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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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第五章 大聖堂 その2

 ただでさえ狭いのに樽が置かれて余計に狭くなっている通路を抜け、薄暗くてカビ臭い地下牢に降りる。


 まさか二日続けてこんな陰気な場所に来るとは、どうやら俺は普通の商人ではまずできないような人生を歩んでいるらしい。


 階段を降りてすぐの場所に軽装の看守が三人、それぞれ棍棒を持って立っていた。その表情は随分と余裕のあるものだったが、俺たちの姿を見てすぐに目を丸くした。


 てっきり仲間が降りてきたとでも思ったのか、侵入者が意外にも早くここまで降りてきたことに驚いたのか、とにかく戦いの準備も整えていない奴らに負けるわけがない。すかさず剣で叩きつけると、頭を打たれた看守は白目を向いて倒れてしまった。


 他の看守たちが棍棒を握って俺に襲いかかるが、背後からリーフが飛び出して素早く懐に忍び込み、脇腹のあたりにそっと手を添えて、「はっ!」と力を込めた声を上げる。


 例の雷の力を食らわせた。兵士は叫び声を上げると、ぴんと身体を伸ばして耳から黒い煙を上げて倒れ込む。


 残る一人が俺に飛びかかるが、俺は剣を振るい棍棒の先端に刀身をぶち当てた。手に持っていた棍棒を弾き飛ばされ慌てふためいている看守の頭をすぐさま叩く。


 最後の看守も床に崩れた。これで地下牢は自由に動ける。


「チュリル、いるかー?」


 牢屋の前を走りながら二人でチュリルを呼ぶ。すぐに「こっちだよー」と女の声が返ってきたので、俺たちは声のした方向へとさらに足を速めた。


 報告通り、チュリルは独房に入れられていた。


 壁にはめ込まれた手枷に両腕を挟まれ、床に座り込む形で拘束されていたのだ。マグノリアのような拷問は受けていないようで、衣服の乱れはほとんど無かったのでその点に関しては安堵した。


「リーフ! それにオーカスの旦那まで!」


 格子の隙間から俺たちを見るなりチュリルが立ち上がる。が、そのせいで手枷の付いた腕が変な方向にねじれ、「いたっ」とこぼしてまた座り込んでしまった。


「さあ、今度は私たちがチュリルを助ける番だ」


 手際が良いことに、先ほどはっ倒した看守から鍵を奪っていたリーフががちゃがちゃと牢屋の鍵を回す。


「待ちなさい!」


 突如背後から鋭く呼ばれる。男の声だが、どうも艶かしい。こんな喋り方する奴は今まで一人しか会ったことがない。


 背後に切りそろえた黒髪に丸い眼鏡が特徴的な男、尋問官サンタラムが立っていた。細長い剣をこちらに突き付けじりじりと距離を詰めている。


「侵入者って言うから来てみたら、やっぱりあんたたち。生きているってどういうことよ、聞いていないわよ私!」


 顔を真っ赤にして唾を撒き散らす。俺はただその様子を何も言うことなく見ていた。


 錠を外していたリーフも手を止め、口をぽかんと開けていた。牢の中のチュリルも同じような表情だった。


「この私を怒らせたらどういう目に遭うか、覚悟しなさい。実戦は苦手とは言ったけど、それは嘘。普段はか弱い聖職者を演じているだけで、実際はせせらぎのように美しく、それでいて疾風のように激しく剣を振るうのよ」


 サンタラムがビュンビュンと剣を振ると、剣先が思った以上にしなる。良い剣を使っている上に、太刀筋も洗練されている。訓練を重ねた使い手にしかできない振り方だった。


「そして何より、この剣はパスタリア王家お抱えの刀鍛冶が作ったという業物。細身だけれど鋼でできているから力任せに叩いても滅多に折れない……て、え?」


 こいつ、どうしようか。そんな風に考えていると、リーフが既に動き出していた。


 騎士みたいに格好つけたかったのか、サンタラムが天井に剣を突き上げて構えたその一瞬、懐ががらがらになった。武術に秀でたリーフにとって、そんな相手の間合いに滑り込むのは難しくもなんともなかった。


 リーフはサンタラムの剣を握っている腕を掴み、力を込めた。


「ぎゃぴぴぴぴぴぴぴ!」


 そして送り込むは雷の力。サンタラムは聞くに耐えない甲高い悲鳴と黒い煙を上げながらその場に倒れた。戦線離脱である。実力はありそうだっただけに少し惜しい気もする。


「話、長すぎなんだよ」


 剣の先でつんつんとつついてやるが、整えた髪の毛がちりちりに縮れて焦げた綿のようになったサンタラムはすっかり白目をむいて気を失っていた。


 一方のリーフはさっさと牢屋の解錠に戻り、やがて錆びの入った扉を開け、中に滑り込んだ。


「ありがとうリーフ、逃げられたら実家で一番高価な陶磁器をプレゼントするよ」


 チュリルが余裕のある表情で笑う。リーフは「ああ、期待している」と話しながら手枷を外した。


「さあ、このまま地下通路を通って逃げるぞ」


 リーフが肩をチュリルに貸して走りだし、俺は先頭を突っ切った。


 目指すは昨日、俺たちが脱出に使ったあの通路。あの通路の存在を真正ゾア神教の連中が把握しているかどうかはわからないが、少なくとも昨日の時点では気付かれていないし、脱出の際にぴっちり元に戻したはずだからバレていないと信じたい。


 とりあえず安全な所までリーフとチュリルを連れ出したら当初の目的は達成だ。あとは俺がマグノリアたちを迎えに行くか、そのまま全員ともやられるまで戦い続けるかは場当たりで決めるつもりだった。


 だがそううまくはいかないようだ。もう少しで隠し通路のレンガの壁が見えるというところで、俺の目の前に巨大な火の玉が現れたのだ。


 とっさのことだったので俺は剣を振りながら跳び退いた。「あちち」と言いながらも慌てて振るった剣で火の玉が少し後ろに煽られたため、直撃は免れた。しかし上着の腕の部分に黒い焦げ跡が残ってしまった。


「くそ、仕留め損なったか」


 火の玉が人の形に集まり、燃えたぎる赤い炎が消え去る。同時に、その中から白い服と赤い髪の男が姿を現した。


「オーランダー!」


 俺たち三人は声を揃えて叫んだ。例の通路を前に、体を燃え盛る炎に変える能力の持ち主、オーランダーが待ち構えていたのだ。


 いつかは出会うと思っていたが、よりによってこんな場所とはタイミングが悪い。


 司祭オーランダーが俺たちの行く手を遮る形で、狭い地下牢の通路で立っている。後ろには十人ほど金属製の鎧を着込んだ兵士たちも従えており、明らかに俺たちがここに来ると見越していた。


 こいつは能力が厄介なのでできれば戦わずに逃げたかったのだが、これはまずい。先ほど俺の剣でも煽られただけのように、炎になっている間は一切の斬撃や打撃を受付けない。何の能力も持っていない俺にとっては絶対に戦いたくない相手だ。


「侵入するならこの通路を使うだろうと思って待っていたが、まさか正面から入ってくるとは、予想が外れた。しかしもう逃がさん。聖堂を荒らした罪、神の裁きをもってその身に償わせよう!」


 オーランダーの赤毛が逆立ち、炎を吹き上げる。部下たちも呼応して「うおお」と叫び、地下を男たちの野太い声がこだました。


「何が聖堂を荒らした罪だ。この聖堂は元々ゾア神教のものだったんだよ。裁かれんのはそれを乗っ取ったお前ら異端派真正ゾア神教だろ!」


「哀れな奴らだ。神の奇跡をその目で見てもなお自らの誤りに気付かないとは」


 俺は剣を突き立てたが、オーランダーはふふんと鼻先で笑い一蹴した。随分と余裕綽々の様子だ。俺の攻撃が無意味であることを知っての尊大な振る舞いだろう。


 そんなオーランダーを睨みつけながら、後ろでリーフの肩にもたれかかっていたチュリルにぼそっと呟く。


「透明になって逃げられないか?」


「オーランダーの炎は攻撃の範囲も広いから、避けるのも難しい。透明になればみんなでゆっくり動くしかないから、いつか焼かれちゃうよ」


 予想通りの返答だった。


 いくらチュリルの能力が優れていても穴はある。武器で狙った場所にしか攻撃できない一般兵はともかく、オーランダーの炎は両腕を広げて適当に暴れ回るだけでも十分な脅威だ。


「さあ、猛火に炙られて罪を悔いるがいい!」


 オーランダーの腕が炎に包まれ、通常の何倍にも大きくなり、まっすぐ俺に向かって伸びる。こんなのをまともに喰らったらたちまち火だるまだ。


 俺は眼前に炎が迫ったまさにその瞬間、剣を横に振った。刀身が炎の中に潜り込むと同時に巨大な腕の形に集まっていた炎はバラバラに砕け、小さな火の粉にまで霧散した。


 どうやらこの炎はある程度なら剣でも振り払えるようだ。


 しかし反撃のチャンスは無い。体勢を整えようとする間にばらばらになった炎が再び集まり、先程と同じく腕の形になって、またも俺を殴りつける。


 チュリルが「逃げるよ!」と言って、後ろの二人がだっと走り出す音が聞こえた。今は勝ち目がないと踏んだのだろう。


 その通り、ただ斬るだけではこいつは倒せない。俺もくるりとオーランダーに背を向けて全力で走り出した。

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