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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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第六章 そして次の旅へ

「オーカス様、お届け物です」


「何だ、騒々しい」


 ガンガンというノックの音に文句を垂れながら、昼寝を邪魔された俺は寝癖を隠すために帽子を被ってからドアを開けた。


 扉の外に立っていたのはマホニアの部下の傷だらけの男だった。手には布袋を提げている。


 大聖堂での戦いの後、一週間ほど俺たちは怪我の治療のためにチュリルがアジトにしていたボロ宿に寝泊まりしていた。連れて行かれた宿の主人も解放されて普通に経営しているが、相変わらず客は俺たち以外誰も来る様子は無い。


 マホニアを中心とした真正ゾア神教による統治は意外とうまくいっているようで、現在のところこれといった問題は聞いていない。


 真正ゾア神教が正統性を失っているとはいえ、現世での救済は民にとって魅力的なのだろう。司教は旧来のゾア神教に則りながらも現世での救済も目指すことを標榜して、民からの支持を集めているようだ。


 傷だらけの男は足音も立てずに宿の机に布袋を置くと、その紐をほどいた。


 中から出てきたのは新品の外套だった。一切のシミも無い、羊毛製の丈夫な品だ。


「マホニア様から、オーカス様へと。大聖堂での戦いで上着の袖が焼けてしまったとお聞きして、仕立て屋に似たような品が無いか尋ねたのです。ちょうど信徒の仕立て屋が在庫にあったそうなので、こちらに持って参りました」


 感激だった。こういう服はかなり高いので俺は泣く泣く金を工面するしかないと思っていたが、その心配は吹き飛んだ。ありがとう、マホニア司教!


「うわあ、良い肌触りだなぁ」


 いつの間にか部屋の奥から出てきたリーフがもらったばかりの外套の袖をべたべたと弄っていた。


「お前、いつの間に!」


 サルマでの絨毯と同じように、俺はリーフの首根っこをつかんだ。傷だらけの男もこれには笑った。


「礼を言うぜ、ありがとうよ。これで太陽の下でも快適に旅を続けられるぜ」


 男に感謝していると、ドタドタと奥の部屋から足音が聞こえ、今度は目を輝かせたチュリルが飛び出し、遅れて普段着のマグノリアが部屋に入ってきた。


「うわあ、本当に良い素材使っているねえ。これは売れば高くなるよ、どうだい?」


 チュリルがキラキラとした目をこちらに向けた。


「馬鹿言うな、これは俺専用だぞ、誰にも売らねえ。例えセリム商会が相手でもな」


 そう言ってのけるとチュリルもケラケラと笑った。


 父であるセリム商会会長の伝言は、戦いの終わったあの日の夜、チュリルに伝えている。


 それを聞いたチュリルはぷいっと後ろを振り向くと「そっか、ありがとうね」と静かに答えた。


 さて、この宿にも思った以上に長いことお世話になったし、そろそろ旅立ちの頃合いだろう。新しい外套を羽織って着心地を確かめながら、俺は鼻歌まじりで机に地図を広げた。


 もちろん、今まで手に入れてきた商品を売り裁くためだ。さあ、どこで香辛料や絨毯を高く売ってやろうか。


「オーカス、もう旅に出るのか?」


 後ろからリーフが尋ねたので、俺は地図を眺めたまま返事をした。


「ああ、俺は旅の商人だ。ここに留まっていても稼ぎはできないし、それに少なくとも故郷には帰らないとならないしな」


「それじゃあその、私も一緒に行っていいか?」


 俺は地図から目を離し、顔をリーフに向けた。リーフの視線はあちこちをうろうろ漂っていた。


「ん、お前はここに残るんじゃないのか? 昔の知り合いとかがいるだろ?」


 そう尋ねると、リーフは悲しそうな顔をこちらに向ける。


「私にはここで過ごした記憶がない。懐かしの友人を名乗る者に会っても、何が何やらわからない。それならいっそのこと、昔の私も見たことがないような、もっと広い世界を見てみたい」


 そうか、記憶を失った今のリーフがここにいても懐かしさを感じられるはずがない。過去の人間関係を持ち出されても面倒にしか思えないだろう。


 短い間だったが、リーフといた間はかつてないスリリングな時間だったし、こいつがいなくなってまた一人アコーンに揺られての旅に戻ると思うと、楽しみもぽっかりと抜け落ちてしまいそうだ。


 俺はふっと微笑んでいた。部屋の隅でチュリルがニヤついているが、まあ気にすることはない。


「俺はかまわないぜ。一緒に世界中を廻ってやろうじゃないの。旅は道連れって言うしな」


 そう快諾すると、リーフが手を合わせて飛び跳ねそうな勢いで喜んだ。


 チュリルが今度は親指を立てて俺に向けている。こいつは何か勘違いしていないか? 決してやましい感情ではないと釘を刺しておくぞ。


「チュリルもどうだい? 行くあてはあるのかい?」


 自分に話題が振られるのをある程度は予測していたのか、小柄な異国の娘は実にスムーズな動きで「やれやれ」とでも言いたげに手のひらを上に向けて首を横に振った。


「あたいは実家に帰るよ。もうここにいる理由は無いしね。帰ったら親父にゲンコツ一万発喰らわせてやるんだ」


「そうか、そりゃご愁傷様なこった」


 非常に不安だが、あの会長とチュリルのことならなんとかなるだろう。


 それにしても実家か。故郷にはいつかは帰らねばならないし、絨毯をどこかで高く売った後はすぐに帰ろうかな。村の連中が俺たち出稼ぎ組の帰りを待っているはずだし、あいつらの期待にも応えないとな。


 そんなことを考えていると危うく一人でノスタルジーに浸りそうになる。急いで頭の中に映し出された故郷のイメージを消して目の前の光景に意識を戻す。


 ちょうど壁際でマグノリアが腕を組んでいたのが見えたので話題をそちらに移した。


「マグノリアはどうするんだ? あんたも家に帰るのか?」


「私も故郷のムサカに帰ろうと思う。ムサカも真正ゾア神教が崩壊して混乱の最中にあるだろう。こういう時こそ私の腕の出番だ」


 マグノリアは丸太のような腕を突き出した。筋肉が隆起し、血管が浮き出ている。腕相撲なんかやろうものならこちらの肩が粉砕されてしまいそうだ。


「頼り甲斐があるねえ、ムサカを守ってくれよ」


 ここまで言ってふと思い返す。もしもマグノリアが俺の質問に「私もオーカスの旅についていく」などと答えていたら。俺の旅はムキムキマッチョマン二人に若い娘一人という明らかに不審な一行で続けることになっちまっていた。


 そうならなくて一安心。俺は胸をなで下ろした。


 さて、それならば旅の準備だ。思い立ったが吉日、善は急げ。俺はリーフに向き直ると、腰にかけていた硬貨の入った布袋を押し付けた。


「よしリーフ、旅の準備を始めるぞ。早速食糧の買い出しに行こうぜ!」


 布袋を握り締め、リーフは「ああ」と頷いた。




 二日後、俺たちはチュリルらに別れを告げてカルナボラスを発った。


 シシカほどでなくとも強い日差しが降り注ぎ、道を行く旅人を苦しめる。ただ、以前は樹木と言えばオリーブかザクロくらいしか見なかったが、ここでは若干の針葉樹や草原もあるし、ブドウやコルクガシの農園も広がっていたりと、しばらく砂と岩石に囲まれた生活を送っていた俺にとっては植生が十分豊かに映った。


 俺はアコーンに荷物を括りつけ、リーフを後ろに乗せて手綱を引っ張っていた。一歩一歩、馬車の轍のくっきりと残った乾いた土を踏みしめる感覚が俺にも伝わってくる。


 ここから西へ一日ほどで村に着く。かわいらしい聖堂くらいしか目立つ設備のない小さな村だが、大消費地カルナボラスのすぐ近くでワインを生産しているため、規模の割りには金持ちが多いらしい。


「ここらの人間はワインをよく飲むが、俺の故郷じゃ寒くてブドウが育たねえ。だからワインは目ン玉が飛び出るくらいの高級品だ。で、酒といえばもっぱらビールなんだが、あれもなかなかに高価でな、俺たち農民は祭りの時にちびちびやるくらいしか楽しめないわけよ」


 シシカまでの道中と同じく、どうってことはない話題が交わされる。だが、リーフの様子はどうも違っていた。普通ならここで「そのビールとかいう飲み物を私も飲んでみたいものだな」とでも返すかと思っていたが、今日に限って「ああ、そうか」とどうも上の空だ。明らかに、何か別のことを考えている。


「どうした、悩み事か? やっぱりカルナボラスに残りたかったとか?」


「いや、そうじゃなくて……」


 リーフは発言をためらっていた。緊張で言葉が出ないとかそういうのではなく、言ってよいのか悪いのか整理がつかないといった様子だ。


「そんなに気になることならさっさとここで吐き出しちまえ」


 俺はわざとぶっきらぼうに言い放った。


 それを聞いてようやく決心がついたのか、リーフはひと呼吸おいて、ようやく尋ねた。


「なあオーカス。プラートに追い詰められたあの時、どんなことを考えていたんだ?」


 あの時、とは大聖堂の屋根の上でのことだ。もうダメだと思っていたら、プラートが自分の起こした雷に打たれたあの時。


 実は俺たちはこの時の話を意識的に避けていた。どうしてプラートが死んでしまったのか、納得のいく説明がどうも思い浮かばなかったからだ。だから俺は勝手にプラートの力が暴走して、抑えられなくなったからと思い込むようにしていた。


 わざわざ話題から避けていたことをリーフが聞いてくるのだ。何か思いつめていることでもあるのかもしれない。


「ああ、もう死ぬかと思ったぜ。でもあんな悪魔に魂を売った野郎の言うことなんか聞いても救いなんか無い。俺は自分の信じる神に殉じるだけだと、覚悟は決めていたよ」


「その時のことなのだが……どうしてプラートは自分の起こした雷に打たれたのだろう?」


 やはりここに突っ込んできたか。俺は自分の思ったままを返すことにした。


「それはあれじゃねえか、ほら。力があまりにも強大すぎたんで、制御しきれなくなって暴走しました、とか」


 このことをリーフに話すのは初めてだ。この娘は少し悩みながらも「そうなのかな?」とでも返してくるだろう。俺はそうとばかり思っていた。


 だが、リーフの返事は予想外のものだった。


「いや、それはない。最初に鐘楼に落ちた雷の方がよほど強力だった。現にあの雷は鐘楼を粉々に破壊したが、最後の雷はプラート一人を死なせただけだ。力を抑えられなかったというのはおかしい」


 リーフの声は真剣そのもの。思考を研ぎ澄ましている際には、誰でもこうなるのだろうか。


「そう言えばそうだな。それじゃあどうしてだろうな?」


 思い返してみると、確かに戦いの中でそれまでにプラートの起こした雷は二発、両方とも狙い通りの位置に直撃している。最後の一発だけ外したとは考えにくい。


「そこで思い出したんだが、プラートは最後にこんなことを話していた。自分は神の代行者、つまり自分は地上に降り立った神そのものであると」


「ああ、そんなこと言ってたっけなあ」


 二回目の雷が放たれて俺が滑り落ちたリーフの腕を掴んでいたあの時、強風と雷で圧倒されて一種諦めの境地に立っていたあの時のことだ。その場は必死だったので耳を通り抜けてしまっていたが、思い出すとプラートはそう豪語していたような気がする。


 リーフは真剣な面持ちのまま続けた。


「確かにプラートは預言者で神の代行者ではあるが、それで神と等しい存在とは言えない。あくまで神は人間の知り得ない存在であり、プラートは現世に生まれ落ちた人間だからな」


「そうだ、あいつは神じゃなくて人間だ。でも、それがどうかしたのか?」


 リーフの言葉が途切れた。口元を手で押さえている。またしても言葉が出てこないのだろうか。いや、言葉にするのをためらっていると言った方が正しいかもしれない。


 風が止み、草の揺れる音が消えた。


 しばらくはカッポカッポとアコーンが規則的に土を踏み鳴らす音だけが俺たちを包み込んでいたが、リーフが俺を背中から強く抱きしめると、ようやく重い口を開いた。


「あくまで、もしもの話だが、もしも、もしもプラートが本当にゾア神の啓示を受けていて、本物の神の力を授かっていたのだとしたら。自分を神だと名乗り思い上がったプラートを仕留めた者こそが、本物のゾア神のように思えてきてな」


 喉が一瞬で渇いた。もしもプラートが本物のゾア神の代弁者だったら?


「なんだい、それじゃあ俺たちは今の今まで悪魔だと思い込んで本物のゾア神と戦っていたとでも言うのか? シシカモスクで見つけたゾア神の独白があったんだから、そんなことは無いだろ」


「しかしアラミア教の預言が単に既存の神にあやかって取り繕った嘘だったとしたら。プラートの預言はゾア神を騙る異教、つまりアラミア教を粛清したと解釈できないか? ゾア神のこれまでの教えの刷新ということで、プラートの受けた神託を元に作られた真正ゾア神教の存在については正統性が保たれるのではないのか?」


「そ、そりゃあそうだが、でもまさかそんなことがあるわけ……」


「無いとは言い切れないぞ。神の怒りに触れたプラートが最期に神の罰を受けたのだとしたら。私たちだって、神も悪魔も姿を見たことも声を聞いたことも無いのだからな」


 突如、一陣の突風が正面から吹きつけ、アコーンの足を止めた。


 不意の出来事に俺が手綱を握り締めていると、深く被っていた帽子がふわりと浮き上がった。慌てて掴もうとしたものの、するりと俺の手をすり抜けた帽子は遠くまで飛ばされる。そして俺たちのはるか後方へと、地面を転がっていったのだった。

こんな駄文をここまで読んでくださりありがとうございます!

ひとまずこれにて第一部は終了します。


これからは書き溜めがないので更新頻度は落ちますが、もうしばらくオーカスたちの冒険にお付き合いください。

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