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絶望の商人と奇跡の娘  作者: 悠聡
第一部 救済の神託
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第四章 信仰の都カルナボラス その6

 セチアとスレインの牢屋の前には看守が一人。


「小さい頃にちゃんと小魚食べたか? 好き嫌い言ってると背は伸びないぞ」


「当り前じゃ、毎朝苦手な牛乳も腰に手を当ててぐびぐび飲んでたわい! 文句あっか?」


 どうしてこんな会話に発展しているのかはわからないが、ありがたいことに看守は物陰に隠れた俺たちにまだ気付いていないようだ。


「看守が貼り付いているね」


「正確には看守を貼り付けていると言うか」


「こういう時はあたいに任せな」


 チュリルが自信有りげに言い、俺の服から手を離した。


 途端、チュリルの身体が周囲の景色と同じ色に染まったかと思うと、やがて完全にかき消えてしまった。


「そもそも人間というのは身長ではなく能力の高さで評価される、ぶげへ!」


 牢屋の中に向かってくどくどと説教をしていた看守が前のめりに倒れる。「あれ?」とセチアらの声が聞こえるも束の間、すぐに看守の背後にチュリルが姿を現した。


「チュリル!」


 スレインが驚いて格子に手をかける。


「おおー、何も無い所から人が。新手の奇術か?」


 セチアが感心した様子で言い放っている。本当に図太い。もしかしたらこいつの心臓は岩石で出来ているのではないのか?


「二人とも無事そうだ。さあ急いでここを出るんだ」


 セチアの発言をスルーしたチュリルは持っていた鍵で牢を開けた。


 俺もマグノリアを引きずって囚われの女性陣らの前に出る。


「オーカス、戻ってきてくれたんだな!」


 セチアが目を輝かせた。あんなことを言っていたが、本当は心細かったのだろう。


「本当、オーカスさんありがとうございます」


 スレインも目をごしごしこすりながら頭を下げた。


 チュリルに買収されたから、などと本当のことは言えず、俺は「おうよ」と曖昧な返事だけを返した。


「チュリル、あなたどうしてここに? それにマグノリア様までこんなに怪我してどうなさったの?」


 牢屋から出るなりスレインがチュリルの腕に手をかけたが、チュリルは「話は後だ。とにかく外へ」と強い口調で言い放った。


「おおい、荷物はぜーんぶ無事だったぞ!」


 セチアは牢屋を出てすぐさま看守の保管していた自分たちの手荷物を回収した。手荷物と言っても小遣い程度の硬貨の入った布袋と、白磁の水瓶くらいしかめぼしい物はないのが実情だが。


「スレイン、これはお前のだろう?」


 セチアがスレインに水瓶を渡すと、スレインはそれを受け取りぎゅっと大事そうに抱え込んだ。余程水瓶に思い入れがあるのだろう。船の中では寝るときも、食事の時も脇に抱えていたほどだからな。


「ありがとう、これだけは失くしたくなかったのよ」


 しかしあの水瓶、本当に金貨何枚くらいでなら売れるだろう。


 そんな余計なことを考えていると、突如チュリルが俺とセチアを交互に見回しながら「みんな、あたいの体のどこでもいいから触るんだ」と言った。


 透明になって逃げるつもりだ。すぐさま理解した俺はマグノリアを引きずったままチュリルの傍まで寄った。


 スレインも何事かを理解しているようで、さっとチュリルの腕に捕まる。セチアも不思議そうな表情を浮かべながら、言われた通りにチュリルの肩に手をかけた。


 マグノリアも俺の背中からチュリルの肩へと震える手を乗せ、最後にチュリルが俺の服の裾を掴んだ。


「よし、いくよ!」


 息を合わせ、ゆっくりと進みだす一行。セチアだけが顔をしかめていると、隣のスレインが一言二言小声で説明した。


 なるほどと合点がいった様子ですぐに皆と同じく足取りに気を払いセチアは歩き続けた。


 礼拝堂へと続く部屋に差し掛かろうとしたその時だった。


「おい、マグノリアが逃げ出したぞ!」


 衛兵のたちがバタバタと走り回っていた。見回りが気付いたようだ。


「警備を固めろ、入念に探せ。まだ遠くには行っていないはずだ」


 慌ただしくすれ違うのでぶつかりそうになってヒヤッとした。


「どこから出るんだ?」


 声を極力小さくして俺は尋ねた。


「この大聖堂は元々異教の神殿だった場所に建てられている。地下にはその頃の遺跡がたくさん残っているから、そこを伝えば外へ出られるんだよ」


 そう言えばと、かつてこの街で商人仲間から聞いた話を思い出した。


 カルナボラス周辺は1600年前から古代パスタリア帝国の中心地であり、周辺各地の数多の神々が信仰されていた。


 しかし1000年ほど前、ゾア神教が国教に定められてからはそれまで信仰されていた神々はすべて異教の神として厳しく取り締まられるようになった。そういった異教の神殿を埋めたり壊したりして新たに街を作ってきたため、この土地は地下を掘れば必ず遺跡が出るとまで言われている。そんな遺跡の一つと、この礼拝堂は通じているようだ。


 俺たちは団子状になりながらゆっくりゆっくりと両側に牢屋の並ぶ地下道を歩く。


 何せ暗いし看守とはすれ違うし、この人数で固まって歩くのは大変だ。


 と、古い石造りの地下室の壁の一角だけが不自然に新しいレンガになっている場所まで連れられると、チュリルは周囲を見回し誰もいないことを確認する。


「おい、こんな所で何するんだよ?」


 チュリルは俺の問いかけに答える様子もなく、壁のレンガになった部分をぺたぺたと触り、「これだ」とレンガのひとつだけを強く押す。するとどうだろう、女の力なのにレンガは壁に押し込まれ、めり込んでいく。やがて壁にはレンガ一つ分の空洞が穿たれた。


 小さな口を開けたレンガの壁にチュリルが手を突っ込むと、今度はそのレンガの部分全体がズンと動き出した。そして一般的な片開きのドアのように、その部分だけが開かれた。その奥はさらなる暗闇へとつながっていた。


「すごい、冒険家になった気分だ!」


 随分と浮かれているセチアに「そんな場合じゃないよ、急いで!」と釘を刺すチュリルは、闇の中に俺たちを引き入れた。そして全員がレンガの扉をくぐると、牢屋の壁にかけられていた燭台を一本失敬し、俺たちに続いた。最後にレンガの扉を押すと、ゴゴゴと硬い物の擦れるような音を出しながら扉はぴっちりと閉ざされた。


 ここでようやく俺たちはチュリルから手を離した。呼吸も自由にできなかったから思いっきり新鮮な空気を吸ってやる。


 だがここは先ほどの地下牢以上に陰鬱とした空間だった。


 チュリルの明かりで照らされたここは、地下牢よりさらに古いレンガと石材で作られている狭い通路だった。どこかからぴちょんぴちょんと水の滴る音が聞こえる。


「こんな場所があったなんて初めて知ったわ」


 スレインがきょろきょろと辺りを見回す。


「旧教の僧侶から聞き出したんだ。元々はもしもの時のための脱出用の通路らしいよ」


 明かりを持ったチュリルを先頭に、俺たちはマグノリアを支えながら歩いた。水の滴る音は次第にちょろちょろと水の流れる音に変わっていった。


 しばらく進むと前方の壁が真っ黒に染まっている。目を凝らして見ていると、先を行くチュリルが小さく舌打ちをした。


「ち、扉か!」


 真っ黒な物体の正体は扉だった。紙一枚を差し込む隙間も作らず、床と壁とにぴっちり密着しているような、見るからに頑丈そうな金属の扉だった。


 俺は背負っていたマグノリアをセチアとスレインに任せ、扉に蹴りを入れる。扉はガンと音を立てたが、ただそれだけでビクともしない。今度は全体重をかけて押してみたが、それでも一ミリも動かない。腕力だけでどうにかなる代物じゃない。


「無理だ。鉄製で、おまけに分厚い。鍵が無いと開けられねえ」


「しまったなあ、まさかこんな物があったなんて」


 チュリルがうーんと考え込む。


 ここから脱出するには大聖堂の入口から回らないとならないのか? それだと透明になったとしても見つかる危険性が高すぎる。どうしたものか。


 その時、今までずっと息を切らし喘ぐだけだった大男が口を開いた。


「ここは私が……」


 スレインの制止を振り解き、マグノリアがよろよろと前に出る。


「あんた怪我人だろ、無茶せず休んどきな」


 俺が肩に手をかけると、この大男は片腕だけで俺を押し戻した。こんなぼろぼろの体にこれほどの力が込められているとは驚きだ。


「こういう時こそ私の力が役に……」


 チュリルは「マグノリアさん、無理しないで」と言うがそれを止めようとはしなかった。


 マグノリアが両掌で鉄製の扉にもたれかかる。同時に俺は「ああ!」と素頓狂な声を上げた。


 鉄の扉に穴が空いていく!


 マグノリアが手を添えた部分を中心に、鉄が消えてなくなって巨大な穴が広がり始めたのだ。キズ一つ付きそうにない頑丈な金属に、パン生地を押し込むかのようにマグノリアの両掌がめり込んでいく。


 俺はへなへなと腰を抜かし、目の前の男にただ驚くばかりだった。


 このマグノリアとかいう大男もプラートの祝福を受けたに違いない。しかも与えられた力は触れた物体を消滅させる能力。こんな力をもしも戦いに使われれば恐ろしいことになるだろう。


 いくら防壁を用意しようと、この男一人いれば突破できる。しかもこの男は見るからに大柄で怪力の持ち主、能力を使わない実戦においてもそこらの兵では足元にも及ばない。多少腕に自信のある俺でもこの男に勝ち目は無い。


 俺はマグノリアの姿にぞっとするものを感じたが、同時にほのかな憧れも抱いていた。俺にもこれほどの力があれば、傭兵になれば今以上に稼げたかもしれない。もしかしたら王室お抱えの近衛兵になれたかも。


 そんな絵空事を描きつつも、いや、真正ゾア神教なんて連中に関わっていられるかと理性を叫ばせ、なんとか正気を保っていた。


 なおセチアはずっと目をキラキラさせてマグノリアを見つめていた。こいつの場合は強そうな力に素直に憧れているだけだろう。


 すでにマグノリアの腕までめり込んだ鉄の扉はさらに大穴を拡げ、ついに壁際までジリジリと消え去っていく。最後にはそこにあったはずの頑丈そうな扉は、一塊の鉄くずも残すこと無く消滅してしまった。


「消えちまった。俺でもびくともしなかったあの重い扉が……あんた、一体何者だ?」


 奥に続くさらなる暗闇を見つめ、マグノリアの肩に手をかけてみる。大男はゼエハアと息を切らしており、先程より明らかに衰弱していた。


 数瞬苦しみに耐える男の横顔を眺めていると、突然ふくらはぎを後ろから蹴られた。振り返るとチュリルが鬼気迫る表情を浮かべ、顎で新たに開かれた道を指し示していた。


「今のでだいぶ体力を使われたそうだ! とにかく急いで!」


 我に返る。そうだ、この男は俺たちのために命を削って道を開いてくれたのだ。


 俺はマグノリアを背負い直し、再び道を進んだ。足取りは先程より気持ち急いでいた。


 どれほど歩いただろうか、気が付けば地下道の隅を小さな溝が走り、ちょろちょろと水が流れていた。その溝はやがて広く深くなり、水量も徐々に増していき、ついには何本もの水路が合流して人間の跳躍では飛び越えられないほどの幅になっていた。


 一本道の通路だったが何本か曲がり角を折れると、やがて前方に小さな白い光が見えた。外への出口だ。


 そこからは早かった。俺たちの歩調は一気に軽くなり、あっという間に光の下へと出る。


「ぷはー、外だー」


 地下のじめじめしたカビ臭い空気とは打って変わっての乾いた爽やかな空気。俺は陽光の下に出るなり息を大きく吸って体の隅々まで空気を送り込んだ。


「ここは……運河じゃないの!」


 スレインが驚いていた。ここは運河の本筋から少し外れた狭い水路の暗渠だった。すでに夕日が差し込み、運河の水面を赤く照らしている。


 周りを見回すと壁の禿げたレンガ作りの家屋が密集し、白い服を着込み疲れきった顔をした人々が往来を行き交っている。


 かつては貧民街と呼ばれ、今日食べるものにも苦労するみすぼらしい民の集まる区域だったが、今はそういった者はいない。真正ゾア神教の活動の賜物だろう。


「こんな所が聖堂の地下と通じていたなんて予想もしなかっただろ? さ、ひとまずアジトに戻るよ。マグノリアさんを休ませなきゃ」

チュリルはセリフがポンポンと浮かんでくるので書きやすいキャラです。

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