馬車後方の盗賊を全滅させた俺は、そのままアコーンを走らせ御者の小太りの男と交戦中の盗賊も斬りつけた。背中側から背骨を絶たれた形になった盗賊は上半身が前かがみに、一方の下半身は後ろ側に倒れてたたまれた洗濯物のように地面に崩れる。


「旦那、すまないね!」


 小太りの男は息を切らしながら俺に微笑んだ。


「どうってことない、それよりも……ぐはっ!」


 リーフを逃がしてくれ。そう言おうとした矢先、俺の背中に激痛が走る。


 巨大なハンマーで殴られたような猛烈な痛みに、俺はたまらずバランスを崩し、アコーンから落ちてしまった。剣を握っている間は両手がふさがるので、手綱をつかめないのだ。


 仰向けで地面に倒れ込んだ俺の傍で転がっていたのは握り拳ほどの大きさの石だった。白黒する目をよく凝らしてみると、髭もじゃ男の乗った馬車の方向から、布製の投石器を持った盗賊がこちらへと走ってきている。あいつの投げた石つぶてが俺の背中にクリーンヒットしちまったようだ。


「よくも俺たちの仲間を殺してくれたな!」


 投石器を持った男に続き、他の盗賊たちも皆俺の方へと走る。馬車から降ろされた髭もじゃ男は殴られでもしたのだろうか、頭から血を流して倒れている。なんとか立ち上がろうと腕を動かしているので死んではいないようだが、とても戦えるような状態ではない。


 そこに立ちふさがったのはアコーンだった。アコーンは俺と盗賊の間に割り込むと、鼻息を荒げてその巨体を見せつけた。ラクダながらにその姿は勇敢な戦士のようだった。


「何だこのラクダ、邪魔だ!」


 投石器を持った男はアコーンのすぐ脇を通り過ぎようとする。


 アコーンはそこを見逃さなかった。後ろ脚を目にも止まらぬスピードで蹴り上げると、盗賊の脇腹にその蹄を叩き込んだのだ。


 ラクダの蹄は馬のものに比べるとかなり小さいが、アコーンが体重をかけたものはその威力は鋼鉄のハンマーに等しい。ぶっ飛ばされた盗賊は脇腹をえぐられ肉片を飛び散らしながら、最後は岩肌に打ち付けられた。


 それを見た仲間の盗賊たちは絶叫を上げながらもアコーンに突っ込んだ。


「舐めやがって、死ね!」


 盗賊のひとりが素早い身のこなしでアコーンの前脚の付け根辺りを曲刀で斬りつけた。

 アコーンは悲痛な叫び声を上げながら、ゆっくり地面に倒れた。巨体なので土埃が舞い、岩石にも負けない衝撃音が轟く。


 倒れたアコーンは痛みに堪えながら、必死で四本の足をばたつかせた。盗賊たちも容易に近付けず、仲間の凄惨な死体を横目にアコーンを避けながら俺の傍まで駆け寄った。


 そして盗賊たちは俺を取り囲むと、誰が合図することもなく一斉に曲刀を突き付けた。ざっと見回しただけでも六人。地面に倒れた俺と、それを見つめる盗賊たち。いくら俺でもこの状況では手も足も出ない。


「仲間を殺した罪は重い」


 ずんずんと大きな影が近付き、俺の頭のすぐ近くでピタッと止まる。


 盗賊の頭だ。他の連中より頭一つ分飛び抜けて大きく、岩石のように硬そうな筋肉に嫌でも目が行く。


「憎いぞ、実に憎たらしいぞ。お前の指を一本ずつ切り落として、油を頭から浴びせた後、ゆっくり串刺しにして殺してやろう。せいぜい泣きわめいて、命乞いしながら死ね」


 頭はぷるぷると震え、こめかみには太い血管が浮かび上がっていた。


 こいつは本気だ。無法者なのに仲間意識は強く、そして残虐なことも厭わない目をしている。


 いつの間にやら小太りの男も馬車から引きずり降ろされ、背中を別の盗賊に踏みつけられて地面にうつ伏せになっている。俺たち商人一行は全員地面に倒れ、一番危険な俺の周りには六名ほどの盗賊が円陣を作って剣を構えていた。


 ああ、こんな目に遭うなら予定通りシシカの都に向かっておけば良かった。命を失っては金があっても意味が無い。


 突如、死という文字が俺の意識のすべてを埋め尽くした。どう引きはがそうとしてもべったりとへばり付いたままで拭い去れない。金に目がくらんだ昨日の自分を後悔した。


 脚から手の指まで体の至る部分が小刻みに震え、ろくに動かすこともできない。盗賊に襲われたのは初めてではないが、ここまで自分の最期を目前に感じたのは初めてだ。幼い頃の剣術の訓練で何度も「死ぬ!」と思って自分の体重よりも重い丸太を背負ったり、そのまま山を登ったりしていたが、あれら体験の比ではない。


 何よりも死後、俺はどうなるのだろう? 現世での行いを神はどう判断してくれるのだろうか。


 金に執着して、せこい商売に勤しんではここぞという時に相手を騙してきた俺に神は救いを差し伸べてくれるのだろうか。いや、そんなはずあるまい。全知全能の神が俺の悪行を見逃してくれるはずがない。そもそも商人は商売に手を染めたその時から、死後の苦しみを約束された身分なのだ。


 もはや絶望か。いかんともしがたい体の震えを必死でこらえ、両目を瞑ったその時だった。


「いででで!」


 男の情けない叫び声が聞こえ、俺は閉じた目を開かされた。


 盗賊のひとりが身をよじらせ、地面に崩れている。その背中には別の小さな影がくっついていた。


「お、女だ!」


 俺はぎょっとして上半身を起こした。盗賊に背中から奇襲をかけていたのはリーフだった。


 馬車の中に隠れて隙を見つけて逃げれば良いものを、リーフは自分よりはるかにでかい盗賊にしがみついていた。その手に持ったナイフは盗賊の背中に深々と突き刺さり、どくどくと流れた血が足元に赤い水たまりを作っている。


 一瞬唖然としていた盗賊たちだが、すぐに仲間に駆け寄り背中のリーフを後ろから引きはがした。大柄な盗賊に羽交い締めにされながらも、リーフは血の付いたナイフを振り回しながら手足をばたつかせて必死に逃れようとしている。


 その表情は無抵抗で従順な女のそれではなく、幾度も死線をくぐり抜けてきたような迷いの無い、鋭いものだった。これだけの盗賊たちを相手に女ひとりで飛びかかり、しかもひとり仕留めるとは、図太い神経と非凡な戦闘のセンスを感じる。記憶を失う前は女盗賊だったのではないのか?


「お嬢さん!」


 馬車のすぐ近くに倒れていた小太りの商人が土まみれの顔を上げるが、すぐさま背中を踏みつけていた盗賊が足に力を入れたので苦しそうに唸った。


「ふざけやがって!」


 盗賊のひとりが握り拳をリーフの腹部に打ち込んだ。


 リーフはせき込みながら唾を吐き出し、大きく目を見開いた。その際にナイフも手から滑り落ちる。鳩尾に入ったのか、声を発することもできずに悶えていた。


「この野郎!」


 俺は盗賊に猛烈な殺意を覚え、起き上がろうとする。しかし取り囲んだ盗賊のひとりがすぐさま俺の首筋に曲刀を押し当てたので、刃物の冷たさにそれ以上動くことができなかった。


 盗賊団の頭は痛みにゆがんだリーフの顔をしげしげと覗き込み、不気味に笑った。


「驚いた、随分と勇ましいお嬢さんもいたものだ。そうだお嬢さん、あんたがここに残ってくれるならこの大男以外は全員無事に返そう。それでどうだ? あんたがここで俺たちの世話をしてくれるだけでいいんだ。これ以上無い条件だろ?」


 頭はリーフの唇に太い人差し指を押し当てた。リーフは頭をにらみ返すと、その指に思い切り噛みついた。


 頭は表情を険しいものに変えたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。


「……臭い口近づけるな。反吐が出る」


 リーフの口からは血の筋がしたたり落ち、盗賊の頭は歯型の付いた指をしげしげと眺めると、自分の長い舌でべろっと舐めたのだった。その様子はどこか楽しげで、不気味なことこの上ない。


「血気盛んなお嬢さんだ、ますます気に入った。お前ら、この娘をつないでおけ」


 頭がそう言うと、他の盗賊たちは歓喜の雄叫びを上げた。二人の盗賊に引きずられながらも、リーフは再び手足をばたつかせて抵抗を始めた。


「お前らリーフから離れろ!」


「おっと、お前は自分の命を心配するんだな」


 首筋の曲刀がさらに力を込めて押し当てられた。金属の冷たさだけでなく、温かい血がじわっと滲み出す感覚も伝わる。


 なんてことだ、リーフを巻き込んじまった。あの時、どうにかしてでもリーフをロクム村に残しておくべきだった。俺は商人として罪を背負っただけでなく、こんな娘の人生まで狂わせてしまうのか? もうゾア神は躊躇せず、俺を即地獄に叩き落としてしまうだろう。


「はーなーせー!」


 リーフは既に道を塞ぐ岩々の頂上付近まで引っ張られていた。抵抗の声も徐々に聞こえにくくなっている。


「けっけっけ、近くで見ると実にいい肌してやがる。俺らだけで先にご賞味しておくか?」


「ぐへへへへへ、お頭の許可が必要だけど、舐めるくらいならいいよね」


「この変態ドスケベ野郎、もしもそんなことしてみろ、目ン玉ほじくってお手玉するぞ!」


「けっけっけ、そこらの盗賊よりガラ悪いぞ、こいつ」


「ぐへへへへへ、もう我慢できなーい」


 こうなった以上俺が助かる見込みは無い。せめてリーフだけでも……。


 地面に転がる両手剣にそっと手を乗せ、首筋を多少斬りつけられてでも一矢報いようと思ったまさにその時だった。


「ぐげげげげげげげげ!」


 今しがたリーフに下劣な真似をした盗賊の叫び声が響く。


 何事かと目を向けると、さっきまでリーフを羽交い締めにしていた大柄な男が岩の上で背中から倒れ、積み上がった岩を転がり落ちていたのだった。一方のリーフは岩の頂上付近で腕を付いてしゃがみ込み、はあはあと深く激しい呼吸を繰り返していた。


 仲間の盗賊が岩から飛び降り、「お前、どうしたんだ?」と必死に倒れた男をさする。しかし男が起き上がる気配は全く無い。


 尋常でない様子に、盗賊の頭も「どうした?」と尋ねた。


「わ、訳わかんねえ、こいつが女の顔に触った瞬間、突然震えだして身体から煙を噴き上げて倒れたんだよ! しかもなんか焦げ臭いし。おい、しっかり……だめだ」


「どういうことだ……まさか! おい、その女をすぐに殺せ!」


 頭が声を張り上げると同時に、リーフも岩の上から地面へと飛び降り、すぐにもうひとりの盗賊の背後を取り、首筋に素早く掌底を叩き込んだ。


 ただ掌底を叩き込んだだけのはずだった。だが、ただの女の打撃にしては明らかに異常だった。掌の当たった瞬間、盗賊は「ぎょええええええええ!」と俺の28年の人生の中でさえ一度も聞いたことのない奇妙な悲鳴を上げて、頭から黒い煙を立ち上らせたのだ。


 攻撃を受けた盗賊はよじれるような叫び声を上げたまま体の筋、背中から四肢まですべてをピンと伸ばした体勢のまま静止し、叫び終わった途端に地面に突っ伏してしまった。


 盗賊も商人も関係なく、その場にいた全員がぽかんと口を開けて事の顛末を見ている中、盗賊の頭だけが倒れていく部下を見ながらぐぬぬと唸っていた。


 俺の首筋に曲刀を当てている盗賊もすっかり茫然として、俺から目を離していた。剣にも力が入っていない。


 この隙を逃すものか。


 俺は曲刀を握る盗賊の腕をつかむと、易々とその剣を奪った。そして盗賊にあっと言わせる間も与えず、すぐさま喉元に奪ったばかりの曲刀を突き刺した。リーフに驚き俺に驚き、相手は驚嘆の表情のまま絶命した。


 男の死体を押しのけ、愛用の両手剣を拾い上げた俺はすぐさま立ち上がった。それに気づいた盗賊が剣を構えたが、俺はそんなものお構いなしに全身の力を込めて両手剣を振った。


 曲刀が弾き跳んで宙を舞い、俺の両手剣は盗賊の肩先にめり込むとそのまま腕を断ち切った。地面に落ちた自分の腕を見つめながら、大絶叫を上げる盗賊。俺はそいつを蹴りつけて倒すと、そのまま盗賊の頭に向かって駆け出した。


 何が何やらまるでわからないが、今はこのピンチを乗り切る最大で、きっと最後のチャンスだ。まだまだ地獄に行くには早すぎる、こんな所で死んだら何のために商人になったのか、わかったものじゃないだろう。

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