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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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第五章 大聖堂 その9

 俺たちは階段を駆け上がった。ここで直接戦うには相手が悪すぎる。プラートのことだ、あれほど怒りに身を任せてはどんな攻撃をしてくるかわからないし、剣を持った俺が挑んでも、何が起こるか一切の予想がつかない。


 何の武器も持たずに俺たちを追いかけてくることが殊更に恐ろしく思えた。


「逃げるって言っても、どこへ?」


 走りながらリーフが尋ねる。


「さあどこだろうねえ、ん?」


 階段の途中で大きめのガラス窓がはめ込まれている。さっきの窓ほどの高さではないのですぐにでも外に出られそうだ。


 ええい、ままよ! 俺はガラス窓に剣を叩きつけた。


 バリバリに砕け散る透明のガラス。外の様子すらろくに確認せず、俺はそこから飛び出した。


 そこは屋根の上につながっていた。礼拝堂の急峻な瓦屋根に、所々屋根裏部屋の飛び出し窓が突き出ている。以前は聖人像がこの街を見守っていたのだろう、白い台座が一列に並んでいた。


 驚いたことに、いつの間にか空には黒雲が降りて街全体を包み込んでいた。さっき鐘楼に昇った時は雲一つ無い夏の青空だったのに。


「なんだよこの雲。雨なんてほとんど降らない季節なのに、今にも土砂降りになりそうじゃねえか」


 空を見ながら俺は屋根を進んだ。途端、足を踏み外しずり落ちそうになるが、急いでバランスを整えたために瓦が一つずれただけで済んだ。ここは足場が非常に悪く、とてもじゃないが走り抜けようなんて口に出すことすら無理だ。


「とにかくどこか降りられる場所を探そう」


 リーフが慎重に一歩ずつ踏みしめながら俺の歩いた場所を通る。


 やがてプラートも窓から外に出て屋根瓦を踏む。しかしそこから何歩か歩くと、突如わざとらしくはっはっはと大声で笑い始めたのだった。いつにも増して不気味だった。背筋に冷たいものを感じながらプラートを見ると、奴は腹を押さえながら言うのだった。


「空の下に出ましたね、あなたたちの死は決定しましたよ!」


 次の瞬間、どうっと凄まじい風が吹き荒れた。聖堂の瓦屋根がカラカラと鳴り、そこらでめくり上がるほどの強風。


 俺は急いで剣を屋根に突き刺して踏ん張り、リーフは俺の背中に捕まった。なんとか吹き飛ばされずにはいるものの、これでは動けない。


 そんな瓦がめくれるほどの風の中を、プラートは平然と俺たちに一歩一歩近付いてくる。

「私は神から直接力を得ました故、神の起こす奇跡を代行することもできるのです。この黒雲もそう、私が呼びました。セチア、あなたの力は雷と同じなのですが、本当の雷というのはほら、こんなものなのですよ」


 プラートがパチンと指を鳴らす。


 途端、天がゴロゴロと唸り、少し間を置いて雲の隙間から眩い光が地上に降り注いだ。


 強風の中、俺は両手で剣を握るのに必死だったので全てをこの目で見てしまった。


 この都で最も高い場所、大聖堂の鐘楼に稲光は落ちた。鐘の音がわずかに混じっている大地が引き裂かれるかのような轟音とともに、石造りの塔はバラバラに崩れ落ちた。


 塔の壁はひとつひとつのレンガにまで細かく分かれ、一部の床など木製の部分には大きな炎が上がっている。大きな石材はほぼパーツそのままの形で落下していた。聖堂前広場には特に多くのレンガや巨大な石材が降り注ぎ、外にいた兵士や民衆は皆あちこちに逃げ惑っている。


 無論、俺たちにもレンガや燃える木材の破片が容赦なく降りかかる。


 小さな石ころサイズのものからレンガの塊まで、いくつもの瓦礫が俺とリーフの体をかすめたりこつんと当たったり、近くの瓦屋根をぶち抜いたりもした。幸いにも俺は帽子のおかげで頭への直撃を免れ、リーフは俺にしがみついていたおかげで俺の陰に隠れて助かった。


 ガラガラと瓦礫の音が小さくなりようやく塔の崩壊がおさまる。俺とリーフは互いに何かを言いたかったのに言葉を続けることができなかった。


 この悪魔の預言者はこんな強大な力を持っていたのか。強風で動けないこの状況下、圧倒的な力を見せつけられて完全にすくみ上がっていた。


 リーフの顔が真っ青に染まる。俺も似たような状態だっただろう。


「こんなもの人間が浴びればどうなってしまうでしょうかねえ。ほうら、もう一発」


 そんな俺たちの心境を知ってか知らずか、プラートはもう一度指をパチンと鳴らし、再度雷を呼び起こした。


 今度は俺とリーフの後ろの屋根、聖人像を乗せていた台座に雷は直撃した。威力自体はさほど強くなかったようで、爆発音を轟かせて周りの屋根瓦を吹き飛ばした程度の力だったが、人間を殺すにはそれで十分だ。


 俺たちは後ろからもろに爆風を受けた。突き刺した剣をさらに力を込めて握り締めたが、雷鳴に驚いてリーフが俺からするりと抜け落ち、そのまま転がって瓦と一緒に滑り落ちてしまった。


「リーフ!」


 瓦を巻き込みながら落ちていくリーフにとっさに手を伸ばす。間一髪、俺の手がリーフの手首を掴んだので滑落は止まったが、何枚かの瓦は広場へと落下し、しばらくしてからパリンと砕ける音が耳に届いた。


 リーフは俺の手首を握り返した。これでもう離れない。


 だが、この強風の中ずり落ちる女を引き上げるのはどう考えても無茶だ。そう長くは持たない。


 リーフは必死でそこらに手足をかけるが、乗せた途端に瓦がずり落ちてしまう。


 そうこうしている間にも、また少しずつプラートが俺たちとの間をゆっくり、ゆっくりと詰めてきている。完全に勝利を確信した表情、下衆を見下す貴族のそれと同じ顔だ。


 俺は死を覚悟した。これほどの力を見せつけられれば、結局は平凡な人間に過ぎない俺に勝ち目など微塵も感じられない。


「神の力は絶大です。私に逆らうのは神に逆らうのと同じ。何せ私は神の代行者、地上に降り立った神そのものなのですから!」


 プラートが両手を広げると、再びどうっと強い風が吹いた。その勢いで俺は後ろに煽られたが、運良くリーフを引き上げることができた。


 ほとんど浮かび上げられた形で胸に飛び込んできたリーフを、俺は腕で包み込んだ。


 巻き上げられた瓦の破片から少しでも庇うために、俺にとっては子どものようなリーフの身体を俺の胸板に密着させ、上着で覆い隠した。


 リーフの身体は思った以上に泥と血で汚れていた。心臓もバクバクと高鳴っている。この娘もきっともうダメだと死を覚悟しているに違いない。


 だが不思議なことに、目には未だ光が残り、プラートを睨みつけていた。絶望した人間は震え上がり、目の輝きを失うのが当然と思っていたが、この娘はそうではないのか。


 いや、実を言うと俺もそこまで絶望といった感情には苛まれていない。ああ、これで終わりか、せめてリーフだけでも生かして逃がしたかったという後悔はあるが、だがしかし死という逃れようのない結果を目の前にしても、案外平然としている自覚があった。


 強風を身に受けながらも俺は屋根から剣を片手で引き抜き、プラートに突きつけた。


 以前の俺ならこんな状況に陥った時には、見苦しいまでにがむしゃらに抵抗するか、絶望で完全に思考を閉ざしてしまうかのどちらかだったろうに。奇岩の谷で盗賊に追い詰められたとき、俺は震えていた。


 それなのに、明らかにより絶望的なこの今、震えていないのはどうしてだ?


 もしかしたら、これが信仰? ゾア神のために戦うという大義名分を得た俺が、死後の救済を確信しているから?


 死後の世界を直視しようとせず、現世で金の亡者と成り果てていたあの頃とはもはや別人のようになってしまったのだろうか。


 そうだ、死は何も恐ろしくない。死を今までただ恐れていた俺は、今ようやく死を受け入れられるようになったのだ。


 俺はプラートに向き直り、思いっきり笑い飛ばしてやった。わざとらしいくらいにまでガッハッハと。


 プラートが訝しげにこちらを窺う。リーフも戸惑っている様子で「オーカス?」と小声で尋ねていた。


「どうしました、神の力を前にして気でも違えたのですか?」


「そんなんじゃねえ、これで死ねたら本望だって、そう思っていただけなんだよ」


 プラートは少しばかり驚いたようだが、すぐに先ほども浮かべていた不敵な笑みの表情に戻ったのだった。

「あなたは神に逆らったまま死ぬのですよ。それが本望など、もはや救いの余地すらありませんね」


「ふん、俺は俺の信じる神にこの身を捧げてまで貢献できるんだ。それ以上の幸せがどこにある。お前ら真正ゾア神教は現世での救済なんて抜かして民の支持て舞い上がっているようだが、それで本当に民衆は神を信じていると思っているのか? ただ毎日飯にありつけるから、罪人として見られないからって安易な理由でお前らに従っているだけかもしれないって、一度も考えたことなかったのか? 本当に民が真正ゾア神教を心から信奉して命まで投げ出してくれると思うか?」


 プラートはムッと唇を突き出した。


「当たり前でしょう。現にオーランダーやスレインのような部下を私は持っている。彼らは心より私を信じてくれましたよ」


「そんなわけがあるか。オーランダーは神の力に目がくらみ、その力で民衆を支配することが一番だと考えていたんだよ。あんたの預言の内容より、あんたを通して授かったその力、それこそがあいつにとっては大切だったんだ」


 プラートが固まった。信じられない。そう言いたげな顔だった。


「あいつは俺のことを賤民と抜かしやがった。あんたの預言じゃあ商人も等しく扱われると聞いていたが、それでいて司祭に賤民って言われちゃあ片腹痛いぜ」


 プラートが歯ぎしりをしている。背中の傷も口を開け、足元の瓦屋根に赤い筋が生まれていた。


「スレインも死ぬ間際に言っていたぜ、あんたが本当に神の預言を受けたのか疑わしいとな。あの娘があんたについてきたのは大切なリーフとずっと一緒にいたかったからだ。最後あんたらに付いたのは、リーフをいかなる信仰であれ、神に逆らう反逆者にしたくなかったから自分の手で裁こうとしただけなんだよ!」


 ちらりとリーフに目を遣ると、金髪の少女は物憂げな表情を浮かべていた。


「それすら見抜けなかったとしたらプラート、お前は神が天地を創造して以来、歴代最もおめでたい脳みその預言者だなあ!」


 もう一度剣を振りプラートに向けなおし、ガハハと笑い飛ばす。


 預言者の怒りは限界を超えた。白い歯をむき出し、拳をぶるぶると震わせている。


「わ、私の預言を民は信じています! 現世での……現世での救済こそ民が望んでいたことなのですから! そう、現世での救済こそ神の意志で、民の望むことなのですから! 私は預言者なのですよ!」


 プラートに理性は感じられなかった。同じようなことを何度も叫んでいる。自分の築き上げてきた信頼を足元から崩されたことを受け入れきれないようだ。


「リーフ、すまんな。どうやらこのまま終わっちまいそうだ」


 俺はぼそっと呟いた。片手で抱いたリーフの顔を見ることはできなかった。死を待つリーフの顔なんてみたら、俺自身の覚悟が揺らいでしまいそうだったからだ。


 だが、帰ってきたリーフの声は穏やかだった。


「いいさ、私もこのまま安寧の地へと導かれるなら、それで。お前と一緒ならどこでも楽しい旅が続けられそうだからな」


「よく言うぜ。だが、俺もそうだ。お前と死ねるならそれも悪くねえ」


 思わず微笑んでしまった。その時リーフも微笑み返したような気がすする。


 一方のプラートは荒れ狂う天を仰ぎ、あの中性的なマスクはどこへやら、すでに悪魔像の顔、いや、東方で見た破壊神と恐れられる邪神像と違わぬ様相で高らかに笑っている。


「今度こそ最期です。私の力でお二人とも仲良く葬り去ってあげましょう!」


 言い終わると同時に、稲光が地上に降り注ぐ。白い閃光が空間を切り裂き、大聖堂へとそのエネルギーを伝えた。


 ああ、これで終わりか。俺はリーフを引き寄せて強く抱きしめた。リーフも俺の腕をより強く握り返した。


 このまま殺されるならせめて二人一緒に安寧の地まで導かれてやろうじゃないか。


 プラートの起こした雷は俺たちの頭上から真っ直ぐに降り、大聖堂の屋根に伸びる。そしてそのままぐにゃりと曲げられて……。


「!」


 誰がこんな光景を予想しただろう。稲妻は俺たちの頭上で捻じ曲げられ、プラートを直撃したのだった。


 瓦を吹き飛ばすほどの衝撃と太陽が地上に現れたかのような凄まじい発光の後、残されたのは消し炭のようになったプラートの身体だった。


 俺とリーフはそろって黒色の塊と化したプラートの肉体を見つめていた。


 焼け焦げたプラートはそのままバタリと倒れた。


 そしていくつもの瓦を巻き込みながら屋根を転げ落ち、まっさかさまに地面に叩きつけられる。そして燃え終わった薪のように、ばらばらに砕けて四散してしまった。


 下の広場にいた兵士たちが変わり果てた主に駆け寄った。俺たちはぽかんと口を開け、互いに顔を見合わせていた。


 死を覚悟して最期を迎える心構えまでしていたというのに、あまりにも呆気ない。拍子抜けされた気分だが、とにもかくにも俺たちは生きている。


「な、何だったんだ一体?」


 どもりながらリーフがようやく声を発した。心なしか心臓の鼓動がさっきより一段と激しくなっている。


「助かったのか?」


 何が何やら訳がわからなかったが、プラートは自滅してしまった。一気に安堵が押し寄せ、俺はふうと息を吐いた。


 そこでようやくお互い必要以上に身体を擦り付けていることに気付くと、リーフは顔を赤らめて俺の腕からそそっと離れていった。 

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