第八章 太陽の都ラルドポリス その3
「これがドニア火山……高いな」
俺の目の前に立ちはだかるのは朝日をその身に浴びる真っ黒な岩石に覆われた斜面。所々から湯気が噴き出し生けるもの全てを寄せ付けない。
ここはパスタリア西岸のシンボル、ドニア火山の麓だ。1500年前には大噴火を起こし付近の村を全滅させたとも伝えられている。
「本当に登れるのか、これ?」
リーフが不安げに山体を指差した。
アコーンに俺とリーフ、テッソが馬に乗ってラルドポリスを発ってから、徐々にその急峻さがわかるにつれてげんなりしていったが、ついにここまで来てしまった。
「この山は大昔、信仰の対象でした。その頃から多くの修行者によって登山道が切り開かれています。安全な場所さえわかれば、決して危険な山ではありませんのでご安心を」
そう言いながらテッソは近くの木に馬を繋いだ。
俺とリーフはアコーンを降り、軽快に登るテッソの背中を追いかける。
この男はどこに手足をかければ良いのか体で覚えているようで、複雑な岩場もスイスイ乗り越えていく。
一方のこっちは手探りでつかみやすそうな岩を探すので一歩進むだけで何倍も時間がかかる。
ここの岩は思った以上に脆く、掴んだ瞬間にポキリと折れて斜面を転がっていくこともザラだ。
「オーカスぅー、もう疲れたーおんぶー」
岩場に座り込んでこちらに両手を伸ばすリーフだが、そんな余裕あるはずがない。
「ええい鬱陶しい。まだ歩けるだろ、立てよ」
軽くあしらってやるとナメクジのようにのっそのっそと這って登りだした。テッソは既に小さな点になって、遥か高みから俺たちを見下ろしていた。
こんなことを毎朝の日課にしているなんて、あいつの体力は無尽蔵か。
延々と溶岩斜面を登り続け、なんとか昼前の太陽の昇りきらない内に山頂の火口に到着した。
「どうですオーカスさん、見事な絶景でしょう!」
テッソは眼前に広がる海を向きながら言った。
しかし俺とリーフはそんな絶景など楽しんでいるどころでなくくたくたになって、仰向けに倒れて息を切らしていた。
「ここはいつも最高です! また来ましょう!」
絶対にもう来ねえ。
ゆっくりと立ち上がり、ふらふらの足で身体を支えながら火口に近付く。
白い湯気の立ち込める火口に首を突っ込む。
当然、猛烈な熱気で顔面が焼けそうになるが、じっと耐えて下を覗き込むと、底の一面の黒色の所々にひび割れができ、そこから赤色の光が溢れ出ていた。
火山の奥底から昇ってきた溶岩が吹き出しては表面が固まり、そして次の溶岩にのみ込まれている。
試練を乗り越えた限られた人間だけが見られる大地の神秘。ここまですごいものを見せられたなら、疲れも多少は吹き飛ぶものだ。
「すげえな、おいリーフも見てみろ」
ずっと見ていると汗が目にも入り込みそうなので、さっと頭を引っ込めて後方のリーフに目を移す。
「おい……リーフ?」
俺は立ち上がった。リーフが仰向けに倒れたまま、激しく痙攣しているのだ。
目はかっと見開き、四肢はピンと伸ばしたまま、びくびくと体を跳ね上げている。明らかに異常だ。
「おい、どうしたんだ、しっかりしろ!」
頬をぺちぺちと叩くが反応が無い。うわごとで声にならない声が喉の奥から漏れ出ている。こんな症状の病、俺は知らない。
テッソも異変に気付き駆けつけた。
「まずい、火山ガスにやられたのかもしれない。急いで下山しましょう!」
水筒から水をリーフの口に流し込んでもすぐに吐き出してしまう。テッソがリーフの頭を、俺がリーフの足を持って二人で担ぎながら慎重に、かつ急いで火山を降りた。
疲れなんて感じている場合ではない、一刻も早く医者に診せねば!
「迷惑かけたな、すまなかった」
ベッドの上でもぐもぐとパンを食べるリーフは、午前に倒れたことなど忘れたようにピンピンしていた。
急いで山を下って聖堂に着いた時には完全に目を閉じてぴくりとも動かなくなっていた。だが、医者を呼んでしばらくすると前触れも無く目を覚まし、そのまま起き上がったのだ。
医者は慣れない登山で疲れたところに濃い火山ガスを吸ったために体調を崩したのではないかと推測していたが、しばらく安静にするよう伝えると帰ってしまった。
おかげでこっちは余計に疲れて、昼飯の時間だというのにベッドにぐったり倒れ込んでしまった。テッソが俺にもパンを持ってきてくれたので一口だけ食べたが、どうも食欲が湧かないのでそのまま残しておいた。
こんなに暑くて疲れる登山は初めてだった。俺の生まれは北の寒村、多少の雪山なら苦労せず登れるが、こんなコンディションでは全力は発揮できない。
「リーフ、すっかり良くなったな」
シルヴァンズがイチジクの果実を盛ったお盆を持って部屋に入ってきた。
「はいシルヴァンズ様、ありがとうございます」
リーフは丁寧に頭を下げるが、シルヴァンズがイチジクを目の前に差し出すと満面の笑みで受け取って待ちきれんばかりに皮を剥き出す。
その様子を見届けると、シルヴァンズは伏せたままの俺のベッドの脇に座り、俺にもイチジクを手渡した。
「この聖堂の庭で採れた太陽の恵みだ。食べればすぐ元気になる」
「ありがとうよ、さっぱりするものが欲しかったんだ」
パンよりも果物の方が喉を通りやすい。
「ところでリーフ、気を失っている時はどんな気分だったか覚えているか?」
俺がイチジクの皮をむいている最中、シルヴァンズがふとリーフに尋ねた。
「うーん、あまり思い出せない……いやそうだ、夢だ。夢を見ていたんだ」
イチジクの甘い実を頬張りながらなのでリーフはとろんとした目をしている。
「一面の花畑に、澄んだ小川が流れていた。色んな果物の実った木もあったぞ。そこで変な声が聞こえたんだ。男みたいな、女みたいな、よくわからない声が」
「ほう、何て言ってたんだ?」
俺はようやくきれいに皮をむき終えると、その大きな果実にかぶりついた。濃厚な甘い汁が歯を伝ってじわっと口内に流れ込んだ。
「それがよく思い出せない。何かを言っていたとは思うのだが、よく聞き取れなかった。妙に感覚が残っている、不思議な夢だったよ」
「意識を失うと人間不思議なことが起こるものだ。無理はせず休んでおけばよい」
シルヴァンズもイチジクの皮をむき、ちびちびとかじっている。夢の話云々よりも、俺は疲れた体を癒すイチジクに心傾けていた。
その日の夜、俺はリーフとともに昨夜テッソと飲んだ酒場に来ていた。
あの後テッソが謝りに来たのだが、リーフは気にするなと答えたのでほっとしていたが、さすがに今日も一緒に来るのは気が引けたようだ。
「オーカス、今日は何を食べるつもりだ?」
リーフが机に顎を載せて口先を尖らせた。またタコでも注文されると思っていたのだろう。
「そうだなあ、エビの料理なんかどうだ?」
俺は壁に掛けられた看板に書かれたメニューを見ていた。二日続けてのタコは飽きるし、今日は趣向を変えて行こう。
だが、リーフには不満だったようだ。
「えー、私はもっとスタミナ付くものが食べたいぞ。ほらあそこに書いてあるだろ、小魚の揚げ物とか。ああいうのが食べたいぞ」
リーフが指差すのは俺の見ていたのとは別方向の看板だ。確かに、小魚の揚げ物と書いてある。価格はやや張るが、揚げたての湯気が立ち上るあの姿を思うと、俺の口にも唾液が溜まり始めた。
「いいなそれ、よし決定だ。店長、小魚の揚げ物二人分ね! それからワインもよろしく!」
厨房から「あいよー」と威勢の良い声が聞こえ、すぐにバチバチと油のはねる音が聞こえた。
しばらくすると皿いっぱいに盛られた小魚の揚げ物が机に運ばれ、俺たちは目を丸くして歓声を上げた。
頭からしっぽまでかぶりついて吞み込むリーフ。その表情は今にも昇天しそうだった。
リーフの反応を見てこの店の味に安心すると、俺はワインで口を潤し、一匹目の小魚を口に運ぶ。
だがその直前、俺は重要なことに気付いたのだった。
「おい……リーフ。お前、いつの間に字が読めるようになったんだ?」
二匹目を丸ごと齧ろうとしていたところで、きょとんとして固まるリーフ。その手からは魚がぽろりと滑り落ちた。




