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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第二部 ふたりの預言者
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第八章 太陽の都ラルドポリス その2

「シルヴァンズ様、お呼びでしょうか?」


 図書館奥の闇の中からのっそのっそと歩み出てきた影。その目元が妖しく光っているのは鼻に挟んだ真ん丸な眼鏡のせいだろう。


「紹介しよう、若き天才神学者ラジローだ」


 シルヴァンズがすっと身を引いた。


 男は頭を下げた。逆立った金髪に眼鏡、学者らしく黒いガウンをまとっている。意外と骨太のようで肩幅は広く、年齢は俺と同じくらいか。


「ゾア神教とアラミア教の関連について独自の考察を行ったのはこのラジローだ。ここにいる優秀な神学者の中でも、この者の理論はずば抜けている」


「もったいないお言葉、シルヴァンズ様のおかげでこのような資料に囲まれて研究に没頭できるのです。すべてはシルヴァンズ様あっての賜物です」


 ラジローの顔は穏やかだった。この男にとっては世俗の出来事よりも、研究のために文献を読み漁ることが至上の幸せのようだ。


 蝋燭の炎を囲んで、図書館の机に座った俺たちはラジローの話をじっくりと聞いた。プラートは本当に神から預言を授かっていたのか、そもそも神はなぜ今になって再び予言を下したのか。


 しかしその答えは推測の域を出ず、確証は得られないのが実情のようだ。預言者自身が死に、新しすぎて文献もろくに出来上がっていないからだ。


「神の真意についてはまだわかりません。『ゾア神の独白』は1200年前より伝わる資料ですので、新たにプラート様に下された預言については触れられていないのです」


「でもよ、ふと考えたんだが、もしもアラミア教がゾア神教とは全く関係のない別物だとしたら? ゾア神教と真正ゾア神教の預言の内容からゾア神が人間をどうしたいのか、わからないか?」


 ラジローの表情が途端に険しくなった。


「それは独白が発見されるまで議論し尽くされてきましたが、漫然としたまま結論に至りませんでした。ただ言えるのは、日々の生活の中で神を身近な存在として敬うよう徹底して改められているのです。神の権威をもって国を治めることも明言されていますから」




 地下大図書館を出た俺たちは心地よい太陽の光をその身に浴びた。


 確かにここラルドポリスは暑い。だが、不快な暑さではなく、活力が湧くような、身体を動かしたくなるような暑さだった。


 それは俺たちだけでないようで、聖堂近くから威勢の良い男たちの声が聞こえている。


 短い芝で覆われた広場には上半身裸の男たちが何十人も、ペアになって取っ組み合いをしていた。


「ここは練兵場、私の故郷ムサカで盛んなレスリングを兵士たちにも教えている。おかげでこの町の兵士は心身ともに逞しく成長している」


 シルヴァンズが場内で互いにぶつかり合う兵士たちを見渡す。その目は戯れる我が子を見る親のようだった。


 レスリングを通して精神と肉体、そして実戦での判断力を鍛える。兵士の訓練には実に理に適っている。


 そしてこのような格闘技は見ている方にとっても楽しいものだ。たとえどちらも知らぬ者同士の対戦であっても、劣勢に立っている方を応援して逆転劇に期待してしまうものだ。


 俺の男として、いや戦士としての血が騒いでいるのかもしれない。


 リーフもすっかり目は広場の男たちにくぎ付けになって、「やれそこだ!」「あー今行けただろ!」などと騒がしいヤジを飛ばしている。


「どうりゃあ!」


 近くで組み合っていた若い男が相手の腕をつかんで引っ張ると、そのまま芝の上に投げ飛ばしてしまった。華奢で身長も並程度だというのに、自分より一回りでかい敵を倒しているのには俺も驚いた。


「さすがだなテッソ。お前ほどの男はムサカの軍人でも滅多にいない」


「ありがとうございますシルヴァンズ様!」


 テッソと呼ばれた若者は汗一の滴も流していなかった。茶色の髪にそばかす、そして照れ笑いが印象的な爽やかな好青年という言葉がしっくりくる。


「こちらはオーカス殿だ。マグノリアとともに大聖堂での戦いで活躍した御仁だぞ」


「本当ですか?」


 テッソの眼が輝いた。そしてテッソはつかつかと俺の前に来ると、頭を下げたのだった。


「噂はかねがねお聞きしております。お願いします、私と手合わせをお願いします!」


「おいおい、俺はレスリングに関しては素人だ、シルヴァンズさん何とか言ってやれよ」


「ははは、テッソは強い者と戦うのが好きだからなあ。オーカス殿、すまぬがお相手してくれぬか?」


 悪戯ぽく笑うシルヴァンズ。この男、俺とこいつを戦わせるためにわざとここまで連れて来たんだな。


「いや、でもなあ」


「私からも礼はする。先ほどのコンフェットをもうひとつお出ししよう」


「というわけだ、いけオーカス!」


 今までずっと男たちの試合を見ていたリーフが俺の背中を強く叩いた。こいつは試合の熱気よりも食い気が原動力のようだ。


「仕方ねーな、一回だけだぞ」


 俺は上着を脱いだ。俺の身長、大剣で鍛えた筋肉が太陽の下で露になると、周りで組み合っていた男たちも皆口をぽかんと開けて俺に視線を注ぐのだった。


 正直、いくら経験が少ないからと言っても体格は圧倒的に俺が有利だ。武器を使わない一対一の戦いでは体重と筋力が勝負を決する。身長が20センチも違えば、相手は組み合うことすら難しいだろう。


 せいぜいケガさせない程度に転がしてやるか。


「テッソ、手加減は不要だぞ」


 シルヴァンズの一言に「ハイ!」とまっすぐに答え、俺と対峙するテッソ。腰をかがめながらこちらに向けた目は、野獣に酷似していた。


 だがいくらテクニックでは上回っても圧倒的な腕力でねじ伏せれば負けるはずが無い。俺は速攻で相手の腕めがけて手を伸ばした。


 だがテッソは俺がどう動くかを予見していたように、さらに身を屈めて俺の振った腕を避けた。


 目の前から相手の姿が消えて「あれ?」と言っている間に、テッソは俺の右足を両腕で抱え込んでいた。


「うわ、ちょ、ちょっと待って、ずるいって!」


 右足だけを相手の脇に挟まれた状態で押し込まれた俺は、左足でけんけんしながら間抜けに後退する。


 そしてついにバランスを崩し、背中から地面に倒れてしまったのだった。




「お前本当強いんだな。俺の村ではでかい奴ほど強い風潮だから、お前みたいな奴は初めてだよ」


「体格も力にも恵まれなかった私をここまで鍛えてくださったシルヴァンズ様のおかげです。オーカス様も是非この町にいる間だけでも訓練を受けてみてはいかがでしょう? きっと我々よりはるかに強くなると思います」


「いや結構。先を急ぐんでそう長くは滞在してられんよ」


 海に沈みゆく太陽を眺めながら、俺とテッソは酒場で杯を交わしていた。試合の後は戦ったもの同士すっかり打ち解け、まるで子供の頃からの旧友のようになってしまったのだ。


「ほれリーフ、これ美味いぞ。食ってみろ」


 俺は皿の上に盛られた料理を隣に座るリーフに勧めた。だがリーフはぷいっと目を反らしたのだった。


「いらない、タコなんて食べるくらいなら餓死してやる」


 この酒場の名物料理は魚介、それもタコ料理だ。


「もったいねえなあ、こんなに美味いのに」


 俺はタコの足をつまむと、口の中に放り込んだ。固くてなかなか千切れない身を何度も何度も噛みしめる度に、レモンの酸味が滲み出す。これがクセになってたまらない。


「ところでオーカス様、私は毎朝トレーニングとしてあのドニア火山の火口付近まで登っているのですが、いかがでしょう、明日ご一緒しませんか?」


 酒が回ってすっかり赤くなったテッソが顔を近づけた。


「火口? 危なくねえのか?」


「人の通れるルートは整えられていますし、煙の濃い場所を避ければかなり近くまで行けますよ。運が良ければ燃え滾る溶岩を覗き込むことも可能です」


「溶岩? おもしろそうだな!」


 先に乗ったのはリーフだった。タコが食べられないので不貞腐れながら付け合わせのタマネギをちびちびとつついていたのが嘘のようだ。


「オーカスも行くだろ、どうせ暇だし!」


 そうも正直に言われると反論はできないな。


「まあいいぞ、リーフのお守は俺の責務だからな」


「な、私を子ども扱いするな!」


「バーカ、タコの食えない内は誰でも子供なんだよ」

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