第五章 大聖堂 その1
早朝の大聖堂前広場は市も開かれておらず、人通りもまばらだ。
そんな閑散とした広場を一台の馬車が横切る。
牡馬を二頭も使って引いているのは巨大な木箱。大人の男が三人押し込められても十分スペースが余るほどの大きさだ。
御者はまっすぐ大聖堂の鉄扉まで馬車を走らせるが、当然ながら扉の脇に控えている甲冑を着込んだ二人の兵士に制止されてしまう。
しかし兵士は馬車に乗った人物を見て、背筋をピンと伸ばしたのだった。
「マホニア司教、おはようございます!」
「おはようございます。今日も清々しい朝ですね」
馬車に乗っていたマホニアは兵士に微笑むと、後ろの席に乗っていたコシブ、アルケビアも会釈をした。
「随分と大きな荷物ですね。何ですか?」
兵士が巨大な箱をしげしげと眺めた。
「シシカから送られてきました、教団への寄贈品です。改宗した豪商が直接船で送ってきたのですよ」
コシブがこんこんと木箱を叩いた。
「ほう寄贈品ですか。中身は何でしょう? プラート様の彫像ですかな?」
「あ、ほら、日光に当たると劣化しちゃうんで、ここでは開けない方が」
兵士の一人が馬車の後ろ側へと回り込んだその時だった。
「ひゃっほーう!」
木箱の側面が内側から吹き飛び、二つの影が飛び出した。
軽めの革鎧を着込んだマグノリアと、アコーンにまたがった俺とリーフだ。
「マ、マグノリア様?」
甲冑の兵士は腰を抜かす。
すかさず俺は背中の剣を抜き、鉄兜の上から刀身を軽く打ち付けた。頭が飛びはしなかったが、衝撃はすさまじく脳を揺らしたのだろう、兵士はその場に崩れ落ちてしまった。
残されたもう一人の兵士は勇敢にもすぐさま槍をこちらに突き立てながら「マグノリアだ!」と何度も叫び続けていた。
「ええい、あとは任せたぞー!」
御者を務めていたい船乗りは手綱を放り投げて走り去っていった。
その後ろ姿を見ながら俺は「門まで来られれば十分だ。ありがとうよ!」と投げかけた。
一緒にアコーンにまたがっていたリーフは、何の武器も持たずに兵士と向かい合っているマグノリアに「お願いします!」と声をかけた。
マグノリアは一言「任せろ」とだけ言い放つと、その巨体からは想像もつかない素早い身のこなしで、槍を構える兵士の懐までふっと飛び込んだ。兜の隙間から兵士の驚いた表情が見て取れたかと思いきや、兵士の持っていた槍の先端部が落ち、ただの短い棒に変わっていた。消滅の力で槍先を消し去ったのだ。
そしてすかさず防御の薄い顔面に拳を叩き込む。歯でも折れたのか、兵士は口と鼻から血を噴き出して石畳に倒れ込んでしまった。実に無駄のない、天才的な戦いだった。
その僅かな間に、付近を巡回していた兵士たちが続々と広場に姿を現す。
兵士たちには目もくれず、マグノリアは巨大な鉄扉に手をかけ力を込めると、そこを中心に装飾を施された黒鉄の門は湯気のようなものを上げながら薄くなり、ついに消えてしまったのだった。
「鉄製の扉が消えてしまった!」
随分と距離が離れているにも関わらず、兵士たちが腰を抜かして声を上げた。兵士たちにもどよめきが走り、すかさず俺はアコーンの手綱を握り締めた。
「さあ突撃だ、全速力でぶちかませ!」
アコーンは俺とリーフを乗せたまま、かつてない速さで駆け出し、そのままぽっかり開かれた大聖堂の門をくぐった。
「あいつらは俺たちに任せろ、さあ早く地下牢へ!」
馬車から飛び降りたコシブとアルケビアの声が聞こえる。
結局俺たちは都中に兵士を送っているために逆に手薄になっている神団本部に突撃を仕掛ける作戦をとることにしたのだった。兵法に詳しくない者にとっても勝ち目のない作戦のように思えるが、勝算が無いわけではない。
マグノリアやマホニアの話では神団兵は貧民層の出身がほとんどで、最初から正規の騎士だった者はほとんどいない。いたとしても各地の遠征に向かっていて、このカルナボラスにいるのはあまり実績のない若輩者だけのようだ。
というのも騎士は元々貴族や旧教に仕えていた身分で、力のある騎士がかつての主を担ぎ上げて反逆を企てれば色々と厄介だからだ。そういう危険な連中は本部から遠くへと飛ばして、劣悪な環境でこき使って疲弊させているらしい。
カルナボラスに残っている兵士はほとんどがろくな訓練も受けていないような戦いの素人で、俺とマグノリアならば少なくとも個人の力量で負けることはない。祝福を受けたコシブやアルケビアも同じく、多少の人数を相手にしてもそう簡単にはやられることは無い。
また、祝福を受けた能力者も多くが各地の遠征や統治に出向いているために、プラートの側近を除けば本部には滅多にいないことも把握していた。元々各地の勢力を攻め落とすために与えた能力なのだから、遠征に使わないでどこに使うのか。
そして俺たちの目的は教団の崩壊ではない。あくまでチュリルの奪還だ。それさえ完遂すればさっさと逃げてしまおうと示し合わせていた。
だが実際のところ、俺もマグノリアもその覚悟では挑んでいなかった。
俺は商人である罪を拭いゾア神に貢献するため、マグノリアは自分の犯した罪を償うため、真正ゾア神教に歯向かっているだけだ。
そのためなら死も覚悟の上、チュリルの救出は単なる名目であり、リーフとチュリルが無事ならそれで万々歳だ。後のことは知らん。
現に俺は昨晩、今まで貯めた金を全て船乗りに渡し、もしも俺が散るようなことがあったら、故郷に金を持って行ってもらうよう頼んでいた。船乗りは「必ず約束を果たす」と頷いて返した。
早朝礼拝の時間だったのか、大聖堂の中ではすっかり様変わりしてしまったフレスコ画や祭壇を拝んでいた信者たちが何事かとしばし戸惑っていたが、俺が剣を振り回すのが目に入ると、絶叫を上げて礼拝堂の隅へと一斉に逃げていった。
「おらおら、怪我したくなかったらどきな!」
椅子の並べられた礼拝堂の真ん中、一本の赤い絨毯が敷かれた通路をアコーンは疾走する。
信者たちは椅子を倒したり自分が倒れたりと大混乱だ。
門から我先にと飛び出して行く信徒に圧され、外の兵士たちも中に入れない。
いや、それ以上にコシブとアルケビアの奮戦が兵士を圧倒していたようだ。振り返ってみると門の外では巨大な火柱が起こり、その傍で例の巨大な木箱がぶんぶんと振り回されて何人もの兵士を弾き飛ばしている。
ここは安心だ、俺たちは急いでチュリルを探すのみ。
アコーンはもはや疾風のように、さらに加速した。
「すごいな、これがラクダの脚力か」
リーフが短い髪の毛を全て逆立たせながら感慨深く呟いた。
誇らしい気分だった。馬が死んだ時、代わりにアコーンを選んで本当に良かった。
「ヒトコブラクダは人間二人くらい余裕で乗せられる。ましてアコーンはその中でも超大柄の豪傑さ!」
馬を失い、商売でも大損をして途方に暮れていた時、俺の服の裾に噛み付いてじっとこちらを見つめていたアコーン。
乗る人間全員に怪我をさせた暴れラクダとは聞いていたが、人を試すようなその目つきを俺は大いに気に入り格安で譲ってもらった。
乗りこなすまでは苦労したが、何度も何度も振り落とされてはその度に背中によじ登っていると、徐々に乗り方を身に付けていった。鞭なんか入れず、こいつの思うがままに走らせればいい。人間がラクダに乗っていると思うからダメなんだ、ラクダに乗せてもらっていると思えば良いと気づいた頃には、俺とアコーンは一心同体になっていた。
そんな馴れ初めのことを思い出して、俺は大口を開けて笑いながら手綱を握り締めた。
「行くぞ、目指すは地下室だ!」
声を合図にアコーンはさらに足を速める。
礼拝堂の奥の扉をくぐった先の通路、ここに地下牢へ続く階段がある。
しかしその扉からも続々と兵士が飛び出し、俺たちを待ち構えているのだ。
アコーンはそれでも速度を落とさず、むしろ兵士たちに突っ込んでいく。その気迫に押されてか、兵士たちはたじろいで道を開け、代わりに横から俺に向かって攻撃を加える。
しかし背の高いラクダに乗った俺に兵士の剣は届かず、リーチで勝る俺の両手剣に兜を跳ね飛ばされて倒れてしまうのだった。
後ろからついてきたマグノリアも襲いかかる兵士を次々と振り払い、進撃を緩めることは一切なかった。
このまま一気に突破したいが、狭い通路をアコーンは通れない。
残念に思いながらも俺とリーフはアコーンから飛び降りた。ラクダは一旦座らせてから降りるのが正しい降り方だが、今回は事情が事情だ。自分の身長よりも高い所から飛び降りるのは少し怖いようで、リーフは俺の肩に手をかけながら石畳に着地した。
ようやく礼拝堂の中にいた信者全員も捌けたようだが、まだ安心はできない。兵士はまだまだ隠れているし、今倒した兵士もすぐに起き上がって無謀にも再度立ち向かってくる。
じりじりとにじり寄る兵士たちの前で、マグノリアは落ちていた槍を一本拾ってブンブンと車輪のように振り回した。俺の帽子もあわや飛ばされるかと思ったほどの凄まじい風が起こる。
最後に石突きで大理石の床をズシンと打ち鳴らすと、大聖堂全体が揺れたかのような震動が起こった。最前列の兵士は見て分かるほど萎縮した。
「追っ手は私が食い止めよう」
「いいのかい? いくらなんでも手負いのあんたじゃ……」
「案ずるな、私はかつてムサカの闘将と呼ばれていた。平民上がりの兵に負けはせん」
兵士たちを睨みつけたままマグノリアが言い放つと、俺の後ろにいたアコーンもずっしずっしと前に出て、マグノリアのすぐ横に並んだ。
「アコーン、お前もか?」
尋ねると、アコーンは鼻息を荒げ床を前脚で二度蹴った。ラクダのくせに随分と男気がある。もしもアコーンが人間だったら、きっとマグノリアのような猛者だったに違いない。
俺とリーフはこの場を一人と一頭に任せ、小部屋の扉をくぐった。すぐに兵士たちが雄叫びを上げながら突進してきたが、その声はすぐに悲痛な叫び声に変わったのだった。
「ば、化物だー!」
「こんなのに勝てるわけねえ!」
次々に上がる兵士の声に、金属の打ち鳴らされる音やら何かが床を転がる音とが入り混じっていた。
ここはしばらくは安心だ、今の内に急いでチュリルを助け出さないと。
俺はリーフの手を引いて地下牢に続く階段を下りた。リーフは後ろを気にしていたが、その瞳にはきらきらと光が宿っていた。




