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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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第五章 大聖堂 その4

 プラートは礼拝堂をぐるっと見回すと、笑みをたたえた表情のまま俺たちに向き直った。


「真正ゾア神教はあらゆる属性の人間に救済を与えます。しかし、あなたたちは度が過ぎました。大聖堂を破壊し、多くの教徒を傷つけました。これは神に対する明らかな反逆行為。その神の怒りを私が代弁しましょう」


 プラートがすっと細い腕を前に差し出す。


 突如、風の向きが変わった。今までは正門から礼拝堂の中へまっすぐに吹きつけるような向きだったのが、今度は壁の中から風が吹き出しているような横殴りの向きで吹き始めたのだ。


 思わぬ事態に皆バランスを崩し、俺も床に膝をついた。


「ぬおおおおお!」


 倒れた祭壇の上に立っていたマグノリアは強風をモロにその身に受けた。よく見るとマグノリアの周囲だけで風が渦巻いている。室内に小さな旋風が巻き起こっていた。


 俺が「マグノリア!」と呼び切る前に、マグノリアの巨体は突き上げられたように宙へ投げ出された。


 手も足も出る間もなく、マグノリアは天井近くのステンドグラスの一枚に叩きつけられ、外に放り出された。


 礼拝堂の空気を切り裂くような破壊音を立てた後、ステンドグラスは虹色に光を照り返しながら、鋭利なガラス片を撒き散らし、床でさらに細かい欠片へと砕かれていった。


 なんと、あのマグノリアがやられてしまった。無敵のマグノリアでも、あれで無事とは思えない。俺は全身に鳥肌が立つのを感じた。リーフとチュリルも言葉を失っている。


 しかし、今ので火の点いた者もいたようだ。鼻息を荒げ、ゆっくりと立ち上がったのはヒトコブラクダのアコーンだった。


 アコーンは唸る強風の中を一歩一歩、全体重をかけて踏みつける。最早ゾウを彷彿とさせるその勇姿に、プラートも眉をしかめている。


 ゆっくりと足を動かしていたアコーンは突然駆け出した。向きを変える風もなんのその、首を低く歯を食いしばって床に散らばる木材をばりばりと砕いていく。


 そしてまっすぐプラートに突っ込んでいく。あまりの猛々しさにプラートも「わ!」と退いた。そこにアコーンが前足を突き出し、プラートの顎に蹴りを入れる。


「でかしたぞ、アコーン!」


 一瞬弱まる風。俺はぐっと拳を握り締め、相棒をねぎらった。


 プラートはのけぞって仰向けに倒れ込んだ。しかし次の瞬間、アコーンの周囲だけで砂埃が巻き上がった。


「獣畜生の分際で人間に噛み付くとは、許せるものではありませんね」


 プラートは顎をさすりながら立ち上がった。後ろに倒れたおかげでかすり傷にしかならなかったようだ。


 アコーンはもう一度蹴りを入れようとする。


 しかし、足を少し上げた瞬間に体全体がふわりと持ち上げられた。先ほどマグノリアを吹き飛ばしたものよりもさらに強力な旋風が、アコーンを包んでいた。


 四肢をばたつかせながら唾を撒き散らすアコーンの姿に侮蔑の眼差しを送ると、プラートはそのまま正門からアコーンの巨体を放り出した。


 叫んでも遅かった。


 アコーンの体は石畳の上で鞠のように弾かれ、何度も転がりながら、広場中央の噴水にぶつかってようやく止められた。泉の水から首と足だけを出したアコーンは、ぴくりとも動かなくなっていた。


「き、貴様、何てことしやがる!」


 全身の血が逆流したかのようだった。拳の震えが止まらない。長年苦楽を共にしてきた相棒に、なんとういう仕打ちを!

 プラートの目は晴れ晴れとしていた。悪の手先を倒したとでも言いたげな表情だ。


「あのラクダがもしも人間だったならば、地獄へ落ちるのは確実でしたね。ですが動物は人間のような知性は備えておりませんゆえ、罪という考えも持ち合わせていません。地獄へ誘われることはありませんので、飼い主のあなたの心配には及びませんよ」


「飼い主? そんなんじゃねえ、あいつは俺の……」


「うおおお! プラート、お前は神の代弁者などではない!」


 あいつは俺の唯一無二の相棒だ! そう言い切る前に飛び出したのはコシブだった。


 あのつぶらな瞳から受ける優しい印象はどこへやら、獣のような雄叫びを上げながらそこらに転がっていた巨大な木材を振り上げ、吹き荒れる風の中を勇猛果敢にも突撃する。


 やれやれと言いたげなプラートに、真っ赤になったコシブが襲い掛かった。


 逃げればよいものを、プラートがゆっくりと手をかざす。


 途端、コシブが自分の持っていた木材の重みを支えられなくなり、そのまま床に倒れてしまった。


「あなたの力は私が神を通じて与えたものです。つまり私が封じようと思えば、いつでもあなたを無力化できるのですよ」


 そう言い終わった途端、瓦礫のひとつが不自然に宙に浮き上がり、コシブの胸にずんとのしかかった。


 コシブは血を吐き、白目を向いて気を失った。


「コシブさんに何をする!」


 堪らずアルケビアが叫んだ。壁に掛けられていた燭台から蝋燭を一本抜き取り、それをプラートに向かって投げつける。


 蝋燭の小さな炎は巨大な爆炎に姿を変え、熱と衝撃がプラートをのみ込む。


 しかしプラートは立ち尽くしたまま、微動だにしない。まるでプラートの周囲にだけ透明なガラスの壁があるかのように、炎が遮られていた。


「あなたも同じです。神によって巨大化した炎は私の思った通りにも動くのですよ」


 燃え盛る炎の揺らめき越しに、プラートがアルケビアを睨み付けた。


 炎が形を変えた。プラートを包んでいた火の玉は収束し、真っ赤で小さな光の球となってプラートの掌の上をふよふよと浮いた。


 直後、その球から一本の巨大な炎が放射され、まっすぐにアルケビアを襲った。


 アルケビアをのみ込み燃え広がった炎はあっという間に消えてしまったが、黒く焼け焦げた壁と床の真ん中に立っていたアルケビアもまた全身に火傷を負い、その場に倒れ込んでしまった。


 プラートたった一人の登場で一気に劣勢へと追いやられてしまった。何とか方策はないものかとあれこれ考えても、強風の中立ち続けているそれだけで気力も体力も削られていく。


 リーフもチュリルも顔から血の気が引いていた。マグノリアはじめ頼りになる男たちが次々とやられたショックが隠せないようだ。


「くそ、出口はもうすぐそこだと言うのに……」


「さあ次はあなたです、商人!」


 プラートの瞳が大きく開かれると、俺の周りで空気がうねり、土埃が舞い上がった。


 マグノリアとアコーンを吹き飛ばした旋風が、今度は俺の周りにだけ巻き起こったのだ。


 リーフとチュリルが「逃げろ!」「どこかに掴まれ!」と叫んでいるが、あまりにも風が強すぎてどちらが発した言葉なのかもわからない。


「しつこいですね。では、これでどうでしょう?」


 吹き付ける突風が一段と強さを増し、ついに俺の踵が地面から離れた。それから後は一瞬一瞬が常に瞬きを繰り返しているような、何枚もの絵画をつなぎ合わせたような感覚だった。


 つま先までも風にすくわれ、地面との接点を失い、俺はそのまま空中へと浮かび上がった。何度もきりもみ回転しながら、自分が上を向いているのか下を向いているのか、どれほどの高さまで突き上げられたのかすらよくわからないが、不思議とその時間がゆっくりと流れたように記憶している。


 やがて俺は何か硬い物に背中からぶつかり、床に打ち付けられた。それでもなお、握った剣は落とさなかった。


 背中に走る激痛と、大男にひねり回されているかのように意識が定まらない頭痛に耐えつつ、俺はゆっくり背中をさすりながら立ち上がった。


「ここは……」


 巨大な石の壁には草原で妖艶な女たちが踊っている。カルナボラス大聖堂礼拝堂のシンボルとも言うべき、死後の安寧の地を描いた壁画だ。どうやら俺はまだ礼拝堂の中にいるようだ。


 周囲を見回してようやく自分がどこまで飛ばされたかを把握した。アーチ構造の天井が先程より低くなり、すぐ目の前に石材でできた手すりが設けられている。そして天井近くにあって、礼拝堂からは手も届かないはずの彩色のステンドグラスが、今は俺の身長なら簡単に触れそうな位置にまで下がってきている。


 俺は礼拝堂の二階まで飛ばされていた。プラートの起こした旋風で吹き抜けを通って下から上まで突き上げられたようだ。


 まだジンジンと痛む背中をさすり、手すりまで這った。下を覗き込むと、倒された祭壇に散らばる瓦礫やステンドグラスの欠片。そんな中をゆっくりと歩くのは白いローブと月桂冠を身につけたプラートに、絶望に打ちひしがれて互いに身を寄せ合うリーフとチュリル。


 さらに礼拝堂の奥の部屋からも兵士たちが駆けつけていた。オーランダーとその部下たちだ。先ほどの傷がまだ痛むのか、オーランダーは片腕を押さえていた。


 オーランダーと部下四人、そしてプラートは二人の少女を囲み、じりじりと間合いを詰めていく。リーフはナイフを取り出し、チュリルは角材を拾い上げて互いに背中を庇い合って一分の隙をも殺しているものの、これ以上手も足も出ないのは明らかだ。


「セチアにチュリル、あなた方は決して知ってはならぬことに触れてしまいました。あなた方が現世で生きていては、神の意志を代行するのに不都合なのです。しかしご安心ください、あなたたちは今まで真正ゾア神教にその身を捧げてきました。最後はこういう形になってしまいましたが、死後の救済は必ずや行われるでしょう」


 プラートが手を高らかに上げると、再び礼拝堂の中に風が吹き込む。そしてリーフとチュリルの周囲にだけ砂埃が舞い上がった。


 突然のことに二人は体勢を崩した。すかさず兵士が飛びかかり、いとも簡単にリーフとチュリルをそれぞれ背中から羽交い締めにしてしまった。


「ひと思いにその首を刎ねてあげましょう」


 プラートは脇に控えていた兵士に目配せすると、兵士は「は!」と声を張り上げて鞘から剣を引き抜き、プラートに手渡した。


 二人は拘束する兵士を後ろ蹴りして離れようとするが、頑丈な具足や鎧のおかげか、兵士たちはびくともしなかった。


 プラートは剣をリーフの首筋に突き立て、振り上げた。白く細い腕が高く掲げられ、銀色の刀身がぎらりと光る。その光を前に、リーフの顔からは一切の生気が抜けた。


 まずい、ここから走っても間に合わないし、この高さでは飛び降りるのも無理だ。何とかして二人を助けねば!


 だが、そうこう考えるよりも先に手が動いていた。俺は腰に下げていたナイフを握り、吹き抜けから一階へと放り投げた。


 ナイフは回転しながら礼拝所の宙を横切る。そして差し込む光を反射させて白く輝きながら、ナイフはプラートに向かって一直線に飛んでいくと、ついに白いローブの上からプラートの背中に深々と突き刺さったのだった。


「ぎゃああああ!」


 礼拝堂の空気を切り裂く絶叫。慌てふためく兵士。ぽかんと口を開けて何が起こっているのか把握できない様子のリーフ。


「こっちだこっちだ!」


 俺は跳び跳ねながら手を振った。プラートに駆け寄った兵士が俺を指さし「な、何をする!」「卑怯者!」と野次を飛ばしてくる。


 その隙をチュリルは逃さなかった。


 自分よりも大柄な兵士の拘束をすり抜け、鎧に覆われていない脇腹に「とっしょらあ!」と妙な掛け声で拳を叩き込む。さらにリーフを掴んでいた兵士にも目にも止まらぬ速さですり寄り、首筋に手刀を打ち込んだ。不意の攻撃に、二人の兵士はその場にうずくまる。


 チュリルはリーフの手を引いて走り出した。残された兵士たちは「あっ!」と声を上げるが、プラートのうめき声を聞いて追いかけるのをやめ、主のもとに戻った。


「ま、まだ生きていたのですか……丈夫な男ですね」


 プラートが俺を睨みつけた。離れていても分かるほどに汗をかいているが、その眼光は俺が今まで見てきたいかなる悪魔像や絵画よりも、醜い憎悪が込められていた。


 ただ一人、走り去るリーフとチュリルを見ていた兵士だけが礼拝堂奥の扉へと入っていく二人を見てそれを追いかけようとした。だが、すぐさまオーランダーが駆け出した。


「何をしている、急いでプラート様の介抱を! あの商人は私が仕留める」


 オーランダーの一声に兵士はプラートに駆け寄り、ナイフの刺さった背中を見てすぐに聖堂の奥の別の部屋へと向かった。水と包帯でも取りに行ったのだろう。


「お前たちは下にいろ。私の力では味方まで焼き払いかねん」


 振り返りざまに仮面の下から俺を睨みつけてそう言うと、オーランダーはリーフたちの逃げ込んだ扉の中へと向かった。

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