第八章 太陽の都ラルドポリス その8
がっちりと組み合ったテッソとシルヴァンズ。
野獣のようなパワーで押し込むテッソに対し、全身を鋼鉄と化した司教は一歩も退かずに堪えている。
いや、むしろ押し返しているのは司教の方だ。足を前に一歩踏み出し、テッソを後退させた。
「さあ、今のうちに船へ!」
司教が叫び、俺たちは我に返って小舟に急いだ。
「させぬぞ!」
男が岩から飛び降り、俺とリーフの前に立ちふさがった。こちらを睨むこの眼、やはりどこかに見覚えがある。
「オーカスにリーフ、出会うのは今日が初めてだ。だが俺はずっとお前と会うのを心待ちにしていたんだよ」
男が剣をこちらに突き出しながら一歩ずつ距離を詰める。今俺に武器は無い。そしてこの男の構えは剣に精通した者の動きだ、俺が丸腰で飛び込んでも相手にはならない。
「お前は何者だ? なぜ俺たちをここまで追い込む?」
後ずさりしながらも男の目を睨みつけて俺は尋ねた。
男のこめかみがぴくっと動いた。そして乱暴に剣が振るわれる。
「妹が世話になったな。俺の名はスオウ、お前たちが殺した妹、スレインの兄だ」
俺は喉を鳴らせた。
まさかあのスレインに兄がいたなんて。そんな話は一度も聞いていないぞ。リーフも知らなかったのだろう、呆気に取られて口を開いている。
「初耳だとでも言いたげな顔をしているな。それもそのはず、俺は伯爵が召使いの女中と恋仲になって生まれた腹違いの兄で、その後正妻との間に生まれたのがスレインだ」
兄スオウの頬を伝った涙が白く光った。
「妹は俺のことをずっと黙っていた。俺は貴族と平民の混血で、由緒正しき血統の親類からは忌み嫌われていた。母は俺を懸命に育て、伯爵は金を送ってはくれたが、俺は二人を憎んださ、なぜ俺を生んだのかと。幼い頃は慕ってくれた妹も、大きくなると身分の違いに気付いて会ってくれなくなった。母を病で亡くした後、荒れ果てた俺は故郷を飛び出し、荒くれたちの首領として恐れられた」
話しながらも一歩一歩さらに距離を詰める。ついに俺たちの背には断崖が迫り、これ以上の後退は不可能となった。
「ある時、伯爵が事業に失敗し、負債を抱えたまま死んだとの報せが入った。惨めなものだ、正妻はどこか別の男の下に逃げ、スレインは行方知れず。俺はスレインを探し回り、ようやく真正ゾア神教に仕えていることを知った。親友までできたと噂で聞き、これで妹は安心だ、神の祝福まで受けたのだから不幸にはなるまいと思った。だが、妹は死んだ!」
スオウが力強く叫び、周囲の岩までビンビンと震えたような気がした。
「妹は俺に残された唯一の肉親だ、その妹を殺したのはお前たちだ! 特にリーフ、お前はスレインの親友だったそうじゃないか。その親友に殺されたスレインはどれほど悲しかったことか!」
「違う、スレインもわかっていたはずだ!」
「分かるわけあるか! せめてお前たちも同じように死後の世界に送ってやろう! 妹に土下座して詫びるがいい!」
突き出されたスオウの剣が妖しく光った。
これは何かやばい。直感した俺はリーフを抱えて地面に伏せた。
間一髪だった。スオウの持った剣は刀身が音も無く伸び、背中にあった崖の岩肌に深々と突き刺さっていたのだった。
もしあのまま立っていたら、今頃心臓を貫通させられていただろう。
「運の良い奴らだ。だが、次は外さんぞ。カーラ様の祝福で得たこの力、お前たちを殺すために授かったのだからな!」
銀白色の刀身が引っ込み、再び元の大きさに戻った。そして剣先をこちらに向け直し、狙いを定める。
伏せたままの俺たちはもうかわすことはできない。今度こそ終わりだ、そう思った瞬間。
「この野郎、これを食らえ!」
海岸の小舟から船乗りが放り投げた何かが、回転しながらスオウめがけて飛んでくる。
スオウは剣先を俺たちからその飛んでくる物体に変え、一瞬で刃を伸ばし串刺しにした。
剣で突き刺さったそれは小さな樽だったようで、空中で木片となって散らばり、同時に黒色の液体もぶちまける。銀白の刀身はたちまちよどんだ黒に染められたのだった。
「小癪な真似を!」
顔にまで黒い液体がかかり思わず目を拭うスオウ。
これはチャンスだと俺はリーフを連れて咄嗟にその場を離れた。
「待て、逃がさんぞ!」
目の周りに着いた液体を拭いたスオウは逃げる俺たちの背中をめがけて剣先を突き出した。
刀身は風のようにまっすぐ俺たちに向かって伸び、ついに俺の背中に触れた。
だがどういうことか、俺の背中を押した剣先は俺を前のめりに転ばせこそすれ、肉を貫くことは無かった。
「な、何故だ!」
慌てるスオウの頭から黒い液体がまたも垂れて目に入り、その痛みにもがいている。
剣で貫かれはしなかったが強力な石つぶてをくらったような感覚で、痛みが無いことは無いが、この程度ならなんとか耐えられなくもない。
俺は立ち上がって小舟へと急いだ。
その際、俺の服にも少しばかり付着していた黒い液体を指に取り、くんくんとにおいを嗅いでみる。
鼻に残るきついにおい。そうか、これはタールだ。船の木材の防腐防水にも使われている液体の油で、これのおかげでスオウの剣の切れ味が格段に鈍ったのだ。
「オーカス、急ぐぞ!」
船乗りが手招きしている。俺は小舟に飛び乗った。
だが、俺に続いてくるはずのリーフはなぜか違う方向へと走って行く。
「おい、何してんだ!」
リーフの行く先、それは今なお組み合っているテッソとシルヴァンズ司教だった。
リーフは持ち前の素早い身のこなしでテッソの背後に回り、そのまま首につかみかかった。
「危ない! 今テッソの腕力は私でやっと押さえられるほどだぞ!」
息も絶え絶えに司教が叫ぶ。
「何も腕力だけじゃない! 操られているとはいえテッソも普通の人間だ!」
テッソが大きく首を振り、リーフを振りほどこうとする。
そこで司教は何かに気が付いたのか、はっと目を開くとこともあろうにテッソの手を振りほどき一歩下がったのだった。
当然ながら空いた両手で背中のリーフを引きはがそうとする。だが、リーフは笑ったのだった。
「思い出せ、私の力は雷なんだ!」
そう言った瞬間、二人の体が閃光に包まれた。火花が飛び散り周囲の草に小さな炎が燃え移る。
黒焦げになったテッソはすっかり動かなくなり、口から髪の毛から黒い煙をプスプスと昇らせていた。
「リーフ、感謝する。だが急いで逃げろ」
激闘ですっかり地面に座り込んでいるシルヴァンズ司教は俺たちの乗る小舟を指差した。
「いや、司教も逃げましょう!」
「だめだ、私はあいつらを食い止める。そこにいるスオウも私が相手をしないとな。幸い君たちの行先をしっているのは私だけだ。急いで逃げれば敵も追いかけては来ないだろう」
シルヴァンズはリーフをひょいとつまみ上げると、そのままぽいっと俺たちの待つ船へと投げてしまったのだった。
「あれれれれれれ?」
雑巾のように軽々と投げられ、俺たちは三人でリーフを受け止めた。その衝撃はすさまじく、小舟が危うく横転しそうなほどに揺れ、船乗りは背中から海に転落してしまった。
あの司教、こんなバカ力の持ち主だったのか?
「さあ逃げろ! 君たちにゾア神の加護があらんことを!」
海から這い上がった船乗りと俺は櫂を握り、急いで小舟を発進させた。
「待て、貴様ら!」
顔のタールをあらかた落としたスオウもようやく立ち上がり、小舟に剣先を向ける。
だがその間に割り込んだのは司教だった。太陽の光と海の青色を全身に受けた司教の鋼鉄の身体は、もはや神々しいまでに輝いていた。
「私の身体にお前の攻撃は効くまい。それでもよいならいくらでも挑んでみよ」
スオウの剣が司教の身体を突いた。甲高い金属音が響き、司教が一歩下がる。
だが鋼鉄の身体は剣では貫けない。そればかりか司教は刀身をこれまら鋼鉄の素手で握ると、そのまま剣を持ち上げてスオウから剣を奪ったのだった。
「おお、勝てそうじゃないか!」
小舟から身を乗り出して戦いを眺めるリーフ。だが、俺たちは尚も必死で櫂を漕いだ。
「急げ、司教が時間を稼いでくれている今の内に!」
「なぜだ? 司教は今完全に有利だぞ?」
「お嬢さん、敵はスオウだけではありません。カーラ、それにかつて部下だった者たち。いつ追って来てもおかしくない。司教はあそこにたった一人で残って、我々を逃がしてくれたのです」
ラジローが諭すと、リーフは改めて司教を見つめた。既に岸は遠く離れ、司教もスオウも小さくなっている。波に打ち消され、もう声さえも届かないだろう。
それでもリーフはじっと司教の戦いぶりを見て、小さく震えていた。そして腹の底から叫んだのだった。
「シルヴァンズ司教! ありがとうございます!」
聞こえているかどうかはわからないが、司教は一瞬こちらを振り返ってほほ笑んだような気がした。
これにて第八章は終了です。
ここで第二部以降の名前のある新キャラを整理してみると……
男 シルヴァンズ ラジロー テッソ スオウ
女 カーラ
おおう、魔法陣グルグルもびっくりな男率ですね。




