第五章 大聖堂 その10
崩れた鐘楼と二階の瓦礫を伝って、俺たちはようやく下に降りることができた。
すでに兵士たちが俺たちを襲おうとすることは無く、仲間の怪我の介抱や瓦礫に挟まれた友人の救助に勤しんでいる。
最初に俺たちに気付いたのはマホニアだった。小高い瓦礫の山の上に立って兵士たちに何かを語りかけていたところ、俺たちを見かけるとすぐに長いローブを引きずって駆け寄ってきたのだ。
「皆さん、プラートを打ち倒すことができたのですね!」
普段の落ち着き払った印象とは異なり、顔が紅潮している。
「マホニア様からお聞きしました。真正ゾア神教が神を騙っていたとは、我々は気付けませんでした」
兵士の一人が俺たちに頭を下げた。それを見て他の兵士たちも同じように首を垂れる。
「罪無きあなたたちを殺そうとしたのは揺るぎのない事実、どうか我らに罰をお与えください」
「いやいや、いいってことよ。あんたたちも騙されてた被害者みたいなもんだ」
兵士たちの後ろでは顔中傷だらけのマホニアの部下が座り込んだコシブとアルケビアの怪我の治療に当たっている。この二人も無事のようで、俺とリーフは一礼した。
三人は俺たちを見て微笑むと、両掌を合わせて神に感謝した。
ふと別の場所に目を移すと、倒れた石材に腰かけた大男が自分の腕の傷に布を巻きつけている。
「マグノリア、あんた無事だったんだな」
当然、マグノリアだった。声をかけて歩み寄ると、この大男はにやっと微笑んで答えた。
「無論だ。私はこの程度で死にはしない」
絶対的な自身と誇りに満ち溢れていた。この男のしたり顔を見るのは珍しい。
「どうも皆戦意を失ってしまったようだな」
「平民といえどかつては旧来のゾア神教を信奉していた者たちだ。表面上はプラートに仕えつつも、本心では抵抗もあったのだろう」
ボロボロに崩れた礼拝堂の中を走り回る兵士たちを見回しながらマグノリアが返した。
「そこにマホニア様がシシカモスクで見つかった文書のことを話したんだから、みーんな武器を棄てちゃったんだよ」
瓦礫の陰からヒョイッとチュリルの小さな顔が飛び出した。泉に落ちたせいで余計にずぶ濡れになって、前髪がおでこにびっしり貼り付いている。
「おお、チュリルも無事そうで何よりだ」
リーフが駆け寄った。チュリルはふふんと威張るようなポーズをとった。
「下からあんたたちを見ていたんだけど、いっやあ、ヒヤヒヤしたよ。もうダメかとも思ったんだけど、最後のプラートにはスカッとしたよ。きっとあたいとマグノリアさんを痛めつけたバチが当たったんだよ」
それを聞くなりマグノリアがあわあわと震えだした。
「痛めつけられただと? チュリル、どこか怪我はないか?」
どこに持っていたのか、軟膏と新品の包帯を取り出し慌てふためくマグノリアの姿に、俺とリーフはぷっと吹き出した。
チュリルが「平気ですよ、枷の跡が残ったくらいですから」と言うがマグノリアは「せめて薬だけでも」と食い下がるので、チュリルは仕方なく手首を突き出していた。
そこに「おおい、みんな無事かあ?」と新たに男が近付いてくる。俺たちを匿い、大聖堂への突入にも協力もしてくれたあの若い船乗りだ。
俺と船乗りは互いに肩を叩いて再会を喜んだ。
「おお、お前も無事だったか」
「すぐに近くの民家に逃げ込んだからね。それよりほら、アコーンの怪我も大したことないみたいだ」
男が親指で後ろを示す。胴や脚に包帯を巻いたアコーンが別の兵士に連れられてよろよろとこちらに歩いてきていた。俺はすぐに相棒に駆け寄り、その顔に抱きついた。
「アコーン、すまなかったなあ。荷物運搬しかしたことないのに、騎兵みたいな真似させちまってよお」
アコーンはぶふっと鼻息を荒らげ、俺の頭を帽子の上から甘噛みした。気にするな、こんな傷かゆみにもならねえとでも言いたいのだろう。
子どもみたいにじゃれ合っている俺の姿がリーフたちにどう映ったかはわからないが、俺を正気に戻したのは船乗りの「でも、これからどうなるんだろう?」という一言だった。
「プラート様が亡くなって、ゾア神の正統性を失った真正ゾア神教はどうなるんだろう? 教皇を解放したら、それこそ俺たち教団関係者は全員明日にでも首チョンパだよ」
「そうだな、この情報はすぐに広がるだろう。密偵がすでに各地に知らせているかもしれない。今以上の混乱は避けて通れんな」
マグノリアもため息を吐いた。四年前の教皇拘束以降、このパスタリア王国を統治してきたのは真正ゾア神教だ。かつての権力者たちからの反感は凄まじいものに違いない。
最後は味方に付いたマグノリアやマホニアといえど、反乱に加担した過去は消せない。
もしもかつてのようにゾア神教が復権した日には、マグノリアたちは断罪されて然るべき立場なのだ。
俺たちは皆沈んでいた。真正ゾア神教はかつての権力者以外、民衆にとっては鬱屈した時代の救世主と言っても過言でなかった。やり方はどうであれ、その理念自体は貧しい農村で過ごした俺には十分共感できる。
もしかしたら、またあの時代に戻るのか。誰もがそう思っていた。
「あなたたち、そんなこと気にしているの?」
沈黙を破ったのは男の声だった。だが、こんな気色悪い喋り方の奴なんて、俺の知る中で一人しかいない。
真正ゾア神教の審問官サンタラム。
リーフの攻撃を食らって地下で倒れていたはずのこいつが、仁王立ちで俺たちを瓦礫の上から見下ろしていた。トレードマークのてかてかに固めた黒髪は、燃えた毛玉みたいにちりちりのヘアスタイルに様変わりしていたが。
「サンタラム、お前意外とピンピンしているんだな」
リーフの雷の力を受けてここまで元気だった奴を俺は知らない。剣術に意外と長けていたり、身体が丈夫であったりと人は見掛けによらないの代表格だな。
「当たり前よ、私はこの身と心を真正ゾア神教にすべて捧げた聖職者なんだから」
だから何なんだよ。
「どうした、まだ戦おうってのか?」
俺はすでに背中の鞘に収めている剣に手を伸ばし、リーフも猫のように身を低く構えた。それを見てサンタラムはブンブンと手を振った。
「あらやだ、戦うなんてことはしないわよ。私はあくまでも自分が信じる神に従って生きることにしているんだから」
サンタラムからは戦意を感じられない。安心した俺は剣から手を離し、リーフも姿勢を元に戻した。
「自分の信じる神って、真正ゾア神教にまだ付くってことか?」
俺が尋ねると審問官は大げさに頷いた。
「その通りよ。プラート様やオーランダー様がいなくなって真正ゾア神教というタガが外れてしまったら、このカルナボラスが混乱に包まれるのは確実。ここで私までもがいなくなったら、今も祈りを捧げている信者たちはどうなるのよ?」
「素晴らしいお考えをお持ちです。私も司教として協力いたしましょう」
サンタラムに賛同したのはマホニアだった。民のことを考える者同士、通じ合ったのかもしれない。
「マホニア司教、カルナボラスのトップは今あなたよ。協力するのは私の方だわ、一緒に立ち上がりましょう!」
サンタラムはぴょんと瓦礫から飛び降り優雅に着地すると、マホニアに握手を求めた。司教は微笑んで握り返した。
「民の救済と組織の再興のために、私は神の意志の代行に努めるわ。旧教の僧侶たちはみんな、今まで通り監禁続行よ。すぐに各地の真正ゾア神教の支部に伝令を送るんだから。残念ね商人オーカス、真正ゾア神教は永遠に不滅よ!」
そう言うと運動の苦手な女の子みたいなくねくねとしたフォームでだっと駆け出すサンタラム。意外と足も速い。
「プラート様はお亡くなりになられたけれど、真正ゾア神教は終わっていないわ。まだ現世での救済を待ち望んでいる哀れな民がごまんといるのよ。さあ、そんな民に救いの手を差し伸べられるのは誰? 我こそはと思うみんなは、私についてきなさーい!」
サンタラムの声が礼拝堂に響く。最初、呆然としていた兵士たちもふと我に返り、多くがサンタラムの後を追い始めた。
「そうだ、我々はまだ民衆を救済しなくては!」
「旧教の僧侶たちの横暴は許さん!」
ある兵士がそう言うと、つられて他の兵士たちも走り始める。
最終的には何十人もの兵士たちが鼓舞され、一塊になってサンタラムの後に続いた。
「さあ行くわよ、私たちの理想のために!」
サンタラムと兵士たちは地響きを立てながら礼拝堂を後にした。
残されたのは僅かな兵士と俺たちだけだった。結局正当性が揺るがされたとは言え、真正ゾア神教の理念に賛同する者は多くいたようだ。
「何だったんだ、あいつ」
俺がぼそっと漏らすと、チュリルがケラケラと笑った。
「まあ、あいつもあいつなりに貫く道義があるんだよ、きっと」
「サンタラムさん、あれでなかなか人を動かすのがうまいからなあ。でも、今度ばかりは大丈夫かな?」
どうなるかはわからない。正当性を失ったのが露見した真正ゾア神教の統治がこれからも続くのか、旧教が力を取り戻すのか、それとも新たなる勢力が台頭してくるのか。
「もしも元の生活が戻ったとしたら、旧教の僧侶たちもこれに反省して、せこいことせずに民の救済に努めてくれればいいんだけどな」
思わず俺はつぶやいていた。不安をかき消すためなのか、それとも本心では王家の復権を願っていたのか、それはわからない。
「さあ、私たちも行きましょうか。人手が不足しますので、シシカから人を呼びましょう」
マホニアが三人の部下に話しかけた。すぐに全員立ち上がり、俺たちにもう一度礼をする。
そしてゆっくりと、光に溢れる聖堂の外へと歩み出て行った。




