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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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番外編 逃走の果てに

 俺が祝福を受けてから早1年、故郷ムサカの英雄であるマグノリア様の下で働けることは身に余る光栄だと思っている。


 誇り高き戦士であるマグノリア様にこの身を捧げることは、俺にとって真正ゾア神教に尽くすのと何ら変わらない。




「バイロン、お前、すべてを捨てる覚悟はあるか?」


 マグノリア様の自室に呼び出された俺は、唐突にそう尋ねられた。


「はい?」


 何か悪いことでもしたかな?


 咎められそうな原因を色々と思い返してみたが、これといった事柄は何も浮かばない。


 だが向けられた真剣な眼差しからは、ただとてつもなく大変なことが起ったことだけがわかった。


「一生パスタリアに、いや、タルメゼやムサカにも帰ってこれないかもしれない。私たちとは今生の別れにもなるだろう。それでも引き受けてくれる覚悟はあるか?」


 マグノリア様はほとんど懇願しているようだった。


 幼くして家族を流行り病で失い、日々荒んだ生活を送っていた俺は真正ゾア神教に救われた。そしてマグノリア様の命令は神命にも同じ、俺の答えは決まっていた。故郷に未練など無い。


「あります、この命に代えても使命を遂げましょう」




「やめろ、私を殺してくれ!」


 セチアが縄でがんじがらめにされた上で、屈強な男三人に取り押さえられている。泣きながら暴れる彼女の力はすさまじく、男たちは何度も蹴られ頭突きをされて床に飛ばされていた。


「セチア、まさかこんなことになるなんて」


 地下室に一歩踏み入れたときから俺は茫然と立ち尽くしていた。


 胸が締め付けられるように痛い。戻しそうなほど気分も悪くなったが、今このセチアをしっかりと目に焼き付けておかねば俺は一生後悔する。


 数日前、仲間のセチアがチュリルとモスクの探索に行ったとは聞いていたが、その地下で『ゾア神の独白』という書物が見つかったことは今日の今日まで知らなかった。


 この書物は真正ゾア神教の正統性を覆す資料で、この存在を知ったリーフとチュリルは今すぐ殺すようプラート様からの命令が届いたらしい。


 いくら真正ゾア神教のためといえど、それだけはマグノリア様も、そして俺も従うことができなかった。


「セチア、許してくれ」


 俺はすでに焦点を失ったセチアの眼をじっと睨みつけた。


 途端、セチアは糸の切れた操り人形のように全身の力を失った。床に崩れそうなところを男たちに支えられ、壁に背をもたれて座らせられる。


 セチアは深い眠りについていた。俺の授かった力を仲間に使ったのは初めてだ。


「ふう、バイロンさんのおかげで助かったよ。しかし一体何があったんだろうな、ずっと神の命に背くわけにはいかない、私を殺せと叫んでさ」


 男たちは汗を拭った。真実を知るのはほんの一握りだけなのだろう。


「よくやった、あとは私に任せろ」


 俺の後ろに立っていた巨大な影がすっと前に出る。マグノリア様だ。


 男たちを部屋から出した後、マグノリア様は静かにセチアの額に指を当てた。太くて逞しい指が白く発行すると、同じようにセチアの額からも朝日のように光がほとばしった。


 ああ、こんなことでセチアは俺のことを忘れてしまうのか。


 セチアは俺の安らぎだった。屈託ないその笑顔は男女も年齢も関係なくすべてに向けられ、疲れて帰って来た時もその笑みを見れば活力が戻った。


 ただ異常なほどの鈍感で、こちらの好意を無碍にされたことは幾度となくあったが、それでも笑って許せてしまうのがセチアの不思議なところだった。


 だがあの日々も、すべてセチアにとっては無かったことになる。


 気が付けば俺の頬には涙が伝っていた。




 シシカを発って早3日。俺は東へ東へと向かっていた。


 信徒の商人から譲ってもらった小さな馬車を駆り、焦熱の荒野をゆっくりと進んで行く。荷台には食糧と衣類、そして寝息も立てずただただ眠り続けるセチア。


 セチアには水や細かく砕いた食糧を口に運んでやると、まるでわかっているかのように喉に流し込んでいく。俺の能力は自分の想像以上に強力なようで、あれ以来セチアは一度も起きていない。


 マグノリア様の命に従い、セチアとどこか遠く安全な場所へと当ても無く逃げ続けてきた。だがそろそろ心身ともに疲れも限界だ。太陽の熱で体力は奪われていくし、馬もへとへとで次の町ではしばらく休ませないといけない。


 そして力を解いて起こそうと思えば起きてくれるセチアに、俺は幾度となく心を乱された。


 旅の最中セチアの寝顔と唇の艶を見て、触れてみたいと劣情を抱いたこともあったが、俺にはどうしてもそれができなかった。


 とにかく次の町でセチアを起こそう。そして何も知らないセチアとともに、静かに暮らしていこう。


 そんなことを日々思いながらもいざ実行はできず、ただただ東を目指した。


 いくつもの岩山によって褶曲した街道をひたすらに歩き続け、もう一生西の国へは戻れないことを現実として感じていく。


 本当にこれでよかったのだろうか。これからもずっとセチアと二人きりになれるなんて嬉しくないはずが無い。


 だが、真正ゾア神教をこのままにしてよいのか、残ったマグノリア様はどうなるのか。そして絶望したセチアにとって記憶を失うことは救いになったのか、それともただ俺たちの勝手な思い込みなのか。


「考えるほどに何が何だかわからなくなる。ただ道を行こう」


 そう呟いて馬に鞭を入れた。


 突如、地面が揺れ出し、馬がいななきながら後ろ足で立ち上がった。


「じ、地震か?」


 手綱を引っ張って馬を落ち着かせる。


 すぐ隣の岩山ひびが入り、表面がぼろぼろと崩れ落ちていく。驚いたことに、表土の剥がれ落ちたその中には、不気味に笑った一人の男が立っていたのだった。


「ようやく追いついたぜぇ、ひっひっひ」


 異常に白い肌のおかげで見開いた真黒な瞳が異常に目立つこの男は、耳まで裂けそうな唇をさらに引き吊らせ、奇妙な笑い声をあげている。


「何者だ、貴様!」


「俺はお前たちに反逆の兆しが無いかとずっとシシカに潜んでいたのさ。まさかその娘がとんでもないものを手に入れるとは思ってもいなかったぜ。そのことは既に本部まで知らせてある。だが、逃げたお前とその娘を俺がこの手で始末したとなれば、次期司教の座は堅いだろうな」 


 潜んでいた、だと? 


 教団が密偵を放っているとは常々噂に聞いていたが、俺たちもずっと監視されていたようだ。


「マグノリア様はどうした! まだ無事か!」


「あいつにはまだ利用価値があるからな、もう少し泳がせておくよ。あの男のことだ、秘密を無闇に話すようなことはあるまい。用が済めばすぐにでも殺しておけばよかろう」


 男は腰に下げていた剣を抜いた。パスタリア王国では一般的な細身の剣だ。


 相手がその気なら、こちらもやらねばなるまい。俺も荷台に置いていた剣を抜いた。こちらはやや幅広の片手剣だ。


 剣なら俺も腕に覚えはある。あのマグノリア様直々に指導も頂いたのだ。


「さあ、決闘といこうじゃないか」


 相手は体に付いた岩の破片を地面にまきながら、一歩一歩間合いを詰めてくる。


 俺は馬車から飛び降り、セチアのいる荷台を背に守りながら腰を低く構えた。


 男が踏み込み、剣を振った。上段からの太刀、俺の腕なら十分弾き返せる。


 俺も剣を振って応戦しようとすると、突如、男の姿が視界からふっと消えた。次の瞬間、俺の脇腹に激痛が走る。


 ぼたぼたと流れ出る真っ赤な血液。なんと俺の脇腹には相手の剣が深々と刺さっていた。


 その剣を握った男はというと、信じられないことに地面から手だけが伸びて、そこから先はすべて土の中に埋まっていたのだ。


 激痛に俺は身をよじらせ、馬車を背に座り込んでしまった。


「おおっと、仕留めそこなったか。やはり地面の中からではどこにいるのかわかりづらいな」


 舞台仕掛けのように立ったまま地面からせり出してくる男は残念そうな口ぶりだが、相変わらず笑っていた。


 息を切らしながらも俺は考える。こいつの能力は土や岩に潜ることだ。そして潜っている最中、周囲は見えない。


「まあ今のお前では立ち上がることすらできまい。今心臓を一突きにしてやろう」


 男は長い舌で剣をぺろっと舐めると、高々と剣を掲げた。


 俺の能力を忘れてもらっては困る。男がまっすぐに俺を睨みつけているこの瞬間、俺は相手を思いっきり睨み返した。


 男は剣を落とし、後ろに倒れてしまった。剣が地面に落ち、金属音を立てる。


 下品ないびきをかいている男。こいつを殺すことは簡単だ。


 だが今の能力でさらに体力を使った俺は、もはや立ち上がるのもやっとだった。


 これはもう死ぬな。ひしひしと実感が沸き起こる。


 俺はどうなってもいい、せめて眠るセチアだけは何とかしたかった。だがここは滅多に人も通らぬ砂漠の街道。今ここで俺が死ねばセチアも渇き死ぬ。


 せめて、せめて誰かにセチアを託して死なねば。体力云々といった問題ではない、気力だけで俺は立ち上がった。脇腹からドボドボと血がふき出し、目の前の赤い大地も色味を失い白黒に変わる。


 そんな時、岩山の隙間からはるか彼方に一頭のラクダと、それに跨る男が歩いているのが見えた。


 帽子をかぶり大きな荷物を背負っている。恐らくは旅の商人だろう、こんな砂漠を隊商も組まずに歩くとは、よほど自信があるのか単に大馬鹿なだけか。


 だが、俺にとってあの男が最後の希望だった。


 残された力を使い、俺は遠くの男を見つめ、自分の能力を使った。すぐにラクダと男の足取りはフラフラとおぼつかなくなり、近くの岩山の蔭へと向かう。一休みするつもりだ。


 よし、能力は効いた。だがまだだ、セチアを、あの男に託すまでは死ぬことはできない。


 俺は荷台からセチアに掛けていた布を引っ張り出して脇腹に巻き付けた後、眠るセチアを背中に背負った。脇腹にさらなる痛みが加わるが、まだ死なない、いや、死ぬわけにはいかない。


 幼少期に喧嘩に明け暮れ、真正ゾア神教では旧教の僧侶を捕え殺し、そしてセチアの記憶を奪った俺にとって無惨な死は相応しい最期じゃないか。


 だがセチアを生かして逃がすただそのことが、そんな俺にもできる唯一の罪滅ぼしなのだろう。

番外編自体はこれで終わりです。次回からは第二部『ふたりの預言者』の投稿に移ります。

これからも応援よろしくお願いします。

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